体感時間では数時間ほどだが、特異点では一日の後。
僅かな時間と思っていたが、それは戦時下においては、大きなラグであったようだ。
藤丸立香が小太郎と、新たな援軍を伴い、躑躅ヶ崎館に戻った時には、陣中はまさに激動の渦にあった。
「おお、戻ったか藤丸殿」
「ランスロット! これは……?」
ちょうど通りがかったランスロットに、立香が状況を問いただす。
館のあちらこちらから、聞こえてくるのは忙しない足音。
ある者はがちゃがちゃと具足を鳴らし、ある者は物資を運んでいる。
何かに駆り立てられるようにして、あちこちで怒号が飛び交う様は、まさに戦場のそれだった。
戦いは起きていないようだが、いずれにせよ、ここまでの騒動に至るまでに、一体何が起きていたのか。
「うむ。事は数刻前にな。あのキャスターのサーヴァント――卑弥呼が、交渉の用意があると申し出てきたのだ」
「卑弥呼が、ここに!?」
なんてことだ、と目を見開いた。
リスクに見合うだけの人材は、確かに連れてきたつもりだ。
しかし甘かった。敵はこちらの予想以上に、早く行動を起こしてきた。
よもや自分がいない間に、敵が本陣にまで切り込んできたとは――己の迂闊に、立香は眉根をしかめる。
「案ずることはない。実質の投降勧告ではあったようだが、そこは武田信玄公だ。見事、鼻を明かしてやったと聞いている」
『とはいえ、怒った女王殿下も、退くに退けぬと食い下がり、結果がこの戦闘配備。そういった具合と見ていいね?』
「ああ。詳しい話は信玄公に。……ところで、連れてきたサーヴァントというのは?」
おおよその状況を確認したところで、今度はランスロットが立香に尋ねた。
なるほど確かに、この場には、藤丸立香と小太郎しかいない。カルデアから連れてきたはずの増員の姿が、現状どこにも見当たらないのだ。
少なくとも、彼らの主ではない、はぐれサーヴァント・ランスロットの目には。
「今は、霊体化していただいています。アグラヴェイン卿のおっしゃることもありましたから……」
「……なるほどな。相変わらず、食えぬ奴だ」
誤解が解けたとは言っても、胡散臭さは拭い去れない。
そんな心境もあったのか、複雑な表情でランスロットが言った。
先の作戦会議の折、カルデアに戻りたいと言った立香に、アグラヴェインはこう返したのだ。
『ならば、仔細を問うことはしない。貴様の見出した勝機については、信玄以外への他言は無用とする』――と。
故にこそ、未だ立香と小太郎以外に、援軍の正体を知る者はいない。
そしてそれを黙っている理由は、当の立香達ですら知らずにいるのだ。
『とにかく、今は信玄公のもとへ。アグラヴェイン卿も、今はそちらに?』
「大方そうであろう。それほど猶予があるわけでもない。急げよ、藤丸殿」
マシュの言葉にランスロットが返し、立香は大きく頷いた。
信玄の切り札となるサーヴァントの名は、未だ彼女の耳に入っていない。
それは早く会わせなければ、作戦にも支障をきたすということになるのだ。
場所を尋ねると、立香は急いで、信玄の居場所へと駆け出していった。
◆
時は僅かに遡る。
これは立香が再レイシフトを果たす、その数時間前のこと。
正確にはその時の様を、躑躅ヶ崎の主――信玄が、語って聞かせた内容である。
「改めまして、信玄公。キャスターのサーヴァントであります」
使者を送ってから、しばらくの後。
天命の支配者・キャスターは、謁見の間に現れた。
恭しく礼をする姿は、見事に堂に入っている。しかしそれが見せかけに過ぎぬと、既に信玄は理解している。
何故ならば現状の優位は、キャスター・卑弥呼にこそあるからだ。上から力を見せつけて、逃げ惑う信玄を見下ろした彼女に、己を敬う理由などないのだ。
なればこそ武田信玄は、上座に座して頬杖をつきながら、渋い顔でその姿を眺めていた。
「用件から申せ。今さら脳天気な和平などを、考えておるわけでもなかろう」
「ええ、ええ。おっしゃる通り。非礼を承知で赴いたのには、それ相応の理由があります」
下げた頭を持ち上げながら、太古の女帝は静かに笑う。
優雅に取り繕ってこそいるが、あれは紛れもなく牙剥く仕草。修羅場を生き抜いた信玄は、その口裏で煌めく犬歯を、決して見逃しはしなかった。
結局、どれほど飾り立てたとしても、この場で繰り広げられるのは、血なまぐさい謀にほかならないのだ。
「我らの他に残った一人。アーチャーすらもやり込めたという、あのセイバーのサーヴァント。信玄公ともなれば当然、彼女が本陣とする城も、既に把握しているのでしょう」
「無論だ。本来ならば有り得ざる城――徳川めが陣を敷いた山に、突如として姿を現した城。何をしでかしたかは定かではないが、あれこそが奴の根城であろう」
話題に挙がったのはここにはいない、最優のサーヴァントの存在だ。
これは今日に至るまで、あまり話題に挙がらなかったことだが、思えばその居の築き方からして、奴の行動は異常であった。
信玄の誇る軍をもってしても、新生躑躅ヶ崎館を構えるまでには、それなりの時間を要している。
にも関わらず、あのセイバーは、本来城がないはずの場所――桃配山にあっという間に、城を築き上げたというのだ。
本来の関ヶ原においては、かの大将軍・家康が、最初の陣を敷いた場所である。しかし城があったという話は、未来のダ・ヴィンチですらも聞いていないのだそうだ。
「ええ、まさしくそのことです。私が貴方に願うのは、かの不可思議な城の攻略――セイバー打倒のための力を、貸していただきたいということなのです」
「何ゆえに我らが力を欲する。天命を見通す全知の目あらば、奴めがどれほどの策を練ろうと、容易に見透かせるのであろう」
「ただ一点、あの城を除いては。いかなる術かまやかしか、あの魔城の未来ばかりは、私にも、手繰ることが叶わぬのです」
何故かセイバーの居城だけは、どれほど視界を凝らしても、望む未来を見せようとはしない。
まるでブラックアウトのように、何も映らぬ暗闇ばかりが、あの城を覆い尽くしているのだと。
「思えば事の発端は、小早川めが目の当たりにした、石田一派の撫で斬りであった。であれば奴がその時点で、未完の聖杯を手にしておったとしても」
「不自然ではない、ということでしょう。聖杯ほどの奇跡であれば、宝具の無力化も城の建造も、成し遂げたとしても不思議ではない」
「真なる願望器へ至る前から、それか。なるほど、お互い途方もないものを、賭けて争っておるものよな」
カルデアの資料によれば、聖杯戦争とは、器を完成させるための儀式だ。
サーヴァントの魂と魔力をくべて、中身を満たすことによって、聖杯は願望器として大成する。
なればこそ、手にするものを選ぶ儀式に、サーヴァント同士の殺し合いなどという、血生臭いプロセスを要しているのだ。
その賞品がこともあろうに、一人の参加者の手中にあり、しかも未完成の状態ですら、それほどの奇跡を起こしているのだという。
おまけに手にした者が最悪だ。よりにもよって日ノ本武者の、誰もが恐れるあの鬼武者が、それを手にしているというのだ。
鬼に金棒とはよく言ったものだと、認めたくもない仮説に、信玄は内心でため息をつく。
「なればこそ、我らは共に手を取り、かの魔剣士に挑まねばならない。その協定こそを結ぶために、私は貴方を訪ねたのです」
「無論、手綱は貴様が握り、我らを飼い慣らした上で、と」
「そのあたりの解釈は、ご自由に」
ああ、やはり本音はそこだと。
奴は信玄の解釈を、己の意図したものへ導くために、あの襲撃を仕掛けたのだと。
強かに笑う卑弥呼の姿に、武田信玄は確信する。
手を取り結ぶためなど、詭弁だ。奴は降伏を促し、軍門に下らせるためにこそ、信玄のもとを訪れたのだ。
天変地異を自在に予見し、勝利を見据える全能の女王。なるほど確かに信玄達は、その力を痛いほど味わっている。
なればこそ、勝てぬと分かっている相手に、強く出ることなど叶いはしない。
卑弥呼はこの状況こそを読み、そのために信玄達を脅して、交渉の席についたのだ。
「――同盟は断る。どうしてもと乞い願うのであれば、貴様こそ軍門へと下ってもらおう」
しかしその読みは決して――未来視の魔眼によるものなどでは、ない。
「―――」
丸く。
僅かでこそあれど、しかし、確かに。
目を見開いた卑弥呼の間抜け面を、しかと両目に捉えたことで、信玄の仮説は確信へと至った。
「何だ。この未来は読めておらなんだか。全知を気取る邪馬台の女帝が、何ともらしからぬ見落としよな」
「理由を、どうかお聞かせください。この同盟は貴方にとっても、決して悪い話ではないはず」
「貴様の口から申してみせよ。真に未来が見えるのならば、我が舌先も見届けていよう」
くつくつと笑みながら、信玄が煽る。
努めて冷静さを保ってはいるが、たとえ僅かではあっても、卑弥呼の動揺は消し去れはしない。
そしてこの変化こそが、卑弥呼の能力の正体を、信玄に確信させるに至った。
本当に未来が見透かせるなら、予想外の結末なぞは、決して起こるはずもない。
たとえ信玄がへそを曲げて、逆張りをしたつもりであっても、その口ぶりこそを彼女は予見し、冷静に対応できるはずだったのだから。
「私の力を、真名を知って、それでなお手向かうおつもりですか」
「粋がってくれるなよ、老害。戦の粋も知らぬ時代に、眠りについた素人風情が、わしを謀れると思うたか」
なるほど神秘で語るのならば、卑弥呼は最強の魔術師であろう。
彼女が国を栄えさせるために、戦ってきた事実も認めよう。
しかし文明を築いたばかりの、弥生時代の戦略眼など、この信玄には児戯に過ぎぬ。
長らく戦い屍を築き、血で塗り固めたノウハウこそが、戦国武者には呪いのように、されど牙を成して染み付いている。
武田信玄は文字通り、虎だ。闘争を宿命とし生まれ落ちた獣だ。
幾多の研究・研鑽を重ね、本能にまで結びつけた己とは、土台生きている世界が違っているのだ。
であれば、その動揺の真贋一つ、見抜けぬはずもなかろうが。
三下じみた言葉の裏に、付け入る隙があることを、見逃すはずもなかろうが。
「策ならば既に我が手にある。貴様が真に未来を見透かし、未来を決めると言うのであれば、それすらも見通せるはずだが?」
「っ……」
「出来ぬよなぁ。出来ぬのならば、わしの勝ちだ。戦国乱世に並ぶものなし――武田が誇る無双の軍は、必ずや勝利を掴むだろうよ」
肉食獣の金眼を、ぎらりと光らせ虎が笑う。
交渉は完全に決裂した。無血での解決は不可能と消えた。
しかしこの僅かな会話によって、武田信玄は勝利を得たのだ。
卑弥呼は信玄の秘策を知らない。信玄すらも聞かずにおいた、藤丸立香の作戦を知らない。
知らぬ未来を見通す術は、全知ならざる卑弥呼にはなく――まして、敵陣の秘密を盗み見る目も、カルデアには届かないことが立証されたのだ。
であれば、勝てる。人理修復を成し遂げた、あの強い少年の心意気があれば、必ずや勝利することはできると。
「……この日この度の愚考を、貴方は悔やむことでしょう。未来の標を誤ったことを、後悔しながら死んでいくのです」
「そのまま貴様に返してくれるわ。未来の貴様を何が襲うか、何が貴様を取り殺すか――至極当然の恐怖の中で、貴様は震えて死んでゆけ」
立ち上がり、吐き捨てる卑弥呼の背中に、信玄は呪いを投げかけた。
人は未来を見ることができない。九割九分までの予測ができても、十割を知り尽くすことなど叶わない。
故に予期せぬ不測の事態を、人は当たり前に恐れる。
何もかも思い通りになると、全能を気取った天照の女王は、そんな当たり前の恐怖に向き合い、采配を振るった末に敗れるのだと。
そのことを噛みしめるがよい――と信玄は、遠ざかる背中に言い放った。
背中の向こうに浮かぶ顔が、果たしてどんなものであったのか――それだけは千里の瞳が無くとも、容易に読み取れはしたのだが。
◆
「そんなことが……」
以上のことを、立香と小太郎は、合戦の準備を進める信玄から聞かされた。
すぐ傍にはアグラヴェインが控えているが、その他の取り巻きの姿はいない。立香が駆け寄ってきたのを見て、彼が人払いをした結果だ。
「奴はセイバーを恐れておる。故にこそこの戦いも、殺生は最小に留めた上で、わし亡き後の武田軍を、取り込みにかかる腹積もりだろう」
なまじ未来を操れるからこそ、見通すことの叶わぬものが、人一倍に恐ろしいのだと。
信玄は卑弥呼をそう評しながら、大太刀を肩に担いで言った。
「何にせよ、これで要の切り札が、奴の目にもそして耳にも、届いておらぬことが証明された」
「そう……それだ。アグラヴェインは何故、あんなことを?」
信玄の言葉を受けた立香は、思い出したようにアグラヴェインに問う。
連れてくるサーヴァントの詳細を話すな――というのは、かなりリスキーな指示であったはずだ。
何しろ今日この瞬間まで、信玄は頼りの切り札が何かを、知らぬまま準備を進めねばならなかった。
ぶっつけ本番などというのは、よほどの見返りがない限りは、避けなければならない悪手だ。
「奴の握っていた情報には、因果律操作の一言だけでは、説明のつかないものがあった。この場にいないカルデアの魔術師――レオナルド・ダ・ヴィンチの真名だ」
「疑り深いこやつのことだ。こう考えてもおったのだろう。わしら武田軍の中に、裏切り者が潜んでおる、とな」
「あっ……!」
言われて、はっと目を見開いた。
初めて会った時、卑弥呼は、武田信玄の協力者として、「歴史に残る天才」の存在を挙げていた。
それはこの関ヶ原の、どのサーヴァントにも当てはまらない特色だ。
にも関わらずあの卑弥呼は、ダ・ヴィンチの存在を認識していた。これを説明する手立ては、二つ。
一つは卑弥呼が本当に、ダ・ヴィンチと会話する未来を見ていた可能性。
もう一つは何者かが、スパイとして武田軍に潜り込み、陣中での通信を盗み聞いていた可能性だ。
つまるところ信玄は、未来視の真贋とスパイの存在、両方を見極めなければならなかったのである。
「結果として、奴の力のからくりは読めた。ならば間者の方と見て、探りを入れることになる」
「この場の人払いもそれが理由よ。して藤丸。次はわしだ。貴様の策を成すもののふの面、そろそろ拝ませてもらおうか」
そう言われて思い出し、立香は霊体化の解除を指示する。
やがてその先に現れたのは、この戦いを切り抜けるために、連れ立った二名のサーヴァントだ。
人理焼却を乗り越えた今、縁を結んだサーヴァント全てが、カルデアに残っているわけではない。
それでも立香は、この二人こそが、現状を打開するための、最高の人選であると見込んでいた。
たとえ彼らの成す策が、どれほど荒唐無稽なものだろうと、だ。
「………」
一瞬、信玄はきょとんとなった。
なるほど確かに考えてみれば、日本の戦国時代の人間にとっては、彼らの纏う装いは、さぞ奇特なものとして映るだろう。
「……悪くはない」
それでも、理解はできたようだ。
どれほど珍奇な風体であっても、彼らが身に纏う風格までは、白けて消えたりはしないのだと。
彼らの気配が、そして視線が、幾多の死線をくぐり抜けた、信頼に足る勇者のそれだと、納得することができたのだろう。
次の瞬間、浮かんだものは、にぃと口角を吊り上げ笑う、鋭い獣の顔であった。
最終更新:2018年01月04日 01:57