回復したケツァル・コアトルの運転で再び南下を始めてから、どれほどの時間が経っただろうか。
わざとらしい程に青く染まっていたはずの空は、さながら天空の神が赤ワインを零してしまったかのような色へと変化していた。
正直なところ、立香は〝もう、こんななのか〟などと思ったが、すぐに〝まぁ無理もないわな〟と考えを改める。
何せ、まず自分達はレイシフト直後に大量のホムンクルスと遭遇し、しばしその場で釘付けにされてしまった。
そればかりかセイバーにアヴェンジャーにアーチャー、そして燕青が倒したというバーサーカーを加えた四騎の英霊と戦いを繰り広げたのだ。
どうにか痛み分けで終わらせたこともあった。だが撤退を強いられ、果てに長い休息を取らざるを得ない状況にも陥った。
こうした恐るべき出来事が立て続けに起きたのだ。ならば昼が夕になり、夜へと差し掛かろうとしているのも当然と言えよう。
「そろそろ、あれのことを考えないとまずいな」
「あれ? 何かしら?」
「寝るとこ寝るとこ」
「ああ、なるほど」
そうなると目下の問題は……今の内に〝都合のいい寝床を確保出来るか否か〟である。
未だ街中を走っているため、建物自体はいくらでもある。道のど真ん中で〝ここをキャンプ地とする!〟と叫ぶことはないだろう。
だが、それで満足していては命に関わるというもの。何せここは特異点、敵地のど真ん中なのである。ならば潜伏先は吟味したい。
そういう意味では、今は亡きバーサーカーがやってきたというトラブルのせいで離れる羽目になったが、あの丈夫そうなビルは合格だった。
あの様な建物がこの辺りにも建ってくれていればいいのだが……と、立香は辺りを眺める。
だが残念なことに、この一帯は住宅地であるらしく、堅牢そうなビルや屋敷などは見られなかった。
「下手にこれ以上進むと、家どころか建物自体なくなりそうだな」
「かもしれないわね。マスター、どうする? この辺りで探す?」
『すまないな、マスター。私が同行出来ていれば、陣地作成で妥協出来たのだが』
「過ぎたもんは仕方ないって、ジェロニモさん。でも、気にかけてくれてサンキュな」
こうなればもはや贅沢など言っている場合ではない。
申し訳ない話だが、ケツァル・コアトルと燕青、そしてカルデアチームの力を借りて周囲を警戒しつつ、おっかなびっくり眠るしかないだろう。
「とりあえず、ケツァ姉の意見に賛成だな。ここいらで止まっとこう。えんせーい!?」
「聞こえてるよぉ」
「あいよぉ」
ハンドルが切られ、車は狭く入り組んだ道へと入り込む。
少しでも見つかりにくくするために、という配慮であるのは明白であった。
それからしばし時間が経過した頃……どうにかこうにか〝よさげ〟な家を見つけられた一行は、無事潜伏。
日没を迎えたときには、まだ痛んでいない食品を見つけたケツァル・コアトルが作った南米料理を口にするまでに至った。
しかも、調理が出来たということは水道やガスの類いが止まっていないというわけなので、シャワーまで浴びられた。
おかげで緊張の糸が切れたのだろう。ベッドに入り込んだ立香は、すぐさま夢の中へと招待されていった。
そんな彼の警護を買って出たケツァル・コアトルを室内に残して屋根の上に座し、見張りを続ける燕青は、
「うへぇ、死んでる死んでる」
ケツァル・コアトルが作ったメニューの一つである〝タコスっぽい何か〟をかじりながら独りごちた。
別に死体を見つけたわけではない。仮にも住宅街でありながら灯りの一つも点っていない……そんな景色を眺める内に、そう感じたのだ。
自動的に輝き始めた街灯と、天でひっそりと輝く月を除き……闇夜を照らす光はここに存在しない。
立香達以外の人間がいないのだから至極当然の話ではあるのだが……この〝死んでいる〟という表現は決して間違ってはいないだろう。
そう。燕青達が立つこの地には、暖かさというものが全く存在していない。
何者かによって作り上げられた〝秩序〟が、それらを一切合切消し去ってしまっているのだ。
「梁山泊とはまるで逆だねぇ」
一つの目標を掲げながらも各々が好きなことをする……そんな〝混沌〟によって奇妙な暖かさが生み出されていた梁山泊が懐かしい。
中には李逵のような〝ヤバい奴ら〟がいて大変ではあったが、こんなねじ曲がった秩序が作る静かな世界よりは遥かに楽しかったと言える。
「李逵と言えば……今頃、黒幕さんはどうお考えかねぇ?」
あの〝黒旋風の鉄牛〟が大暴れしている姿が頭を過ぎったおかげで、不意に燕青は意地悪そうな笑みを浮かべた。
あいつ未満だと蔑んでやった例のバーサーカー……あの紅色の服の娘が散華したことは、既に黒幕にも伝わっていることだろう。
敵は彼女を鉄砲玉として扱っていたのか、それとも一丁前の戦力として数えていたのか……それは知るよしもない。
だが扱いがどうであれ、敵方の戦力が一つ失われたのは事実なのだ。
「こちらとしては、大騒ぎしてくれてたら嬉しいんだが」
左手に納まっているタコスっぽい何かをまたかじると、空いている右手を開いたり閉じたりする。
そうしながら思い出すのは、宝具にまで昇華された自身の奥義によってバーサーカーを屠ったときのことだ。
最後の最後……大きく振りかぶった大剣が振り下ろされるか否かという瀬戸際で、既に燕青は彼女の懐へと飛び込んでいた。
選んだのは、蹴りや体当たりを放たれる前に自分から攻撃を仕掛けるという戦術。彼はまず腹に拳を放つことで、敵の動きを止める。
くの字に背を曲げた相手に対して、燕青は極めて冷静に攻撃を続けた。分身どころか実際に人数が増えているのでは、とすら思わせる速度でだ。
相手は何か対策を練ろうと考えたようだったが、幻想であるはずの男が生み出した拳法は、その場しのぎの反撃を許しはしない。
躊躇も容赦も遠慮も慈悲もない神速の連続攻撃は、狂った戦士を一体何度地に伏せさせたことか。まさに蹂躙……一方的な展開である。
そして倒れたまま起き上がらないバーサーカーに対し、握り締めた拳を全力で叩き込むと……遂に彼女は金色の粒子となって消失した。
彼女が今際の際に血を吐きながら呟いた言葉は「えへへ、負けちゃったぁ……」という、緊張感の欠片もないものであった。
まぁ、相手はバーサーカーなのだ。狂っているのだ。ならば、そういうパターンもあるだろう。
「……」
食べ物を咀嚼しながら、燕青は右手をじっと見つめる。最後の一撃のために使った手だ。
時間こそ経ったが、外側から彼女の内臓を潰した感触は未だに思い出せる。否、未だに残っている……と表現するのが正しいだろう。
そうなるのも当然だ。何せ自分達は、ようやくこの特異点を支配する強大な敵へと一矢報いることが出来たのだから。
ああ、そうだ。謂わば、バーサーカーを屠ったあの一撃こそが、ようやく焚かれた反撃の狼煙なのである。
「…………」
口の中の食べ物を飲み込み、思う。
迫り来るサーヴァントを一騎倒した……この事実は、立香の旅路をより困難なものにするであろう、と。
敵も馬鹿ではない。すぐに戦略を練り直し、あのホムンクルス達を巧みに動かし、次々にサーヴァント達を送り込んでくるだろう。
つまりこれから先は〝向こうからやってくる〟のが主流となる。出会い頭に戦う……などという呑気な流れは完全に断ち切られたと考えていい。
「厳しい戦いになるだろうが……」
燕青は切れ長の目を細め、極めて真剣な声色で呟く。
だが悲観はしていない。曲がりなりにも自分は魔星の生まれ変わり。
腐った国を救うという悲願のために、仲間と共に技を振るった百八の内の〝確固たる一〟なのだ。
厳しい戦い? 上等である。どれだけ向かい風が吹きすさび、暗雲が運ばれてこようとも、自分は星々の一つとして輝き続けるまで。
主が進む暗く厳しい道を、いつ何時であれ光で照らす。それこそが、奇妙な縁で星見台に召喚された自分のやるべきことなのだから。
「無頼にも誇りがある。覚えておくんだな、圧制者よ」
右の掌を月へと伸ばしながら、未だ間合いの外にいる黒幕へと静かに言い放った。
「バーサーカーが倒れた……か」
「はい。どうやら、荒々しい戦法が仇となったようで」
大統領官邸、例の一室にて。
男とキャスターは、茶を啜りながら言葉を交わしていた。
「……まぁ、想定内ではあるな。無理のある話ではない」
「ええ。ですがこれは吉兆でもあります」
「確かにその通りだ」
同意する男に向けて笑みを浮かべたキャスターは「ええ」と答える。
「此度の戦いで虎共は〝あの恐ろしきバーサーカーを倒した〟という成功体験を得ております。それはこちらとしても実に喜ばしい。
何せ勝利とは、時に心を緩ませる。それは幸か不幸か、同胞たるセイバーも証明しました。ならば虎共も、希望という光を見たはず」
「そこを叩くというわけだな」
「虎共の位置が判り次第、仕掛けさせましょう。いよいよ、第二の〝虎の子〟を放つときが来たというわけです」
近くの小さな机の上から黒いチェス駒のようなものを手に取ったキャスターは、地図の上へと突き立てるようにそれを置く。
〝それ〟は車輪の付いた乗り物を自在に操る人の姿を象っていた。
「成程、遂に奴をぶつけるか……」
男は「いやはや、実に性格が悪い」と、僅かに口角を上げる。
その反応に、キャスターは「性格のみならず、意地も悪くなければ虎は追い立てられませんから」と冗談めかすように笑った。
「気分を害したのならば謝ろう。だが褒め言葉のつもりであったとだけは言い訳させてくれ」
「おやめください閣下。無論、全て理解しております。それよりも、今日話されたホムンクルスの在庫ですが……」
「心配ない。北に向かわせる分も、ティーゲル共の対策に割り当てる分も、万事不足なしと断言させていただこう」
「杞憂でしたな。失礼致しました」
二人は残った茶を飲み干し、共に溜息をつく。
地図の上に乗った駒をじっと眺めながら、男は中身がなくなった茶器をキャスターに預けた。
「奴は怖いぞ、ティーゲル共」
そう独りごちる男は、笑みを浮かべたまま窓の向こうへと視線を向ける。
空の彼方に、善悪問わずあらゆるものへと平等に光を与える月が鎮座していた。
死んだ世界を照らす月光が、白銀の鎧をうっすらと……だが確かに、美しく煌めかせる。
否、鎧だけではない。それを纏う眉目秀麗な騎士の全てが存在感を強められていた。
彼はライダー。様々な要因によって騎兵のクラスとして顕現したサーヴァントである。
「ええ、はい。いよいよですか……かしこまりました。では、そのように」
ライダーは独り言を呟いているわけではない。通信を行っているのだ。
相手は語るべくもない。大統領官邸に潜み、策を講じるキャスターである。
「ちなみに彼女は……ええ、そうです。ランサーは……なるほど、では遠慮なくお言葉に甘えさせていただきましょう。
では……はい、ええ。いえ、そこはお互い様でしょう。はい、それでは……承知致しました。お疲れの出ませんように」
キャスターからの指示を受け取ったライダーは、相手が通信を切ったことを確認してから「さて……」と呟いた。
そして目前の家に背を預けている少女へと「終わりましたよ、レディ」と声をかける。
みどりの黒髪を首の中頃で切り揃えたその少女は、ライダーの目をじっと見つめて「お疲れ様、ライダー」と微笑んだ。
そんな彼女は、自身が着ている白い袴着に皺が出来ていないかと心配しているのか、長い袖を大きな瞳で確かめる。
しばらくして、ようやく満足したのだろう。彼女は隣に立てかけていた純白の薙刀を手に取ると、ライダーの隣へと歩を進めた。
「キャスターからの指令は、どんなものだったの?」
少女が、上目遣いで訊ねる。
別に媚びを売っているわけでも、猫を被っているわけでもない。
彼女はただただ不安を覚えているだけなのだ。
現界してから付き合いが長いだけあって、ライダーは彼女のことをよく解っていた。
「単純ですよ、ランサー。ただ、敵を見つけ次第斬れとだけ。それだけのことです」
「今から動くの?」
「それは斥候役の働き次第ですね。当然、今見つかればそうなるでしょう」
「そう……」
少女改めランサーは、ライダーの答えを聞いて少しうつむいた。
「ライダー……遂にサーヴァントと戦うのね。大きなお世話だとは思うけど、やっぱり心配だわ……」
「相変わらず、貴女はお優しいですね」
「それに……それにキャスターは、わたしについて何か言ってはいなかった? 例えば、その……足手まといだ、とか……」
曇った表情を浮かべたランサーは、再び問う。
薙刀を持つ手が震えている。その純真な心が酷く揺さぶられているのだろう。
ライダーは「嗚呼、なんということだ。ランサー……白き衣の乙女よ。どうか顔を上げてください」と優しい声色で言葉を紡ぐと、
「大丈夫です。僕に敗北はありません。貴女を置いて死ぬこともない……貴女が望むならば、僕は何度でも誓いましょう」
少しかがみ込んでランサーと真正面から目を合わせ、彼女の頬にそっと手を当てた。
するとランサーの手の震えが、少しずつ止まっていった。
「そしてキャスターは、貴女にも期待していると仰いました。もし一人でも欠けていれば、この大陸の統一は成されなかったと。
曰く〝自分が言うよりは遥かにいいだろう〟とのことで、僕から伝えるようにと仰せでしたが……まったく、心配性なものです」
「……本当?」
「本当ですとも。そして、貴女さえよければ同行に関しても問題はないと断言してくださいました。全て、我々の想いに任せると」
「ええっ!?」
それだけではない。驚きからか、うつむいていたランサーの表情がぱっと明るくなる。
それを見てやっと安心したライダーは、少し頬を赤く染めたランサーの髪を優しく撫でながら、言葉を続けた。
「ですので、ランサー……これからも、僕の隣に立ってくださいますか?」
「も、勿論っ! わたしからもお願いします! わたしも、わたしもあなたを護るから……っ!」
「嗚呼……乙女よ、その慈悲深き想い、確かに受け止めました。さぁ、共に駆けましょう。今日も明日もその先も、ずっと!」
「ええ、ええ! 約束ね、ライダー!」
髪を撫でていた手でランサーの片手を取ったライダーは、瞳を閉じて跪く。
柔らかな月光の下で、彼はすっかり震えが止まったランサーの白い手の甲へと、そっと口づけをした。
最終更新:2018年01月31日 15:42