嵐のあとで(2)

 国土全体を照らす雷光を目撃した藤丸は目を丸くした。
 これは説明を受けた天上からの落雷だ。そして戦の始まりを告げる合図でもある。
 あまりの眩さに視界を手で覆う。手に取った瓦礫が地上へと落ちるも拾い直すことはなかった。

「行こう」

 隣に立つアーチャーと共に藤丸は走り出す。
 向かう先はトロイア城。まずはヘクトールの指示を仰ぐことが専決事項である。
 トロイアの情勢を知るには手っ取り早く現地人に尋ねるのが確実であり、戦であれば大将だ。

「トロイアの兵士たちは既に準備を始めていた。いや、常に準備していると言おう。彼らは不測の事態に備えている。
 落雷がいつ落ちてもいいようにな。戦を始めようと思えばいつでも始められるだろう」

「そうだね。なによりもあのおじさんが準備を怠っているなんて思えないし」

「防衛戦においてヘクトールの手腕は絶大だ。それこそカルデアのサーヴァントを見渡しても一際輝いている」

「まずは話を聞こう」

 彼らは兵士である。
 トロイア陣営に属し、その目的は勝利を追い求めるのみ。であれば、どれだけ楽だっただろうか。
 藤丸の表情はこの時代に召喚されてから常に何かしらの暗みを帯びている。

 特異点の解決をするに何をすべきか。
 聖杯の存在すらも見えてこず、魔神柱の姿も確認できないこの状況で言えることはただ一つ。
 歴史を誤った方向へ進ませないこと。それはヘクトールの死亡を意味する。

 兜輝くヘクトール。
 その最期は大英雄アキレウスとの一騎打ちに敗れ、その死後も辱めを受けたと言われている。
 歴史に記された文にサーヴァントの文字は存在しない。
 キャプテン・キッドの名前は記載されておらず、魔女キルケーが歴史に名を残すのもまだ先である。

 イレギュラーなき特異点は存在しない。イレギュラーがあるからこそ、特異点が誕生する。
 その時代に生まれた粗を見つけられなければ、行く行くは人理の消失へと繋がるだろう。
 しかし時代のうねりはある程度、伝承どおりに進む。つまりはイレギュラーを除けば変わりは無い。
 つまり、ヘクトールの死は左右されない。決して覆されることのない確定事項だ。

 藤丸とてそのことを理解していない訳ではない。彼の心の中には常に最悪の未来が描かれている。
 顔の知った存在と戦うことは初めてではない。
 冬木で力を借りたキャスターも、ロンドンで共に戦った円卓の騎士も二度会うときは敵だった。そして勝利を収めている。
 それがヘクトールになっただけ。異なる点と言えば味方であること。

 一点のみの理由が藤丸の心を遅速性の毒のように蝕む。
 戦いたくないなどと弱音を吐くつもりはない。殺さなければならぬ敵ならば、人理のためにその心臓を潰すだけ。
 時が来れば裏切るだけ。そう、裏切る必要があるのだ。トロイア陣営に属した時点で必然となってしまった暗き確定事項。

 選択の時は迫り続ける。


 ◆  ◆  ◆


 会議室に居座るサーヴァントと各将たちは見慣れた面々である。
 数時間前に顔を合わせた彼らは多くを語らず黙って将軍たるヘクトールを見つめていた。

「まぁ今更なにかを説明する必要もないだろ。夜明けと共に進軍を開始する」

 視線に応えるように発言したヘクトールは机上に広げられた地図を指さす。
 トロイアから平原へスライドし、それはアカイアとちょうど中間地点を示していた。

「魔女の出方が気になるからな。こっちから奇襲は仕掛けねえ。むしろ一番隊は城に残ってくれ。
 今回みたいにオデュッセウスを飛ばされちゃ話にならんからな……はぁ、余計なことばっかしてくれるぜ」

 困ったもんだと言わんばかりにため息を吐く。
 ローランが応戦したオデュッセウスはどこからともなく現れたという。
 実際にその姿を目撃した者はいないが、見張りが全く気付いていないため、おそらくは魔女の仕業だろう。

「進言します」

「おう」

「お恥ずかしい限りですが我が隊のみではオデュッセウスを相手するには役不足であります……」

 挙手と共に発言するはトロイア一番隊隊長の男。

「気にすんな。ただでさえ馬鹿みたいに強い奴がサーヴァントになって、それも狂ってんだ。俺だって勝てないわあんなの」

 俯く一番隊隊長にヘクトールはけたけたと笑い飛ばす。
 右腕で頭を掻きながら視線を流すは隣に座る同じ血を分けた弟だ。

「オデュッセウスが攻めてきたら」

「……ああ、その時は僕が相手をするよ」

 パリスは多くを語らずその役を引き受けると言った。
 彼は国王が故、戦線に出ることは少ない。父親である先代を急に失ったため、若くして王を務めなければならない。
 本来ならばトロイア戦争の引き金を引いた手前、率先して終結に望むところだが、主が易々と玉座を空ける訳にはいかず、

「わかってるならそれでいい。前線は相変わらず、俺に任せとけ」

 代わりに兄たるヘクトールが戦場に赴く。そしてそれが適役なのだ。
 民からの信頼が厚いのは彼である。一国の王よりも、遙かに。
 パリスがオデュッセウスの相手を務めると言い放った時、顔を歪める兵がほとんどであった。

 元を正せば敵国の王族を王妃に迎えたパリスが今回において最大・最悪の戦犯である。

「ねえ、アーチャー」

「む、どうしたマスター」

「パリス王は強いのかな? おじさんの弟なんだからきっと強いとは思うけど……実際はどうなのかなあって」

 周囲の兵士に聞こえないよう小声で藤丸はアーチャーに尋ねる。
 一呼吸の間を空けたあとに彼はこう答えた。

「歴史どおりならばアキレウスを射貫くのはパリスになる」

「……それ、とてつもなくすごいね」

 半神半人の大英雄アキレウス。
 メジャーと言っても差し支えのない彼の弱点を射貫くのがパリスだと言う。
 アーチャーの説明に藤丸は目を丸くする。少々頼りない印象を抱いていたが、評価が一転し改まる。しかし

「でもみんなの評価っていうか、やっぱり好かれてはいないよね」

「こればっかりはどうしようもできないな。彼一人に責任を押し付けるのは間違っているが、彼に責任がないとは誰も言えまい」

 異論を堂々と唱える兵士はいないが、内心に抱く感情は隠しきれない。
 トロイアの酒場では常に王への不満で溢れているのが市民の約束となっているのだ。
 それも政治についてではなく、パリスという一人の人間に対し夜は不満に包まれる。

 神に誑かされた被害者かもしれぬが、敵国の女に手を出した愚か者だと。

「騎馬を増やす。各隊はあまり固まらないようにするが、常に伝令を出せる形態を整えてくれ。
 魔女の奇襲対策だ。つっても意味は薄いと思うがな。まぁ、なにもやらないよりはマシだ。それよりも――」

 ヘクトールは部屋全体を見渡す。
 集まった兵士たちの瞳へ視線を重ねると、命令を言い放つ。

「魔女と交戦したら深追いは絶対にするな。ただ、攻略の糸口がほしい。死ぬ気で死なない程度に頑張ってくれ」


 ◆  ◆  ◆


『お前らは自由にしていてくれ。寝るもよし、身体を動かすもよし! 街の復興は一番隊や大人たちに任せておけ』

 会議室を後にした藤丸は一度、自室へ戻ることにした。
 戦が近いため会議も必要最低限に抑えられ、作戦を抜けば徹底されたのは魔女相手に死ぬ気で死なない程度に頑張ることだ。
 死ねば意味がない。だが、戦争において死が纏わり付かないことなどあり得ない。
 死者を出すことを望む人間はトロイアの兵士にはいない。

「魔女のワープ? は正直に言って脅威だ。急にぽんぽんと現れたら驚くし、対処も困る」

 ウルクでのキングゥは空を翔け、ロンドンでのジャック・ザ・リッパーは霧に潜んでいた。
 彼らは脅威だった。間違いなく強敵と言えよう。だが、この目で抑えることが出来た。
 接近することを認識していたのだ。少なくとも奇襲と云えどある程度は予想の範囲内に収まるケースが多かった。

 しかし魔女はどうだろうか。
 神出鬼没の空間転移にどう対応しろというのか。賢王にでも教えてもらいたいものだ。
 なにかパターンなり予備動作なり隙やルーティンを見抜ければ対応の仕様がある。

 見抜ければ、の話である。

 平原で対峙した時には自身を蜃気楼のように歪ませ姿を消した。
 夜にはトロイアの街に突如として狂戦士オデュッセウスを召喚した。

 仮に。
 もしも魔女が一個分隊規模の軍勢を一度に空間転移することが可能だったとしたら。

 戦争をするのが馬鹿らしい。
 その時点でゲームは終了だ。続ける意味など、悪趣味以外にないだろう。

「空間転移の魔術をなんとかしないと――ファ!?」

 魔女キルケーの魔術に思考を馳せていた藤丸は素っ頓狂な声を上げる。
 空間転移以外にも獣化の魔術もあるため強敵だとか、右手に炎を宿し左手に氷を灯していただとか。
 色々と考えることがある。ひとまずはシャワーでも浴びてリラックスしようと自室の扉を開けた瞬間だった。

 冷たい夜風が身体を包む。
 窓は閉めたはずだ。なぜ、風が入り込んでいるのか。
 そして月明かりに照らされる男が一人、見知らぬ男が一人、窓の近くに立っているではないか。
 誰だ、お前は誰だ。回らない思考の中で藤丸はなんとか言葉を捻り出した。


「アラフィフ!?」


「あ、アラフォーと言ってくれないか……いや、アラサーでもいいでしょう」


 異国で表すところの黒い礼服。白い手袋を嵌め、モノクルが月明かりに反射する。
 背が高く、長くはなくとも整った髭。そして男の左手には一輪の花が握られており、藤丸が彼を神出鬼没の大泥棒と認識するまでに時間は掛からなかった。


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最終更新:2017年07月10日 22:44