結論から述べてしまうと、少年少女の軽機関銃から放たれた無数の弾丸が立香の命を奪うことはなかった。
それどころか、怪我の一つも負っていない。何故なのか。簡単である。ケツァル・コアトルが盾を構え、全てを防ぎきったからだ。
「少年兵、ですって……?」
そう。咄嗟に身体が動いたおかげで、確かにケツァル・コアトル達は物理的なダメージを受けずに済んだ。
だがしかし、ここ南米にて善神と仰がれるケツァル・コアトルの心には、大きなダメージが発生していた。
何せ、英霊でもない〝ただのヒトの子〟が、こちらへと明確に殺意を向けているのだ。彼女にとって、それは極めて信じがたい状況であった。
ヒトの子とは、純粋無垢な心を持ち、太陽のように美しく輝く瞳で未来を眺め、いつかそれを担う……そんな愛おしいものではなかったか。
そうであるはずなのに、そう信じていたというのに、こちらに迫る幼きヒトは……誰かを殺すための物を持ち、誰かを殺すためだけに動いている。
この現実を前にして、善神たるケツァル・コアトルの心はいとも容易く揺れ惑ってしまったのである。
「はっ、はぁ……っ、はぁっ」
ケツァル・コアトルの呼吸が乱れる。その間にも、まだ声変わりの前兆すら見られない少年が、得物をマチェットへと持ち替え、肉薄する。
ケツァル・コアトルの顔が青ざめる。その間にも、まだ本当の恋も知らないであろう少女が、信号拳銃を取り出し上空に発煙弾を発射する。
この残酷極まりない現実を前にして、ケツァル・コアトルの手足は、まるで痺れているかのように動かない。
マスター・立香も、似た様なショックを受けてしまっているのだろう。同じように、全く動けずにいる。
「しま……っ!」
その間にも少年は着実にこちらへと近付いてくる。
やがて彼はケツァル・コアトルの懐へと見事に肉薄し、マチェットを振り上げた。
しまった、などと思ったときにはもう遅い。盾を持つ左手を動かしたが、どう考えても間に合わないと悟らざるを得なかった。
そんな動揺しきった彼女に対し、少年は無表情を貫いたまま得物を振り下ろす。
すると、
「姐さん!」
燕青の放った渾身の跳び蹴りによって、少年はあらぬ方向へと吹き飛んだ。
それどころか、少年はマチェットを取り落としこそしなかったが、受け身も取れずに地面へと激突すると、そのまま転げ回る羽目になった。
そんな少年を燕青は一瞥すると、次に彼は少女へと接近する。相手は既に軽機関銃を構えており、引き金に指をかけてすらいたが、なんのその。
少年を遥かに凌駕する速度で肉薄すると、少女の小さな足を力強く踏み潰し、心臓の位置へと力強い掌底打ちを放つ。
すると少女は軽機関銃を落としてしまい、大きく咳き込んだ。だがそれでも意識を保ち、腰のマチェットへと手を伸ばすのだが、
「いいねぇ、いい判断だ。だが惜しい。これで速度さえありゃ高得点だったんだがねぇ」
やはり、燕青が次の動作へと移る方が速かった。
燕青は彼女の片足を自由にしてやると、即座に回し蹴りを放つ。顎へときれいに当たったためか、少女の頭部がぐらりと揺れた。
そうなればもうしめたもの。再度の回し蹴りで今度は相手の両脚を払った燕青は、姿勢を崩して倒れ伏した少女の胸へと拳を振るった。
同じ部位に二度も衝撃を――しかも中国拳法に秀でた英霊から――受けたためだろう。少女は何度か痙攣した後、やがて動かなくなった。
「燕青、後ろだっ!」
「大丈夫大丈夫!」
しかし、これで劇終とはいかなかった。先程横槍を入れられた少年が、燕青に向かってマチェットを投げつけたのである。
だが燕青は〝余裕だ〟と言わんばかりの微笑を浮かべると、目にも留まらぬ速度で脚を振り上げる。
たったそれだけのことで、燕青の背中へと一直線に向かっていたはずのマチェットは、いつの間にやら空中でくるくると回転していた。
少年は目を丸くしていた。見れば立香も目を丸くしていた。しかし燕青は笑みを崩さない。するりと、なめらかな動きで構えを取る。
だが少年もただでは転ばない。彼は慣れた手つきで軽機関銃を構えると、すぐさま燕青へと銃口を向けて引き金を引いた。
「主を欲すれば先ず馬を射よ、か。兵法としては上等だが、今回ばかりは主を射ることに集中すべきだったな!」
だが、当たらない。今度は別に、ケツァル・コアトルが眼前に立って盾を構えてくれているわけでもない。
だというのに、燕青には当たらない。それどころか彼は、その独特な歩法でもって全ての銃弾を避けながら、相手へと接近していく。
やがて遂に少年の懐へと潜り込んだ燕青は、そのまま一瞬にして相手の背後へと回り込むと、
「終幕といこう」
緩んでいた口を結び、振り向く少年の頭部へと、強烈極まりない踵落としを決めてみせた。
そして白目を剥いて倒れ伏した相手から軽機関銃を奪うと、こちらに真剣な眼差しを向けるやいなや、
「さぁて……マスター、姐さん。こっからはCERO:Z指定だ。嫌ならすぐに目を閉じてくれ」
燕青は少年の身体へと銃口を向け、即座に引き金を引いた。
けたたましい音が辺りに響き、少年の胸に幾多もの風穴が生まれていく。
燕青はそれを、同じく意識を失っている少女に対しても行った。
そして少女の身体にも生まれた風穴を一瞥した燕青は、銃口を口元へと運び、揺れる煙に優しく息を吹きかけた。
「……って、おいおい。マスターも姐さんも、最後まで見ちまったのかよ?」
「燕青……私、私は……」
「やれやれ。姐さん、だから言ったろう? 嫌なら目を閉じろって。どうしてこう、俺の忠告ってのは無視されるのかねぇ……」
「……違うわ。あなたを、責めるわけじゃない……そうじゃないのだけど……」
武器を持った――英霊ではなく、ヒトの――子ども達が闘争の果てに命を落とす……そんな残酷な現実を目にしてしまったケツァル・コアトル。
彼女は膝から崩れ落ちると、うわごとのように「こんな、こんなことが……許されるの……?」と呟き、今にも泣きそうな表情を浮かべた。
「姐さん。今のは敵だ。ただの子どもじゃない……俺達の命を狙う、純然たる敵だ」
「英霊でもない、ただの子どもが、敵なの……? こんな……惨すぎる……! 子ども達は皆、きらきらと輝く太陽であるはずなのに……!」
「だが牙を剥いてきた。相手がサーヴァントだと解った上でな。俺も今の戦いで悟ったが、アンタの好きな自由なる闘争は、ここにはないだろう」
「……どうして、どうしてあの子達の瞳は……あれほどまでに曇っていたの……? 解らない。私には、解らない……!」
「…………それほど、この国が乱れてるってことだろうさ。なんて……今の俺じゃ何を言ってもダメだな。マスター、フォローを頼んでいいか?」
「あ、ああ。っていっても、俺も割と精神的にキてるから、上手い言葉かけられる自信全然ないけど……」
「幼子にも牙を剥く悪漢の言葉よりは余程いいだろうよ、マスター」
答えの見えない問いかけを続けるケツァル・コアトルに対し白旗を上げたのか、燕青はゆっくりと離れていく。
そして入れ替わりに近付いてきたマスター立香は「ケツァ姉」とこちらに声をかけると、しゃがみ込んで目線の高さを合わせ、
「さっきは、護ってくれてありがとうな。ケツァ姉のあのファインプレーがなかったら、いきなり何もかもが終わってた」
穏やかな声色で、まるでこちらを安心させるかのように礼を言った。
だがケツァル・コアトルは「そんなこと、言ってもらえる立場じゃないわ……」と首を横に振った。
そうだ。自分は戦えなかった。命を刈り取るための刃が眼前にまで迫っていたというのに、ただただ混乱して動けなかったのだ。
「あんなのは、ただ反射的に体が動いただけ。相手が子どもだと気付いた瞬間、私は……っ」
「解ってる。小さな子達が武器を構えてきたのがショックだったんだろ? 俺もだよ……俺もそのせいで動けなくて、全部燕青に任せちまった」
「あなたは、燕青にピンチを知らせてあげられてたじゃない。私なんか、声を上げることすら出来なくて……」
「いやいや、あれも反射的に体が動いただけ……最初に俺を護ってくれたケツァ姉と一緒だよ。
それにな……少年兵ってのを知識としては知ってても、実際に見てダメージ受けたのも一緒だ」
「……一緒? マスターと、私が……」
ケツァル・コアトルの呟きに、立香は「うんうん」と頷く。そして彼はケツァル・コアトルの両肩に手を置くと、
「だからさ、一人で悶々と考える必要なんてない。俺も一緒だから、一緒に……乗り越えていこう」
きっと強がりなのだろうけれども、そう言ってにっこりと笑ってくれた。
「……グラシアス、マスター。リップサービスだとしても、一緒だって言ってくれただけで、少し落ち着けた気がするわ……」
「いやいや、リップサービスとかとんでもない。俺、マジで〝マジかよ……〟ってなってたからね?」
その笑顔と言葉が効いたのだろう。
ケツァル・コアトルは心中で「私ってなんてチョロいんでしょう」と呆れながらも、少しずつ元気が戻って来ていることを実感していた。
「話はまとまったかな、マスター、姐さん。まぁ無理はしなくていい。汚れ仕事も悪漢の役目だ……陰は俺がまとってやるよ」
「いやいやいや、お前だけに背負わせるとかマスター失格だから。俺だってちゃんとやることやってやるさ」
「私もよ。さっきの光景のおかげで、特異点の黒幕に対していつも以上の怒りを覚えました。だから……なんとか、してみせるわ……」
そして立香と共に立ち上がったケツァル・コアトルは、得物を握る手に力を込めると、そう宣言するのであった。
『皆、いい空気をぶち壊して申し訳ないけど、伝えるべき報告がある』
……と、そういった感じでなかなかにいいムードが流れていたのだが、それを霧散させる程に唐突なタイミングで通信が入る。
声の主はダ・ヴィンチである。一体どうしたというのだろうか……ケツァル・コアトルは、疑問を浮かべる。
するとダ・ヴィンチは険しい表情を浮かべ、語気鋭く言い放った。
『大量の敵性生物及びサーヴァントの接近を感知した! 前者は先程の少年兵達として、後者は二騎だ!
先程の発煙弾によって、近くにいた者達が迫ってきているんだろう! すぐにその地点から離脱するんだ!』
この言葉を耳にした立香が「そういえばショックで忘れてたけど、発煙弾とかあったな……」と口にする。
あまりにも危機感がないように聞こえたのだろう。燕青は「マスター……アンタ、自分の命、ちゃんと勘定に入れてる?」と呆れ顔でツッコんだ。
「よぉし、じゃあマスターは姐さんに頼んだ。どうせ誰にも激突せずに脱出するなんて無理だろう。ならば我が拳で押し通るまで!」
「解ったわ……それじゃ、そういうわけでマスター? ちょっと失礼」
「うおぉい! なんでお姫様抱っこ!? 別に小脇に抱える感じとかおんぶスタイルとかでよくない!?」
「あー……楽天家の俺が言うのもなんだが……アンタら、本当に今が危ない状況なんだって解ってる?」
「解ってる解ってる! よし、じゃあ今すぐゴーだ! 二人とも、頼んだ!」
こうして立香の号令に合わせ、ケツァル・コアトルは燕青と共に、背の低い民家が建ち並ぶ町を駆けた。
だが発煙弾の発射から時間が経っているのが災いしたか、通信越しに〝かなりの数がそちらへと向かっている〟という報告が飛んでくる。
事実、ケツァル・コアトルは多数の気配を感じ取っていた。そしてそれは、彼女のペースに合わせて隣を走ってくれている燕青も同じらしい。
彼は「物量作戦とはねぇ……」と呟くと、忌々しげに大きく舌打ちをした。
「ちなみにだ、ダ・ヴィンチちゃん! さっきの報告の言い回しからするに、少年兵はサーヴァントじゃないってことでいいんだな!?」
『ああ。とてつもなく気分の悪い話ではあるが、その通りだよ。相当の手練れではあったが、英霊ではないのは確実だ』
「誰かの宝具で生まれた何か、っていう可能性は!?」
『ないな。そういった際に発生する類いの反応は感知されなかった……それよりも、ほうら、来るぜ!』
立香とダ・ヴィンチの会話を聞いたケツァル・コアトルは「……いい隠れ場所、まだあるかしら」と呟く。当然、皮肉だ。
その言葉に対し、燕青は「馬鹿言ってないで、今は敵の数を確認するのが先決だ。こっちも肉眼で捕らえてないとやりにくくて仕方ない」と返す。
そしてケツァル・コアトルの両腕に納まっている立香は、
「じゃあ、もう観念して高いとこにでも行こう。あの建物の屋根なんかどうよ。サーヴァント相手は無理でも、子ども除けくらいにはなるだろ」
と、先程の隠れ家と比べて遥かに背の高い建築物を指さした。どうやら集合住宅の類いのようだ。
確かにあの屋根の上に陣取れば、ただの人間を寄せ付けぬままサーヴァントを迎え撃つことが出来るだろう。
納得したケツァル・コアトルは「いいアイデアね。それじゃあ、跳ぶわよ!」と叫び、燕青も「おうよ!」と続く。
果たして二人は、ただの人間では決して再現出来ない凄まじい跳躍でもって、立香の指定した位置へと到達した。
そして立香を降ろして後ろに立たせると、苦笑いを浮かべて「あーらら」と呟く燕青と共に、町を見下ろした。
「なんて数なの……まるで、ラフム……」
ケツァル・コアトルが、こんな感想を漏らしたのも無理からぬ話であった。
何せ、この町の人口を遥かに凌駕しているであろう数の少年兵達が、さながら津波の如く一斉に押し寄せているのだ。
「いやいやケツァ姉、いくら相手が敵でも子どもをラフム呼ばわりするのは俺にもダメージ来るから……スイミー辺りにしとこう?」
だが不気味なのは、彼らが迫り来る光景そのものだけではない。
迫り来る少年兵達の衣服はやはり褐色のシャツに黒い半ズボンで統一されており、注視するとその誰もが男女ペアで行動していることが解る。
そして更に異常なのは、彼らの年齢層である。これも注視すればすぐに推測出来るのだが……恐らくは全員が、第二次性徴を迎えていない幼子だ。
おぞましいことに、まるで彼らは〝その様にデザインされている〟かの如く、何もかもが〝揃ってしまっている〟のだ。
勿論、一人一人の顔立ちや髪型などは異なっているが……逆に言えば〝それ以外の全て〟は完全に一致している。
一体どういうことなのか。この異常な光景が意味するものとは、果たして何なのか。
ケツァル・コアトルは怖気を覚えながら、迫り来る軍勢を眺め続ける。
「あん?」
すると不意に、燕青が声を上げた。ケツァル・コアトルと立香は、同時に〝何があったのか〟と訊ねる。
だが燕青はというと「は、はは……っ」と引きつった笑みを浮かべて「こりゃあ、また……」などと呆れたように呟くだけ。
いつもと様子が違うと悟ったのだろう。翡翠色に光る燕青の瞳へと視線を向けた立香は「燕青」と、彼の名を短く呼ぶ。
すると燕青は突如、全力と思われる震脚を放つやいなや、
「姐さん、マスターを頼む。出来る限り俺から遠ざかった上で護ってやってくれ」
「待って! 突然どうしたというの!?」
「さっきの態度じゃ、まだ子どもを殺すのに罪悪感あるんだろ!? なら下がれ! 早くしないとあいつら……すぐに〝ここまで来る〟ぞ!」
こちらへと珍妙な忠告をした上で構えを取り、深い呼吸を繰り返した。
その姿は真剣そのもの。間違いなく、今の彼は〝飄々とした無頼漢〟という枠組みだけで語るべき存在ではなくなっている。
そんな今の彼が、この期に及んで無意味な冗談を言うはずがない。そう確信したケツァル・コアトルは、まずは立香に下がるよう指示する。
そして自分も立香の元へと向かおうと踵を返す……その前に、押し寄せる少年兵達へとちらりと視線を向けた。
すると彼女は、またもにわかには信じがたい光景を目撃し……再び悪寒に襲われることとなる。
「……なっ!?」
「言ったろう姐さん! 下がれってさぁ!」
なんと、サーヴァントではないはずの少年兵達が、普通の人間にはまず備わっていない程の跳躍力を見せたのである。
当然ながら、さすがに燕青やケツァル・コアトルのような英霊に匹敵するレベルだとまではいかない。
だが彼らは突如として桁外れの力と運動神経を発揮し、垂直の壁を足場にするなどといった動きで、高所へと迫ってきたのである。
安全圏に陣取ったはずだったというのに……今やケツァル・コアトル達は、殺意を向ける少年兵達と戦わざるを得ない状況に追い込まれている。
ここでようやく、ケツァル・コアトルは完全に理解した。
南米大陸を制覇するにあたって用いられた駒はサーヴァントのみにあらず。この異常な幼子達も含まれていたのだと!
「さぁ来い……言っとくが、稽古なんかだと思うなよ?」
構えたまま不動の態勢を保つ燕青が、低い声で宣戦布告する。
その瞬間、待っていましたとばかりにまずは第一陣が屋根の上へと到達した。
ここに来る前に燕青が殺害した少年兵達と同じ得物を装備した幼子達が、無表情のまま殺気を放つ。
「一番乗りご苦労!」
まず音に聞こえし燕青拳の餌食になったのは、立香へと銃口を向けた姿勢で着地した少年である。
彼は前触れもなく放たれた寸勁によって後方へと吹き飛ばされるとそのまま落下し、視界から消えた。
続いてはその少年と寸分違わぬタイミングで到着していた少女に回し蹴りが放たれ、同じく落下していく。
すると今度は落ちてゆく同胞へと視線を向けてしまった何人かが、まとめて吹き飛ばされていった。
「そぉら、怯えろ! 震えて失せろ!」
燕青が放つ突きや蹴りが、数え切れない程の少年兵を大地へと突き落としていく。
だが、それでも突撃が止むことはない。まるで〝上〟から玉砕を推奨されているかのようだ。
「へぇ、その細い四肢でこの膂力……やっぱりアンタら普通じゃないんだなぁ、っと!」
一瞬、燕青の姿が消失する。
そして瞬きをした次の瞬間には、大勢の兵達がその場に倒れ伏した。
燕青はそんな彼らの首を躊躇なく掴み、跳躍してくる相手へと思い切り投げつけることで、強引な対空射撃を実現させる。
「くっ!」
だが〝拾って投げる〟という一手間かかる動作を続けていたせいか、燕青の脇をかいくぐってこちらに迫る者が初めて現れた。
正体は右手にマチェットを持った少女であり、やはり明確な殺意を持って接近してくる。彼女の狙いは自分か、それとも立香か。
ケツァル・コアトルは思考を巡らせる。だが答え合わせの時間は予想以上の早さで訪れた。
少女はスピードを保ったまま跳躍すると、姿勢を正して立っているケツァル・コアトルの頭上を、軽々と跳び越えたのである。
まずい。このままではマスター・立香が……!
ケツァル・コアトルは、奥歯が砕けるのではないかと思うほどに歯噛みした。
そして悲痛な表情を浮かべて「……ごめんなさい」と呟くと、黒曜石を填め込んだ木製の剣〝マカナ〟を横薙ぎに振る。
その動作だけで、立香の喉笛を切り裂こうとしていた少女の首が呆気なく切断された。
派手に吹き出した赤い血が、屋根の一部を鮮やかに染め上げる。
殺した。
遂に、殺した。
未来の担い手たる幼子を、ケツァル・コアトルは自ら手にかけたのだ。
「ええ……そう……そうですか。そこまでするというのなら、今度こそお姉さんも容赦しません」
「け、ケツァ姉?」
「燕青! 取りこぼしは……取りこぼした子ども達は、こちらで〝殺します〟! だから……だから心配しないでっ!」
「…………あぁ。いいよぉ」
ケツァル・コアトルの覚悟を声色だけで察したか、燕青はこちらを振り向かずに短く答えた。
一方の立香は「ケツァ姉……?」と不安げに名を呼んでくるが、今のケツァル・コアトルには彼を安心させる余裕すらない。
今はとにかく、迫り来る〝敵〟を皆殺しにする。何故なら、それだけが生き残る道であるからだ。
両の眼を左腕で拭ったケツァル・コアトルは、その事実を心に刻み込むと、
「この特異点は……この世界の主のことは……絶対に、許さないから……っ」
燕青に企みを阻まれながらもなおこちらへと冷たい視線を送る少年兵達を前に、命を奪ったばかりの得物を構えなおした。
こうして燕青達が地獄を作り上げている頃、いよいよ二騎のサーヴァントが現場へと接近していた。
「へぇ……あのアジア人、なかなかどうしてやってくれる。ただのステゴロであそこまでなんて、大した逸材だよ」
「あれを〝ただのステゴロ〟だと? ふん。やはり武道の極意と心意気は、異人には理解出来んのだな」
「相変わらず挑発だけは一人前ね。その排他的でねじ曲がった性根……いつか自分の身を滅ぼすよ、アヴェンジャー!」
「クッククク……癪に障ったか、セイバー! まったく、相も変わらず下品な狗の様に吠えるのだけは七騎随一だ!」
二人はあらゆる家屋の屋根の上を軽快に跳躍しながら、憎まれ口をたたき合っている。
その背後では、やはり褐色のシャツと黒い半ズボンを着用した二組の――即ち少年少女計四人の――少年兵が、サーヴァント達に追従していた。
最終更新:2018年12月07日 22:31