第5節:赤い衝撃



「あー、混乱する」

休息所として勝手に利用させてもらっていた家からようやく出た途端にこう呟いたのは、他でもない立香であった。
無理もなかろう。黒幕の正体、セイバーの真名、それらに迫る話をしていたさなかに、佐々木小次郎が行方不明という報が上がったのだから。
とはいえ、だからといってここで歩みを止めていては解決する問題も解決しない。
故に立香は英霊と共に歩を進め続けるのだが、

「セイバーの真名が絞られたのはいいよ、凄い収穫だ。ただなぁ……やっぱりヨーゼフ・メンゲレ? あれが困る」

どうしても、愚痴だけは止められなかった。

『すまないね、立香君。やはり開示する情報量が多すぎたな。こちらも〝小出しに小出しに〟とは思ったんだが、いざ本番となると、口がね』
「いや、それはいいんだ。ただまぁ俺みたいな普通怪獣からしてみりゃ、メンゲレの話だけでもかなり頭を使っちゃう感じなんだよなぁ。
 だってのに、そこにきて今度は小次郎が行方不明とか……間が悪すぎるんだよ! 甘いもの欲しいなー! 飴ちゃん持ってくるべきだったー!」

立香は頭をがしがしと掻きながら、まだまだ口を開き続ける。

「そもそも〝行方不明〟っていうのが怖いんだよなぁ。なんかまた敵の術中にはまっちゃいましたって感じでさぁ。
 例えばほら、アガルタで〝登場人物の一人〟にされたりとか、平行世界で〝英霊剣豪〟にされたりとか……色々あったじゃん、色々と。
 ああ、オルレアンではバーサーク・サーヴァントってのもあったよなぁ。やっぱり霊基とか弄られて敵に回ってくんのかなぁ。あぁー、超不安」
『おいマスター。大将はうじうじすんなって言ったばかりだよな?』

するとトサカに来たのだろう。再びモードレッドが通信に乱入してきた。

「分かってるって、モードレッド。だけどやっぱ過去の事件が頭によぎるのだけは止められないっていう話でもあるわけよ、実際。
 だからむしろここは、何が来ても驚かないよう今までを振り返って今の内に愚痴ってストレス発散する、って手段に出た俺を褒めて欲しいね」
『相変わらず、口から生まれたみたいな奴だな、お前は……』
『ですがモードレッドさん。実際に先輩のメンタル値は安定してきています。手段はどうあれ、結果が出せるのなら……』
『あー、はいはい。分かった分かった。にしてもマジな話、よくこれで人理修復出来たもんだって改めて思うぜ』
「安心してくれモードレッド。割と自分でもそう思ってる」
『何一つ安心出来ねぇ……』

ともあれ、また本気で叱りに来たわけでもなかったのだろう。
彼女は大きな溜息をつくと、立香に『せめて戦うときくらいは格好良く立ってろよ。それが義務だ』と言い残し、再びマイクから離れていく。
だが立香はへこまない。むしろ愚痴ることに加え、こうした他愛のない会話を交わしたおかげで、かなり不安が取り除かれていると感じていた。
確かな手応えを感じ、最後に残ったひとしずく分の不安を吹き飛ばすようにその場で大きく伸びをすると、

「よっし、じゃあ……本格的に、世界を救うとするか!」

後ろを歩くケツァル・コアトルと燕青へと振り返り、先程まで纏っていたうじうじした雰囲気を脱ぎ捨てて高らかに言った。
ケツァル・コアトルは「ええ」と優しく答え、燕青は「その意気だ、マスター」と愉快げに口角を上げる。
怖れを全て取り除けたわけではない。だがしつこいようだが、ここで歩みを止めていてはどうにもならない。故に立香は進むのだ。

『しかし水を差すようですまないが、ここから動くとなるとどこへ向かうべきかが重要になってくるな』
「ああ、そこなんだよな」

だがここで、ダ・ヴィンチが口を開く。内容は至ってシンプルであり、なおかつ真っ先に考えるべきことであった。
そもそも立香達はまだ敵の根城を突き止めていないのだ。このまま適当に進んだところで、当然だが事態は進展しない。
故に、考える必要がある。読んで字の如く〝方向性〟をだ。

「ちなみにダ・ヴィンチちゃん、俺らってさ……今どこにいんの?」
『ああ、失念していたよ。君達の現在地はコロンビア。南米大陸の北部だな。加えてその町自体も、コロンビアの中でも北に位置している様だ』

立香の質問に、ダ・ヴィンチは素早く解答する。
するとここで燕青が「ほうほう、成程ねぇ」と、したり顔で話し始めた。

「マスター、姐さん。この大陸はかなり広い。にも関わらず、俺達は到着してすぐ……それこそまさに〝息つく間もなく〟戦う羽目になった。
 しかもあの武装した子ど……ホムンクルスだけじゃなく、二騎ものサーヴァントとも出会うおまけつきだ。これが何を意味するか、解るか?」

探偵の推理ショーじみた言葉に、立香は「いや……?」と顎に手を当てる。
一応、考えてはみるのだがさすがにすぐには思いつかない。結局、立香は両手を挙げて素直に「降参」と宣言した。
一方でケツァル・コアトルとダ・ヴィンチは察しが付いたようで、各々で〝なるほど〟という旨の相づちを打つ。
そうした光景を一通り眺めて満足したらしい燕青は、片手の人差し指を立てて「いいかぁ?」とウィンクすると、

「俺達は大陸の端っこにいる。それも北に位置する国の更に北部にだ。だってのに俺達はあろうことか〝サーヴァントと〟交戦した。
 サーヴァントは敵さんにとっては最高戦力であるはずだ。なのにそんな大事な連中が、なんと同時に二騎も出てきたっていうじゃないか!
 それならもう自然と相手の狙いは絞られる! そう、敵さんは〝戦力を北に集中させてる〟のさ。恐らくは北アメリカの占領を考えてな!」

実に大胆な話をぶちかましてきた。

「って、待て待て待て燕青。じゃあむしろ、ここが本拠地に近いから二騎もサーヴァントが来たって可能性も高いんじゃないか?
 しかも数が多いのはサーヴァントだけじゃない。ホムンクルスだってそうだった。まるで津波みたいに押し寄せてきてたじゃんか」

ほぼ反射的とも言える勢いで立香は反論する。

「確かにそう考えるのも悪くはないな。だがそうなると〝出てきたサーヴァントは二騎だった〟という事実が奇妙に映ってくる。
 ほぉら、考えてもみろよマスター。もしも俺達が本当に本拠地近くに来ちまってたとしたら、敵さんには戦力をケチる理由が全くない。
 梁山泊のやり方が異常だって言われりゃそれまでだが、少なくとも俺が敵さんの立場だったら、迷わず〝ありったけの戦力で潰す〟な!」

だが燕青の話は途切れなかった。

「ええ、燕青の言う通り! たった二騎……本拠地を護らせるために出撃させる数としては、あからさまに少なすぎマース!」
「更に付け加えようか。百歩譲ってあの二騎が〝俺達カルデア組に対する斥候だった〟と考えた場合、今度は新しい違和感が生まれてくる。
 もうマスターも気付いてるだろう。そう……ホムンクルスの数だ。斥候役として動かすにはあまりにも多すぎる。はっきり言ってお粗末だ」
「た、確かに……」
「だから俺達がやるべきことは〝南下〟だ。そうすればいずれ本拠地も見つかるだろうし、同時に敵さんは北米攻略を企む場合じゃなくなる。
 俺達が黒幕目指して移動するだけで、相手の予定が乱れちまうわけだな。そうなれば一石二鳥。この状況下では、かなり有効的だと思うがね」

それどころか説得力が増したと感じ、立香は圧倒されてしまう。

「故に我が主……どうか、ご検討いただければ」

そういうわけで、そのまま従者ムーヴに移った燕青に対し、立香は「じゃあそうしようか」と迷わず答えた。
だがそれは同時に、ある一つの悩み事を発生させる返事でもあった。
ずばり、移動手段である。

「でもどうするよ? さすがに南米大陸を徒歩で縦断コースだけはマジで勘弁したいんだけど?」
「あら? でも私、聞いたわよ。マスターは英霊達と共に、あの北米を横断して悪を討ったって!」
「あれは〝結果的にそうなっちゃった〟だけで、望んでやったわけじゃないんだよなぁ……」
「北米横断! ひえぇ、事実は小説よりもなんとやら、か」
「お前それ荊軻さんへの持ちネタだろ。雑に使うな雑に」

大きな溜息を零した立香は「まぁ、現代だから車くらいはありそうなのが救いか」と辺りへと視線を向ける。
だがすぐさま視界に自動車が入るほど、特異点は甘くない。

「仕方ない。探すか」
「だがマスター。見つかったとして、誰が運転するんだ?」
「何言ってんだ燕青。そこに騎乗スキルEX持ちの素敵なお姉さんがいるじゃんか」
「あぁ……でも姐さんの騎乗って言われると、リング上でカウント取ってもらうイメージしかないんだが」
「大丈夫よ、燕青。アーサー王がバイクに乗る時代だもの。だったら神様が車の一台や二台運転したところで何も問題ありまセーン!」
「理論武装してるぅ」

というわけで三人は、車探しのために町の中を注意深く徘徊するのであった。


◇     ◇     ◇


「マスター、姐さん、来てくれ! 良さそうなのが見つかったぞ!」
「マジで!? どれどれ……おぉー、燕青やるぅ!」
「だろぉ? あからさまに頑丈そうなのに加えて荷台付き。色も悪目立ちしない黒ときた。なかなかの上物だと思うがね?」
「ええ、いいわね。機構もシンプルそうだし、大陸縦断には丁度よさそう……だけど、鍵はあるのかしら?」
「ああ。車の近くに落ちてたからその心配はない……問題があるとすれば〝どうして近場に落ちてたのか〟ってところなんだが」
「……燕青。その鍵、差し込む部分の色が絵の具で塗ったみたいに赤黒いけど、人がいない町でそんなになってるってことは、つまり……」
「まぁ想像通りだろう。恐らく、こいつの元の持ち主が逃げようとしたところで運悪く敵さんが……」
「二人とも、それ以上の追求はやめましょう。解りきったことをわざわざ口にすることなんてないわ」
「……そうだな。悪かったよ、ケツァ姉」
「はい。じゃあそういうわけで……ごめんなさい、元の持ち主さん……車、お借りするわ。どうか私達を見守っていて……」

といった会話を交わしてケツァル・コアトルがハンドルを握ってから、どれほど時間が経っただろうか。
立香一行は燕青が提案した通り、ありがたくレンタルさせてもらった自動車で南下を続けていた。
運転席には勿論ケツァル・コアトルが、そして助手席には立香が座り、燕青は荷台で腰掛けたまま辺りを警戒している。
鍵の問題が解決した理由も〝アレ〟だったせいだろう。随分と重苦しい雰囲気が充ち満ちた移動だな、と立香は感じていた。
おかげで、視界に入っては消え去っていく建物に対しても何の感慨もわかない。

「誰かこの車のトリビア教えてくれー」

というわけで、精神的な負担を軽減するために立香はカルデアへと通信を飛ばした。
その声にすぐさま応えたのはマシュであった。

『先輩方が乗っている車についてですか?』
「まぁ、暇つぶしにな。トヨタのマークがあったから、作った会社はそりゃトヨタなんだろうなってのは解るんだけども」
『なるほど。退屈を吹き飛ばせるかどうかは、この私にかかっているわけですね……では……』
「え、もう語れんの? 早くね?」
『モニタリングしていますからね。移動手段に用いたもののデータも、念のため把握しておくのがスタッフの務めです』

毎度毎度凄ぇな……立香は素直に感心する。
そして頑丈そうなビルが視界を横切った直後、マシュによるトリビア披露タイムが始まった。

『まずその自動車の名は〝ハイラックス〟です。先輩が仰る通り、というよりもエンブレムが示す通り、トヨタ自動車が開発しました。
 名の由来は英語で〝高級な〟や〝優れた〟といった意味のHighに、更に〝贅沢な〟や〝豪華な〟という意味のLuxuryを合わせた造語です』
「ハイラックス……そんな名前だったのか、こいつ」
「あら、動物の名前じゃないのね?」

ケツァル・コアトルも雰囲気に耐えきれなかったのだろう。
彼女もマシュの話に相づちを打った。

『元々の設計思想が〝乗用車と肩を並べられる程の豪華なピックアップトラックを目指す〟というものでしたからね。
 ですがこのハイラックスを知った人々が注目したのは、豪華さだけではなく……燕青さんも仰っていた〝頑丈さ〟でした。
 道路事情の悪い発展途上国や、険しい道を進まざるを得ない趣味を持つ方々から歓迎されていた事実がそれを証明しています』
「へぇ。それじゃ燕青の見立ては間違ってなかったのか」
『また、BBCで放送されているイギリスの自動車番組〝Top Gear〟では、この車がどこまで頑丈なのかを試す回がありました。
 身体を張る実験車となったのは、イギリス向け仕様の四代目ハイラックスの中古車です。皆さんが乗ってらっしゃるものと近いですね。
 そんな中古車に対し、まずは〝階段を下らせて木に激突させる〟というジャブを放ったのを皮切りに、番組は悪ふざけを続けていきます。
 車体を海中に五時間沈め、解体用の鉄球をぶつけ、小屋に体当たりさせ、最後には高層ビルの屋上に放置し、そのビルを爆破解体させました』
「うっそだろオイ」

笑いをこらえきれないのか、ハンドルを握るケツァル・コアトルの両肩が震えている。
だがそんなことはお構いなしというように、マシュは言葉を続けた。

『結果、車がどうなったかというと……なんと、その場で基本的な工具による修理を行っただけでエンジンがかかりました!
 それどころか自走してスタジオに到着するという偉業までも達成し、出演者達から大きな拍手を受けるというおまけつきです!』
「マジかよ! 中古車でそれって……おいおい、どうなってんだこの車」
『ですがその頑丈さ故に、軍隊やテロリストに重宝される……という、いかんともしがたい問題も生まれてしまっています。
 事実〝チャド内戦〟ではハイラックスなどのピックアップトラックを、政府軍と反政府軍の両者が戦闘車両として改造し、争いました。
 そのため、チャド内戦には〝トヨタ戦争〟という、関係者の皆さんにとっては不愉快の極みであろう呼び名を付けられてしまっています』
「長所と短所は表裏一体、ってわけか」
『ええ。また、世を騒がせているイスラム過激派組織〝ISIS〟もハイラックスを使用していますね。
 その為、アメリカのテロ対策局が米国トヨタに対し、自動車の入手経路に関する説明を求めたこともあります』
「そりゃそうもなるか……まぁでも、そういう戦いで使われるほど丈夫な車を手に入れられたってわけだから、俺達は運がいいんだな」

突然真面目な話になったので、ケツァル・コアトルの肩の震えが止まる。
このままでは暗い話が続きそうだ。そう考えた立香は前向きに相づちを打つのだが、

『ええ。ですから道中は幾分か安心出来るとは思います……と、そういった具合でこの話は締めたかったのですが……』
「……マシュ?」
『敵性反応を多数確認……その内の一つはサーヴァントです!』
「なんだと!?」
「ああ、もう! 災難の連続ね!」

ケツァル・コアトルは急ブレーキで強引に車を停止させると、すぐさま外へと飛び出した。
続いて荷台から跳躍した燕青が車の真正面に着地して構えを取ると、立香も自分なりに辺りを警戒しながら助手席から降りる。

「敵性、って言ってたな……小次郎じゃありませんように小次郎じゃありませんように小次郎じゃありませんように小次郎じゃありませんように」

彼は念仏を唱えるかの如く、小次郎が敵として襲来する未来を勝手に想像して怖れるのだが、果たしてそれは杞憂であった。
ケツァル・コアトルが持つ豪華絢爛な盾が、迫り来る一本の矢を見事に防いだからである。
この時点で立香達は同時に「なるほど、アーチャー!」と叫ぶ。すると微かに「そうだよーっ」と返事が聞こえてきた。
高い声だ。恐らく相手は声変わり前の少年、またはいたいけな少女の姿をしているのだろう。

「バルベルデのアーチャー……とかでいいかな。うん、それでいいやっ」

やってきたのは前者であった。
例によって男女一組のホムンクルスを連れているが、アーチャーを名乗る少年の身長は彼らとそう変わらない。
遂にホムンクルスだけに留まらず、子どものサーヴァントまで登場ですかい……と、立香は辟易した。
だが気分を害されるのはここからだ。今度はアーチャーの背後から現れた複数のホムンクルスが、即座に立香達の周囲を取り囲んだ。
彼らの装備はマチェットに軽機関銃と、相変わらずの少年兵スタイルである。

「相変わらず、ゴージャスなお迎えだな……」

なお、二人一組のホムンクルスの方には動きがない。
装備こそ他と同じだが、セイバーとアヴェンジャーについていた者達と同じく〝マスター業に専念する〟腹づもりなのだろう。
どうもこの辺りの役割分担は徹底されているようだ。ならば、こちらもそうするだけである。

「燕青。長引くと面倒だ。マスターを処理しよう。いけるか?」
「当然いけるよぉ。そもそも、丁度そう進言しようと思ってたところだ」
「そうなると、私がマスターを護るわけね。解ったわ」
「ごめんな、ケツァ姉。またつらい思いをさせるけども……」
「またそんなことを言ってると、今度こそモードレッドに蹴られちゃうわよ」
「……だな。なら二人とも、頼んだ」

非常に簡易的かつ単純な作戦――作戦というにもお粗末な感はあるが――を立てた立香は、邪魔にならないよう立ち位置を修正する。
そうこうしている内に、ホムンクルス達はじりじりと距離を詰めだし、アーチャーは血液のように赤い弓を屋根の上で構える。
その所作はとても美しく見えた。いや……今回の場合、所作だけを褒めるのはとんでもない間違いだろう。
そもそもこのアーチャーの風貌自体が、とてつもなく美しいのだ。同じ男性から見ても〝素直に色気を感じる〟と立香が評価する程に、である。
褐色の髪は絹のようにさらさらだと遠目でも解るし、その青い瞳でじっと見つめられれば、うっかりすると釘付けにされてしまうかもしれない。
同性愛者じゃなかったはずなんだけどな……と、立香は心中で呟き自嘲した。戦闘中にこんなことを考えてしまう自分の救えなさも含めてだ。

「じゃあマスター、姐さん。お先ぃ」

などと考えている間に、まずは燕青が予定通りにアーチャーの背後に立つホムンクルスへと肉薄する。
どちらがマスターなのかは判別出来ていないが、あの燕青のことだ。目ざとく察知し、即座に処理するに違いない。
そうなると問題は立香自身とケツァル・コアトル、ということになる。
出来る限り受け身の態勢は避けたいところだが、それは諦めた方がいいだろう。
ケツァル・コアトルの心情を考えれば、後手に回ってしまうのは必至だろうからだ。

「……ごめんなさいね」

と思っていたが、ここで意外や意外……最も近くにいたホムンクルスに対し、ケツァル・コアトルは自分から間合いを詰めた。
そして相手を一撃で仕留めるやいなや、周囲の敵をも倒していったのだ。反撃させる暇も与えずに、である。
驚きのあまり硬直する立香だが、いかんいかんとすぐに正気に返る。戦闘中に呆けるなど、あってはならない。愚の骨頂だ。

「嬉しい誤算、ってやつか……」

誰の耳にも入らないよう、立香はぼそりと呟く。
まさかあのケツァル・コアトルが、自ら子どもを倒しにかかるとは思わなかった。
ここにきて完全に割り切った、ということなのだろうか?

「……いや、楽観視は危ないな」

しかしよくよく思い出してみれば、先程ケツァル・コアトルは突撃の際、ホムンクルスに〝ごめんなさいね〟と一言添えていた。
やはり何かしら無理はしているということなのだろう。割り切ったのではなく、深く考えないように努めているだけなのかもしれない。
だとしたら、長期戦は危険だ。このまま長引くとケツァル・コアトルのストレスは許容範囲を超え、いずれ思わぬ痛手をくらうことは必至である。
やはりマスターを狙う作戦は正解だったな……と、立香は声に出さずに心中で独りごち、燕青へと視線を向ける。

「成程ぉ。マスターなのは、そっちか!」

早くも燕青は狙うべき相手を見定めたらしい。彼は地を蹴って跳躍すると、アーチャーの後ろに控える少女へと迷わず肉薄した。
当然〝そうはさせない〟とでも言うようにアーチャーが割って入るが、接近戦の鬼である燕青の前ではまさに読んで字の如く無力。
燕青は屋根の上に辿り着いた瞬間に勢いを付けて回し蹴りを放ち、弓を構えようとしていたアーチャーをあっという間にダウンさせた。
そして得物に手を伸ばした少女の腕を力強く掴むと、

「劇終だ」

マチェットを奪い取り、そのまま彼女の首を切断した。

「そしてアンコールもさせない」

更に燕青は血に塗れたマチェットの刃先を、やっとこさ立ち上がったアーチャーに向ける。
クラススキル〝単独行動〟を警戒しての行動だろう。さすがは燕青、抜かりはない。

「さぁ死ね! 我が主のために! 太阳姐のために! 他でもない、この俺の手で!」

起き上がった相手に向かって、燕青は容赦も躊躇もなくマチェットを振りかぶった。
終わりだ。ケツァル・コアトルの守りが固いこともあって、立香は燕青の勝利を確信する。
ならば後は、うっかり自分が死なないように立ち回るだけのこと。
立香は自衛に集中するため、燕青から視線を外そうとした。
だが、その瞬間……彼は理解に苦しむ光景を目にすることとなる。

「……燕青?」

なんと、王手をかけていたはずの燕青が、何故か動きを止めてしまったのである。
まさか何かしらのスキルを打ち込まれたのでは……という不安が立香を襲う。
だが本当に訳が分からなくなる事態が発生するのはこれからだった。

「はぁ!?」

事態を目撃した立香は、まるで逆ギレでもしたかのようにガラの悪い声を上げてしまう。
だがこのような反応をしてしまうのも致し方ないだろう。
何故なら……あの燕青が〝アーチャーの回し蹴りをノーガードで受けてしまった〟のだから!

「おい、燕青! 燕青っ!?」

アーチャーが意趣返しを放ったのは、まだ理解出来る。
だが燕青が防御も回避も出来ずに攻撃を受け、挙句に〝建物を挟んだ向こう側へと吹き飛ばされる〟というのは、理解不能極まりなかった。
立香は「くそっ!」と叫ぶと、アーチャーを注視したままカルデアに通信を飛ばす。
隙が生まれるリスクは承知している。だがマシュやダ・ヴィンチにすがりたいという思いは止められなかったのだ。

「誰か答えてくれ! あの男の子、マジでアーチャーなのか!? あいつ嘘ついてねぇだろうな!?」
『先輩! 厄介なことに嘘はつかれてません! あの子はアーチャーのサーヴァントです!』
「燕青はどうなった!?」
『死んではいないが動きがない! 軽い脳震盪を起こしていると見た!』
「ああもう! 何が何だか!」

そして予想通り、事態は更に悪化していく。
一時的にでも邪魔者を消し去ったアーチャーが、立香に向けて弓を構えたのだ。

「……って、ちょっ、待て待てアーチャー! 一旦タイム!」
「ごめんね、それ無理っ! というわけで……」

否、ただ構えているだけではない。

「……宝具、発動」

アーチャーは、こちらを確実に仕留める気であった。
宝具の開帳を宣言した彼は、まずは矢を持たずに弦を弾く。
すると突如として、絵にも描けないほどに美しい真っ赤な花弁が無数に発生した。
色からして桜ではないものの……〝花吹雪〟と表現しても差し支えはしないだろう。
そんな美麗な花弁は小さな渦を描きながらアーチャーの手元へと集い、粘土のようにくっつき合ってゆく。
やがて完成したのは、先が尖った細長い棒状のもの。そう、真紅の矢であった。

「『血風を貴女に(セサス・アイマ・アネモス)』」

果たして宝具は、容赦なく放たれる。
本能的に死を察知したためか、立香は急激に時間の進みが遅くなる感覚に襲われた。
幾多もの花弁によって作り出された矢が、その身を散らしながら迫り来る。
当たったら死ぬのは確実なので、絶対に避けなくてはならない。頭では解っている。だが出来なかった。
当然だ。本当に時間の進みが遅くなったわけではないのだから。

「マスターっ!」

すると、全てを察したのであろうケツァル・コアトルが視界の外から現れ、立香の眼前に立ちはだかった。
花弁の矢はケツァル・コアトルの胸に突き刺さり、背中から顔を覗かせ……やがて矢の形を失うとただの花弁へと戻る。
おかげで立香は死ななかった。立香の命を断つかと思われた矢は、女神の身によって確かに阻まれたのだ。
だが、

「うん。やっぱり、お姉さんならそうするって思ったよっ!」
「……まさか」
「これで用心棒は全滅。キャスターさんが言ってた〝将を射んと欲すればうんぬんかんぬん〟は、大成功だね!」

ケツァル・コアトルを宝具で排除する。それこそが本当の目的だったらしい。
恐ろしきかな、バルベルデのアーチャー。立香達は見事、彼の掌の上で踊らされてしまったのだった。

「それじゃ、今度こそこれでお終い。入れ墨のお兄さんの言葉を借りるなら……」

今度はごく普通の矢を手にしたアーチャーが、構えていた弓を引き絞る。
それを見た立香は焦るあまりに、眼前でうつぶせに倒れているケツァル・コアトルの身を揺すった。
だが反応はない。彼女は虚ろな目を開いたまま、倒れ伏すのみだ。
奇妙なことにその身体には風穴が空いておらず、出血すらしていないというのに。

「げきしゅー、だねっ!」

立香が戸惑う中、勝利を確信したらしいアーチャーは無邪気な声音でそう宣言した。

「いいや、幕引きはさせん!」

するとその直後、アーチャーの背後へと跳躍した燕青が相手の顔面をぶん殴り、攻撃を中断させた!
まるで〝ヒーローは遅れてやってくる〟という法則をその身で示したかのようである。

「ぎゃあっ!」

回避に失敗したアーチャーは落下こそしなかったが、代わりに明後日の方向へと矢を飛ばしてしまう。
またも命を拾った立香は、燕青が無事だったこともあって「よっしゃ!」と喜びの声を上げた。
と、そこまではよかったのだが、再び立香の表情は曇る。またもケツァル・コアトルがやられている以上、未だに戦況は不安定なのだ。

「退くぞマスター!」
「だよな! 了解!」

燕青も同じことを考えていたようで、急いで撤退の準備を始めた。
まずはケツァル・コアトルが倒しきれなかった少年兵スタイルのホムンクルス達を処理するため、牙を剥く。
幸いにも敵の数は少なかったので、倒しきるまでさほど時間はかからなかった。

「マスター! 運転手はアンタだ!」
「マジで!? 無免許だぞ俺!」
「俺だって騎乗スキルないんだ! なら戦えない方が運転して、戦える方が追っ手を警戒するしかないだろう!?」
「ロジカルです!」

続いて燕青は意識不明のケツァル・コアトルを回収して跳躍し、車の荷台に乗るとすぐさま寝かせ、自身は戦闘態勢に入る。
こうなったらやぶれかぶれだ。立香は「揺れるぞ!」と言いながら運転席に滑り込み、刺さったままのキーを回す。
そして両親の見よう見まねでまずはバック走行にチャレンジ。見事に成功させると、そのまま勢いよくハンドルを切った。
すると荷台の最後部が建物にぶつかったらしい。宣言通り、車全体が大きく揺れた。

「どわっ!? 大丈夫か!?」
「俺も姐さんも心配ない!」
『それより急げ、立香君! 狙撃されるぞ!』
「ああ!」

不安に苛まれながらも、拙いなりに車の向きを変える。
これでようやく前を見て進めるようになったので、立香はギアを変えて思い切りアクセルを踏んだ。
オートマチック車だったのが幸いし、スピードは勝手に上がっていく。
しばらくしてからバックミラーへと視線を移すと、アーチャーは見えなくなっていた。
単に遠いから見えなくなったのか、それとも身を隠しつつ追ってきているのか、念のために確認を取る。当然、カルデアにだ。

「アーチャーはどうなった? こっちからは見えなくなったけど」
『先輩の進行方向とは真逆の方角に移動し、程なくしてロストしました。狙撃を諦め、撤退したと考えて間違いないでしょう』
「そっかぁ……解った。ありがとな」

答えを聞いて安心した立香は一旦ブレーキを踏んで停止させると、安堵の溜息をつきながらシートベルトを装着した。

「無免許運転に衝突事故、シートベルトは無着用……ああ、前科持ちになっちまった!」

そして嘆く。
大忙しだ。

『まぁ、不可抗力だ。見なかったことにしておくよ。そもそもサーヴァントだって無免許だしね』
「確かにそうだけどもよ……あーあ、俺も無頼漢デビューか……」
『だがマシュはちゃんと教習所に通いたまえよ?』
『はい、ダ・ヴィンチちゃん。平和を取り戻したら、そのときにでも……』
「あー、ところで二人とも。ここら辺に敵性反応ってある?」
『ないね』
「了解」

ダ・ヴィンチの返答に感謝し、立香は再びアクセルを踏む。
そして「燕青。ちょっと向こうに丈夫そうなビルがあるよな? あそこに停めるぞ」と言いながら速度を上げた。
唐突な提案だったが、燕青は気にしていない様子で「あぁ、それは助かる」と返答すると、

「積もる話もあるからな」

と、極めて真剣な声音で付け加えた。

「……やっぱりな」

立香も、短く答える。
相手を責めるつもりは毛頭無いのだが、自然と声は低くなっていた。


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第4節:りつかクンは助けられてしまった! 南米瞋恚大戦 ダス・ドゥリッテス・ライヒ 第6節:欧州より愛を込めて

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最終更新:2018年12月07日 22:32