第1節:騎士との遭遇(2)


 ――――――――もう、この世界に騎士道などという黴臭いものは存在しないのだ。

 そう諭すように言ったのは、誰だったか。
 もう、そんなものはどこにもないのだと。
 アマディス・デ・ガウラは歌に消え、エル・シッドは伝説となった。
 サー・ギャラハッドは聖杯の果てに昇り、下界に帰ってくることはない。
 狂えるオルランドゥを探せど、自らの罪以外何も持たぬ身で大陸中を駆け回る勇士の姿を見ることはない。
 アヴァロンで眠るアーサー王が目覚める様子はなく、クールの息子は醜く老いさらばえて死んだ。
 聖地奪還と守護を夢見る十字軍は夢半ばに斃れ、名誉あるテンプル騎士団は悪魔崇拝の汚名に消えた。

 ――――――――騎士の亡霊を探すのは、もうやめろ。そんなものはとっくに消え失せ、どこにもいないのだから。

 そんなはずはない、と私は叫んだ。
 恥ずべきことに、それは半ば悲鳴のようであったかもしれない。
 癇癪を起こした老人のように、私は何度も叫んだ。
 何度でも、何度でも、気狂いのように私は叫び続けた。

 ――――――――騎士物語などというものは、幻想に過ぎぬ。堕ちた幻想は毒となり、お前を蝕むだけなのだ。

 違う、違う、違う!

 私は叫び、槍を手に取った。
 如何なる冒険にあっても臆すことなく、恐ろしい怪物や誇りある騎士を前にしても決して怯まぬ勇気の象徴として。

 それから、私は鎧に身を包んだ。
 如何なる冒険にあっても恐れることなく、無辜の民草の心から恐怖と不安を拭いさる正義の象徴として。

 最後に、私は愛馬に跨った。
 如何なる冒険にあっても迷うことなく、無私の心で尽くし、交歓し、世に示すべき愛と友情の象徴として。

 ――――――――お前は、狂ってしまったのだ。

 私は、その言葉だけを肯定した。
 狂ってしまわなければならなかったのだ。
 だって、だって、私が騎士道を示さなければ、本当に騎士が世界からいなくなってしまう。
 勇気は萎み、正義は枯れ、愛と友情が失われてしまう。

 ただそれだけが、どうしても許せなかったのだ。
 そのためならば、いくらでも狂ってしまおうと思ったのだ。

 だって、そうしなければ――――――――――――




  ◆  ◆  ◆




 騎士は駆けた。
 誰よりも早く駆けた。
 愛馬が嘶き、騎乗槍を真っすぐ前に突き出したまま駆け抜ける。
 眼前には光の奔流。
 圧倒的な魔力の濁流。
 大地に倒れるワイバーンの死骸が呑み込まれ、大地が抉れると共に消滅していくのが見えた。
 巻き込まれれば当然、死ぬだろう。

 ――――それがどうした。

 ――――だからどうした。

 如何程の脅威であろうと、騎士の勇気の前では霞んで見えよう。
 騎士の背後で立香が叫び、小次郎が鋭くその雄姿を見極めんとし、弁慶がその覚悟を見届けんとした。

 だが、それも知らぬ、聞こえぬ、感じぬ。

 騎士は今、魔王を討ち果たすために駆けているのだ。
 悪の魔王が、暴君が、無辜なる若者を蹂躙しようというこの光景を打破するために駆けているのだ。

 騎士の脳裏には歌があった。
 だから、騎士は歓喜に笑って駆け抜けた。
 歓喜のままに、騎士は叫んだ。
 胸の奥から込みあがる感情を、全力で表現するかのように叫んだ。



「――――――――――――『騎士の勇気は風車を超えて(エル・インヘニオソ・カバレロ)』ッ!!」



 ――――それが、彼の宝具の真名だった。
 騎士の勇気と、誇りを示す名前だった。
 彼の内から湧き上がる魔力が騎馬と騎士とに纏わりつき、騎士の突撃が急加速する。

 そして――――――――激突。


 ――――――――――――――――――――――――拮抗。


「なっ――――!」

 驚愕の声を漏らしたのは、誰だったか。
 無理も無いことだ。
 明らかに対城の規模を持つ、魔力の奔流。
 これを、ただ一騎の騎馬突撃が押し留め、拮抗している。
 常識で考えれば、ありえない事象である。
 なにせ騎士の突撃は、明らかに対人規模……対軍規模ですらない、ただの突撃なのだ。
 個人で濁流に挑むという暴挙。
 その奇跡を、騎士は成し遂げている。
 騎馬が力強く大地を踏みしめ、騎士が脇に構えた騎乗槍を万力で押し出さんとする。
 ただそれだけの動きが閃光を押し留め、拮抗している――――否。
 僅かに、押されているか。
 騎士の上体が、徐々に起き上がり始める。


「――――――――――――行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」


 ――――そう判じた直後、立香が吠えた。

 眼前の騎士と立香は、契約を交わしたサーヴァントではない。
 それでも、この騎士の行いが自分たちを守るものだということは理解できた。
 事実として、彼が押し負けることが即ち自分たちの死だということも理解できた。

 契約を交わしていない以上、令呪によるブーストは不可能。
 故に、立香は咆哮と共に右手に魔力を込める。
 魔術礼装であるカルデアの制服が立香の魔力に呼応し、術式を構築する。

 導き出される術理は、読んでそのまま――――――――瞬間強化ッ!


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 ――――騎士が叫んだ。

 ――――――――同時に、光が裂けた。

 雄叫びは凱歌にも似て、堂々と突き出された槍が光を二つに割る。
 それはさながらモーセを想起させる奇跡の具現。
 光の奔流が二つに引き裂かれ、左右の世界を平らげながら何処かへと消えていく。
 一瞬の強化を受け、騎士が濁流に打ち勝ったのだ。

 轟音が世界を包んで行く。
 閃光が立香の網膜を焼いた。
 爆風にも似た風圧が大地をめくりあげ、咄嗟に立香は腕で顔を庇った。
 小石や砂塵が肌や服を打つ。
 それらが収まってから、ようやく腕を下げて改めて情景を確認すれば――――

「――――――――我が勇気、健在!」

 ――――槍を掲げ凱歌を挙げる騎士が、一幅の絵画の如くそこに立っていた。

 陽光に包まれる騎士は、少年の中にある童心のような感情をくすぐるようで。
 いっそ神聖さすら感じさせるその立ち姿は……しかし、次の瞬間倒れ伏した。

「っ!」
「カハッ! ……けん、ざい。我らが、騎士道は……未だ、健在で、あるぞ……」

 無理もない。
 あれほどの攻撃を、身一つで打破してのけたのだ。
 奇跡の代償――――濁流を打ち払った騎士は、吐血と共に落馬する。
 騎馬は魔力へと還って消え失せ、後に残るのは息も絶え絶えの騎士ただ一人。

「――――マスター殿、あの騎士殿は拙僧が抱えて行きます! なにはともあれ撤退を!」

 次の瞬間、状況を把握した弁慶が素早く騎士に駆け寄りながら叫んだ。
 立香の意識が現実に引き戻される。
 そうだ。
 自分たちは攻撃され……あの濁流の主を打破したわけでは、無い。
 続く第二波が来るより早く、どうにか逃げ切らなければならない。

「マスター、カルデアとの通信は戻らんのか」
「マシュ! ダ・ヴィンチちゃん! ……ダメだ、完全に通信が遮断されてる!」
「であれば、我らの勘任せか……!」

 小次郎に促されて確認してみても、カルデアから通信が飛んでくる様子はない。
 なんらかの干渉を受け、通信が遮断されているのは間違いないだろう。

 となればやはり、尻尾を撒いて逃げる他ない。
 視界の端で、弁慶が騎士を担ぎ上げる姿が見えた。
 立香は小次郎に抱えられたままだ。上等。

「小次郎、弁慶! ひとまず森の中に! あの丘の反対側へ!」
「承知した!」
「南無!」

 素早く指示を飛ばし、命を受けた従者たちが森の中へと駆け出す。
 ……幸いにして、第二射が今すぐ飛んでくる気配はない。
 無論、あれほどの威力だ。
 常識的に考えれば比例して消耗も激しくなるはずで、連射は困難と見るべきだろう。
 なにせ、それと拮抗した騎士が死に瀕するほどの魔力量である。
 …………まぁ、そこは騎士の燃費が悪すぎる可能性も十分にあるのだが。
 ともあれ、ここで『連射が可能』などという方向で規格外を積み重ねてこなかったことは間違いなく幸いだ。
 森へと入れば、木々に隠れて光の始点であった丘が見えなくなっていく。

 ……それでも立香は、しばらくの間丘があった方向を見続けていた。
 恐怖と戦慄とをない交ぜにし、それが漏れ出ないように歯を強く噛みしめながら。




  ◆  ◆  ◆




「――――――――――――何者だ? あれは」

 忌々しげに、鎧の男が吐き捨てた。
 険しく眉根の寄った視線は、遠く立香たちが逃げ込んだ森へと注がれている。
 手には、鼓動にも似て明滅する黄金の剣。
 ――――たった今、立香たちを葬るべく閃光を吐き出した剣。

「……はぐれ、だろうねぇ。これはちょっと、予想外だよ」

 困ったように苦笑し、白いローブの女が自らの杖を撫でた。
 花の香りを伴う吐息を漏らし、思案の様子を見せる。 

 ――――否。
 これは、違う。
 “平静を保とうとしている”のだ、これは。
 湧き上がる憤怒と憎悪を飲み下し、炎を孕むかの如く耐え忍んでいるのだ。
 穏やかに笑う口元は僅かに歪みを見せ、八の字を描く眉は細かく痙攣し、杖を撫でる手はどこか偏執的だ。

「――――――――もう一度、やるか」

 男が黄金剣を握り直した。

「――――――――やめなさい」

 冷え切った女の声が、それを止める。
 取り繕うように、小さく呼吸を挟んで。

「……今の攻撃を見て、キミが聖剣を解放したことは他の陣営にも知れ渡ってしまった。
 考えなしの『愛竜暴君』はまだしも、『蛇竜宮司』はこのチャンスを逃さない。
 二度の解放はこの後の戦いに響く……ここは、我慢してくれ。我慢、してくれるね?」

 ――――しばし、間。
 剣を握ったままの姿勢で、男は思案を巡らし――――やがてゆっくりと、剣を下ろした。

「……この私に、我慢しろと言うのか」
「ああ、言うとも。私たちには聖杯が必要だからね」

 端的に言えば、思案をした時点で答えは出ていた。
 男が追撃を望むのは、感情のためである。
 必殺の聖剣の一撃で敵を滅ぼせなかったという屈辱を晴らすために、再度の蹂躙を行おうとしている。

 ――――しかし、そこに理は無い。
 先がない。未来がない。
 だからもう、一度思案をした時点で……合理的に考えて、ここは思いとどまるべきだと判断せざるを得ないのだ。
 火にかけた鍋を火から離せば、あとは冷めていく一方であることと同じように。

「…………戻るぞ」

 剣を鞘に納め、男は短くそう告げる。
 女は胸を撫で下ろし、また微笑を形作った。
 それを流し目に見れば、男は視線をもう一度森へと移す。

「……問題は無い。
 カルデアの勇者だと? 人理修復の英雄だと?
 そんなもの、私の敵ではない。敵ではないのだ。
 私は常勝の戦士。約束の王。真なる聖剣の担い手。万が一にも負けなどありえん」

 ぶつぶつと、自分に言い聞かせるような言葉の羅列。
 その瞳が映す景色は森か、あるいは別の何かか。
 熱に浮かされたように、幻覚でも前にしたかのように、男の瞳が虚ろになって行く。
 そして、男は緩慢に顔を女へと向け、力強く問うた。
 恐怖からでもなく、不安からでもなく。
 己の中の、獣を律するがために。


「そうだろう――――――――――――“マーリン”?」


 女――――“マーリン”と呼ばれたローブの魔術師は、笑みを僅かに深くしながら杖を撫でた。

「当然だ。
 ああ、当然だとも。
 常勝の戦士よ。約束の王よ。真なる聖剣の担い手よ。
 私たちは聖杯により、悲願を叶える。手に入らなかったものを掴み取り、失ったものを取り戻すのさ。
 ――――私たちのキャメロットは、そのためだけにあるのだからね」

 男はマーリンの言葉にひとまずの満足と納得を得たのか、マントを翻し踵を返す。
 回転した視線が、大地を捉えた。
 閃光の破壊痕に背を向け、雄大な自然を胸で捉えるように男は両腕を広げて。

「――――ああ、そうだ! ブリテンは、聖剣の担い手たるこの私が統一する!! 他の誰でもない、この私が!!」

 眼前の光景に吠え掛かるように、眼前の全てを従えんとするように、男は吠えた。
 風を孕み大きく広がる青地のマントに描かれる紋章は――――雄々しくも禍々しき、三つ首の竜。
 絡み合い、睨み合い、食らい合わんとする歪曲せしウロボロス。
 王者の証を背負った男は、どこまでも高らかにその名を叫んだ。




「――――――――――――――――――――――――この、“アーサー・ペンドラゴン”が!!!」




  ◆  ◆  ◆




「――――さて」

「役者は揃った。……揃ってしまった」

「金竜覇王、蛇竜宮司、愛竜暴君……花の魔女、最後の騎士」

「さらに、私を含めて二名」

「……最後に、カルデアからの客人たち」

「――――役者は揃った。揃ってしまった」

「役者が揃ったということは、“事件が始まる”ということだ」

「……いや、事件はとうに始まっていたとも言える」

「ならば、私はこう言うべきなのだろう」


「――――――――これから、“事件が終わる”のだと」


 誰かが、松明の炎を灯した。


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最終更新:2018年01月17日 14:54