「閣下、現場より報告が。旧コロンビア領内の北部にて、大規模な戦闘が発生致しました」
「ほう……本格的に動き出したか」
キャスターからの言葉にそう返答した男は、机の上に広げた地図へと視線を移した。
旧コロンビア領内で戦闘行為を確認したということは、それ即ちカルデアからの刺客達が降り立ったのは南米大陸の北部だということになる。
なるほど、すぐに戦闘が始まったのも頷ける……得心した男は、内心でそう呟いた。
というのも、南米大陸を取った現在のバルベルデは、更に〝北上する〟為にパナマとの国境沿いへと多数の兵を投入していたのだ。
加えて当然の話ではあるが、近い内に実行するパナマ攻めの布石として、サーヴァント達も北側へ向かうようにと予め指示を出していた。
運が悪かったのか、それとも英霊同士で引かれ合ったのか……理由はどうあれ、カルデア陣営はそんな鉄火場へと降り立ってしまったのである。
争いなど、すぐに起こるに決まっている。まさに必然というわけだ。
「ずばり訊こう。状況はどうなっている?」
「こちらの兵が一方的に虐殺されている状態です。このまま静観していては、無駄に数が減っていくだけかと」
「数については心配いらん。減った分はすぐに増やせばいいだけの話……加えて今は、在庫の数も充分過ぎるほどだからな。
……心配すべきなのは、あのパナマとの国境線に築いた駐屯地だ。まさか、あそこに配置した兵までもが動いていたりはしていないだろうな?」
「その様な報告は上がっておりませんし、駐屯地自体も無事です。それに、そうなる前に私が二騎のサーヴァントを現地へと向かわせました」
報告を聞いた男は、続けざまに「誰をだ?」と訊ねる。
するとキャスターは「セイバーとアヴェンジャーです」と短く答えた。
「……奴らか」
キャスターの言葉を聞いた男は、深く深く溜息をつく。
だが安堵したわけではない。一抹の不安を覚えたのだ。
「お気持ち、お察しします。ですが現場に最も近かったため、致し方ないと……断腸の思いで命じさせていただきました」
「セイバーは、まだいいだろう。問題はアヴェンジャーだ。キャスターよ、貴様一体どんな魔法を使って奴に〝異人からの命令〟を守らせた?」
「魔法などととんでもない。ただめげずに三度命じただけです。代償として、思い切り舌打ちをカマされてしまいましたが……」
「本当に己の立場を解っていない輩だな……だが、その癖の強さこそエクストラクラスというものか。セイバーに害が及ばなければいいが……」
「まったくです」
キャスターも思いを同じくしているのだろう。
大統領の御前でありながら、彼もまた溜息をつくのであった。
空から太陽の日が差す真っ昼間に、堂々と地獄絵図が描かれていく。
そんな凄まじい光景を目にする羽目になってから、どれほどの時間が経っただろうか?
非情極まる壮絶な攻撃を続ける燕青と、沸き上がる何かを押し殺すような表情で〝敵〟を投げ飛ばすケツァル・コアトルを見て、立香は思った。
別に現実逃避をしているわけではない。異常な光景を眺めることしか出来ない心苦しさを抱きながらも、彼なりに思考を巡らせているのだ。
「長い……長すぎる……それに多すぎる。今更だけど多すぎる! あとどれくらい続くんだよ、これ……!」
ジリ貧じゃねぇか。立香は心中で、こう吐き捨てる。
そう、長いのだ。あまりにも戦闘が長すぎるため、立香達はこの場へと釘付けにされてしまっているのである。
更に心配なのは、心を殺したかの如く機械的に迎撃している燕青と違い、明らかに無理をしているケツァル・コアトルだ。
精神の摩耗、蓄積していくストレス……様々な形で、彼女は精神的苦痛を味わっているはずである。
故に、早く終わってくれ、と強く願うのばかりなのだが……立香の望みは叶わず、今もまだ少年兵に対する虐殺行為じみた戦いが続いている。
それもこれも全て、少年兵の数が異常なまでに多いことと、なまじ兵達の身体能力が優れすぎているせいだ。
彼らがこの高所に来られるほどの運動神経さえ持っていなければ、こんなことにはならなかったというのに。
思わず、大きく舌打ちをしてしまう。だがそんなことをして事態が好転するほど特異点が甘くないことは充分承知しているので、
「ダ・ヴィンチちゃん、マシュ。この少年兵達について……何か解ったこととかあるか?」
通信越しの忠告通り、すぐさま彼はカルデアを頼った。
『絶対にそうだとは言い切れないが、まぁきっとそうだろうな……という仮説は立っている』
するとダ・ヴィンチからありがたい言葉が返ってきた。
『勿体ぶらずに言ってしまおう。あの少年少女達は、恐らくホムンクルスだ』
「……ホムンクルス? あれが?」
『ああ』
「いや、いやいやいやいや。いくらなんでもあんな精巧なホムンクルスなんて、一度も見たこと……」
だが立香はその言葉をはねのけてしまった。
無理もない。立香が今まで見てきたホムンクルスとは、頭部と四肢をどうにか模しているだけの餅……と表現すべきものばかりなのだ。
故に断言出来る。人間と寸分違わぬ姿形をしたホムンクルスを生み出す方法など、この世に有りは……、
「…………見たこと、あったわ」
……いや、有った。というか、むしろ立香は、かなりの頻度で〝完全なる人型ホムンクルス〟と仲良く接していた。
それどころか立香は、この特異点を潰すに当たって、そのホムンクルスをメンバーの一人に選出していた。
そのホムンクルスの正体とは……そう、他でもないモードレッドである。
「ごめん、前言撤回するわ」
しかも立香は彼女との絆を深めた果てに、夢の中で生前の彼女の物語……その一部始終を観たことがあった。
故に、彼女が騎士王アルトリア・ペンドラゴンの姉モルガンによって生み出されたホムンクルスである、という事実を把握しているのだ。
「……なるほどねぇ」
おかげで彼は、一転してダ・ヴィンチの説に得心出来たのであった。
「おいマスター! 通信してたろ! 何だって!?」
「少年兵の正体が掴めたって! なんとビックリ、ただの人間じゃなくてホムンクルスなんだとさ!」
こちらを振り向かずに問いかけてきた燕青に、立香は端的に情報を伝える。
すると燕青は「なるほど! こうやって俺達に食ってかかれる理由は……それか!」と、掌底撃ちで少女を宙へと吹き飛ばした。
その一方でケツァル・コアトルは「そう……そうだったのね。つまりはただの動く兵器として作られた、悲しい命……」と歯噛みする。
やはり彼女の心は限界に近付いているようだ。こうなったらもう迎撃は中止し、逃げの一手を打つべきだろうか……と、立香は考えるのだが、
『先輩! 大変です! 西方面からサーヴァント反応! 二騎です!』
マシュからの通信によって、その一手が封じられたことをすぐさま悟った。
「二騎!?」
『はい! このままその地点に留まっていれば、もはやエンゲージは免れません!』
「そりゃ大変だ! でもそこで〝じゃあ逃げます〟って踵を返すことは……」
『出来ません! 敵の接近速度があまりにも速すぎて……ああっ! もう、もう来ます!』
「やっぱそうなるよな! 燕青、聞こえてたか!?」
「心配すんな! あんな大声で警告してくれたんだ! 嫌でも耳に入るって話だよ……っとぉ!」
マチェットを構えた少年の腹に蹴りを放ちながら返事をした燕青は、接近する敵の気配を察知したのだろう。
足元で白目を剥いている少女を片手で持ち上げると、まだ誰の姿も見えない前方へと思い切り投擲した。
そして構えを取りなおした彼は「牽制には、ならなかったかぁ」と溜息交じりに呟く。
ケツァル・コアトルも得物と盾を構えなおすと、静かだがドスの効いた声で「さぁ、来なさい……!」と呟く。
はらわたが煮えくりかえっているのだろう。彼女の眉間には深い皺が刻まれている。
やがて通信越しに、ダ・ヴィンチが『来るぞ! 備えろ』と忠告をすると、
「こっちの駒を投げてよこしてくるとは、とんでもない歓迎だねぇ!」
まずは剣と盾を持ったショートカットの金髪女性が、ひとっ飛びで屋根へと到着した。
右手に納まっている剣は、ありったけの数の絵の具を混ぜ合わせたらこうなりました……といった具合の色に染まっており、不気味極まりない。
「戦いに貴賤があるわけでもなし。効率的といえば効率的だ」
続いてほぼ同時に、青みがかった黒い和服を纏った、同じくショートカットの青年が着地する。
この和服男は燕青よりも――即ち立香よりも――小柄なため、左腰に差した太刀の鞘……その先端が今にも足元に触れてしまいそうだ。
「さて、子ども達。キャスターからのお達しだよ。お前達は数を減らしすぎた……だから撤退せよ、だそうだ」
「後はこの俺と、そこの売女が勝手にやらせてもらう。さぁ退け。俺の堪忍袋の緒が切れる前に……!」
そんな二人は、延々とこちらに迫っていた少年兵達に声をかける。
少年兵達はその言葉に素直に従うと、潮が引くように撤退していった。
残ったのは立香とケツァル・コアトルと燕青。そして目の前の男女二人組のみとなる。
……否、違う。よくよく見てみれば、女の背後に幼い少年少女が一人ずつ、更に男の背後にも同じ数の少年少女が控えていた。
何故この四人だけは撤退していないのだろうか。特別な地位に立つ親衛隊的な何かなのだろうか?
嫌な表現になるが、先程まで襲いかかってきていた少年兵達の〝上位互換機〟とも考えられる。警戒するに越したことはないだろう。
「問おう。アンタらが件のサーヴァントかい?」
「はぁ? 件のって、一体なんの話? 確かに私らはサーヴァントだけども。それがどうしたって?」
「悪ぃ悪ぃ。我が主には強力な後ろ盾(バック)がついててね。そいつらがアンタらの接近を教えてくれたのさ」
燕青が、構えを崩さず口を開く。彼もまた相手を値踏みしているのだろう。
勿論、立香もただこのやりとりを眺めているだけでは終わらせない。相手の立ち居振る舞いや気性などを、つぶさに観察している。
剣の女と刀の男。思わず〝きっとどちらかがセイバーであろう〟と結論づけてしまいたくなるが、それは些か早急に過ぎる。
何せ、どうも最近の〝英雄の座さん〟ときたら、お喋り出来るバーサーカーがトレンドだと思っている節があるのだ。
更に付け加えるならば、エクストラクラスの存在も外せない。彼らには滅多に出会うこともないが、会ったら会ったで手強い存在である。
ここが特異点である以上、英霊の逸話が歪に昇華され、特殊な枠組みに当てはめられている可能性も捨てきれないのは確固たる事実。
ならばここは一つ、燕青にカマをかけてもらうしかないだろう。何、あの会話の調子では、恐らく放っておいてもそうしてくれるだろう。
「さぁて……それで、見たところ西洋の剣士と極東のお侍様とお見受けしたが……ぶっちゃけ、クラスは何だ?
俺は一応、こうやって正々堂々と姿を見せている癖に、アサシン……暗殺者を名乗らせてもらってるんだが……」
ほらな? と、立香は心中で呟いた。
まぁカマをかけるどころか、単刀直入に〝ずばり〟な質問をしてしまっているが……それは棚上げするとして。
立香はケツァル・コアトルの背中越しに敵の姿をじっと眺めながら、相手の答えを待った。
すると女剣士は「ふ、っふふ……そりゃ、こんな剣を持ってるんだから……」と前置きをして口角を上げると、
「セイバーとして召喚されたに、決まってるでしょうよ!」
なんと、そのまま立香の元へと肉薄してきた!
立香危うし! と思われたが、彼女の一撃はケツァル・コアトルの盾によって阻まれていた。
思わず「ケツァ姉、サンキュー……」と独り言が漏れた。
「いきなりマスターを狙うだなんて、そちらこそとんでもない歓迎でしょうに!」
ケツァル・コアトルも悪態をつきながら、マカナでの反撃を試みる。
だがその一撃は相手の盾に防がれてしまった。まさしく意趣返しである。
こうしてあっという間に拮抗状態が完成したことで、再び立香は心安まらぬ状況へと放り込まれる形となった。
「褐色肌のあれは明らかに異人として……こっちのお前は清の者か? いや、違うな。髪型からして違う。まぁ、なんでもいいがな」
「おっとぉ、いい線突いたが惜しいなぁ! さぁて俺様は誰でしょう!?」
「吠えるな。こちとら異人共に指図されるわ、そこの狂犬染みた異人と同行させられるわで、色々と限界なんだ……」
「うわぁ。過激な思考回路してるぅ」
「……前言を撤回しよう。この、腐れ異人がァ! その悪臭ばかりを放つ口、今すぐここで閉ざしてくれるッ!」
一方の燕青は和服男と対峙し、数回ほど言葉を交わしたかと思えば、突如拳銃を向けられた。
何がそんなに腹立たしいのか……和服男は、明らかに憤怒に呑み込まれた表情を浮かべている。
そんな和服男は単刀直入に「死ねェ!」と叫ぶやいなや、即座に引き金を引いた。
これにはさすがに驚かされてしまったのだろう。燕青は「こいつ、やべぇ」と呟くと、すぐさま屋根を蹴って相手に接近した。
そして必要最小限の動きで六発の銃弾を避け、見事に相手の懐へと入り込むと、目にも留まらぬ速度で掌底撃ちを放つ。
だが和服男は腰に差していた太刀を鞘ごと抜くと、顔面へと放たれていた一撃を強引に防いでみせた。
それどころか鞘から刀身をさらけ出すと、そのまま燕青に向かって振るう始末だ。
「っとぉ!?」
和服男の奇襲に対して燕青が取った行動は、神速の後退だった。
ただの人間ならば、今頃は腹を割かれて腸を晒し、そのまま死に至っていただろうが……そこはやはりアサシンのサーヴァント。
薄皮一枚も斬られることなく、見事に刃を避けてみせた。とはいえそんな燕青本人は「無茶するねぇ……」と溜息を漏らしているのだが。
「デカ女……お前、随分やるようだね……!」
「当然! ルチャで鍛えた筋肉は、決して伊達ではありません……!」
「ルチャ? 何よそれ。キャスターが好きだっていう〝茶〟ってやつ?」
「それ、ギャグだとしたら、雑すぎるとしか言いようがないわねぇ……っと!」
その間に力比べをしていた女性英霊による鍔迫り合いもどき対決は、ケツァル・コアトルに軍配が上がった。
剣を防いでいた盾を強引に前へと押し出すことで、自称セイバーを退かせたのである。
だが相手は一旦距離を置いたと思いきや、またもすぐさまこちらへと肉薄する。
再度放たれた、剣による一閃。しかし今度は盾ではなくマカナが防ぐ。
正真正銘、本当の鍔迫り合いの始まりだ。
「おいおいお侍さん。髪はやめてくれよ? こちとらお洒落で伸ばしてんだ……バッサリやられちゃあ、俺も何をしでかすか解らんぞ……?」
「女々しいことを言うな、気色悪い。やはり貴様は殺す……日本人の誇りにかけて、貴様は殺し、その髪の一本までも燃やし尽くすッ!」
燕青は修練の果てに凶器と化した拳と脚を、和服男は凶器そのものである刀と銃を自在に操り、当てたら勝ちという単純明快な戦いを続けている。
そう、至極単純。それ故に殺気の圧は凄絶の一言に尽きる。これこそがまさに〝死合〟というべきものであろう。
かつて李書文相手に稽古をつけていたときとは全く違う〝気〟が、二人の間で凝縮されていた。
「両方バーサーカーでした、なんてオチだったら怒るぞ俺……」
双方の戦いの激しさに目を潰されたか、立香は半ば自暴自棄な口ぶりで呟いてしまう。
すると襲撃者二人は〝気を違えた戦士だと思われた〟ことに腹を立てたのだろう。
「私を! あんな、脳みそが綿で出来てるようなやつと一緒にするな!」
「お前……よりにもよってこの俺を〝あれ〟と同一視するだと……ッ!? 見上げた根性だな、魔術師とやらァッ!」
互いに、互いの敵へと得物を振るいながら、あのラフムすら怯えさせるのではないかと錯覚させるほどの怒号を上げた。
それどころか自称……否、もはやクラスに偽りなしと信ずるに値する女剣士改めセイバーは、
「マスター! 令呪を〝二画〟切りなさい! もうだらだらと闘い続けるのは充分! 宝具で、仕留める!」
耳を疑うような言葉を堂々と口にした。
令呪を二画切れ。聞き間違いかと思ったが、生憎とそうではないらしいのが恐ろしい。
現に今、セイバーに追従してきた少年兵の片割れ――男の子の方だ――が手の甲を晒し「では命じます。魔力、供給」と機械的に呟いている。
そして少年に刻まれていた令呪がきっちり二画削られると、途端にセイバーの剣が紫を基調とする禍々しい光を放ちだした。
令呪を二画使用した上での宝具の開帳。それがどれだけおぞましい結果を引き起こすのか……想像するだけで悪寒が走る。
「聞こえたねアヴェンジャー! 宝具を放つから、さっさと援護しなさい!」
「は? 何故この俺が、お前のような汚らわしい異人の手伝いなどを引き受けねばならんのだ? 勝手に自分でやっていろ、雌狗がッ!」
「ああそう! なら精々、巻き込まれないように立ち回ることだね!」
「無駄口を叩く暇があるならさっさと放て! お前に似たその卑しい光が目障りでかなわんッ!」
そうこうしている内に、セイバーは輝き続ける剣を握ったまま、右腕を大きく振りかぶる。
「我が願いは、眼前の敵を冥府と絶望の淵へと沈ませること……さぁ、応えるがいい!」
そして立香の目が、彼女の血走った目を真正面から捉えてしまったその瞬間!
「『流転生みし盟約の邪剣(ティルヴィング)』ッ!」
セイバーは、その禍々しい邪剣を立香に向かって思い切り〝ぶん投げた〟!
「しま……っ!?」
輝く剣の切っ先が、超高速で立香へと迫る。
この速度と距離では回避など不可能であることは、容易に想像出来た。
「マスターッ!」
だが、刃は立香に届かない。緑に染まった盾を構えたケツァル・コアトルが、立香を庇ったためだ。
ケツァル・コアトルの背中越しに、禍々しい輝きが目を焼こうと迫ってくる。
だが迫り来るのは光のみならず、剣自身もであることは明らかであった。
理由は一つ。神という存在でありながら、それでもなおルチャによって鍛え上げてきた彼女の身体が……少しずつ後ろへと押されているからだ。
「くっ! く、うぅ……っ!」
ケツァル・コアトルの表情を直接見ることはかなわない。
だが彼女は苦しみながらも必死に奥歯を噛みしめているのだろう。
立香は、まさしく足手まといと化している自分自身を呪った。
「無様! 弱者を護ってこの有様とはね! 本当に無様! あっはははははは!」
耐えるケツァル・コアトルの懐へと飛び込んだセイバーが、聞くに堪えない笑い声を上げながら右手を伸ばす。
そしておぞましい輝きが刃全てを包み込んだことで文字通りの〝光の剣〟と化した宝具を握ると、彼女はすぐさま跳躍し、
「さぁ! 一足先に冥府に落ちろ、褐色女ぁ!」
落下によって生まれる勢いをも利用した、最悪の攻撃をケツァル・コアトルへと浴びせた。
「ダメ……に、逃げてっ! マスターッ!」
それでもなお、ケツァル・コアトルは盾で直撃こそ防いだものの、やはり相手は令呪によって魔力を爆発的に供給されたサーヴァントとその宝具。
膝を折りそうになりながらも、それでも耐えようと踏ん張ってくれてはいたが、すぐに彼女は撤退するよう立香へと叫ぶ。
しかし置いていくわけにはいかない。ここで彼女を見捨てては、人類最後のマスターなどという豪勢すぎる肩書きと藤丸家の名がすたる。
故に立香は、たとえここで令呪全画を切ることになろうとも……この意地だけは押し通すと決め、ケツァル・コアトルの叫びを無視した。
そして「令呪によって命ずる」とまでは口にしたのだが……ここで、冷静に考えれば当然とも言える現象が引き起こされた。
なんと、居座っていた建物の屋根が悲鳴を上げたのである。見ればケツァル・コアトルの両脚を中心に、蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。
やがてその亀裂は看過出来ない程に広がっていき……最後には彼女の足元のみが見る見るうちに崩れると、
「きゃああああぁぁああぁっ!!」
ケツァル・コアトルは、幾多の瓦礫と共に室内へと落下していった。
セイバーの下卑た笑い声に混じって、何かが何度も破砕されていくような音が聞こえるのは、決して気のせいではないだろう。
間違いなく、ケツァル・コアトルの身体が各階の床を貫いているのだ。そうやって彼女は下へ下へと落ちているのだ。
たとえ英霊とて、神の分霊とて、このダメージは無視出来まい。立香は「セイバーッ!」と叫ぶと、震える手で拳を作る。
そんな彼を見たセイバーは、血走った目をゆっくり細めた。そして不気味に口角を上げると、未だ輝く剣を振りかぶる。
立香の耳が、セイバーの呟きを捉えた。彼女は笑いをこらえきれない様子で「楽な仕事で嬉しいよ」と言っていた。
「奥義装填」
そんな彼女の独り言をかき消すかのように、ある美丈夫が口を開く。
するとセイバーは、細めていた目を丸くして、剣と盾を構えなおした。
だが、もう遅い。いつの間にやら和服男もといアヴェンジャーとの死合いを放り捨てていた燕青は、既に間合いへと入り込んでいた。
それでもなお、セイバーはすぐさま剣を振ったのだが、
「『十面埋伏・無影の如く』」
迎撃を容易く避けた燕青は、宝具へと昇華された暗黒拳……その秘中の秘を惜しみなく晒した。
もはや〝独特な歩法〟という言葉のみでは片付けられない神速の動きで、強烈な技を幾度となく浴びせていく。
まさしく無影の名にふさわしい、文字通りの〝目にも留まらぬ速度〟で繰り出される攻撃が、未だに反撃を試みるセイバーを襲う。
やがて黄金に輝く一撃が打ち据えられたとき、セイバーは宙に向かって勢いよく吹き飛ばされた。
「がはぁっ!?」
だがさすがはサーヴァント。
あれほどの技を受けて尚も耐えきったばかりか、屋根の端を掴むことで落下だけは防ぐ。
しかしそんな意地を見せたセイバーも、再び屋根へと登ったところで遂に膝を折った。
「そんな、嘘……横入りとはいえ、反撃すら出来ないとは……っ!」
セイバーが呼吸をする度に、両肩が激しく上下する。
とてもじゃないが、このまま戦闘を続けられるコンディションではないだろう。
「撃其首則尾至、撃其尾則首至、撃其中則首尾倶至……我が燕青拳に生半な反撃を試みるなど愚の骨頂。地獄で復唱するがいい」
それを好機と見たか、燕青は再びセイバーへと肉薄しようと動く。
だが今度は、その燕青自身が横槍を入れられる番だった。
「俺を忘れたか、大陸人」
アヴェンジャーの太刀が、燕青の喉笛へと迫ったのだ。
燕青は急いで相手の間合いから遠ざかると、少し引きつった笑みを浮かべて問いかける。
「へぇ~。あれほどバカにしてた相手を助けるのかい?」
「断じて違う。セイバーがくたばろうが俺には関係のないことだ……だが、先刻のお前の様に〝今が好機だ〟と思ったからな。だから攻撃した」
アヴェンジャーはそう答えると、空いた掌で口を抑えて三度ほど大きく咳き込んだ。
そして掌を一瞥すると「だが絶好の奇襲を避けられた上に、もはや邪魔にしかならん雌狗が喚いていてはな」と溜息をつき、
「今この場で仇討ちに燃えるお前を殺すのは、難しいと見た」
と、燕青を評価した。
仇討ちに燃えるお前を……この言葉が気にかかったので、立香は「アヴェンジャーだから解るのか?」と問いかける。
だがアヴェンジャーは納刀しながら「知るか」とだけ答えると、少年兵二人に「退くぞ」と命じ、共にこの場から去って行った。
そして残されたセイバーも、少年に令呪の使用を命じて幾分か体力を回復させると、即座に退いた。
アヴェンジャーの行く先とは全く違う方角へと去って行ったことから考えるに、本当に二人は馬が合わないコンビだったようだ。
今こうして立香が生きているのも、きっとそのおかげだろう。彼はそう冷静に分析すると、更に気を引き締める。
「さてマスター。姐さんを……」
「当然だ。俺も手伝うよ。だから頼む、燕青。頼む……」
「……ああ。承った、我が主」
そして二人は、邪悪な宝具の犠牲になったケツァル・コアトルを救助するために動き出すのであった。
最終更新:2017年11月15日 23:58