「燕青。外の様子は?」
「静かなもんだ。態勢を立て直してる最中、ってところかねぇ」
「敵性反応は?」
『確認出来ません。嵐の前の静けさ、でしょうか?』
立香は未だ目覚めぬケツァル・コアトルを眺めながら訊ねた。
現在彼らは、バルベルデのサーヴァント達に次々と遭遇したのが嘘だったかのように、不気味なほどの静けさに包まれていた。
それを素直に〝変だ〟と感じた立香は、ナーバス気味ではないかと指摘されるのを覚悟で、今までよりも警戒心を強めているのだ。
「モードレッド、ノッブ、ジェロニモさん。もしも皆がバルベルデ側だったら、ここからどう動く?」
『オレだったら……速度重視だな。アドニスとやらの宝具が当たったことは伝わってるだろうし、お前を見つけ次第すぐに奇襲をする。
あ、でもダ・ヴィンチやマシュがレーダー役になってるんだよな……そうなると、癪だがアサシンと組まなきゃな。そんで一緒に奇襲だ』
『儂なら軍勢を率いて仕掛けるぞ。たとえ見つかっても視覚的に圧力をかけられるしのう。やはり〝戦争〟ならば兵の数も重要よ。
生前予定しておった四国攻めでもそうするつもりじゃったしな。といっても、その直前に本能寺でバーニングしちゃったんじゃけどネ!』
『私ならばその折衷案を取る。即ち、ある程度の数を率いての電撃戦だ。とはいえ〝敵〟が元のコンディションを取り戻した可能性もある。
故に、電撃戦を行うまでは長く時間を取る。敢えて侮らせるのだ。無論、ただ無為に過ごすのではなく、待機中には情報収集に徹するとも』
「性格出てんなぁ……ちなみに燕青だったら?」
「俺なら、潜入して一人ぶっ殺したら即撤退……かなぁ。あまり欲張るといいことはない。それは生前に充分学んだんでね」
なるほどねぇ……と、立香は全員の意見に感心した。
本当ならばそれらの意見を取り入れ、辺りに敵の気配がないかと睨みを利かせたいところなのだが、生憎と立香は限りなく一般人に近い存在。
魔術師ではあっても実力など下の下なので、精密な気配探知など〝よっしゃやったろ〟と決めたところで実行するのは不可能なのだ
結局は、カルデアのスタッフと燕青に――そして目覚めてさえいればケツァル・コアトルにも――頼らねば、満足に逃亡も出来ないのである。
なんという歯がゆさか。自然と立香は大きな溜息をもらす。そういえば、この地に立ってからはずっと溜息ばかりついている気がする。
もう何度目になるだろうか。いっそ数えてみるか? 立香は自嘲が込められた笑みを浮かべて〝指で数えてみるか〟と開いた掌に視線を移した。
「こんにちはぁ~! カルデアの英霊さん達とマスターさんはいますかぁ?」
するとその瞬間、間延びした声が耳に届く。
はっとして立ち上がった立香は、一度燕青と目を合わせると、声の主がいるであろう方角を睨み付けた。
「あ~、いたぁ。もぉ~、居留守なんて傷ついちゃうからやめてよぉ」
視界に入ってきたのは、紅色のドレスを身に纏った乙女であった。
金色に輝くふわふわの癖毛は腰辺りにまで伸びており、その瞳は燕青と同じ翡翠色だ。
「……主」
「解ってる。明らかにヤバい」
そこまではいい。だが問題はここからだ。
どういうわけだか彼女は〝その細腕では持てないだろ〟と指摘したくなるほどの長さを誇る大剣を、さも当然の様に持っているのだ。
その剣に薔薇を模した意匠が細部に施されているのを見て〝すごーい〟などと考えている暇などない。はっきり言って、異常の極みである。
そして彼女の背後には……やはり男女一対の少年少女ホムンクルスが立っている。
つまり、目の前にいるのは間違いなくバルベルデのサーヴァントだ。
「えっとぉ、初めまして~。わたしはねぇ、バーサーカーなんだってぇ。一生懸命頑張ってまぁす。よろしくねぇ~」
しかも昨今のトレンドらしい喋るバーサーカーと来た。
だというのに、
「マシュ……もう一回確認するけど、本当に機材は故障してないんだよな?」
『はい。先輩達のバイタルチェックや存在証明、レイシフト先の様子の記録など、全てが正常に稼働しています……!』
だというのに、
「いつも通り、ねぇ。だったら……どうして〝バーサーカーを全く感知出来なかった〟んだ?」
何故、眼前のサーヴァントは〝カルデアの監視をかいくぐって堂々と姿を現せた〟のか。
あまりにも理解の及ばぬ現象を前にして、冷汗が立香の頬を通り過ぎる。
『全く解らん! まさか暴れてなんぼの狂戦士でありながら、高ランクの〝気配遮断スキル〟を所持しているとでもいうのか!?』
「マスター……俺も本人から声をかけられるまで、あの女どころかホムンクルスの気配さえ察知出来なかった。何かカラクリがあるぞ」
「もぉ~、挨拶したのに無視しないでよぉ。そういうの、嫌ぁい」
一方のバーサーカーは、ぷくっと頬を膨らませると、ゆっくりと大剣を構えた。
そして「ちゃんとご挨拶しなきゃ、お母様に怒られちゃうんだからねぇ?」と言うやいなや、
『二人とも! 今更ですまないが敵性反応を感知したぞ! やはり故障はしていない!』
「了解、ダ・ヴィンチちゃん!そういうところは〝気配遮断〟と変わりないんだな!」
彼女は大きく振りかぶった態勢のまま、立香の目の前へと走ってきた。
「マスター! そのまま動くな! じっとしてろ!」
「えっ!? あっ、おう!」
そして立香が、燕青の手で強引にしゃがみこむ様な姿勢を取らされると同時に、
「そぉ~れぇ~」
バーサーカーは、間の抜けたかけ声を発して大剣を横薙ぎに振るった。
つい先程まで立香の首があった位置を、幅の広い刃が通り過ぎていく。
燕青に助けられていなかったら、今頃立香の頭と身体は永遠にお別れしていたことだろう。
反射的に立香は礼を言おうとしたが、それは背後から押し寄せて来た轟音によって阻まれることとなる。
「は?」
轟音の主。それは窓ガラスだった。
目の前のバーサーカーが一度だけ大剣を振った……ただそれだけで、背後の窓ガラスが軒並み破砕されたのである。
その甲高い音は、さながら悲鳴であった。ただただ蹂躙されていく牙無き者達の嘆きのようであった。
「燕青、跳べるか!?」
「言われずとも! 舌噛むなよ!」
立香だけでなく燕青も〝これはまずい〟と即座に判断したのだろう。
短いやりとりの後、まず燕青はケツァル・コアトルを米俵か何かを担ぐように回収する。
そして立香を小脇に抱えると、そのままガラスを失った窓から下へと飛び降りた。
果たして着地は成功し、そのまま背の低い建物がひしめく入り組んだ一帯へと潜り込む。
だがそれだけで簡単に逃げ切れるほど、相手は甘くないらしい。
「うおおっ!?」
あれだけ頑丈そうだったビルから、爆発時に起こるそれに似た衝撃音が響く。
振り返ってみれば、今度は数多くの建物が次々に壊され始めた。
どうやらあの大剣で障害物を蹴散らし、ショートカットと洒落込んでいるらしい。
「もぉ~、大人しくやられてよぉ~!」
あらゆる物体という物体が、無秩序に破壊されていく。
コンクリートやらガラスやら鉄やら石やら樹木やらの破片が、天高くまで撒き散らされていく。
ああ、恐ろしいにも程がある。
「待ってってばぁ~!」
「怖……っ!」
立香の視線の先には、大津波の発生と海底火山の大噴火が同時に起こったかのような、冒涜的過ぎる光景が広がっていた。
これを〝解体〟などという生ぬるい単語でくくるのは絶対に大間違いだ。まさしく〝破壊〟と表現するのが相応しいだろう。
一体どこまで高ランクの狂化スキルを与えられたら、あの細腕でこの様な真似が出来るようになるのだろうか。
第三特異点でヘラクレスを倒す為に必死の形相で逃げた思い出が、まるで昨日のことのように蘇る。
二度とあんな真似はしたくないと思っていたが、まさか似た様なことが起こるなどとは夢にも思わなかった!
「すまん、マスター。少し速度を落とすぞ」
「ちょっ!? マジで!? なんで!?」
「少し観察をしたい」
などと考えていると、燕青は建物の屋根へと跳躍するとすぐに身体を反転させ、器用にも後ろ向きの姿勢のままでの逃走スタイルを取った。
彼の双眼を覗き込むと、その視線が〝バーサーカーがいるであろう位置〟へと向けられているのが容易く解る。
宣言通り、本気で相手を観察しているのだ。つまりはこの無頼漢ときたら、こんな状況下でも勝利する方法を見出そうとしているのだ。
「よぉし、解った……」
やがて燕青は、自分なりにやれることを見つけたらしい。
まずは高いところを跳び回るのを中断すると、近くにあった適当な家のドアを蹴破って躊躇なく侵入した。
そして立香達を床に降ろした後は「姐さんを頼む」と言ってケツァル・コアトルを立香に預けた彼は、
「あれなら大丈夫だ。すぐに片付けるから、少しだけ待っててくれ」
「片付けるって……待て待て待て! 単独で!? 何の支援もなく!?」
「そうだ。今なら出来る。だが無為に時間を過ごしていれば、し損じる。今こそが好機だ」
「……信じていいんだな? じゃあ信じる、信じるぞ。信じるから……絶対に死ぬなよ!」
「礼を言う。じゃあ、そっちもホムンクルスに見つからないように気をつけろよ!」
「あー……な、なるべく頑張る!」
白い歯を見せ、災厄の様相を呈する現場へと急行するのであった。
「随分とまぁ、派手にやってくれたなぁ……狂戦士さんよ」
「あ~、やっと追いついたぁ」
「違うな。アンタが追いついたんじゃあない。俺が来てやったのさ」
「ふぅん。でも会えたんだからどっちでもいいかもぉ」
やがて燕青は、一心不乱に大剣を振り回しながら走っていたバーサーカーに再会した。
辺りはさながら戦場跡の如き様相を呈しており、見るも無惨という言葉が見事に似合っている。
燕青は内心「うへぇ……」とどん引きしたが、おくびにも出さずに構えを取る。
「って、あれぇ? 一人だけで来たのぉ? マスターさん達はぁ?」
「さぁて、ね」
「……一人で勝てるって思ったのぉ? そういうの……なぁんか、やだなぁ」
「なんとでも言えばいい。俺はアンタに稽古を……いや、教育を施すだけなら一人でも充分だと確信しているからな」
そして相手を煽りながら、念には念をと再び観察を続行する。
見ればマスター役のホムンクルス達はかなり離れた場所に立っていた。バーサーカーの荒々しい行動に巻き込まれないためだろう。
だが、それならそれで構わない。いや、むしろそれがいい。余計な邪魔が入らないのはありがたいと言わざるをえない。
「それではお嬢様、お勉強の時間ですぞ……なぁんてな!」
「ふふっ、あなた面白ぉい」
辺りからマスター役以外のホムンクルスの気配が漂っていないことを察した燕青は、瓦礫で滅茶苦茶になっている地面を蹴った。
対してバーサーカーは大剣を上段に構え、すぐさま振り下ろす。その衝撃だけで地面は抉れ、生み出された暴風は燕青の髪を激しくなびかせた。
当たれば全身の骨がミンチになるぞ、とアピールしているのだろう。だがそんな脅迫を前にしても、なおも燕青は彼女の懐へと迫る。
「っと! 乱暴だな!」
その直後、まるでプラスチック製のバットでも振るかのように、バーサーカーが斜めに斬り上げた。
ぎりぎりで伏せたおかげでどうにか回避出来たものの、その剣圧だけで数棟の建物が粉砕されていく。
ならば当然、燕青にも相応の圧が――物理的な意味で――かかる。
「いっくよぉ~」
気付けばバーサーカーは、大剣を再び大上段に構えていた。
僅かに動きを止めた燕青を両断するつもりなのだろう。
「え~い!」
次の瞬間、ミサイルでも着弾したのかと錯覚するほどの大きな音が響き渡った。
だが、外れ。燕青は不安定な姿勢のまま勢いよく真横にステップを踏むことで、またまた攻撃を回避したのである。
恐ろしい話だが、先程まで彼がいた場所にはクレーターじみた傷跡が刻まれていた。
地面はしっかりと舗装されているにも関わらず、だ。
「もぉ~、さっきからネズミさんみたいに避けてばっかりぃ。虎さんだって聞いたのに拍子抜けだよぉ~」
「虎? アンタの上司は俺達をそう呼んでるのか? なるほど、そりゃ光栄だ」
再びどん引きしながらも、燕青は立ち上がって姿勢を正す。
そして数度、深く呼吸をすると……切れ長の目でバーサーカーを睨み付け、こう言い放った。
「なら、さしずめアンタは牛ってところだな」
どういう意味なのか解っていないのだろう。
バーサーカーは「ふぇ?」などと言いながら小首を傾げる。
ならば相手が理解するまで口を開くだけのことだ。
「アンタは暴れるだけしか能のない鉄の牛だ、と言ってるんだ。さすがにここまで言えば、理解してくれるかね?
つまり、アンタは〝戦い〟なんかしちゃいない。好き放題に玩具を振り回して、ごっこ遊びに興じているだけなのさ」
「ふえぇ!? そ、そんなことないもん! ちゃんと戦ってるよぉ!」
「いいや、違うね。同じ牛でもアンタは黒旋風未満の大馬鹿者だ……それを今から証明してやる。この俺が〝戦いとは何か〟を教えてやろう!」
「戦ってるもん! いじわるぅー!」
煽りに煽った結果、バーサーカーは大声で「死んじゃえー!」と叫びながら、またも大剣を軽々と振り回した。
それも一度だけではない。燕青達を追っていたときと同じく、周りの建物を巻き込みながら幾度となく振るっている。
だがその動きをどうにか見切った燕青は、形をとらぬ水のようにするりするりと避けていく。
驚愕からか、バーサーカーは「えぇー!? どうしてぇ!?」と目を丸くする。
「だから言ってるだろう? アンタは〝戦っていない〟とな。本当に戦うというのは……こういうことだ!」
その隙を突いて一気に肉薄した燕青は、体操選手を思わせる華麗な跳躍でもって大剣を回避する。
そして彼女の背後に着地すると、振り向かせる間も与えぬ速度で両手での掌底打ちを放った。
激しく背中を打ち据えられたバーサーカーは、ふらりと体勢を崩す。だが剣は離さない。燕青は少しだけ彼女を見直した。
続いて繰り出したのは足払いだ。相手が不安定な姿勢を強いられていたためか、反撃されることもなく成功する。
すると、なまじ剣を手放さない程度には根性があったせいで、バーサーカーは受け身も取れずにそのまま地面へと頭を打ち付けた。
さぞ、脳が揺れたことだろう。だがそれでもなお彼女は立ち上がる。両の瞳に涙を浮かべて「牛さんじゃあ、ないもん……」と反論しながら。
やはり伊達や酔狂で狂戦士の枠にあてがわれたわけではないということか。敵ながら天晴れである。
「牛さんじゃあ、ないもぉーん!」
ふらふらとしながらも、尚もバーサーカーは大剣を振りかぶる。
その姿を見た燕青は「いや、まだまだ虎には程遠い……それを今から教えてやろう」と答えると、
「奥義、装填」
必殺の構えを取り、氷も驚く冷たい声で囁いた。
果たして、どれほどの時間が経っただろうか。
室内の時計……その秒針が放つ小刻みな音を鬱陶しがりながら、立香は燕青の帰りを待っていた。
彼は取り憑かれたかのように「大丈夫か? 大丈夫だよな?」だの「早く終わってくれ……」だのと、ネガティブな言葉を呟きまくっている。
無論、燕青のことは信じているのだが、彼に何もかもを任せすぎたせいで痛い目を見たばかりなので、自分の決断に不安を抱いているのだ。
それに遠くから絶えず破砕音が聞こえてくるのも困りものであった。あの音がやまない限り、戦いは続いているということなのだから。
「早く終われー。早く終われー。帰ってこーい。帰ってこーい」
立香は全力で祈りながら、部屋の中をぐるぐると歩き続ける。
すると天に祈りが届いたのか、突如として破砕音が聞こえなくなった。
「……マジで?」
いや、それはそれで不安になるんですが?
心中でそう呟いた立香は、足を止めて全神経を集中させる。
だが再び轟音が鳴り響くことはなかった。やはり完全に戦いは終わったようだ。
「……マシュ」
『はい。敵性反応についてですが……バーサーカーは……』
立ち止まったゴジラのようなポーズで停止したまま、立香はマシュに結果報告を頼んだ。
唾を飲み込む音が隠せない。だがそんなことはどうでもいいとばかりに、再び喉をゴクリと鳴らす。
「ただいま、マスター」
すると玄関から、呑気な声が聞こえてきた。
立香の眼前に現れたのは、他でもない燕青であった。
驚くべきことに、怪我の一つも負っていない。
「燕青! 無事だったか!」
「おうさ。ピンピンしてる。相手が力任せの牛さんで助かった」
「ってことは!?」
『はい。バーサーカーの霊基は消滅……ようやく、バルベルデのサーヴァントが一騎倒れました……』
「よっしゃあ! ナイス燕青! お見事!」
安心して力が抜けたのだろう。マシュの声は酷く弱々しい。
だが彼女の声色とは反比例して、報告の内容はとてつもなく喜ばしいものであった。
ダ・ヴィンチも『ようやく一騎撃破だ。これで少しは肩の荷が下りた、かな? とにかくお疲れ様』と言って溜息をつく。
そう、言いしれぬ不安を抱いていたのは立香だけではなかった。立香を見守るカルデアの者達も同じだったのだ。
「そうだ。マスター役のホムンクルス達はどうした?」
「全速力で撤退してたから、深追いはやめた。浮ついた気分のままで追うと、妙な罠にもかかりかねない」
『おいおい勿体ねぇなぁ、燕青。そっちの情報持ち帰られる前に潰しとく方が良かったと思うぞ、オレは』
「アンタみたいにぶっとい光線でも出せるんなら、迷わずそうしたかったんだがねぇ」
「まぁまぁ、あんまり欲張ってもあれだ。まずは燕青を労おうぜ。なぁ?」
髪についた何らかの破片を手で払い落とす燕青を机に招き、立香は「あー、よかった」と椅子に腰掛ける。
するとそれを合図にしたかのように、放置されていたケツァル・コアトルの肩がぴくりと動いた。
更に彼女は何度か瞬きをすると、ゆっくりと起き上がる。
虚ろだった瞳には、光が戻っていた。
「お、おおっ! ケツァ姉! よかった! やっと起きた!」
「おっ、本当だ。おはよう姐さん」
『大丈夫ですか、ケツァル・コアトルさん! 身体に異常などは……』
「んん……そうね……なんだか、胸が痛いわ……動悸が激しいというか……」
未だ本調子ではないのだろう。気だるげに答えるケツァル・コアトルの声は少し弱々しく聞こえた。
とはいっても、今までずっと意識不明の重体だったのだから、至極当然である。
立ち上がった立香は「まぁまぁ、無理せずに座ろうぜ」と、彼女の近くまで椅子を運ぶ。
「胸が痛むのは当然ってもんだ。何しろその胸に花の矢がぶっ刺さったんだし……ケツァ姉、覚えてるか?」
「……ええ、そうだったわね。それから先は全く記憶がないけれど……ねぇ、どうなったの?」
「アーチャーとは痛み分け。だけど撤退してくれたよ。そんでもって、燕青がさっきバーサーカーを倒してくれた!」
「バーサーカーを? ワオ、それは凄いデース。見込んだだけのことはありマース……!」
「はっはっは、ありがとよ姐さん。よければもっともっと褒めてくれ。俺様、生来褒められて伸びる子だから」
椅子に腰掛けたケツァル・コアトルが、立香の報告と燕青のジョークに対し微笑みで答える。
そして「本当に、よかった……」と呟くと、続いて「またお荷物になっちゃったわね、ごめんなさい」と頭を下げた。
対する燕青は「いやいや、恥ずかしながらあの弓兵には俺も辛酸を舐めさせられてる。あれがなきゃ姐さんが倒れることはなかった」と言うと、
「というわけでここは一つ、お互い様の五分五分ってことにするのはどうだい?」
椅子に座って頬杖をつき、目を細めながら提案した。
「でも……」
「でももカモもなし。じゃあそういうことで。はい、けってーい」
「…………そう。あなたがそこまで言ってくれるのなら、今回は甘えさせてもらうわね」
「謝謝。いや、グラシアス!」
微笑ましいやりとりを交わす二人を眺めながら、立香は「じゃあまたちょいと休んでから、車を回収しに行くか」と背もたれに体重を預ける。
ケツァル・コアトルが「どういうこと?」と訊ねると、燕青は「訳あって車から離れちまったからな」と答え、
「ホムンクルス共が撤退ついでに壊してなきゃいいんだけどねぇ」
かつて潜伏していた、あの丈夫そうなビルが建っている方角へと視線を移した。
すると、そんなときである。
『ところで燕青さん……ふと気になったのですが』
「ん?」
『あのバーサーカーは、結局誰だったんですか?』
不意にマシュが、燕青へと問いを投げかけてきた。
立香も「そういえば」と言って、燕青へと視線を向ける。
だが肝心の燕青はというと、頬杖をついたまま「そういや、何者なのか解らないまま屠っちまったなぁ」と返答した。
その言葉を耳にした立香とケツァル・コアトル、そしてマシュがほぼ同時に「ええ……」と困惑する。
通信先で『いいのかね、君はそれで……』と訊ねるようにぼやいたジェロニモも、その声色と表情からして明らかに呆れ返っている。
加えて、あまり細かい事を気にしない〝タチ〟の信長さえも『いやー、さすがに首実検は大事じゃろー』とツッコミに回る始末。
それでも燕青は「まぁまぁ、別にいいだろぉ? もう既に倒しちまったんだから、今更だ今更」と、追求をはねのける。
そんな彼を見て思うところがあったのだろう。モードレッドは『オレも、今まで以上に色々気にかけるようにしよう……』と伏し目がちに言った。
『まぁでも、相手の霊基が消滅したのは確認出来たんだ。ならば今は討った敵よりも、これから討つべき敵のことを考えた方が建設的だよ』
そしてダ・ヴィンチがこのように締めたことで、バーサーカーの真名についての話はお流れとなった。
そも、一騎倒したのはいいが少なくともまだ敵は三騎も残っている。それどころか、これからまだ増えていく可能性すらあるのだ。
終わったことに固執するよりも、前を見据えるべきである。ダ・ヴィンチの言葉は至って正論であった。
「ひとまず今は……ヘルヴォルっぽいセイバー、アドニス、アヴェンジャー……この三騎からのリベンジに警戒しておきたい感じだな。
それとアサシンがいたら怖いから、引き続き燕青は警戒よろしく。ケツァ姉は無理しないこと。まぁ俺が無理をさせてる張本人なんだが……」
「よしきた。カルデアの奴らとも協力して、きちんと見張っていこうじゃないか」
「気をつけるわ、マスター。だからそんなに申し訳なさそうな顔をしないで……?」
「ありがとう、ケツァ姉……じゃあ改めて。まず、これからもさっきのバーサーカーみたいな規格外の敵が出てくる可能性は充分ある。
しかもあの〝小次郎が行方不明〟なんていう意味不明な現象が起きた理由も未だ解明出来てない……状況は超不安定だ。それでも……」
「問題ない。どこまでもついていくさ、我が主……藤丸立香よ」
「共にいきましょう。世界を救う旅路に」
「ああ。休み休みでも、進んでいこう」
故に立香達は改めて特異点修復を誓い、更に結束を固めるのであった。
最終更新:2017年12月27日 20:49