【1】
立香の予想に反し、出てきた食事は中々に豪勢なものだった。
何しろこの世紀末めいた環境に加え、こんな小さな小屋なのだだ。
大したものは出てこないだろうと高を括っていたが、その認識は大きな間違いだったらしい。
「私は絵に描いたものを具現化できるからね!食料を生み出す事くらい簡単なのさ」
「形はヘンテコだったけどね……」
豪語するキャスターに対し、苦笑いを浮かべるブーディカ。
立香には彼女の表情の訳が、容易く理解できてしまった。
かのパブロ・ピカソが描いた以上、その絵はキュピズムに則って描かれたものなのだろう。
だとすれば、食材の大抵が歪な形になっていても、何らおかしな話ではない。
「ピカソ殿、あの子は呼ばなくてもいいのですか?」
「あの娘にはまだ休んでもらおう。何しろ色々と話すからね、色々と」
食事の準備の合間に牛若丸から聞いたのだが、此処には一般人の少女が保護されているらしい。
あの惨状からよくこれまで生き延びてくれたと、話を聞いて安堵したものだ。
純水無垢な子供が生きていてくれた事が、今の立香には救いであった。
「ではピカソ氏、我々を此処に招き入れた真意を聞こうか」
食器に手すら付けずに、ジェロニモがそう問うた。
目の前の少年を、彼が未だ信用していない証拠であった。
一方のピカソはといえば、既にフォークでサラダを突いている。
「簡単な依頼さ。あの万博に飾られた絵画を破壊してもらいたいんだ」
「……絵画だと?」
「そう、私が描いた……"描いてしまった"ものさ」
ピカソの語調が、急に暗くなり始める。
これから後ろめたい秘密を話すのが、ありありと見て取れた。
感情が表に出やすいタイプなのだろうと、立香は察するのであった。
「万博ってあの大きな施設の事だよね。どうしてそんな場所に君の絵が?」
「ふむ、やはり過去に奴等と繋がりがあるそうだな。洗いざらい話してもらおうか」
神妙そうな顔つきのピカソに、顔を強張らせるジェロニモ。
ブーディカや立香、牛若丸も食事の手を止め、彼等の様子を見守っている。
空気が張り詰めていく中、ピカソが己の過去を語り始めた。
「そうだ。私はかつて奴等に協力していた。"万博のキャスター"としてね」
「……つまり貴様は、この虐殺に加担していたと?」
「違うッ!こんな事が起こってるなんて知らなかったッ!」
突き刺さるような牛若丸の視線を浴び、ピカソは思わず声を荒げた。
丁度彼女の隣に座っていた立香は、「落ち着いて」と彼女を宥める。
立香自身、牛若丸の気持ちは十分に理解できたが、ここはピカソの話を聞くべきだと判断したのだ。
「私は召喚されて以来、ずっとあの万博の中で絵を描かされていた。
とあるテーマに沿った絵画を描けと、少女のサーヴァントに命じられてたんだ」
「……少女のサーヴァントって?」
ここで立香とジェロニモは、少女のサーヴァントの存在を初めて知る事となる。
ブーディカや牛若丸も、どうやらその存在には覚えがない様子だった。
「万博のサーヴァント達のリーダー格、それが彼女……万博のアヴェンジャーさ。
彼女の下には直属の部下がいる。セイバー、バーサーカー、そしてライダーの三騎だ」
「ライダーもいるのか?それは初耳だな」
「ああ。これは私の見立てだが、あの兵隊や疫病は恐らくライダーの仕業だ」
それを聞いたジェロニモは、しばし考えこむような態度を取った後、「そうか」と一言呟いた。
まるで、受け入れがたい事象を無理やり呑み込もうとしている、そんな風に見えた。
「その反応からして、既にセイバーやバーサーカーには会ったようだね」
「ああ、俺が憎くて憎くて堪らない……そんな感じだった」
「あの鬼の様なバーサーカーも、私を深く恨んでいる様子でしたね」
立香は牛若丸の言葉で、バーサーカーもまた日本人を恨んでいる事を察する。
セイバーとバーサーカーのこの一致が、ただの偶然だとは思えなかった。
「まさか、アヴェンジャーやライダーも?」
「ライダーは知らないが、アヴェンジャーも彼等と同じさ。
彼等は日本人を憎んでいる。憎くて憎くて堪らないんだ」
やはりかと、立香は自分が立てた仮説の正しさを確信した。
今万博を支配しているサーヴァントは、日本人への憎悪が共通点となっている。
であれば、ここまで日本を荒廃させたのにも納得がいってしまう。
「……知ってるかい?人は何かを憎みすぎると、それがその人にとっての"全て"になるんだ。
許せないから憎んでた筈が、憎みたいから許せなくなる。憎しみが存在理由になってしまうんだ」
それを聞いた立香は、ジェロニモとの会話を思い出した。
「恨みとは恐ろしく強い力であり、己をも焼き尽くす諸刃の刃」だったか。
万博のサーヴァント達は、まさしく「己をも焼き尽くした」存在なのだろう。
「彼等はそういうモノになってしまったんだ。
憎悪で自分の全てを燃やし尽くして、それでもなお飽き足らずに燃え続ける。
怒りの理由さえ忘れて、ただ荒れ狂う暴力装置になり果ててしまった存在だ」
きっとセイバー達は、自分の中にある怒りをコントロール出来ないのだろう。
だから彼等は、剥き出しの憤怒を他者にぶつけてしまえるのだ。
そうしなければ、きっと溢れ出る感情で狂ってしまうのだろう。
「君達は憎しみを乗り越えたが、彼等はそうはなれなかった。
ただ弱かっただけなんだ。自分の過去を呑み込める程、強くあれなかった」
ブーディカも、牛若丸も、そしてジェロニモも。
今この場にいる三騎は、いずれも迫害を受けた経験があった。
けれども彼等は、誰も憎む事無く正しい英霊として生きている。
それはこの三人が、憎しみを押さえつける程の"何か"を有していたからだ。
バーサーカーやセイバーは、その"何か"を持っていなかったのだろう。
それが愚かだとは思えないかった。むしろ二人の方が真っ当な気さえしてくる。
誰もが憎しみを克服できる程、人とは強い生き物ではないのだから。
「……話の途中いいかな。君はどうやって万博から逃げてきたの?」
重苦しい空気を裂いたのは、ブーディカの質問だった。
確かに、少年一人で四騎ものサーヴァントの追跡から逃げれると思えない。
果たして彼は、如何様にして此処まで逃げてきたのだろうか。
「仲間がいたんだ。逃げるのに協力してくれるサーヴァントがね」
「同胞が他にもいたのですね。ではその仲間は何処に?」
「……もういないよ。私を逃す為に、足止めを買って出たんだ」
先程より更に意気消沈した様子で、ピカソが答えた。
よくよく考えれば、仲間がいるなら普通此処にいる筈である。
この場所にいないという事は、つまりそういう事なのだ。
野暮な質問だったと、ブーディカは申し訳なさそうな表情をした。
「元より、外の異変を私に知らせてくれたのも彼でね。
彼女がいなければ、きっと私は何も知らぬまま絵を描き上げていただろうね」
「あの、その絵画が完成したら、どうなるんですか?」
立香には、絵画の事がどうしても気掛かりだった。
ピカソの絵が異能を有する事は知っているが、それと何か関係あるのだろうか。
「確かにそうだ、それを説明しなければね。
先に言った通り、私はあるテーマに沿った絵画を言われるがままに描いていた。
愚かな話さ、あの時は意欲の方が優ってて、自分の蛮行が何を齎すかさえ気付けなかった」
芸術かといものは、得てしてそういうものなのだろうか。
立香が思い浮かべたのは、同じ芸術家であったダ・ヴィンチちゃんであった。
そういえば、カルデアの通信は未だに回復の兆しを見せていない。
そろそろ彼女やマシュに、自分の無事を知らせてあげたいところなのだが。
「それで、その絵画というのはどんなものだったのかね?」
「"凄惨な虐殺"をテーマにしたものでね。タイトルも最初から決められていた」
しばし間を置いた後、ピカソの口が開かれる。
「その絵画の名は……"人理焼却式"」
そのタイトルを聞いた途端、誰もが絶句するしかなかった。
人理焼却式――それは、かの魔神王ゲーティアの二つであった。
あの恐るべき人類悪の名を冠した絵画が、今この世界に生まれようとしている。
「人理焼却式……!?という事は、此処にも魔神柱が……!?」
「その様子からすると、やはり何か知っているようだね」
「知っているも何も、私達が追っている敵の生き残りでね。まさか此処でその名を聞こうとは……」
アンドラスの様な亡霊か、バアルやフェニクスの様な生き残りかは定かではない。
だが少なくとも、この特異点に魔神柱が関わっている事は確定的なのだ。
こうなってくると、より早く事態の解決に乗り出す必要が出てくる。
「何故その様な絵画をわざわざ敵陣に……自分で破壊する事は出来なかったのですか?」
「それは……その……すまない。壊す直前に絵を持っていかれてしまったんだ」
「そちらの目論見が読まれていたと?」
「そういう事になる。アヴェンジャーはどうやら、ここ一帯の様子を把握できるらしいんだ」
不満げな牛若丸の質問に、これまた申し訳なさそうな顔をするピカソ。
今やその顔からは、出会った当初の陽気さは消え失せていた。
「把握できるって……それじゃあ此処もマズいんじゃないの?」
「心配に及ばない、上手くカモフラージュしておいたからね。此処での話までは、奴等も耳に入れる事は出来ない筈だ」
立香達にとって、アヴェンジャーの能力の話は初耳であった。
となると、これまでの動向も彼等は把握されていたという事になる。
ピカソと出会ってなければ、今頃更に状況が悪化していたかもしれない。
そう考えると、立香は胸を撫で下ろす他ないのであった。
「……あの絵が完成したが最後、何が起こるか分からない。
最悪、不十分な今の状態でさえ効力を発揮する可能性すらある。
手前勝手ですまないが、頼むみんな、あの絵を何としてでも破壊してくれ!」
ピカソはそう言って、深々と頭を下げた。
それを見たブーディカが、動揺しながら「頭を上げて」と宥め始める。
そんな風に依頼しなくても、立香達はピカソの要求は呑むつもりだったからだ。
「俺達の目的はこの特異点の修正です。
そして多分、その絵画とこの異変には何か密接な関わりがある。
魔神柱の目論見は分かりませんが、元より見つけ次第破壊するつもりです」
「……ありがとう、ランサーの言う通りだ。君達は信頼に値するよ」
ここでようやく、重苦しかったピカソの表情が柔くなった。
ランサーというのは、恐らく彼の逃走を助けた仲間なのだろう。
この口ぶりでは、その人物から彼はカルデアの事を聞いたと判断できる。
一体何者なのかは最期まで分からなかったが、感謝しなければならないだろう。
「となると、目下の目標は絵画の破壊になるな」
「主殿、今から向かいますか?この牛若丸、命令とあらばすぐにでも討ち入って――」
その時、もう一ついいかなと、ピカソが声をあげる。
まさかまだ何かあるのかと、空間に緊張が走った。
「……その食事、食べないのかい?」
言われてみれば、そうであった。
立香が作り主のブーディカの方に目を向けてみると、彼女は苦笑いを浮かべている。
これは申し訳ない事をしたと、今度は彼が反省する番であった。
最終更新:2017年12月01日 21:50