摩訶不思議のキャスターに出くわし、追い立てられて躑躅ヶ崎館。
自然の猛威に山火事からも、命からがら逃げ出してきて、立香達が行ったことは、すぐさまの作戦会議だった。
兵達は思うまま休めばいい。しかしあの脅威を目の当たりにして、何もせずにいられるほど、将達は呑気ではなかったのだ。
「してやられたな」
鎧を脱ぎ和装へと着替え、どっかと広間に腰掛けるや否や、信玄はいの一にそう口にした。
彼女とて今回の戦いにおいては、随所に深い傷を負っている。着崩した着物から覗く肌には、痛ましい包帯の白が見える。
留守を預かっていた小早川を含め、一同に集った者のほとんどは、内心で彼女のことを気遣うだろう。
だとしても、今はその時にあらずと、未だ力を失わぬ瞳は、力強く、しかし苦々しげに物語っていた。
あるいは彼女の隣に座す、軍師アグラヴェインの面もそうだったからこそ、立香達も受け止めたのかもしれない。
「油断があったわけではない。ダレイオス三世との戦が、凄惨極まるものなればこそ、警戒を怠るまいとは思っていました」
「帰路を襲われればすぐさまに殺られる……そう、理解してはいたのですが」
『予想や規格の外側すぎた、と……そう認めざるを得ないね、アレは』
ランスロットと小太郎が、沈痛な面持ちで口にする。ともすれば言い訳とも取れた言葉を、通信のダ・ヴィンチが補足する。
普通の兵士達の襲撃であれば、十分に予想できたことではあった。
あのキングゥやセイバーが、突如殴り込んできた時のように、疲弊したところを急襲されて、一網打尽に遭うリスクはあった。
なればこそランスロット達も、そうなった時のために、身構えてはいたつもりだったのだ。
しかし誰に読めただろう。敵が人の刃ではなく、大自然の牙だったなどとは。
「ダ・ヴィンチ。此度出くわしたキャスターの真名、予測することは叶うか?」
『そちらの方は問題ない。むしろセイバーに比べれば、彼女はまだ簡単な方だ』
言いながら、通信の向こうのダ・ヴィンチが、コンソールを操る音を立てる。
システムを介し戦国の世の、城内に映し出されたものは、空間投影タイプのモニターだった。
そこに映し出されたものは、キャスター――というより、その背後にいる兵士達の姿だ。
『彼女の近くに立っている者……恐らくは指揮官クラスの人間だろう。彼のこの髪型は、美豆良(みづら)という名で呼ばれている』
それには確かに見覚えがあった。
中心で分けた黒髪を、瓢箪のように結ったスタイル。独特に過ぎるその姿は、中学の教科書にすら載っているものだ。
信玄が古いと評していたのも、あれであったら納得がいく。
しかし、だとすれば。このレベルまでに後退するなら、指し示す時代はただ一つだけだ。
そしてその時代において、英霊の座に至るほどに、名を残した者は、ただ一人。
『この髪型が見られたのは、古代日本の弥生時代だ。
あまりに古すぎるが故に、英雄の絶対数自体が少ないこの時代。そこに天候を読む女性、とくれば、該当する者は一人しかいない』
「ダ・ヴィンチちゃん! ということは、まさか……!」
『――卑弥呼。人間の、という括りで語れば、あるいは日本最古の英雄。それが彼女の正体だ』
卑弥呼。
真っ当な教育を受けていたなら、現代の日本人において、その名を知らぬ者はいない。
何せ日本史の授業において、いの一番に出てくる名前だ。レオナルド・ダ・ヴィンチが称したように、最古と呼ぶべき女王の名だ。
それはすなわち、日本史において、最も神秘の残り香を残した時代――その時を生きた魔術師であると。
「……想定された名前の中では、最悪のものの一つですね」
『恐らくはその国の歴史において、最高位のキャスターの一人だろう。匹敵する者がいるとすれば、あとは安倍晴明くらいか』
知名度で他に並ぶ者はいない。
魔術が体系立っていたとは、未だ言い難い時代であろうが、神秘の総量は言うに及ばない。
であれば卑弥呼は紛れもなく、日本最強のキャスターの一人だ。それほどの偉大な大先輩が、牙を剥き立ちはだかってきたというのだ。
風魔小太郎を始めとした、日本人達の顔色が、暗いものになるのは必然だった。
『ですが、それにしては奇妙です。彼女は魔術を使った形跡もなく、あくまで偶然起きた自然現象を、予知していたように見えました』
『確かに、そこは引っかかる。卑弥呼はまじないによる雨乞いはしたが、未来を予言したという逸話までは、さすがに残されていなかったはずだ』
マシュが疑問を口にする。
専門的なことはよく分からないが、確かに天候を操ることと、天候を予想することは別であるはずだ。
であれば、魔力を介在させることなく、偶然へ自分たちを追い込んだかのような、卑弥呼の戦法は確かに気になる。
幻霊同士を継ぎ足すことで、有り得ざるキメラを具現化させた例もあるが、あんなものはいくら何でも、自然発生はしないはずだ。
「だが、奴はこうも言っていたな。有り物の未来を読むのではなく、己が見たものが未来となるのだ、と」
顎に指を沿えながら、武田信玄が追想する。
未来を予見するのではなく、未来を決定するのが本懐である。
なるほどそれなら、雨乞いの域に、確かに合致するだろう。
(……いや、待て!)
そこに思い至った瞬間、藤丸立香は蒼白となった。
卑弥呼が口にしたという言い回しに、彼は確かに覚えがあった。
それは最悪に悪を上塗りした、極悪極まる可能性だ。
恐らく己で気付いたのだから、レオナルド・ダ・ヴィンチなどは当然、思い至っていることだろう。
しかし、言ってほしくはない。
だって、それが本当ならば。
そんな可能性がもし万が一、当たっていたというのなら。
文字通り想像を絶するような、そんな恐るべき能力が、卑弥呼に宿されているというなら――!
『……因果律の、強制操作……!』
嗚呼、とうとう言われてしまった。
口にしたダ・ヴィンチの言葉にも、らしくない動揺が浮かんでいたことが、脅威を決定づける証明となった。
卑弥呼は未来を読んでいたのでも、サイコキネシスのような力で、自然を動かしていたのでもない。
世界の運命そのものを書き換え、偶然起こり得る事象を、必然のものとしていたのだ。
自分が見たもの――望んだものが、そのまま未来に起こるというのは、つまりそういうことだったのだ。
「それは、一体どういうことだ」
『簡単に言うと、卑弥呼が操っていたものは、偶然や確率などのような、世界の運命そのものです。
もしかしたらぬかるんだ土が、今日この場所に崩れるかもしれない……そうした可能性を十割にしたり、逆に無にすることもできる』
『日照りの宿命に干渉し、雨が降るという可能性を確定させれば、すなわち雨乞いの成立だ。なるほど、彼女の邪馬台国には、そんなカラクリがあったとは……!』
二人の説明を受けたことで、いよいよ信玄も目を見開いた。
なるほど、確かにそうくるだろう。運命を操作する力を、本当に持っているのだとすれば、卑弥呼は間違いなく無敵だ。
戦いの場でその力を振るえば、まさしく己が味わったように、天変地異で敵を倒せる。
万一詰め寄られたとしても、偶然に偶然を重ねることで、身を守ることすら可能とするだろう。
たとえば剣が迫った先に、木が倒れたりしてきてもいい。たとえば巻き起こる突風が、矢を逸らしたりしてもいい。
いくらでも拡大解釈ができる。いくらでも絶望を上塗りできる。それが因果律操作という力だ。
「しかしとなれば、耐久限界を偶然迎え、城が腐って崩れ落ちるだとか、そういうことも出来たのではないのか?」
『やることが大仰すぎるがゆえに、いくらかの制限があるのかもしれない。複雑な操作には相応の魔力が要る、だとかね。
しかしあれほどの災害を起こした力だ。振り払われたこちらの武器が、偶然限界を超え砕けた……それくらいのことは、起こりうるだろう』
できることには限りがある。
なればこそ一瞬で勝負を決めず、何らかの機会を今日まで求め、日陰に潜み待ち続けていた。
現状では推測の範囲でしかないが、なるほど確かにそう仮定すれば、今日まで目立たずにいたことも、説明づけることはできるだろう。
あるいは小規模の兵を動かし、小競り合いを起こさせていたのも、自身が戦う戦場の勝手を、確かめるための行いだったのかもしれない。
何をどのように動かせば、どんな成果を起こせるのか。卑弥呼はそれを探っていたのだ。
(待てよ……?)
しかし、分からないこともある。
あらゆることを見通せると、そうわざわざ宣言した割には、この行動には理が通らない。
彼女がそう言っていたように、全知全能の存在であるなら、下調べなど必要ではないはずだ。
何せどんな戦場であろうと、全てを支配しているのなら、ぶっつけ本番で戦える。わざわざ見分などせずとも、全てを意のままにできるはずだ。
であれば、そうしなかったのは何故だ。何か見落としがあったのではないのか。
「その、ちょっといいか?」
その答えを導き出したのは、最も意外な人物だった。
「そいつは未来を決めてるだけで、読んでいるのとは違うんだろう? だとしたら、予想できない戦術には、普通に対応が遅れるんじゃないのか?」
手を挙げ疑問を口にしたのは、あの小早川秀秋だった。
彼の呈した疑問に対する、各々の反応は様々だ。
言われてみればその発想は、確かに目から鱗かもしれない。
しかしそれが何だというのだ――小太郎はそのように目を丸くしていた。無論、己もそうだった。
それでも残された三名には――武田信玄、アグラヴェイン、そしてランスロットという顔触れにとって、それは文字通りの慧眼であった。
「……驚いた。よもや貴様が思い至るとは」
「っ! 馬鹿にしてるのかアグラヴェイン! これでも僕だって一端に、一軍を率いる将なんだぞ!」
珍しく驚嘆するアグラヴェインに、それはないだろうと小早川が怒る。
「はは、すまんすまん。わしもうっかり忘れておった」
『ああ、そうだ。彼は立派に才人だった。その歳で半島に出兵し、成果を上げてきたわけだから。少なくとも、凡愚であるはずはない』
『あの、お二人とも、つまりそれはどういう……』
小早川の意外なプロフィールに、内心僅かに驚きながらも、マシュの疑問に合わせて頷く。
どんな攻撃を仕掛けてこようと、跳ね返してのけるのが卑弥呼のはずだ。だからこそ自分達はそれに対して、頭をひねっていたのではないのか。
「分からぬか? 奴めが知り得ん出来事は、書き換えられんということだ」
そう答える武田信玄の顔は、先程のしかめ面ではなく。
獲物を見定めにやりと笑う、あの虎の面構えがあった。
「全能であっても全知ではない。それはこれまでの行動が証明しておる。
奴が全く知らぬ策を、先んじて妨害することは出来ぬ。奴めの意図の外側から、不意打ちを仕掛けた場合であっても、これまた然りと言えるだろう」
『知らないものは動かせない。見えないものには気付けない。全知と全能の間には、それだけ大きな隔たりがあるんだ』
だからこそ彼女はこれまでの戦で、丹念な下調べを行ってきたのだ。
ぶっつけ本番では知り得ない、予習しなければ分からないものを、事細かに把握するために。
卑弥呼の視野と知性の限界――それが絶対に見える因果律操作の、唯一にして絶対の隙だ。
それはこと戦術戦略において、一日以上の長がある、戦国最強・信玄にとっては、まさしく天啓と呼ぶべきひらめきだった。
ここに来て藤丸立香はようやく、小早川が指摘したものの大きさを、理解するに至ったのだった。
「となると問題はいかにして、その意識の隙間を縫うか、ということだが」
『気配遮断の専門家は、それこそ小太郎君がいるだろう。彼を動かすというのは?』
「先の戦を見ているのなら、彼が隠密であることは理解していよう。私であれば、警戒はする」
「難題だな。小太郎から目を背けさせる術を探るか、あるいは二重の策を構えるか……」
僅かなり突破口を得たことによって、議論は一挙に先へ進んだ。
信玄が疑問を投げかければ、ダ・ヴィンチがそこに提案を返す。
アグラヴェインの反論を受けて、ランスロットが次善を探る。
戦力が限られている以上、牛歩のようではあるかもしれない。しかし解決に向かって、確実に歩みが進んだのだ。
であれば、立香も考えねばならない。全能の因果律操作の打倒に向けて、一挙に前進できる策をだ。
(ちょっと待てよ……?)
その時、不意にひらめいたことがあった。
脳裏をよぎったその言葉は、卑弥呼の魔力を解き明かすに当たって、一度参考にしたあの言葉だ。
自身が知り得ないものに対して、卑弥呼は力を発揮できない。
予測のできない行動に対し、準備をすることは不可能だ。
確認の取れていないものを、操作することも不可能だ。
ならばひょっとしたらもう一つ、不可能か、あるいは困難なことが、彼女には存在するのではないか。
「……ダ・ヴィンチちゃん。今から現代(そっち)に戻ったとして、特異点(ここ)にはいつ頃帰ってこられる?」
だとすれば、己にも打つ手はある。
自力ではできないことかもしれない。
しかしサーヴァントのマスターであるなら――誰かから力を借りられる身ならば、それを実現することは可能だ。
意を決した藤丸立香は、議論の席で、口を開いた。
『レイシフト・アウトからの再レイシフトか……なかなか難しい質問だね。
既に君がいたはずの時間に、もう一人君を送り込んでしまえば、致命的な矛盾を生じる。
万一のズレによる遭遇も許さない、絶対安全なレイシフトとなれば、少なくとも、一日は後を狙う必要があるよ』
「何か策があるのか? 藤丸」
わざわざ問いただしたということは、戦線離脱からの復帰が、決して容易ではないということ。
それを要求したからには、一日というタイムラグを払ってもなお、引き出すべきものがあるということ。
それを理解したのだろう。甲斐の虎の金眼は、鋭くこちらを見据えて問う。
「はい。とんだ浅知恵かもしれないけれど……俺に思いつく手は、これしかない」
無論、そのつもりで口にした。
全てを試すべき場であるなら、試す価値はあるはずだ。
荒唐無稽かもしれない。一笑に付されるかもしれない。
だとしても、あの女王を打倒する策は、己に思いついたのはこれだけだ。
なればこそ、その手に全力を賭ける。戦局を打開できるかもしれない、あのサーヴァントを連れてくるためにも、カルデアには戻らねばならないのだ。
今もカルデアで待機していて、自分の帰りを待ってくれている――あの英霊の力こそが、奴を倒すには不可欠なのだ。
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木曽川を上流へと辿った、その先に構えられし岐阜城。
マムシの二つ名で恐れられし、かの斎藤道三も居着いた城だ。
そして奇しくもこの城もまた、天下平定の意を込め名付けた、織田信長ゆかりの城でもある。
本来あるべき歴史において、関ヶ原の戦いの一年後には、一度崩されていたというこの城に、魔術師・卑弥呼の姿はあった。
遥か夜空の高みより、外界を見下ろすその姿こそ、弥生の時代に名を知らしめた、全能者の具現であるかのようだった。
「武田信玄、と言いましたか。かのライダーめは思惑通り、随分と肝を冷やしたようですな」
髪を結った側仕えの男は、歴史に語られた実弟だろうか。
生前の卑弥呼は、即位して以降、肉親にして側近であったという彼以外には、ほとんど姿を見せなかったという。
無論此度の戦においては、かつてと同じようにはいかない。サーヴァントを相手取るならば、必然姿を晒さねばならない。
それでもなお、わざわざ傍らに置くからには、特別な地位にあるだろうことは、端からも容易に読み取ることができた。
「ええ、ええ。そうでなくては。でなければ一息に締めにかからず、落ち延びさせた意味がない」
くすりと笑うその瞳が、向かう彼方にあるものは、信濃の端にある山地だ。
正確にはその山間にある、武田の躑躅ヶ崎館だ。
今頃彼女らの根城は、蜂の巣をつついた騒ぎだろう。あるいは通夜の光景が、そこには広がっているかもしれない。
確実に殺せたあの場において、彼女らを見送り逃したのは、この状況こそを作るため。
活かすも殺すもこの手次第、生殺与奪を握っているのは、この卑弥呼の手であるのだと、信玄に知らしめるためのことだ。
「では、準備を。野蛮はひとまず忘れた上で――ここからは、文明的な時間としましょう」
であればこそ、ここから先が活きる。
全知全能、運命の支配者。夜闇の黒よりなお深き、深淵の叡智こそを手にした者。
その卑弥呼の生前にならい、文明的な手口こそを、奴らに見せつけてやる時だ。
すなわち、対話の時である。
この対話こそが本番である。
天命を掴みし神秘の女王の、望むべき本懐を勝ち得るために。
◆
真 名 解 放
関ヶ原のキャスター
真名
卑 弥 呼
最終更新:2018年01月02日 23:58