そして夜は明け、世界は蝙蝠ではなく鳥が空を支配する時間を向かえた。
窓から差す光が立香に対し〝目覚めよ〟と声をかける。
果たして立香はゆっくりと瞼を開き、借りていたベッドの上で上半身を起こした。
「おぉ、マスター。おはよう。夢見はよかったかい?」
「ん? あ、おう……って、あれ? ケツァ姉は?」
「俺の代わりに屋根の上。今は姐さんが物見役だ」
「なるほど。交代してたわけね、納得納得」
窓のすぐそばで椅子に座っていた燕青と軽く会話をし、ベッドから降りる。
すると燕青は「姐さん、起きたぜー」と外へと声をかけると、
「朝餉、作ってやろうか」
立香と同じタイミングで立ち上がりながら、こんなことを言ってくれた。
「嬉しいけど、作れんの? 中華のメシの材料とか絶対ないぞ、ここ」
「どうにかするさ。さぁてと、エプロン借りてこねぇとな」
「この状況下で男の裸エプロンとか、どういう層に響くんだ」
「下半身は穿いてるから厳密には違いますぅ」
「そうスか。っと、んじゃ……おーい、ダ・ヴィンチちゃーん?」
キッチンへと向かっていく燕青の背を眺めながら、カルデアへの通信を開いた。
声はすぐさま聞き届けられたらしく、ダ・ヴィンチが『はいはーい。ちゃんと皆いるよ』とすかさず応える。
続けて「ちゃんとマシュ達も寝たんだろうな?」と訊ねると、今度はマシュが『ええ。交代制でしっかりと』と言った。
声色もしっかりしている。言葉に嘘はないだろう。安心した立香は「ならよろしい」と呟いた。
「マスター、よく眠れたみたいね。よかったわ」
そんな彼に話しかけてきたのは、窓から部屋の中へと入り込んできたケツァル・コアトルである。
どうやら屋根からそのまま地に着かず、アスレチックを踏破するかのようにやってきたようだ。
ルチャリブレって凄い。立香はそう思った。
「見張りお疲れ様。ありがとな」
「カルデアの皆も力を貸してくれたから大したことありまセーン! それよりも、燕青は?」
「メシ作ってくれてる。まぁどうにかするとは言ってたけど、材料とか考えると本当に大丈夫かねぇ?」
「確かに少し不安だけれど、彼ならなんとか出来るでしょう。ひとまず朝食が終わるまで、外への警戒は続けておくわ」
「助かる。じゃあ一緒に待ってようぜ」
キッチンから微かに聞こえてくる、包丁とまな板が触れ合う音。
一定のリズムを刻むそれをバックに、立香はその場で大きく伸びをするのであった。
結果から述べると、朝食に関しては完全に杞憂であった。
何をどうやったか知らないが、燕青は南米で取れる素材でもって見事に中華料理もどきを作り上げたのだ。
おかげで心なしかスタミナを強化された様に感じ、若干の心強さを覚えている。
プラシーボ効果であるのは理解しているが、食事という行為の大事さがよく身に染みる朝ご飯であった。
「広々とした場所で真っ向勝負を挑むのはさすがに無謀すぎる……ってのは〝あちらさん〟も考えてるみたいだな、ケツァ姉」
「そのようね。マシュ、そちらでもまだ敵は観測されていないのよね?」
『はい。サーヴァント反応はおろか、ホムンクルスも捕らえていません』
『君達の旅路はとても順調だ。怖いくらいに、ね』
「おい姐さん、俺も気を張っちゃいるが、そっちも頼んだぞ。敵が視認出来ないからと油断はしないでくれ。無頼漢との約束だ」
ちなみに、朝食を終えた立香達はすぐに車へと搭乗すると南下を再開。
死角からの奇襲を防ぐためにと、なるべく周りを見渡しやすい道を選んで進むことにした。
そして数時間経った今……出発時の判断が功を奏したのか、彼らは何者かからの襲撃を受けることもなく、極めて穏やかな旅を続けられている。
ダ・ヴィンチの言う通り、怖いくらい順調にだ。
「……マスター」
「ああ」
そんな中、運転席と助手席に座る二人――おそらくは荷台に座す燕青もそうだろう――は、あることに気付く。
視界に広がる景色の中に、ぽつりぽつりと建物が混じりだしたのだ。
そしてある地点を越えたのを境にその数は一気に増加し、それら自体の豪華さや大きさもパワーアップしていく。
間違いない。再び、幾多の建築物が入り組む街へと入り込んだのだ。
青空の面積が、背の高いビルなどによって狭められていく。
『なるほど、ボゴタに入ったか』
「街の名前か?」
『ああ。コロンビアの首都さ。かなりの規模を誇るから……我々も敵方もお互いに〝かくれんぼ〟をやりやすい』
「よりによって首都とはな……」
助手席で、立香は頭を抱えた。
昨日は、基本的に遮蔽物の数に困らない場所で襲われるパターンがほとんどだった。
故に立香達は後手に回らないようにと、広々とした場所を進んでいたのだが、よりによって首都に入り込んでしまうとは。
完全に不覚を取ってしまった。なるべくなら、すぐさま離れて別のルートを探したいところである。
「やめとこう。別のルートを……」
「ええ、そうしたいところだけれど……」
「どうした?」
「もう燃料が残り僅かよ。リスクを承知で補充しないと、確実に止まるわね」
「……マジか」
しかしタイミングの悪いことに、車が〝そろそろメシをくれ〟と言い出してきた。
無理もない。延々と前に前に走るだけではなく、サーヴァントから逃亡するためにも使わせてもらっているのだ。
相当な無理を強いている今、このまま燃料を手に入れなければろくでもない場所で立ち往生をする羽目になるのは明白だろう。
『ならば急いでガソリンスタンドを捜索し、燃料を補給。その後すぐに街から離脱しよう』
そうなると、ダ・ヴィンチの提案に乗るのが最もベストだ。
ケツァル・コアトルは「ええ」と短く返事をすると、周囲の看板などへと視線を向けながらハンドルを動かす。
果たして無事にガソリンスタンドへと辿り着いたのは、十五分ほど時間が経過してからのことであった。
立香はほっと胸を撫で下ろした……のだが、ここで問題が発生する。
「ちょっと待ったケツァ姉。これ、代金払えなくね?」
「あっ」
『あっ』
そう。支払うお金がないのである。
胸を撫で下ろしたその手で髪を掻きながら、立香は「しまったー……」と呟く。
欲しいものは目の前にあるのに手が届かない。
どうするべきか。一体どうしたら、この問題は解決されるのだろうか。
「よしきた」
などと悩んでいたら、燕青の声に被さるように轟音が鳴り響いた。
例えるなら、鋼鉄製の物体に勢い余った何かが衝突したかのような音だった。
まさか、と立香は視線を向ける。
「マスター、姐さん、これでいいかい?」
見れば燕青の片足が、背の高い機械へとめり込んでいる。
雑にも程がある荒唐無稽な例え話は正しかったのだ。
「燕青……お前、もうちょっと躊躇するとか、そういうのないわけ?」
「おいおいマスター、背に腹は代えられねぇだろぉ?」
乾いた笑みを浮かべるしかない立香の目に映るのは、破損した機械からあふれ出るお金、お金、お金。
お釣りの取り出し口から金の雨が降っている。
「大体、さっさと街から離脱しようってのはそっちが言い出したんだ。なら、一番手っ取り早い策を取るまでさ。だろう?」
「これまで寝ずに策を考えてきたであろう歴史上の参謀達に謝ろう。な?」
『マシュ、真似はするなよ。あれは悪い大人だ』
『しようと思っても出来ませんよ。少なくとも、今の私では……』
だがこのまま手をこまねいている暇がないのは事実。ないものはないと素直に受け入れ、急ぎでの現地調達を尊ぶべきだ。
燕青とて、楽しいから荒い手口に走っているわけではないのだ。決してそこははき違えてはならない。
彼は自分達のために汚れ仕事を一手に引き受けてくれた。ならばもう、ぼさっとしている暇などあるものか。
立香は「まぁ俺もカルデア施設から〝善性・中立です〟って言われて〝本当にぃ?〟って思ったしな……」と言い、金をかき集めた。
そして額も気にせず別の機械へと入れまくる。コロンビア・ペソの相場など、今この瞬間だけはどうでもいい。
とにかく急いで給油し、離脱する。今はそのことだけを考えていればいいのだ。
立香は「こんだけ払えば充分だろ!」と叫び、いつかに母国日本で見た店員の動きを真似て給油を始めた。
ぎこちない動きだが、別に文句を言われる筋合いはない。何せこちとら初心者なのだから。
「マスター、何かあったらすぐ荷台に載せてやる。だから落ち着け」
「……サンキュな」
背後に立ってくれた燕青に礼を言いながら、ガソリンをタンクへと流し続ける。
視界の端に映る高身長の建物から今にも敵が飛び出して来やしないかと、尋常ではないほどの不安に襲われながら作業を続ける。
まだか、まだか、まだか。気付けば延々と心の中で問いかけ続けていた。
「やったわマスター、満タンよ! ありがとう!」
「おっしゃ! 燕青、乗るぞ」
「あいよ!」
やがて、任務は無事に完了した。
タンクの蓋を閉めた立香は、燕青が荷台へと飛び乗る姿を目で追いながら助手席へと座る。
食事を終えられた車は実にゴキゲンらしく、ケツァル・コアトルがアクセルを踏むと勢いよく前へと走り出した。
これで首都という名のゴーストタウンとはおさらば。後はすぐさまかくれんぼに相応しくない場所へと移動するだけである。
急がば回れ。目指すは南に進めば出会うことになるであろう黒幕だ。
『……まずい! 皆、敵性反応だ!』
「なんですって!?」
だが、そうは問屋が卸さない。
「おい、姐さん! Uターンだ! 轢き殺せ!」
荷台で叫ぶ燕青の声に驚いてバックミラーを覗くと、遠く真後ろの小道から派手な色の煙が天へと伸びていた。
それを見るのは昨日以来となる。そう、ホムンクルス達の標準装備が一つ〝信号銃〟から放たれた発煙弾だ!
だがケツァル・コアトルは「もう遅いわ! あれを撃たれたもの!」と言い、勢いよくハンドルを切る。
向かった先は大通り。荷台からは「なるほど、狭い道に向かうよりは遥かにお利口な手だ!」という賞賛が聞こえた。
目を細めて助手席から外を眺める立香は「なるほど。いっそ見晴らしがいい方が戦いやすいし、何より逃げやすいってか」と呟く。
だがその一方でダ・ヴィンチは『確かに袋小路になるよりはマシだが、これはこれで離脱が難しくなったぞ』と、確かな問題点を指摘。
マシュは『囲い込むように接近されてはいますが、どこかに穴はあるはず……!』と、眉間に皺を寄せていた。
各々が思い思いの言葉を放つ中、立香は思考を研ぎ澄ます。結果、彼はケツァル・コアトルに停止を促した。
「こうなったもんは仕方がない。まだ見られてない内に車を隠して、迎え撃ってくれ。つらいだろうけども……」
「……解ったわ。なら、今すぐにっ!」
既に様々な自動車が並んでいる駐車場へと突っ込んだケツァル・コアトルは、激しいドリフトをかまして停止する。
ケツを振らせて停止するなどという荒い方法をとったにも関わらず、駐車スペースを示す線から全くはみ出していなかった。
さすがはEXランクの騎乗スキル持ちだ。計測不能は伊達ではない。
「燕青、いけるか?」
「俺を誰だと思ってる?」
「愚問だったな」
また新たに放たれ、花火よろしく上へ上へと登っていく発煙弾。
それらを眺めながら、燕青とケツァル・コアトルは構えた。
未だ敵の姿は肉眼では確認出来ない。ならば自然と後の先をとらざるをえなくなる。
まだか。まだか。まだか。まだか。まだ、来ないのか。
数の上ではそちらが有利だろう。昨日の様に攻めては来ないのか。怖じ気づいたか。
まだか。まだか。まだか。まだか。いつになったら来てくれるんだ。
反芻するように、立香は心中で繰り返す。
「……?」
だが、ホムンクルス達はいつまで経っても顔を見せなかった。
訪れているのは、静寂のみだ。
不気味に過ぎる。まさか謀られたか。嫌な予感を覚えた。
『サーヴァント反応だ! 例の如く高速で接近している!』
そして予感は的中する。なんとダ・ヴィンチが最悪の事態を知らせてきたのだ。
この報告に、立香は「やられた!」と声を張り上げる。
「くそっ! あいつら! 今度は〝敢えて出てこない〟ことで俺らを釘付けにしやがった!」
「私達が待ちに徹するのを踏んだというの!? なんて滅茶苦茶なやり口……!」
「上屋抽梯……いや、少し違うか? ともかく、今回は全員揃って覚悟を決めたのが裏目に出たな。
さてマスター、どうする? 周りを囲まれ、更には向かってくるサーヴァントを感知した以上は……」
「ああ、逃げる時間なんてないだろうな。ぶつかるしかない!」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる立香は、そのまま通信へと移行した。
無論、受けられるだけのサポートを全て受けようという考えだ。
この状況下で詳しい情報を受け取り損ねれば、確実に死が待っている。
あらゆる特異点で窮地に陥ったからこそ得られた確証だ。
「ダ・ヴィンチちゃん! 向かってきてるサーヴァントは何騎だ!?」
『反応は二騎分! だがいないとも言い切れないアサシンを感知出来ていない可能性もある!
一体どうやって注意しろと、という話だが気をつけてくれ! 無論、こちらも注視は続ける!』
「方角は!?」
『今の君の向きを基準とするなら、二時の方向だ!』
ダ・ヴィンチの答えに反応し、立香達は一斉に身体の向きを変える。
すると然程の間も置かず、聞いたとおりの方角からサーヴァントが現れ、名乗ることもなく武器を振りかぶって突貫してきた。
「うへぇ、剣呑剣呑」
「情け無用とはこのことね」
容赦無しの奇襲ではあったが、前もって情報を得ていたおかげで被害はない。
燕青は群青色の手甲で、ケツァル・コアトルは自慢のマカナで攻撃を受け止めていた。
相手も各々〝失敗した〟と素直に認めたのだろう。二人は仲良く揃って宙を舞い、大きく距離をとった。
対するケツァル・コアトル達は一歩も退かない。てこでも動かない、とでも言わんばかりだ。
「なるほど。彼が貴方方を虎と呼ぶ理由がよく解りました」
まずは燕青に対して白銀の剣を振るった青年が口を開く。
日の光を受けて美しく輝く白銀の鎧を纏った彼は、実に顔が整っていた。眉目秀麗という四字熟語がすぐに頭をかすめてゆく。
鼻は高く掘りも深いが、さりとて人を選ぶような濃さはない。むしろ大人びた雰囲気に包まれながら、無垢な少年に似た何かを感じさせる。
ルックスでは燕青と互角か。しかし立ち居振る舞いを見る限り、同じ美形でも燕青とは違うベクトルの魅力を持っているのは明白であった。
背負っていた盾を構え、上品な立ち姿を晒すその姿……まさに絵に描いたような騎士様である。
いや、人によっては〝王子様〟と呼ぶかもしれない。どちらにしろ、育ちは良さそうだ。
「ええ。受けて立つという姿勢から、芯の強さを感じる……残念だけど、きっと一筋縄ではいかないわ」
続いて今度は、純白の薙刀でケツァル・コアトルに挑んだ少女が言葉を紡ぐ。
みどりの黒髪を首の中程で切り揃え、長い袖が特徴的な袴着の上から細身の鎧を着用している彼女もまた美しかった。
だが、何となく幸が薄そうだ。黒目がちの大きな瞳が自信なさげに伏せられているからか。またはその小さな口から溜息が零れたせいか。
纏う袴着の上は彼女の得物のように白く、下は淡い水の色……この全体的な色味の薄さも、儚い印象を与える手伝いをしている様に思えた。
長い袖の先端部分に黒のグラデーション加工が施されているのは少し変わっているが、鎧の存在感に比べれば大しておかしくはないだろう。
男の方が騎士か王子ならば、こちらは――歪な例えだが――戦うお姫様とでも形容しようか。どうも今回のコンビは育ちが良さそうに見える。
別に、セイバーやアヴェンジャーを貶めているわけではないのだが。
「しっかし……大したお出迎えだな、美形騎士様。どうやらアンタにも俺達とマスターの話は伝わってると見たが?」
「ええ、しっかりと。その上で、今回は我々に白羽の矢が立ったわけです」
「だからこうして奇を衒えたのね。その意地の悪さ、お姉さんはあまり好きじゃありません」
「わたしだって、好きで意地悪したいわけじゃないわ……必要ならそうしなきゃだから……ただ、それだけ」
剣先同士をちくちくとぶつけ合うような、腹の探り合いにも似た会話が交わされる。
そうしている内に、毎度お馴染みとなった〝マスター役〟のホムンクルス達が、彼らの後ろからやってきた。
相変わらず、サーヴァント一騎につき幼い男女二人組で構成されている。そんなにこだわるかよ、と立香は苦笑いを浮かべた。
だがそのマスター役が、合計六画もの令呪を使用可能である……という情報を思い出したので、笑みはすぐに消えた。
へらへらと笑っている場合ではない。そうやって怯えなどを振り払うフェイズは、とうの昔に終わっているのだから。
「……頼んだぞ、ケツァ姉、燕青」
令呪が刻まれた手をぐっと強く握り、敵を睨み付けながら呟く。
その直後に、青空の下で英霊四騎が再び激突した。
最終更新:2018年02月15日 17:34