「そういえばノッブは普段何してるの?」
「んー? 遊撃衆の奴らを鍛えて欲しいとそこのアーチャーに言われておってのう」
信長が遊撃衆の教育担当であるというのが何となく合わないような気がした。
戦の腕は悪くないのだろうし、鉄砲隊である遊撃衆に戦略面で教えられる事があるということだろうか。
「だいたいぐだぐだ適当にやってるけどね!」
「少なくとも私の前で堂々と言って欲しくなかったわね」
「強みも弱みも知り尽くした戦略を一から教えるのは退屈でのう……ま、是非もないよね!」
「それはそうなんだけれどね」
「ところで前から聞きたかったんじゃが」
「なに?」
信長がアーチャーの顔を指さした。
「貴様、どこかで会ったことはないか?」
その言葉にアーチャーは立ち止まり信長の瞳を見た。
それは昔と変わりなく力のある目をしていた。
「さぁどうでしょうね。他人の空似じゃないかしら」
そっけなく返す。
それ以上信長も追及はしない。その二人の様子を静かに藤丸と市は見ていた。
突然ぴたりとアーチャーの足取りが止まる。
それから黒い髪を揺らして振りむいた。
「確認しておくけれど、作戦の内容は私と織田と遊撃衆で化け物の相手をするわ。あなたはランサーと一緒にいること」
「ランサーは戦闘に参加しなくていいの?」
「この子には宝具を的確に決めるのに集中してもらうわ。あの宝具は相手が弱っているほどいいから」
捕獲に向いた宝具ということか。
思えば市の宝具で藤丸達も無力化され捕らえられた。
今度もそういう戦法という事だろう。
橋の上についた。
ここに橋姫がいるという事だろうか。
橋の上に棲んでいるのかそれとも下の川に棲んでいるのか。
遊撃衆の者たちが配置につき、何か歌いだした。
歌。馴染みがない。これは歌というより、能?
「アーチャー、あのさ……」
「ところで藤丸君。その羽織、ちょっと様になってきたんじゃない?」
再び歩き出しながらアーチャーが行ったのは遊撃衆の隊員に配布される羽織の事だ。
萌葱色の綺麗な羽織である。
他の隊員はなぜか羽織をいつも裏返してきている。それは藤丸にとって不思議な事だった。
どういうことか聞いてみても釈然としない答えが返ってきた。
信長はいつも「なんかそれ、弱小人斬りサークルのやつみたいじゃの」と言っていたのを思い出す。
これは遊撃衆の制服なのだ。
「そう、かな?」
「えぇとっても素敵よ」
「アーチャーも似合ってるよ」
笑いながら返す。
急にどうしたのだろうか。何かあったのか。
少なくとも彼女はそんなに軽々と人を褒めるタイプには見えなかったが。
「ところでその、英霊がいるのってどこ?」
「どこってもうここに」
「ここ?」
辺りを見渡す藤丸。
今自分がいるのは橋の上。
橋の―――――
「……」
あの時清姫は何と言っていたか?
夏の無人島。そこで清姫に橋の話を聞いたはずだ。
『橋姫の棲む橋の上で、別の橋や女を褒めたりすると呪い殺される』
……もしや。
「アーチャー。一つ聞いていいかな」
「えぇ構わないわ」
「隊員たちは何を歌ってるの?」
「葵の上っていう能だけれど」
「! ハメたなアーチャー!」
女の嫉妬を題材としたものだ。
野宮などもあるがそれらの謡曲は橋姫を刺激する。
歌えば必ずひどい目に合うと言われる代物だ。
藤丸は橋の上から逃れようと走り出した。
だがもう遅い。遅いのだ。
「おどれぇ……やったなぁ!」
「来たわね」
「来てほしくなかったなぁ!」
川の中から何かが飛び出た。
いくつにも結ばれた白い髪。鉄輪。鬼の角のように見える蝋燭。いかにも丑の刻参りという出で立ち。
水にぬれうっすらと透けた衣服。そして怒りに満ちた形相。
間違いない。橋姫だ。清姫ではない。
蛇に睨まれた蛙の如く、藤丸の足が止まる。
「あたしの橋の上で褒めたな、他の女を!」
飛び掛かる橋姫を止めたのは信長の射撃と接近したランサーの一撃。
橋姫の体が吹っ飛び橋の上にごろごろと転がされる。
後ろを確認すれば謡曲をやっていた隊員達が倒れていた。
彼らも橋姫を呼ぶための犠牲になったのだ。
しかし残った隊員達が倒れた隊員を運んでいる。
出来れば自分も運んでほしかった気持ちがある。
「いったぁ……殺す気か」
「確認のために言っておくけど殺しはなしよ」
「え、そうじゃったのう。にしてもよく効いとるな。さてはお主神性持ちじゃな!」
鬼神ということか。それとも橋を守る女神からか。
分析している暇はなさそうだ。今まさに立ち上がり橋姫がこちらに向かおうとしているのだから。
「マスターさん」
「なに。お市さん」
「姉上様が言ってました。あなたは女難の相があるって」
「……それ今言わないで」
味わされる実感。
すでに遊撃衆は隊列を組み、射撃の体勢に入っている。
戦闘の準備は十分。すぐにでも対応できる。
◆◆◆◆◆
橋姫は武勲を上げた英霊ではない。
鬼神、女神、鬼女それらの側面を持っているが元は人間であった。
狂化されているらしく、さらに力を高めているが武術というものを収めているわけではなさそうだ。
ひっかき攻撃と持っている金槌や釘を中心とした荒々しい攻め手。
隊員達が一人また一人と端の下に突き落とされていく。
どうやらアーチャーが呼び出す使い魔のようなものとそうでないものがいるらしい。
人間の隊員は後ろに下がって支援を中心にしているようだ。
しかしそれでも遊撃衆の手際はさすがの一言である。
息の合った攻撃。先日の一戦よりも確実に強くなっている。
それがあの織田信長の教えを得ての物なら信長もさすがだと言わざる負えない。
普段はぐだぐだしている彼女だが、軍略についてはかなりの腕を持つ。
特に信長の神性に効く弾丸が有効に作用してるのも良かった。
遊撃衆やアーチャーの攻撃で意識を持って行きつつ、信長の攻撃を確実に通していく。
「むっちゃ容赦ないやん。傷つくわ」
「ランサー!」
「はい……宝具展開……絞る紐、縛り首、結ぶ命、袋の―――」
「下がって藤丸君!」
市の宝具が解放される。
巻き込まれない様に遊撃衆が後ろに下がり、藤丸も同様に下がろうとした。
だがそれは出来ない。足が動かないのだ。
視線の先にはゆらりと動く橋姫。
「お前だけは……殺す。妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい殺す殺す殺す……」
藤丸が目を動かすと自分の胸に藁人形とそれに刺さった釘がくっついていた。
(いつの間に……)
徐々に橋姫の体が赤く染まっていく。
まるで赤い塗料を手で付けたようなムラのある染まり方。
両腕を広げて立つ橋姫の手が異常なまでに鋭く感じる。
「もはやその命、待つやに叶わず」
「丑の刻縁切り鋏」
一気に接近する。
広げられた腕が閉じていき藤丸を抱擁しようと動く。
だがその一撃は彼の命を断つ鋏の一撃である。
飛び上がり藤丸へと向かう。迎撃の形をとろうとした市も動けていない。
もう駄目だと思った瞬間であった。
「あ?」
一瞬彼女の体が空中で止まったのだ。
「今じゃ! 放てい! いやもうわしが放つ!」
信長の一撃。
自分の顔をかすめる弾丸に思わず尻餅をついた。
動ける!
「逃げなさい藤丸君!」
「わか―――」
「逃がすかぁ!」
藤丸が動き、橋姫も動いた。
彼女の一撃は藤丸に当たらずそのまま自分を抱きしめるように閉じられた。
次の瞬間橋はそこを中心に真っ二つに割れ、藤丸と橋姫が下に落ちる。
市が手を伸ばすがその手は掴めなかった。
重力に従い体が落ちる。
「橋姫……」
落ちる最中、もう一度藤丸は手を伸ばした。
相手は橋姫。彼女を捕まえるという任務があるからではない、善意だ。
いつか誰かに手を差し伸べたように彼女に手を伸ばした。
「お前……あたしは……」
橋姫も手を伸ばし二人の指先が触れ合い――――落ちた。
ドボンと音がして体に鈍い衝撃。
ごぼごぼと口から空気が漏れ、空気を求めて動く体が水を取り込んでしまう。
もがけば誰かが体を引っ張る。
口やら鼻から水を吸い込みむせている藤丸。
岸についてやっと自分を運んでくれた者の正体が知れた。
「橋姫!」
「お前、エエ奴みたいやからな……疲れた……ちょっと休む」
「うん」
「なぁ……おらんならんとってな……」
「もちろん。ありがとう。橋姫」
「エエよ……」
そういって彼女が地面に突っ伏した。
傷がある。
戦闘不能まではいかなかったがそれは深手といって差し支えない。
どうしようかと考えながら水を吸った羽織を脱いだ。
「大丈夫かい?」
「?」
思わず身構えた藤丸に対して慌てたように手を振る声の主。
どうやら袈裟を着ているらしい。
頭を見ればそこに頭髪はなく、その二つの要素を見れば誰でも彼が僧だと理解できるだろう。
優しい感じの顔の男だった。
覇気がないというか戦いの世界に身を置くようなタイプではない雰囲気だ。
「間一髪だったじゃないか」
「見てたの」
「見てたさ。それに……いや、こういってしまうと恩着せがましいかもしれないけれど、彼女の動きを止めたのは私だ」
藤丸の命を狙った宝具での一撃。
だが途中で橋姫の動きが止まった。
その、原因。それが目の前のこの男。
「あなた、誰ですか? 英霊? それともよほど徳の高いお坊様?」
「ん。いや、私はただの旅の僧だ。英霊ではある。だけれど私は呼ばれるような存在では」
謙遜。
驕った雰囲気はない。どこまでも柔らかい男だ。
「僕は藤丸。君の名前は? あぁ、隠すのならいいけど」
「いや、私に嘘はない。私はキャスターの英霊。名を安珍という」
「あん……ちん? 安珍?」
「そうだ。もしかして私を知っていたのかな?」
「お、お前……安珍! バーニング安珍!」
「な、なんだいその呼び方は!」
藤丸は重い着物を引きずりながら安珍に殴りかかった。
最終更新:2018年02月16日 16:51