てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
速い!
速すぎる、絶対におかしい!
だってついさっきまで、この子の姿はよく見ないとわからないくらい遠くにあったはずなのに!
それがなんで、ほんの何秒かでこんなに近づいてるの!?
絶対、人間じゃない!
――おばけだ!
「ひ、ひーちゃん、おいつかれる!」
「おちついて!」
この状況で落ち着いていられるわけない!
セーラー服の子……もといおばけの持っている鎌は、おばあちゃんの家でも見たことがないようなとても大きいものだ。
昔読んだこわい絵本に書いてあった、《しにがみ》って名前のおばけが、確かこんなものを持ってたっけ。
なんでそんなおばけがこんなところを彷徨いてるのか、わたしにはわからない。
夜だからなのかもしれないし、もっと別な理由があるのかもしれない。
だけど今は何よりも、この《しにがみ》から早く離れないと!
わたしもひーちゃんも、死んじゃう! 殺されちゃう!!
「りっか、こっち!」
「わ、わ……!」
ひーちゃんに強く手を引かれて、わたしは思わず前につんのめってしまう。
目の前の細い曲がり角に、ほとんど無理矢理といっていいスピードでわたしごと飛び込んだ。
転ぶ時によくある体が浮くみたいな感覚にひやりとするけれど、その一方でひーちゃんの考えに「なるほど!」と納得した。
ひとりで学校に通うようになった頃。ひとりで遊びに行くようになった頃。
おとなはみんな、口をすっぱくしてわたしに言った。
――くるまはきゅうにとまれない。
多分どこのおうちも同じだろう。
車は速い。だからいきなり止まろうとすると、なんとかっていう力が邪魔をして、絶対にうまく止まれないんだって。
「はしるよ!」
振り向いている暇はない。
ひーちゃんの手をぎゅっと力いっぱい握って、離さないようにして、わたしは走る。
だから、ひーちゃんのアイデアが通じたのかどうか、正確にはわからない。
わからないけれど、さっきまでのペースで追いかけられていたら、今頃わたしたちは真っ二つにされていたはずだ。
それがまだ無事だってことは、多分うまくいったんだと思う。
必死で走りながら、わたしは言った。
「ひーちゃん、っ、すごいね! あたまいい!」
「おはなしはあと!」
「ごめんなさい!!」
そうだ、まだ終わってない。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
少し距離は離れたけど、まだあの音が聞こえてる。
逃げよう。逃げ切るんだ。
おまわりさんのところまで。
わたしたちは走る。
空は墨で塗ったみたいに真っ黒な夜。
お星さまのきらめきだけが、そこを彩っている。彩ることを許されている。
■
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「だいじょうぶ、りっか」
ひーちゃんがわたしの背中をさすっている。
息が切れて、のどが痛い。
足が重くなって軋んでいるのがわかる。
スタミナ、っていうんだっけ。
とにかくそういうものが、全力で走ったからすぐに切れてしまったみたい。
「あ、あれ、おばけ……だよね?」
「たぶん……もしおいつかれたら、あぶないね」
「だね」
棒きれなんかあれば、防ぐことも出来るのかもしれないけど。
それごと真っ二つにされちゃうかもしれないし、さすがにこわい。
でも、どうしよう。
ここからずっと、あの子から逃げながら進まなきゃいけないのかな。
「ひーちゃんものどかわいたでしょ」
「え? あ、うん」
「じどうはんばいきとかあればいいんだけどな……あ、でもおかねないや」
おばあちゃんと一緒に駄菓子屋さんやおもちゃ屋さんに行った時に、持ってたお小遣いはほとんど使っちゃったんだった。
水が飲みたいけれど、ないものねだりでひーちゃんを困らせるのもよくない。我慢しよう。
「りっか、ほんとにだいじょうぶ? もしあれだったら、ぼくがおんぶするよ?」
「だいじょうぶ。それにおんぶなんかしてたらそれこそおいつかれちゃうよ。
さっきみたいにいろいろかんがえながらにげれば、ぜったいなんとかなるって」
「そうだといいんだけど……」
ひーちゃんはわたしより行動力があって頼りになるけど、ちょっと心配性みたい。
たぶん頭もわたしよりずっといいんじゃないかなって思う。
もちろん頼りきりじゃいけないし、わたしにできることを探していかなきゃ、だけど。
――と、そんなことを思っていると。
地面に突いたわたしの手が、なにか硬いものに触った。
「あれ?」
拾い上げてみると、それは分厚い本。
本屋さんで買ったら、結構な値段がしそうだ。
少なくともわたしたち小学生のお小遣いくらいじゃ、とても手が届かないくらいの。
「ひゃっかじてんみたいだね?」
「だれかがおっことしたのかな?」
「おとすようなサイズじゃないとおもうけど……」
厚い本なだけあって、ずっしり重い。
確かにこれを落として気づかないのは、いくらなんでもぼんやりさんが過ぎる気はする。
表紙についた砂ぼこりを手で払って、本の表紙に視線を落とす。
「なんかかいてある」
「よめる?」
「うん。ふりがながふってあるから」
よんでみる? とわたしが聞くと、こくんとひーちゃんが首を縦に振る。
どれどれ。夜道は暗いけど、電気がないわけじゃないから字を読むくらいはお茶の子さいさいだ。
まあ、ちょっと目を凝らす必要はあるんだけど。
「《真・日本妖怪大全》」
……。
わたしたちは顔を見合わせた。
「こんなゲームみたいなことってある?」
「わかんない……けど、なにかのやくにはたつかも。
《ようかい》って、おばけみたいなもののことをいうんでしょ?」
まるでお助けアイテムだ。
ゲームの世界に放り込まれたみたいな、あからさまなイベント。
さすがのわたしも、少し疑ってしまう。
それともこの町……如月って、そんなに山ほどお化け……もとい妖怪がわんさかいるところなの?
「いまはあの《てけてけ》っておともきこえないし……ものかげにかくれて、よんでみよっか」
不安なのか拍子抜けなのかよくわからないような気持ちのまま、わたしたちは建物の陰に隠れて、妖怪大全とやらに目を通してみることにした。
本のページ数は、終わりの方をちらっと見てみたところによるとなんと1545ページもある。
もちろん、こんな量をいっぺんに読むなんて無理だ。
だから目次を使って、気になるところだけちょこちょこ見てみることにした――の、だけど。
「ねえひーちゃん、これ――」
「……えっ」
目次に、無視できない文字があった。
正しくは文字というより、その擬音だけど。
わたしがその文字を指で示すと、ひーちゃんも驚いたように目を見開いた。
「「《てけてけ》」」
――真・日本妖怪大全、第987ページ
てけてけ。
北海道は室蘭、極寒極まる冬の只中で生まれた現代妖怪。
歴史は浅いがその怨みは非常に深く、一度でも目を付けられたなら逃げ切るのは至難。
元々これはどこにでもいる普通の少女であった。
しかしながら、彼女はある夜に突如その命を奪われる。
列車の事故だった。少女の体は上下に切断されるが、あまりの寒さに切断部分が凍結。下半身を失ってなお、暫く生存していたという。
もしも少女が即死していたなら、この妖怪は誕生していなかっただろう。
激痛と絶望に満ちた最後の時間を与えられてしまったが故、少女はこの世への憎悪と、失った足への欲望に満ちた怪物と成った。
彼女は現実の理屈を超えている。
自動車の全速力すら追い越す速度。
狙った獲物を永遠に追い回し続ける執念。
ここは《如月》。永劫に酩酊する無間の町。
これもまた、無間を彷徨う虜囚の一。
終わらぬ夜の住人。満たされぬ夜の狩人。
ライダーの霊基を持つ、サーヴァントである。
「さーばんと?」
見慣れない、耳慣れない単語に思わずわたしは首を傾げてしまう。
あと書いてある内容が難しすぎて、正直半分くらいしか自信を持ってわかったとは言えないのが悲しい。
でも――あのお化けがすごくかわいそうな子だってことはわかった。あと、すごく危ないお化けだってことも。
あ……お化けじゃなくて《妖怪》なんだっけ。
「さーばんとってなに?」
「しっ」
ひーちゃんなら知ってるかな?
そう思って聞いてみるけど、彼女は答えではなく、静かに、というジェスチャーを返してきた。
わたしはとっさに口を噤んで、そしてあの音を聞く。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
――夜が鳴っている。
――悲しい、夜が。
「にげないと!」
「うん」
てけてけは狙った獲物を逃さない。
本には、そう書いてあった。
とはいっても早く逃げないと殺されちゃうだけ。
まるで、終わらない鬼ごっこだ。
「……りっか、まって!」
ひーちゃんの手を引いて駆け出そうとした、その時。
ひーちゃんはぐっとその場に踏み止まって、わたしにそんなことを言う。
「ひーちゃん、いそがないと!」
「……これ」
ひーちゃんはわたしに本を見せる。
てけてけのページ。彼女の指は、その下の方を示していた。
「もしかしたら、つかえたりしない?」
てけてけは恐ろしい妖怪だ。
しかし、その場しのぎでもいいのなら逃げる手段は存在する。
それは彼女の弱点。
てけてけから逃げ切るためには――
真名判明
如月のライダー 真名 てけてけ
最終更新:2018年05月10日 20:59