第三節:『パンズ・ラビリンス』(1)

【1】


 万博の中央部に位置する、最も巨大なパビリオン。
 その最深部である大部屋の壁には、一枚の絵画が飾られている。
 歪な線から成り立つ、世間では「キュビズム」と呼ばれるものであった。

 よほど名のある画家が描いたのだろう、見事な芸術品である。
 例え無知なる者が目にしたとしても、思わず息を呑んだに違いない。
 パビリオンに展示されるに相応しい、気品溢れる逸品と言えよう。

 けれどもその絵画には、右下の片隅に不自然な余白があった。
 その邪魔な余白は、これが未だ完璧に至ってない事を意味していた。
 まさしく、画竜点睛を欠くという故事が相応しいだろう。

 さて、そんな絵画を、ぼんやりと見つめる男が一人。
 この特異点の元凶の一つである、騎兵のサーヴァントである。
 彼は首に掛けたペンデュラムを弄りながら、待ち人が来るのを待っていた。

「待たせたなライダー、待ちぼうけたか?」

 ライダーが童女の声の方向に目を向ければ、そこには一組の男女の姿があった。
 即ち、同胞たるアヴェンジャーとセイバーである。

「いえいえ、私も丁度来たところですので」
「それにしちゃ、随分暇そうに首飾りを弄ってたようだけど?」

 横槍を入れるかの様なセイバーの一言に、ライダーの眉間に皺が寄る。
 しかしすぐに元の張り付いた様な笑みに戻すと、

「どうでもいいではないですか、それより、バーサーカー様は何処に?」
「……俺なら此処だ」

 その声を発したのは、他ならぬバーサーカーであった。
 いつの間に部屋に入ってきたのかと、セイバーは眼を丸くしている。
 一方のアヴェンジャーは、小さく笑みを作るばかりだった。

「これはこれは、丁度全員揃ったようですね!
 いかがでしたか皆様、カルデアからの来訪者の実力は?」
「あの大和人のサーヴァントか。下らねえ、犬みたく吼える雑兵だったぞ」
「ほう、だがその雑兵、貴様は未だ仕留めてはおるまい?」

 アヴェンジャーからの指摘を受け、バーサーカーは次の言葉を言い淀んだ。
 理屈は不明だが、彼女はこの東京で起こるあらゆる事象を把握している。
 バーサーカーが誰と交戦し、誰の介入で逃げられたのかさえ、彼女は知っていた。

「デカい口叩く割に逃げられるとはね、恥ずかしいったらありゃしない」
「横槍が入ったんだ、仕方ねえだろ。そういう手前はどうなんだ、セイバー」
「こっちは世界最後のマスターとやらに会ったけど……本当にあんな和人(シャモ)がそうなのかい?」
「ええ、貴方が出会ったのは紛れもなくあの藤丸立香かと」
「ハッ!和人(シャモ)如きに救われるなんて、世界の値打ちも落ちたもんだ!」

 心底侮蔑しているかの様な、セイバーの言葉。
 それを咎める者は、この場には一人としていなかった。

「とはいえ油断は禁物。かの人類悪を制した男です。細心の注意を払うのに越した事はありません」
「そうは言うがな、手前の罠が上手く機能すれば事は済んだんじゃなかったのか?」
「機能してますとも。現に彼等は、カルデアからの通信手段の一切を遮断されています」

 ライダーの宝具が一つ――『原住民征服菌(スモールポックス・パンデミック)』。
 これは、あらゆる存在に対し「ウイルス」という概念で攻撃する宝具である。
 サーヴァントには効果が薄い宝具ではあるが、それ以外の生物、機械には絶大な効果が及ぶ。
 そしてそれは、カルデアの高性能コンピュータも例外ではなかった。

「彼等は獅子の檻に迷い込んだ鼠も同然。如何様にも料理できますとも。
 ……まあ、最初の段階で転落死してくれれば、それに越したことは無かったのですがね」
「だがそうはならなかった。過ぎた事を思ってもどうにもなるまい?」

 アヴェンジャーに対し、ライダーは「そうですね」と肩を竦めた。
 この四人のサーヴァントの中では、彼女が実質的なリーダー格である。
 全てを把握する彼女には、全てを統べる立場こそが相応しい。

「それよりも、だ。何故俺達をわざわざ呼び出したんだ、ライダー」
「ええ、その事なんですが……キャスターを連れ戻す準備が整う頃でしてね」

 その言葉を聞いて、バーサーカーが「ほう」と唸った。
 セイバーは「ああ、あの男ね」と思い出した仕草を取っている。

「如何にも。我らの糸がじきに彼奴の居所を探し当てる。皆で出迎えといこう」
「……本当にアイツが必要なのかい?他じゃ駄目なのかい、それ?」
「駄目です。天才たる彼でなければ、この絵が完成しません」

 ライダーの見つめる先には、かの絵画の存在があった。
 未だ一か所の白地を残した、未完成の名画である。
 これを描いた"キャスター"は、その行方を晦ませてしまっていた。

「他人が描いてどうにかなるなら、当の昔に実行してるだろうが。それくらい理解しろ」
「……悪かったね、融通が利かない頭で」

 険悪なムードを剥き出しに、セイバーとバーサーカーが睨み合う。
 それを断ち切らんとばかりに、ライダーがパンパン、と手を打った。

「喧嘩はそこまで、こんな場所で争う必要は皆無ですよ」
「ハハハッ!まるで子をあやす母のようだな、ライダー!」

 居心地の悪そうなセイバーとバーサーカーをよそに、アヴェンジャーがケタケタと笑う。
 ライダーはそれを尻目に、ペンデュラムを無意識の内に触っていた。
 透き通るような水色の宝石が組み込まれたそれが、照明の光を受けて妖しく光った。

「何にせよ、この絵画が完成したが最後、全てが思い通りになるのです。
 その暁には、傲慢を肥え太らせた醜悪なる日本人、彼等の悉くが死に絶える事でしょう。
 ええ、ええ!大願成就の刻は、今まさに近づいているのです……!」

 その瞬間を、皆で見届けようではありませんか、と。
 ライダーはこの場で最も大きく、笑みを深めるであった。


【2】


 万博の中央部に位置する、最も巨大なパビリオン。
 その最深部である大部屋の壁には、一枚の絵画が飾られている。
 歪な線から成り立つ、世間では「キュビズム」と呼ばれるものであった。

 よほど名のある画家が描いたのだろう、見事な芸術品である。
 例え無知なる者が目にしたとしても、思わず息を呑んだに違いない。
 パビリオンに展示されるに相応しい、気品溢れる逸品と言えよう。

 されど、そこに描かれていたのは、地獄の図であった。
 如何に抽象化されていようと、一目見れば理解できてしまう。
 その絵画が描き表すものが、兵士による虐殺である事を。

 血を流す老人がいた。兵に刺される子供がいた。
 火だるまになる女がいた。首を刎ねられた男がいた。

 名も無き兵に蹂躙される、名も無き街の風景。
 されどその絵画には、確かに名前があった。

 「人理焼却式」。
 それが、この絵画の題名であった。




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最終更新:2017年11月14日 03:09