バーサス、ミロのヴィーナス。
彼女の脚は無い腕を補って余りある機動を見せる。
「まだ頑張るの? やるじゃない」
二連ムーンサルトキックの一発目が弓を叩き、二発目がアーチャーの腹に入る。
格闘戦を開始して既に三十分が経過していた。その間アーチャーは逆風の展開を強いられ続け、既に肉体は限界が近い。
彼女の身体は臍の上と下で1対1.618の黄金比を構成する。これ以上ないランクの黄金律(体)スキル。
二本の脚だけで格闘をしようとすれば、普通の人間ならば片足しか攻撃に回せない。もう片足で立たなければいけないからだ。
しかし彼女はサーヴァントであり、両方の脚を攻撃に使い、合間の僅かな時間で地面を蹴り滞空し直すなど簡単にできる。
対するアーチャーは弓の分だけリーチは勝っているが、像の長い脚とは些細な差でしかない。
攻撃が飛んでくる瞬間だけアーチャーは一瞬消える。音になる。肉体の守りが失せる霊体化に似て異なる便利なスキルだ。
だがそれでも蹴りに対しアーチャーの処理能力が間に合わない。
脛が首筋を強かに打ちつけ、アーチャーが音速で吹き飛ぶ。中庭に展示されてあったロダンの地獄の門を破壊した。
「もっと速く動かないと負けちゃうわよー、突っ立ってないでさ」
アーチャーは立ち上がり、ミロビちゃんに向かってコントラバスを投げつけた。コントラバスはがたがたとバウンドしながら飛び、やがてやはり蹴りによって砕かれる。
その中からアーチャーが踊りかかった。音になり、砕かれる瞬間コントラバスの空洞の中に入っていた。アーチャーの両腕が両足を掴み、封じる。
「小細工はもらわないわ。石細工だから」
ミロビちゃんはアーチャーの腕の中で曲芸士のように回転し、アーチャーの顎を下からヘッドバットする。
「それだけ?」
上向きに蹴り上げた。アーチャーは大きく空に飛ばされる。
今だ。
空中から見た美術館の中庭は広いが、建物に囲まれている。
アーチャーが吹き飛ばされたことで、デスマッチのリングは袋小路へと変わった。
真名開放。
「よく聴け」
魔神セーレが僕を抱え、飛び上がった。
美術館のどの建物よりも高くへ移動した。
突き刺さる塔と、ヴェスヴィオ火山が見える。
夕陽が眩しい。
アーチャーの父は偉大であった。
彼以前の音楽は演出の道具であり、それ自体が主役となるものではなかった。
音楽を芸術とした。これがまず一つ目の大きな功績である。
二つ目の功績は、音楽を民衆のもの、誰でも楽しめるものにしたということ。
二十一世紀において、皆が聞いたことのある宝具が紐解かれる。
「今、お前の為の響きとなろう」
誰もいない美術館の上空は静かだった。
まず、静寂を美しいと認めるところから、音楽は始まる。
「俺はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの息子」
落下するアーチャーとすれ違う。
「運命、田園、歓喜の兄なる」
彼の宝具は彼自身。彼の最初の二つの和音。
観客に印象づけるフォルティッシモ。
アーチャー自身がビームになる。
「『ある偉大なる人の思い出に捧ぐ』」
真名判明
芸術のアーチャー 真名 交響曲第3番変ホ長調『エロイカ』作品55
「いいわ!受け止めてあげる!」
上空一万メートルから音速を超え、光となったアーチャーが突っ込んでくる。
ミロビちゃんは真下から見上げ、受け止める構えだ。
「全てを抱く!」
白い光が両腕のあった場所に集まっていく。
あれが宝具だ。彼女の宝具はその失われた両腕。
「『終わりなき想像の不完全さ』!」
インフィニティ・インコンプリーテッド・イマージュ。
ミロのヴィーナスは発掘された当初より両腕が失われていた。しかし、欠落がありながらも現在まで多くの人々を魅了している。
他の像から逸脱した美しさはその欠けた両腕の演出するものである、とは有名な話。
どんなポーズをとっていたのか、何を持っていたのか、偶然が産んだその無限の想像の余地が、見る者それぞれにある。
観測者の中で生まれる美しいという感想は、その像が不完全であるからこそなのだ。
彼女の宝具はその無限の可能性。
不完全な像になったことにより得た、無限の可能性。
彼女の両腕は、あらゆる物を持ち、いかなる形をも取りうる。
腕が増える。彼女の肩からは十二対の腕が生えていた。
二十四の腕が広がり、そこに十二の巨大な円筒が一対につき一つずつ、現る。ミロビちゃんを中心に取り囲む。上を向いたそれは指向性エネルギー兵器だ。
落ちてくる光に向かって光が生え、ぶつかった。
光と光は素粒子が反射しないため衝突することはないというが、これはサーヴァントの魔力による光。空中で境界が留まり、せめぎあう。
目を開けていられない眩しさ。
「援護をする。我は戦闘能力はないが、魔力はまだ残存している。残っていたアーチャーとの接続を戻し、バックアップをする」
対してキャスターはこの美術館、この土地と繋がり、本来の力の何倍にも出力を上げている。
「我の魔力が尽きれば我は消滅し、アーチャーも焼かれる。人類ももちろん死ぬ」
ついでに僕は高度一万メートルから落下する。
「その心配は要らないようだ。決着がつく」
果たして勝者はアーチャーだった。
音の光となったアーチャーは十二のエネルギー照射機の中央に突っ込み、轟音と土煙を上げる。衝撃波が広がり、美術館の窓が割れるのが見えた。
魔神が僕を抱えてゆっくり降下する。美術館が拡大されていき、しばらくのちに着地した。
クレーターの中央にアーチャーは立ち、周囲にはばらばらになったキャスターが散らばっている。
音を完全に遮るのは真空だけであり、キャスターは腕が無いことを否定したから。
あらゆるものになる腕は、真空だけにはなれなかったのだ。
「負けちゃったわ、やっぱり戦いは駄目ね。女神だから」
落ちた首だけで喋ってあははと笑っている。
「私はあなたのこと知らないのよ。ルーヴルにずっといたから。サーヴァントになったら音楽が聞けるのね。一緒に遊べて楽しかったわアーチャー」
アーチャーはもう満身創痍のぼろぼろの状態で、立っているのがやっとだ。ミロビちゃんに軽口を返すこともできない。
「立ってるだけは飽き飽きしてたのよねー。土産話をルーヴルに帰ってから――」
声はそこで途切れる。
ミロビちゃんの頭部を踏み潰したのはフラン・オルタ、人類の敵。
最終更新:2018年03月01日 06:18