「……ひとまず、切り抜けたか」
「……かな。ありがとう、二人とも」
二人の従者に礼を告げると、立香は緊張の糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「っとと」
「む。大丈夫か、マスター」
「はは……平気、平気。このぐらいのピンチ、何回もあったしね」
あの後、森の中へと逃げ込んだ一行は、森の中に住まう野生の獣や獣人の襲撃を切り抜けつつ、大分遠いところまで進んでいた。
どれほど駆けただろうか。
どれほど進んだだろうか。
カルデアからの通信が復活する様子はない。
こういったことはたまにあるが、それはいつもイレギュラーが発生した時だ。どうしても、不安は募る。
マシュやダ・ヴィンチちゃんは、立香のことを心配しているだろう。
それを想うと、なぜだか申し訳ない気持ちが立香の中に湧きあがる。大丈夫。俺は、ここにいるよ。
胸の中で、立香は遠く離れた仲間たちへの想いを零す。
「この辺りには、獣の気配もない。暫し休憩としよう」
小次郎の提案にひとつ頷き、立香は這うように手近な岩に腰かけた。
ワイバーンの襲撃があってからこっち、慌ただしいばかりでまともに情報の整理もできていない。
人里も、まだ見えてこない。
ここは一度落ち着いて、状況を再認識するべきだろう。
「あのワイバーンの群れは……」
「明らかに、我々を狙っていたな。何者かの手下と見て間違いなかろうよ」
レイシフト後、立香たちに襲い掛かってきた飛竜の群れ。
偶然……と片付けることは簡単だが、およそ現実的な結論ではあるまい。
明確に敵意を持って襲い掛かってきた、というだけならまだしも――――
「……やはり、あの宝具の主の仕業でしょうなぁ」
ワイバーンをあらかた片付けた直後に放たれた、魔力の奔流。
それが剣によるものか、槍によるものか、弓によるものかもわからないが――――間違いなく、宝具の一撃。
威力と規模からするに、恐らくAランクを超える対城宝具。
大方、ワイバーンをけしかけて小手調べをし、当然相手にならぬと見て宝具を放ったのだろう。
あるいは立香たちがワイバーンの群れ相手に宝具を使うようであれば、より確実を期せる……と言ったところか。
「あれだけの遠間から大津波を見舞われては、我らでは手も足も出んか」
「義経様であれば確実に逃げおおせることもできましょうが……南無。拙僧も修行が足りぬということか」
「いや、あれは修行でどうにかなるレベルじゃないと思うよ……」
あれに抗し得るサーヴァントと言えば、同格以上の宝具を持つ者か……あるいは、七つの特異点を共に駆け抜けた聖杯の騎士ぐらいだろう。
もしもマシュ・キリエライトがこの場にいれば、正面からあの宝具を受けきることもできたのかもしれないが。
「……そして、カルデアとの連絡もつかず、と」
同じことを連想したのか、小次郎がぽつりと零す。
こういったことは何度かあったが、あの宝具の担い手から逃げおおせてなお通信が回復しないとなると、少々異常だ。
「相手方に高位の魔術師がいる、と考えてまず間違いないでしょうな」
「あの宝具の使い手と通信遮断の使い手が同一人物なら一騎……別々なら、少なくとも二騎が敵にいるってことだね」
「…………今でも通信が通じないとなると、あるいはこの特異点を掌握する何某か、かもしれん」
「聖杯の持主……あるいは魔神柱の依代ってこと?」
「あくまで可能性の話。魔術などは門外漢の、田舎侍の推論だ。あまり信用してくれるなよ、マスター?」
「……ううん、ありがとう、小次郎。参考にするよ」
仮にそうだとすれば、色々な説明もつく。
なぜレイシフト直後の立香たちの居場所がわかったのか、なぜ問答無用に立香たちを襲うのか、なぜ通信が完全に遮断されているのか……
……何らかの手段でこの亜種特異点を掌握する者であれば、全ての説明が可能だ。
無論、それは黒幕が“恐ろしく高度なレベルでこの特異点を支配している”ということの証明にもなる。
油断はできない。気を引き締めねばなるまい。
「差し当たって、俺たちの目標は……」
「通信は拙僧らにはどうともできません。それ故、まずは情報を集めるのが無難かと」
「より長い目で言うならば、件の襲撃者を斬る――――というのが目当てになるだろうよ」
「……そうだね。十中八九、あれは俺たちの敵だ。色々と事情を知ってる可能性も高い」
謎だらけの特異点。
未だ何の情報も手に入っていないに等しいが――――ある程度、方針は決まった。
行き違いの可能性もあるため、完全に敵と定めるには時期尚早、という思考を思考の片隅に置いておきつつ。
それでも、仮想敵とするには十分だろう。
となれば、今すぐ立香たちにできること、するべきことと言えば――――
「――――あとは、この御仁だな」
「うむ。敵ではないと思うのだが……」
――――――――光の奔流の前に飛び出し、立香たちを救った騎士の話だ。
「とりあえず、無事ではあるんだよね?」
「ええ。拙僧が軽く診たところ、単純に過度な消耗なようで。しばらく休めば、自ずと目覚めるでしょう」
三人の視線が一点に集まる。
その先にいるのは……当然、件の騎士だ。
突撃の直後に意識を失ったまま弁慶に担いで運ばれ、今こうして寝かされている。
濁流の主を仮想敵とするならば、こちらは仮想味方とでも呼ぶべきか。
立香たちに利する行為をしたサーヴァントであり、彼が目覚めれば掴める情報もあるかもしれない。
もちろん、単純に恩人を助けなければという気持ちもあったが……味方は大いに越したことはない。
「マスター。この御仁の真名に心当たりはあるか?」
小次郎の問いに、立香は注意深く騎士を観察する。
現状、彼から得られる情報はそう多くない。
外見を除けば、対城宝具とも拮抗する騎馬突撃を宝具とすること。
それから、その宝具の名が『騎士の勇気は風車を超えて(エル・インヘニオソ・カバレロ)』であるということ。
流石に、それだけの情報から真名に至るというのは……あるいは博識な後輩ならわかったのかもしれないが……難しい。
それでも注意深く観察してみれば、わかってくることもある。
静かに寝息を立てるその顔は、深く皴が刻まれている。髪も白髪であり、どうも老齢のようだ。
ふくよかな身を包む全身鎧は、しかしどこか安っぽい。
メッキめいているとでも言おうか、はりぼてのような印象を受けた。
……記憶を辿れば、彼の騎馬も奇妙だったような気がする。
妙にずんぐりむっくりとしていて、不細工な馬だった。
そう、対城宝具を打ち破るという偉業に比べ……異様なほどにこのサーヴァントは“弱そう”なのだ。
恐らく、英霊としての格はそう高くないだろう。
円卓に名を連ねる騎士たちには遠く及ばず、大帝シャルルマーニュに仕えたアストルフォの格にも届くまい。
最後に、彼の宝具名から、出身はスペイン語圏であることが推測される。
とはいえ現代でスペイン語が用いられるメキシコには、このような騎士はいないはずだ。
老齢で、弱そうな、スペイン人の、勇敢な騎士――――
「…………なんとなく、だけど」
藤丸立香は、さほど歴史や神話等の伝承に詳しいというわけではない。
有名どころ……例えば教科書にも載るカエサルやアレキサンダー大王、あるいは仏説十王経直談に語られる加藤段蔵のような……であればわかるが、その程度だ。
…………いや妙に知識が偏っているとダ・ヴィンチちゃんに呆れられたこともあったが、ともかくその程度だ。
しかしそんな立香でも、これらの特徴から思い当たる名がひとつあった。
もしかすると、この特徴に当てはまる騎士が他にいるのかもしれない。
それ故に、確信をもって言い切ることはできないが……
「もしかすると、この英霊は――――――――」
「――――――――見事だ、ミスター・リツカ」
「――――――――――――ッ!」
突然だった。
突如、気配もなく投げかけられた第三者の声。
小次郎が刀に手をかけ、弁慶が立香を庇うように素早く前に立つ。
……しかし、その声は――――どこか、聞き覚えのあるような。
「“見ることと観察することとでは大違い”――――君はそれがよくわかっている」
森の奥から、人影が姿を現す。
ブラウンカラーのコートを羽織り、深い藍色の髪を後ろに撫で付け、鹿撃ち帽(ディアストーカー)をかぶった男。
……パイプを吹かし、怜悧な瞳を静かに向けるその姿は、服装は多少異なるが、しかし間違いなく――――
「――――――――――――――――ホームズ!?」
「御名答!」
カルデアに身を寄せる世界一の詰問探偵、名探偵の代名詞、裁定者のサーヴァント――――シャーロック・ホームズ!
「おお、ホームズ殿! 何故ここに?」
弁慶の顔が安堵に綻ぶ。
が――――小次郎共々、警戒は緩めていない。
知った顔でも、無条件に信用することはできないというのが特異点の常だ。
サーヴァントなど、所詮は分霊。
異なるマスターに使役されれば容易に敵になり得、また性質の変質すら起こり得る。
他ならぬ弁慶が、第七特異点で賢王のサーヴァントとなっていたように……このホームズが、カルデアのホームズとは限らない。
「ふむ。警戒はもっともだ。私が諸君の立場でも疑うだろう。まぁ、私は大概のものはまず疑うのだが……」
故にか、ホームズも不用意に立香たちに近寄らない。
それは敵意の表れか、あるいは単に刺激を避けたか。
「とはいえ、私の目的のためにも諸君の信用は是非とも獲得したい。
そちらも情報が欲しいところだろう――――ひとまず、私の話を聞いてもらえるかね?」
涼しげに語るホームズに、立香は静かに首肯を返す。
ホームズは満足げに微笑み、パイプを吹かした。
「さて……誤解を恐れず率直に言えば、私は確かに君たちの知るシャーロック・ホームズではない。
この特異点に現界した、いわゆる“はぐれサーヴァント”だ」
「ほう、つまりマスターは存在しない、と?」
「いかにも。とはいえ、英霊の座を通してそちらの事情はある程度把握している」
先ほど触れたように、サーヴァントは分霊……英霊の座に登録された本体を劣化コピーさせ、召喚した存在だ。
それ故にサーヴァントの記憶や経験は本体には還元しない……のだが、記録としては還元される。
また、カルデアの召喚式はその特殊性により、別の場所でサーヴァントとして現界した時の記憶が残りやすいらしい。
例えばここにいる小次郎は、並行世界で聖杯戦争に召喚された時の記憶がいくらか残っているという。
「その辺りは、『シャーロック・ホームズ』という英霊の性質も関係しているだろう。
私は“知る者”――――そのことに特化した英霊なのだから」
「バリツは?」
「ははは、護身術だとも!」
条件次第で宝具級の威力を誇るというアレを護身術と言い張るのか。
まぁ、そういうところがホームズらしいのだが。
「ともあれ、現在の私はアーチャーの霊基によって現界している。
キャスター、ないしルーラーの霊基で現界しているカルデアのホームズとは、能力や外見が多少異なるはずだ。
……混同を避けるため、私のことは……そうだな。必要なら、『ブリタニアのホームズ』とでも呼んでくれたまえ」
「や、ややこしいなぁ」
ホームズ……彼の言葉に従うなら『ブリタニアのホームズ』が言う通り、彼の服装はカルデアのホームズとは多少異なっている。
カルデアのホームズのインバネスコートはブラウンではなく濃いグレーだし、鹿撃ち帽(ディアストーカー)もかぶっていない。
とはいえ鹿撃ち帽はホームズの代名詞とも言えるアイテムだ。なんとなく、こちらの方が馴染み深い。
「ええと、まぁとりあえず区別する必要のない時は普通にホームズって呼ぶけど――――」
「それも結構。呼称の簡略化も重要なことだ」
「……今ここに現れた、目的は?」
核心に至る問い。
名探偵はさして戸惑うでもなく、紫煙を吐いた。
「いくつかある。
だがそれについて説明するには、多くの前提を説明する必要がある。
その本題に入る前に、まずは……」
「……まずは?」
ごくり、と立香が唾を飲んだ。
ホームズの視線が、彼の下に向く。
「――――――――そこの彼を起こしてしまっても、構わないかね?」
視線の先で眠る騎士が、のそのそと寝返りを打った。
◆ ◆ ◆
結論から言えば騎士の覚醒は速やかに遂行された。
「医術の心得はある」と語るブリタニアのホームズが、速やかに処置を施したのだ。
といっても騎士の問題は極度の消耗であったため、気付け薬を投与する程度の話ではあったが。
「む、むむ……むむ?」
「やぁ、調子はどうですか」
騎士がゆっくりと身を起こし、目元を擦って何度か目をしばたたかせる。
それからきょろきょろと周囲を見渡し、立香、小次郎、弁慶、そしてすぐそばのホームズの姿を認めると、目を見開いて声を上げた。
「おお、名探偵殿! どうやら吾輩、しばしまどろみの中にあったようである!」
「ええ、そのようです。随分とお疲れだったようで」
「うむ、うむ! 邪悪の魔の手から、若き勇者たちを救うという難業を……おお、そうだ、そうだ!」
騎士が勢いよく立ち上がり、立香たちに向けて両手を広げて笑いかける。
「少年よ! おお、少年よ! どうやら、無事なようであるな!」
「うん、おかげさまで」
「うむ、うむ、うむ! 吾輩に感謝するがよい! 熟練の騎士にとって、若者の助けになることは誉れであるからして!」
「……随分陽気な方ですな」
半ば呆れる弁慶を尻目に老騎士は満足げに頷き、快活に笑いながらガンと自らの鎧の胸を叩いた。
「吾輩は“憂い顔の騎士”!
“ライオンの騎士”! “ラ・マンチャの男”! “アマディス・デ・ガウラの次に騎士道に忠実な男”!
――――――――ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャである! 『ブリタニアのドン・キホーテ』と呼ぶがよい!」
……その名は、先ほど立香が予想した通りのものだ。
ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ――――スペインの作家セルバンテスが記した、同名の“喜劇”の主人公。
騎士道に狂い、騎士などとうにいなくなった時代に、騎士を自称して各地を遍歴した狂気の老人。
直接その物語を読んだことがなくとも、“風車に向かって突撃する老騎士”ならば知っている者は多かろう。
風車を巨大な魔物と誤認し、無謀に突撃して跳ね返された喜劇の一幕。
故郷スペインでは広く愛され、国のあちこちに彼のモチーフを見ることができるという。
「……前々から思っていたのですが、それだと“ドン・キホーテ・デ・ブリターニャ”になってしまうのでは?」
「たわけ! 吾輩はラ・マンチャの男! しかし今回は、その物語がブリタニアで紡がれているというだけのことよ!」
「はは、これは失礼。確かに、サー・キホーテの言う通りです」
世界で最も有名な名探偵と、世界で最も有名な喜劇の主人公が、立香の目の前で会話をしている。
多くの英霊と関わり、この手の光景には慣れてきたとはいえ、それでも眩暈のするような状況だ。
「ふむ……ドン・キホーテ殿か」
「ああ、ドンは敬称だ。ドンか殿、どちらかだけが適切だよ」
「おっと、それは失敬。では、キホーテ殿」
「うむ」
ホームズに呼称を修正されつつ、話を切り出したのは小次郎だ。
既にいくらか殺気を抑えてはいるが、それでも優美に笑う彼の瞳は、鋭い。
「先ほど我らを救って頂いたことに関しては、感謝の言葉もない。
しかし、その理由がただ若者を助けたいが故……ということもあるまい。
どうもホームズ殿とは知古の様子。そこに理由があると見たが、如何に?」
そうだ。
ホームズとドン・キホーテは、明らかに知古として言葉をかわしている。
となれば、彼らは元々仲間関係にあったと見るのが妥当だろう。
「その疑問には、私が答えよう。先ほど中断した話の続きというわけだ」
小次郎の問いに、ホームズが一歩進み出る。
「我々は君たちを待っていた。この特異点を支配する、三つの陣営に対抗するために」
「三つの……陣営?」
ホームズが首肯した。
それこそまるで、事件の謎を詳らかにする名探偵のように。
「ブリテン島南部に位置するキャメロットに居を構える『金竜覇王』。
移動式の城塞によって縦横無尽に北部を支配する『蛇竜宮司』。
そして、二陣営の間で快楽を貪る『愛竜暴君』」
三本の指が、言葉と同時に立てられる。
竜の名を冠する、三様の支配者たち。
「この特異点は、これら三つの陣営によって支配され、そして彼らは覇を求め相争っている。
そのために民は虐げられ、戦場は拡大し、戦乱が島を包んでいる。
――――故に、私はこの“事件”をこう名付けた」
自然と、立香は拳を握っていた。
小次郎は冷たく口元を歪め、弁慶は真一文字に口を結ぶ。
それを見回すホームズは、神妙な顔つきで言葉を続けて。
「――――――――『三首竜王決戦ブリタニア』。それが、この特異点の名だ」
最終更新:2018年03月03日 03:26