平穏反転、亜種特異点へ

 その剣客の刃を銀月と例えるのであれば、どれほど大きな月を示すことになるのだろう。
 身の丈に届こうかという長尺。
 常人であればまともに持ち上げることも叶うまい。
 しかしてそれを、ゆるりと構えるその優美。
 構えると言っても、ただ刀を手にだらりと佇むのみ。
 されどその無形の構えが、彼の神速の剣閃への自負を伺わせる。
 同時に示すのは、その剣客の和装の下に隠れた筋骨。
 でなければ、どうしてこの“物干し竿”を片手で持つことが出来よう。持つことに飽き足らず、振るうことができよう。

 ――――ただ、刀を手に佇む。

 それだけの所作が、この色男の壮絶な鍛錬を想起させる。
 並の鍛え方ではこの領域には至るまい。
 もはや狂気の域に至る修練でなければ、この剣客には至るまい。
 泰然と佇むその立ち姿に至るまで、どれほどの年月があったのか。
 例えるならば仙人か、あるいは天狗にでも見えようか。
 生涯を剣という道楽に捧げ、長尺の刀を神速で振るう果て――――秘剣に至った魔剣士。
 涼しく――――しかし修羅の顔で雄弁に刀を握る男の名を、佐々木小次郎と言った。

「それで、我らはいつまでこうして睨み合えばよいのかな?」

 皮肉げに口元を歪め、鋭く視線を向ける先。
 小次郎と対峙するのは、鍛え上げられた筋肉を隠そうともせぬ大男。
 巨体が想起させるのは大岩か、鉄塊か、はたまた木彫りの仁王像か。
 そのどれもが正しいのだろう。彼の名を思えば。

「はて。拙僧こそ、お主が中々打ち込んでこないと怪訝に思っていたところ。
 手合わせと聞き、胸を貸す心算でいたのだが」

 大薙刀を構え、巌の如き顔で笑って見せるその武者の名は、武蔵坊弁慶。 
 かの源義経の忠臣として名高き、豪傑の代名詞。
 明王の如く不動。
 根を張った大樹のように、深く落とされた重心が大地を踏みしめている。

「ふむ……拙者はてっきり、かの武蔵坊も剣客を前に臆すこともあるのかと心配していたが、杞憂であったか」
「はっはっは! そちらこそ、かの佐々木小次郎ともあろう剣客が、武蔵坊の勇名に足を竦ませているのでは?」

 かわされる挑発の応酬。
 互いに得手とする術理は後の先――――相手の打ち込みに合わせて動く型。
 先に動く者が不利を取ろう。
 辛抱強き者が有利を取ろう。
 されど、有利不利を論ずることに何の意味があろうか。
 両者が求める者は勝利以上に、交わす剣戟に他ならないのだから。
 小次郎が半身を引き、腰を落とした。
 弁慶が薙刀を軽く持ち上げた。

「「―――――――――――――――――――っ!」」

 同時。
 小次郎が神速の踏み込みにて間合いを詰め、弁慶が戦車の如き力強さで大地を蹴る。
 前進は同時。
 しかし身軽さはまるで違う。
 先手を取るのは自然、魔剣士小次郎――――間合いで劣るが故に、初手は牽制に回らざるを得ない。
 物干し竿が弧を描く。
 大薙刀をカチ上げるように、下弦の三日月が銀の軌跡を描く。
 されど弁慶の剛力を前に、その不動を崩すことなどできようか。
 裂帛の気合と共に、物干し竿が押し返される。上がる小次郎の口角。
 その手を待ちかねていたと言わんばかりに、押し返される勢いのまま小次郎が独楽めいた回転を見せる。
 旋の軌道で一歩踏み込み、小次郎の間合い。
 回転と共に、弁慶のそっ首落とさんと一刀が放たれる。
 刃が弁慶の首を断つ――――その間際、奇妙なことに弁慶の首が消え失せた。

「む――――」
「南無ッ!」

 空振る物干し竿。
 その光景、あまりに奇々怪々。
 確かにあったはずの弁慶の首が、断たれたわけでもなしに消え失せている。
 咄嗟に小次郎の脳裏を過ぎったのは、亜種特異点新宿で猛威を振るった復讐者の半身。
 首無しの騎士――――しかしたった今、引き戻された大薙刀の一撃と共に放たれた声は、確かに弁慶のもの。
 口も無しにどう喋っているのか……疑問より早く、小次郎は薙刀をかわすために身を翻した。
 距離を取れば、からくりは弁慶自らが明かして見せる。

「……なんと。かの武蔵坊は、妖怪の類であったか」

 消え失せたはずの首が、再び現れた。
 それは消え失せたのではなく――――引っ込んでいたのだ。

「ははは、間一髪! 気を抜くと飛んでくる義経様の介錯に抗うための宴会芸だったが、鍛えておいて正解だったようだ!」

 かんらかんらと笑う姿は、武者というより大道芸人のよう。
 半ば呆れたように、小次郎はため息をついた。

「私はその宴会芸とやらにしてやられたわけか」
「宴会芸なれど、仙人の妙技。恥じることはあるまい。南無」

 そういう問題なのだろうか。
 いや、いずれにせよ、その剣閃がかわされたことに変わりはなし。
 ならば結論は、とうに決まっている。

「――――ならば次は、縦に裂くとしよう」
「ほう――――仁王断ち、見事成し遂げられるかな?」

 そして再び、両者は切り結ぶ。
 響き渡るは剣戟の音。

 ――――――――さて。
 なぜ彼らがこのようにして争っているのか。
 その発端と語る――――というのは、無用のことだろうか。
 言わずともわかることだろう。
 武人が二人。気まぐれに、腕を競ってみたくなっただけのこと。
 そこに大仰な理由など必要なく、ただそうあるだけのこと。

 そしてその武人の交歓に立ち会う者、一人。
 透き通るような青き瞳、日本人らしい黒の短髪。
 白い制服に身を包んだ少年――――どこまでも平凡な少年。
 この少年が人類を救った英雄と、誰が思うだろうか。
 彼こそは藤丸立香。
 人理保障機関フィニス・カルデアが誇る、人類最後のマスターだった者。
 “だった”、と過去形で形容されているのは、ひとえに彼が人理を救ったがためだ。
 人理の危機故に人類最後のマスターとなった少年が、人理を救い最後であることをやめた。
 無論、現在のカルデアに他にマスターがいるわけではないが……彼の後にサーヴァント・マスターが現れることは、大いにあり得ること。
 故に彼は、人類最後のマスターだった者。
 偉業故に最後の称号を失った、最も新しい英雄だ。

 そんな彼は今、自らのサーヴァントである佐々木小次郎と武蔵坊弁慶の腕比べの立ち会いをしている。
 ……いやまぁ実際のところを言うと、別に立ち会い人というほどのものでもない。
 単純に、シミュレータを用いて立ち会うという二人が気になって観戦している、というだけのことだ。
 英霊と英霊のぶつかり合い。
 もはや人の領域を超えた英傑の戦いぶりは、それだけで目を惹く芸術だ。
 このような平時の腕比べであれば、如何なる格闘技も霞む娯楽として楽しむこともできよう。
 あるいはこれほどの武技を娯楽とするのは、いささか傲慢な気もしないでもないが……

「(そこは、人理を救ったマスターの特権かな)」

 立香はそのように考え、二人の戦いを眺めていた。
 せっかく、幾度も命を限界まですり減らして手に入れた平穏だ。
 こうしてそれを甘受しても、まぁ、バチは当たらないだろう……

 ――――そう、藤丸立香が考えた時だった。

『――――――――藤丸君、聞こえるかい?』
「むっ」
「ぬっ」
「おっと」

 シミュレーションルームに、通信越しの声が響く。
 ぴたり、と剣戟が止まった。
 どこか自信に満ちた女性の声……この場の全員がその声に耳を傾けた。
 声の主のことは、誰もが知っている。
 それは彼らがこの声の主と顔見知りである、という意味でもあるし――――あるいは、世界の人類に照らし合わせても、そうだろう。
 立香は声の主の姿を脳裏に描きながら、声の続きを待った。

『すまない、緊急事態だ。至急管制室まで来てくれるかな!』

 短いが、余裕ぶってはいるが、どこか緊張感の滲んだ声。
 藤丸立香は知っている。
 こういう声が、どういう状況で発せられるものであるかを。
 この二年ほどで、嫌というほど聞いた声色だから。
 大天才レオナルド・ダ・ヴィンチ――――通称ダ・ヴィンチちゃん。
 なにを思ったか(天才の思考は往々にして凡俗には理解できない)自らの姿形をモナリザが如き美女へと作り変えてしまった奇人。
 人類史に名を遺す、まぎれもない英霊の一柱にして――――現在、カルデア司令官代理を務める人物でもある。
 その彼女が『緊急事態』だと言うのだから事態はおよそ予測ができた。

「小次郎、弁慶」

 故に、立ち会い人たる藤丸立香は二人の武人に声をかける。

「ごめん。ダ・ヴィンチちゃんに呼ばれちゃった。この続きは、また今度見せてよ」

 頭を下げ、顔を上げれば、少年は笑顔を見せた。
 気丈な、大いなる責任を負った笑みを。

「――――また、世界を救ってくる」


  ◆  ◆  ◆


 ぷしゅう、と扉が開く音。
 立香は駆け足で管制室に踏み入った。

「マスター藤丸立香、到着しました!」
「やぁ、藤丸君。急にすまないね」
「お疲れ様です、先輩」

 出迎えるのは、モナリザに酷似した美女――――ダ・ヴィンチちゃん。
 そして、眼鏡をかけた薄紫の髪の少女――――マシュ・キリエライト。
 彼女たちの後ろでは、数多のカルデア職員がせわしなく作業に追われている。
 誰もが皆、共に七つの特異点を守り抜いた掛け替えのない仲間だ。

「さて。予想はついているだろうが、早速本題から入ろう。今回キミを呼んだのは、他でもない――――」
「――――亜種特異点、でござるな」

 先んじて答えを述べたのは、青き髪の侍――――佐々木小次郎。

「魔神柱の残党か、あるいは流れ着いた聖杯か……何れかによって顕現した、新たなる特異点ですな」

 続けて言葉を述べたのは、巨漢の僧兵――――武蔵坊弁慶。

「……キミたちも来たのか」

 つまるところ、先ほどシミュレーションルームで覇を競い合っていた武人二人だ。

「ははは。マスターに火急の用ともなれば、用件など察せよう」
「我らは丁度マスターと共におりました故、お供させていただこうかと」
「いや、実際ありがたいよ。例によって、今回も危険な任務になるだろうからね」

 その言葉を聞いたマシュの表情が、僅かに曇った。
 本来であれば……特異点に挑むマスターの護衛は、シールダーのサーヴァントであるマシュ・キリエライトの任務だった。
 だが今、彼女はデミ・サーヴァントとしての力を失っている。
 もはや彼女はただの人間でしかなく、マスターと共に特異点に臨むことはできない。
 故に、彼女に代わって立香と共に特異点に乗り込む護衛サーヴァントが必要なのだ。
 小次郎と弁慶は、その任を確かに果たしてくれるだろうが……今までできたことができない歯がゆさを、マシュは感じている。

「……マシュ」
「は、はいっ! な、なんでしょうか、先輩」
「今回もナビゲート、よろしく」
「…………――――はい。お任せください! 不肖マシュ・キリエライト、決して見逃すことなく先輩の存在を観測し続けます!」

 それでも、役目はある。
 カルデアが、シバが、レイシフトした立香を見失わぬよう、観測し続ける事。
 それもまた、己がマスターを守る重大な任務だ。

「うんうん、仲良きことは美しきかな、だね。それじゃあ藤丸君。改めて今回の特異点の説明をしても?」
「もちろん! お願い、ダ・ヴィンチちゃん」

 立香に促され、稀代の天才は改めて説明を始めた。

「今回の特異点は西暦518年のイギリス――――より具体的に言えば、“ブリテン島”だ」
「ブリテン、って言うと……」
「はい。イギリス自体には、第四特異点ロンドンでも行きましたが……今回はより広範な、島全体が特異点になっています」

 第四特異点、ロンドン。
 叛逆の騎士モードレッドと共に駆け抜けた魔霧の都。
 初めて人理焼却計画の首謀者、魔術王と邂逅した特異点でもあり――――そして、ブリテンと言うことは。

「西暦518年。この時期に起きた重要な出来事と言えば――――アーサー王の登場だろう」

 そう――――アーサー王。
 騎士王アーサー・ペンドラゴン。

 その名について、もはや詳しい解説を入れる必要は無いだろう。

 あまりに名高き、清廉にして潔白なる約束の王。
 円卓の騎士を配下に置く、誇り高き絶対の王。
 選定の剣を抜き放ち、玉座へと至った伝説の王。

 これまでの特異点で、幾度もその姿を目にしてきた。
 最初の特異点Fで、黒く堕ちた姿を見た。
 第四特異点ロンドンで、黒き聖槍を手に立ちはだかる姿を見た。
 第六特異点キャメロットで、獅子の女神となって慈悲深く無慈悲な正義を振るう姿を見た。
 同時に、その配下たる円卓の騎士たちもまた、幾人も見てきた。
 ここにいるマシュ・キリエライトも、元はと言えば円卓の騎士ギャラハッドの魂をその身に宿すデミ・サーヴァントであったのだ。

 今回の特異点は、そのアーサー王と最も縁深き時代であるという。

「『カンブリア年代記』によれば、アーサー王が歴史上初めて登場したのがこの西暦518年だ。
 そして彼の王がカムランで果てたのは西暦539年……つまりここはアーサー王の治世20年の、その最初の1年目にあたる。
 この時代に特異点が発生したとなると、まず間違いなくアーサー王がらみであると見ていいだろう」

 即ち、騎士王が伝説の聖剣をエクスカリバーを抜き放つ前後。
 そこになんらかの異常が発生し、この亜種特異点を発生させているのだろう、と。

「カルデアにも、何人か円卓の騎士の霊基が記録されているけど……今回、彼らの力を借りることはできない」
「えっ、どうして?」
「考えても見たまえ。同一人物が同じ時代に二人存在するというのは、少しばかりややこしいとは思わないかい?」

 実際の所、第一特異点では生前のジル・ド・レェと、英霊としてのジル・ド・レェが同時に存在していたりはしたが……
 元来、生身の本人が生きている時代に同一人物が英霊として現界する事象は大いなるイレギュラーだ。
 単純な確率論的な話でもあるが、それ以前に存在証明が困難になるのである。
 既にいる人間の存在を、異なる形で証明することは困難である。
 無論、通常の英霊召喚式等であればまた話は違ってくるのだろうが、そこは少々特殊なカルデア召喚式。
 単純に同じ顔が同じ時代に二つあるといらぬ混乱を起こしかねない、というところを含め……円卓の同行は、見送る運びとなった。

「だから今回は、そこの二人に同行をお願いするわけだ」
「そっか……じゃあ、改めてよろしく、二人とも」
「南無。心得ましたぞ」
「かの騎士王との立ち会い、か……竜の頭領と切り結べるとは、望外よな」

 泰然とする二人の様子を見て、立香はこくりと頷いた。

 かたや究極の秘剣に至った魔剣士、佐々木小次郎。
 第一特異点オルレアンでは、並み居るワイバーンを次々と撫で斬りにする活躍を見せた大剣士だ。

 かたや押しも押されぬ無双の僧兵、武蔵坊弁慶。
 第七特異点ウルクで共に過ごした記憶は、彼を頼れる武者として立香の記憶に深く刻み込んでいる。

 この二人と共であれば、如何な苦難も乗り越えていけるだろう。

「今回も、危険な任務になる。心の準備はできているかい、藤丸君?」

 ダ・ヴィンチちゃんの問いに、再度頷きを返す。

「お気をつけください、先輩。私も精いっぱい、サポートさせていただきます!」

 可愛い後輩の声援に、やはりもう一度頷きを返す。
 速やかにコフィンに入り、転送の時を待つ。
 これより挑むは亜種特異点。
 魔術王にして第一の獣が偉業、人理焼却の断片。
 細やかながら人理を揺るがす特異点を正すための冒険譚。
 今回の特異点では、どんな脅威が待ち受けているのだろう?
 どんな苦難が、どんな地獄が待ち受けているのだろう?

 それでも――――立香はいつも、不謹慎だとは思いつつも、レイシフトの瞬間は湧き上がる好奇と期待を抑えきれずにいた。

 今回の特異点では、どんな出会いが待ち受けているのだろうか?
 どんな人物が、どんな景色が待ち受けているのだろう?
 それがいつも楽しみで――――だからこそ、気を引き締めねばと胸に刻む。


 さぁ――――――――――――――――人理を救う旅を、始めよう。




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三首脈動 三首竜王決戦 ブリタニア 第1節:騎士との遭遇(1)

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最終更新:2017年10月31日 05:42