第四節:『告白』(2)

【1】


 時間は遡る。立香達がこの地を訪れる前の段階に。

 万博のキャスターは逃げていた。
 同行するランサーと共に、迫りくる追手を振り払わんとしていた。
 自身の魔術で作った歪な形の馬に乗って、街を駆けていたのである。

 彼等を追跡するのは、これまた駿馬に乗った兵士達である。
 ライダーが召喚した征服者達であり、同時に虐殺者の軍勢だ。
 そしてその最前列には、かのバーサーカーの姿があった。

 ランサーに連れられる形で、キャスターはかの集団から逃走している。
 ここで追いつかれれば、彼共々何をされるか分かったものではない。

「不味いぞランサー君!このままでは追いつかれる!」
「確かにそのようですな!いやはやまさしく絶体絶命!」

 今はまだ距離が離れているものの、速度は相手の方が上回っている。
 このままでは、追いつかれるのも時間の問題だろう。
 この状況をどう切り抜けるべきか――キャスターの額に汗がにじむ。

「キャスター殿!こうなれば最早奥の手を使う他なかろう!」
「奥の手!?そんなものがあったのなら早く言ってくれないかな!?」

 今まさに迫りくる危機に対処するには、その奥の手とやらに頼るしかない。
 キャスターはランサーの背中越しに、それが何なのかを問い質す。
 それに対して、質問を受けた彼はというと、そう焦るなと言わんばかりに笑って、

「うむ!ならば拙僧が足止めを買ってでよう!その隙に貴方が逃げるのです!」
「なっ――――!?」

 ランサーの奥の手を知り、キャスターはただ愕然となるしかなかった。
 それはつまり、ランサーが追手に特攻する事を意味していた。
 確かにそれならば、キャスター独りだけなら生き残れるだろう。
 だがしかし、残されたランサーに、生還の保障などどこにもなかった。

「それのどこが奥の手だッ!?そんな真似をすれば、君は……!」
「……死ぬでしょうな、恐らくは」

 それが当然だと言わんばかりに、ランサーは答えてみせた。
 バーサーカーが強敵である事は、見た目だけでも理解できる。
 その上、騒ぎを聞きつけて他のサーヴァントまで現れる可能性さえある。
 それを鑑みれば、ランサーが生き残る確率は無いに等しかった。

「しかし仕方なき事なのです。拙僧は今日に至るまで非道に目を背けた身。
 この罪を清めようものなら……それは最早、死出の旅に至る他ありますまい」

 ランサー、真名を武蔵坊弁慶。
 キャスターに外の世界の惨状を伝え、脱出に導いてくれた立役者。
 彼はきっとこの日の為に、虐殺を見て見ぬ振りしてきたのだろう。
 こうして反逆の狼煙を上げる日まで、彼は歯を食いしばって耐えていたのだ。
 同じ民族が為す術なく虐殺されるという、堪え難き非道を。

「……強がりだ。だって……だって君は……震えてるじゃないか……」

 そう、キャスターの言葉通り、ランサーの身体は震えていた。
 死ぬと分かって戦いに挑む事に、恐怖を覚えている証拠だった。
 精いっぱい去勢を張っているだけで、本当は生きたくて仕方ないのだろう。

「なら私が囮になる!そうすればせめて君だけは……」
「それは無理な相談というもの。拙僧の行いを徒労に終わってしまうではありませぬか」

 いつになく真剣な表情のランサーの声色を聞いて、キャスターは押し黙った。
 此処で自分が捨て鉢になれば、彼の行動が何の意味も成さなくなってしまう。

「……理解なされよ。このままでは八方塞がりである事に。
 一抹の希望を掴む為には、最早こうする他ないのです」

 キャスターにだってそれは解っている、このままでは二人とも死ぬ事に。
 この状況を打破するには、どちらか片方が囮になる他無い。
 彼には、死にに行こうとするランサーを、止める事が出来なかった。

「……すまない、私のせいで、君が犠牲に……」
「気に病む必要はありませぬ、これは拙僧が己の意思で行ったまでの事であるが故」

 そう言って、ランサーは口元を緩めてみせた。
 こうして笑うのも、キャスターの嘆きを和らげたいが故に行動か。
 否、きっとそれは、無謀に挑む自分自身を鼓舞したいが為なのだろう。

「奴等はこう話しておりました!『カルデアからの刺客に警戒せよ』と!
 恐らくはそのカルデアこそが希望となる筈、彼等を探し出し、力になってくだされッ!」

 近々やって来るであろう"カルデアからの刺客"が鍵となる。
 カルデアとやらの詳細は分からないが、それが敵にとっての脅威となる事は間違いないのだろう。
 ランサーからの最期の伝言を、キャスターは一字一句記憶した。

「ではキャスター殿――――おさらばッ!」

 その言葉を最期に、ランサーは馬から飛び降りた。
 彼の気配が急激に遠のいていき、やがて消えていく。
 キャスターはそれを、悔しさを噛み締めた表情で感じ取る事しか出来なかった。

 かくして、キャスターは生き延びる事に成功するのであった。
 ランサーという恩人の犠牲を払い、彼は東京の街で生きているのである。


【2】


 少女が次に目を覚ました時、隣には子供の姿があった。
 机にはまだ冷め切ってない食事が置かれており、それが少女の為に盛られたものだと分かる。
 彼女の目覚めに気付いたのか、ピカソは少しばかり微笑んでみせた。

「目が覚めたかい?」

 優し気なピカソの言葉に対し、少女は小さく頷いた。
 少女はまだ彼を詳しく知らないが、それでも味方である事は理解していた。

「君の分のご飯も用意してる、食べるといい」
「……いらない」

 鼻腔を擽る食事の匂いは、普通なら存分に少女の食欲を掻き立てるものだろう。
 けれど今の彼女は、その程度で腹の音を鳴らすような状態ではなかった。
 最愛の人を喪った嘆きの方が、食欲を遥かに上回っているのである。

「まあ、無理に食べろとは言わないさ。冷えててもきっと美味しいだろうからね」

 ピカソは少女の素っ気ない対応に、怒る気配も見せなかった。
 一方の少女は、顔を伏せたまま一言を声を発しようとはしない。
 少しばかりの沈黙が場を包んだ後、

「夢をね、見たの」
「……夢?」
「お母さんやお父さん達と、一緒に遊ぶ夢」

 それから、少女は自分が見た幸福な夢の話を始めた。
 それは何てことのない、かつて彼女が過ごした日常の風景だった。
 本来であれば侵される事のなかった、幸福な日々の一ページ。
 かの征服者に奪い取られた、かけがえの無い生活の物語。

「お母さんもお父さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、みんな死んじゃった。もう、私だけしかいないの」
「…………」
「私しかいないの、私だけ、独りぼっちで……」

 幼い少女の瞳から、また涙が零れ始める。
 彼女は既に、囚われた母親の死を半ば確信していた。
 征服者達の度を越した残虐さは、十分すぎるくらい理解できている。
 あの様な悪鬼に捕まれば最後、もう生きて帰ってはこれないだろう。
 そういった絶望が、少女に暗い影を落としていたのだ。

 すすり泣く少女の姿を目にして、ピカソの表情が曇る。
 ほんの僅かな期間で一家を喪うなど、年端もいかない少女が背負うには重すぎる不幸だ。
 何の咎も無く、誰の怒りも買わなかった彼女が、どうして苦しまなければならないのか。
 ピカソは意を決した表情に切り替えて、

「……生きてるよ」
「え?」
「君のお母さんは、きっと生きてる」

 あんまりに予想外な発言だったので、少女は一瞬呆気に取られてしまった。

「あの万博にいる連中はね、時たま捕虜として人間を連れて帰る事があるんだ。
 もしかしたら、君のお母さんも万博の中で囚われの身になってるかもしれない」

 決してでまかせなどではなく、これはれっきとした事実であった。
 理由は定かではないが、征服者達は時折民衆を生け捕りにする事があるのだ。
 使い魔を利用して得た情報だ、間違いないと断言してもいい。

「……本当?」
「勿論!君みたいないい子のお母さんだ、奴等も気に入って連れて帰ってるだろうさ」

 こればっかりは、絶対であるとは言い切れなかった。
 彼等が一体どういう基準で捕虜を選んでいるのかなど、まるで分からないのだ。
 既に母親が殺されている可能性だって、大いにあり得るのである。
 それでもピカソは、少女に母親の生存を約束した。

「これから、あのお兄さんやお姉さん達と一緒にお母さんを助けに行くんだ。
 約束しよう、お母さんと君を、もう一度会わせてあげるとね」

 言うなればそれは、ピカソの優しい嘘だった。
 今の彼女には、例え偽りでも希望が必要だと判断したのである。
 何より、このまま子供が絶望する様を見続けるのは、彼自身御免だった。

 ピカソの言葉を聞き入れた少女は、懐からペンデュラムを取り出した。
 そして、それを彼の前に差し出してこう言った。

「……これ、使って」
「それ、大事なものなんじゃないのかい?」
「うん、でも、きっとお母さんと会わせてくれるから」

 母親とお揃いのそれは、少女にとって宝物であった筈だ。
 それを渡してくれるという事は、彼女なりにピカソを信じているという事なのだろう。
 彼はペンデュラムを差し出す少女の手を握って、

「分かった、大切に扱わせてもらうよ」

 ピカソはにっこりと微笑みながら、少女の宝物を受け取った。
 そうして同時に、彼は強く決意するのである。
 もし母親が生きているのなら、必ず救出してみせる事。
 そして、もし亡くなっていたとしても、生きた証を一つでも多く回収する事を。

 ペンデュラムを受け取るやいなや、少女の腹から音が鳴った。
 所謂腹の虫が鳴るというやつで、要は空腹の合図であった。

「……やっぱり、ご飯食べる」
「ははっ、それがいいよ。落ち込んだら美味しいものを食べるのが一番さ」

 そう言いながらピカソが席を立ち、食事が乗せられたお盆を運ぼうとする。
 ブーディカが作ったこれらは、どれもが舌鼓を打つ代物であった。
 きっと少女も気に入ってくれるだろう、彼女も笑顔を取り戻してくれる筈だ。
 子供の笑顔を想像しながら、彼はテーブルにあったお盆に手をかけ――。






「『新天地征服舶(サンタマリア・ドロップアンカー)』」







 刹那、轟音と共に壁が粉砕される。
 壁を破壊したのは幾つもの錨だ。鎖に繋がれたそれらが、部屋の壁を破壊したのである。
 そしてそれと同時に射出された鎖が、ピカソの身体を絡め取った。
 助けを呼ぶ暇も、ましてや抵抗する暇さえ与えられる事は無い。
 鎖は彼を家の外に引き摺りだし、錨の主の元へと運んでいく。

 それは"船"だ。宙に浮かぶ帆船が、錨を発射したのである。
 ライダーの宝具にして、大西洋横断航海で活躍した三つの船の一つ。
 "サンタ・マリア号"が、ピカソの住処を襲撃したのである。





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最終更新:2018年02月16日 18:42