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第三節:おまもり

 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 音がする。音が来る。夜が鳴る。
 わたしたちはそれから逃げる。
 追い付かれれば、わたしたちも夜になる。
 だから。静まり返った、人っ子一人いないように寂しい町並みを駆けていく。

 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 音は速い。お化けだってことを含めても、ちょっとズルすぎるんじゃないかってくらい。
 わたしたちは逃げ切れない。
 だってこのお化け……《てけてけ》は車よりも速く走れるんだから。
 そもそも、逃げられる理由がない。
 わたしたちのがんばりは無駄に終わって、二人仲良く真っ二つ。

 いや、ちがう。だってわたしたちには、《必勝法》があるんだ。

「りっか!!」

「うん!!」

 ひーちゃんの声に頷いて、わたしは彼女の手を引きながら目の前の曲がり角に飛び込む。
 それでも足は止めず、全速力で足を動かして、また別な曲がり角に。
 距離を取るだとか、相手を出し抜くだとか、そんなことはまったく考えない。
 ただ、角から角へ。それだけ考えて、必死に逃げる!

 てけてけの弱点は、その速さ。
 《真・日本妖怪大全》には、そうあった。
 つまり、ひーちゃんが最初にやったあれが正しかったということ。

(……くるまはきゅうにとまれない)

 てけてけはすごく速いけど、その分曲がるのがすごく下手なんだ。
 だから急カーブに対応できない。一回のカーブでさえ結構遅れてしまうのに、それを何度も繰り返されたら差はどんどん開いていく。
 わたしたち逃げる側は、それを利用すればどんどんてけてけから離れられる。
 正直最初は、そんなにうまくいくのかと不安だったけど、いざやってみたらこの通り。
 うまくいった。これなら、わたしたちでも十分逃げ切れる!
 ……でも、いつまでもは逃げられない。
 あの本にはこうも書いてあった。

 狙った獲物を永遠に追い回し続ける。
 てけてけ相手の逃げ方も、しょせんはその場しのぎ。
 ずっとこれを繰り返せば、捕まらないことは出来るかもしれないけど――

「りっか、あれ」

「……! コンビニだ!」

「だいぶはなれられたとおもうし……いっかい、あそこできゅうけいしよう」

 わたしたちは人間だ。
 それも、小さな子ども。
 いつかは体の方が疲れて、動けなくなっちゃう。
 ……どうにかしないといけない。
 なにか、方法を探さないと。
 そんな焦りにくちびるを噛み締めながら、わたしたちは電気のついていない、無人のコンビニエンスストアへと飛び込んだ。


「かってにのんじゃってだいじょうぶかな」

「だいじょうぶだよ。おみせのひとがきたら、ぼくがせつめいしてあげるから」

 コンビニの中。
 棚の影に隠れながら、わたしたちは売り物のスポーツドリンクで喉を潤していた。
 これだけで疲れが完全になくなるわけじゃもちろんないけど、何も飲まないのとでは全く変わってくる。
 体に染み渡る冷たさがすごく気持ちいい。
 こんな状況じゃなかったら、もっとおいしいんだろうけど。

「にしても、たいへんなことになっちゃったね」

「そだね。……おまわりさんにそうだんして、なんとかなるかなあ」

 わかんない、とひーちゃん。
 こく、ともう一口飲んで、彼女は続ける。

「そもそも、おまわりさんなんているのかな」

「……どういうこと?」

「だって、ほら」

 ひーちゃんはお店のレジを指差す。
 次に、お店の中をひとしきり見渡す。
 何が言いたいのか、なんとなくわかった。
 コンビニエンスストアは何でもあることと、朝でも夜でもいつでもやってるのが一番の売りなはずなのに。

「だれもいない。それにいくらよるだからって、けっこうはしってきたのに、わたしたちいがいひとりもひとがいないっていうのはおかしいよ」

「いわれてみれば、そうだね……じゃあ、もしかしてどうしようもない?」

「そうはいってないけど、べつなほうほうをかんがえなきゃだめかも」

 別な方法。
 つまり、おまわりさんに頼る以外の手段。
 流石のわたしも、薄々は感じてた。
 この町は、あのお化けのことを抜きにしても、何かおかしい。
 わたしが暮らしていたところとは、明らかに違う。
 妖怪図鑑にも、そんなことが書いてあったはずだし。

 ――となると、やっぱりわたし、ひょっとして帰れないんじゃ?
 そう思うと自然に顔が俯いてしまう。
 目の端に涙が滲んでくる。
 おかあさんとおとうさんの顔が、電車に乗っている時にはあれだけ見たくなかった二人の顔が、浮かんでくる。
 こんなところで、死にたくないなあ。
 お化けに殺されるなんて、いやだなあ。
 溜まった涙が溢れ出しかけた時、わたしの手をぎゅっと温かい感触が包んだ。

「りっか、おちついて」

 ひーちゃんだ。
 顔を上げると、ひーちゃんはわたしをぎゅっと抱き締めてくれる。
 おかあさんに抱っこされているような安心感に、涙が引っ込んでいくのを感じた。

「だいじょうぶ。ぼくがついてるよ」

「ひーちゃん……」

「たぶんだけど、このまちはおかしいんだとおもう」

 本にはこうあった。
 ここは《如月》。永劫に酩酊する無間の町――
 言葉の意味はよくわからないけど、この町は普通じゃないよ、って意味なのは間違いないだろう。

「ひーちゃんはほんにかいてあったことのいみ、わかるの?」

「わかるけど、せつめいしにくいんだよね」

「……?」

「まあようするに、ここはぼくやりっかがいていいとこじゃないってことみたい」

 妖怪やお化けの町、って言えばいいかな。
 ひーちゃんはそう締めくくった。
 その簡単なまとめで、ようやくわたしは正しく今の状況を理解出来た。
 この町は、でっかいお化け屋敷なんだ。
 しかもお化け役をやってるのは人じゃない。本物のお化けであり、妖怪。
 おまけに驚かすだけじゃなくて、わたしたちを殺してしまおうと近寄ってくる。

「でも、それならはなしはかんたんだとおもわない?」

「え?」

「まちがおかしいなら、まちからでればいいんだよ」

 町から、出る。
 如月がおかしいなら、その外へ。
 人間のいていいところまで逃げればいい。

「そっか! なんでいままできづかなかったんだろ!」

 希望が湧いてくるのを感じる。
 涙はとっくに消えてなくなった。
 そうだ――簡単なことだった!

「かんたんではないとおもうけどね。
 てけてけだってどうにかしなきゃいけないし……どこからでるのがいちばんいいかもわからないし」

「んー……あ」

「?」

 ひーちゃんが首を傾げている。
 わたしは、ぽんと手を打ってがしっと彼女の肩を掴んだ。
 わたしだってひーちゃんに頼りっきりじゃない。
 その証拠に今、とってもいいことを思いついた。

「もしかしたら、どこからでればいいのかはわかるかも」

「……どうやって?」

「しらべるの!」

 ばっと両手を広げて、わたしは言う。

「どこで?」

「ここで!」

 そう、ここはコンビニエンスストア。
 コンビニのいいところは二つ。
 朝でも夜でもやってることと、何でもあることだ。


「おてがらだよ、りっか!」

「えへへ」

 如月町の地図はすぐに見つかった。
 雑誌コーナーを漁った結果、見つかった旅人向けの観光ガイド。
 そこには町の全体図が丁寧に記されてあって、わたしとひーちゃんは思わず笑顔でハイタッチをした。
 わかったことはいくつかある。
 まずこの町は四方を山に囲まれていて、出ようと思えば山を越えるしかないこと。
 もちろん、これはわたしたちの体力じゃまず無理だ。
 まして山は色々と、よくないものが出る場所だってことはわたしでも知ってる。
 町のお化けや妖怪が山にもいたなら、逃げられる見込みは今よりずっと低くなるはず。だから、山越えは出来ない。

「とりあえず……めざすところはきまったね」

「うん。ここ、だね」

 しかし、そこにひとつだけ例外がある。
 山を登らなくても、山の向こうに行ける方法。
 すなわち。

「「《いさぬきトンネル》」」

 トンネルだ。
 町の西端にある、伊佐貫トンネル。
 それを通ることで隣町、《堅州(かたす)》に行けるんだとか。
 山を越える体力を持たないわたしたちにとって、このトンネルが唯一の希望。
 如月町を抜けて、人間の世界に帰る蜘蛛の糸。

「でも、きょりはそうとうあるよ。たいりょくをおんぞんしながらいかないと、もたないかも」

「……どろぼうみたいでいやだけど、ちょっとのみものもらってこうか。
 さすがにスポーツドリンクいっぽんだけで、トンネルまでたりるとはおもえないや」

 お店の人、本当にごめんなさい。
 でもわたしたちも死にたくないの。
 そんな言い訳をしながら、スポーツドリンクをレジ袋に放り込んでおく。

「ところでひーちゃん、てけてけのことだけど……」

「うん、ぼくもいまそのことをかんがえてた」

 てけてけ。
 体力以前の問題だ。
 あれがいる限り、わたしたちはずっと角を使いながら進まないといけなくなる。
 一度撒ければこうやって時間は稼げるけれど……堅州の町までも追いかけてくるというのならいよいよお手上げだ。
 逃げる以外に、どうにかする方法を探さないと。
 考えても、答えは出ない。
 そんな時、ほとんど自然に、わたしの口から漏れた言葉があった。

「……やっつけるしか、ないのかな」

 お化けを、やっつける。
 妖怪を、人間がやっつける。
 めちゃくちゃなことを言った自覚はあるけど、頭のよくないわたしにはそれくらいしか思いつかなかった。
 それに対して、ひーちゃんは。

「むずかしそうだね」

 苦笑いした。

「あう」

「でも、そのくらいのこころがまえでいたほうがいいのかも。
 きもちでまけないってのは、なんにしてもだいじなことだよ」

「せんせいみたいなこというね」

「そう?」

 気恥ずかしくて顔が熱くなっているわたしを、ひーちゃんは前向きにフォローしてくれる。
 でも、やっつけたいくらいの気持ちだってのは本当だ。
 こんなところで死んじゃうなんて、絶対にいやだもん。

「あ、そうだ」

 そこでわたしは、不意に思い出した。
 ごそごそとポケットを漁って、中にあった《それ》をひーちゃんへと差し出す。

「これあげる!」

「これ……」

 きょとんとした顔をする、ひーちゃん。

「おまもり?」

 その手にはわたしが差し出した、巾着袋のような形のお守りがある。

「そ! おばあちゃんといっしょにおまいりにいったときにもらったんだ。ふたつあるから、いっこあげる」

 ほんとはおかあさんたちにあげるつもりだったんだけど、わたしとひーちゃんは……えっと、あれだ。そう、《運命共同体》。
 ひーちゃんにもし何かあったら、わたしはきっとこの町から出られなくなってしまう。
 それに、そもそも友達が死んじゃうのはすごく嫌なことだし。

「……いいの?」

「よくなかったらあげないよ!」

「そっか……ありがと。たいせつにするね。
 ――そうだ。ぼくからも、これあげる」

 そう言ってひーちゃんも、自分のポケットから何かを取り出した。
 丸い、綺麗な石。
 ……いや、宝石――かな、これ?
 サファイアとか、そういう石に近い気がする。
 手に持ってみると、なんだか不思議な温かさと安心感が湧いてきた。
 驚いて、わたしはひーちゃんにさっきの彼女と同じセリフを言ってしまう。

「おまもり?」

「そんなかんじ。だいじにしてね」

「うんっ! ありがとね、ひーちゃん!」

 お化けや妖怪がいるこの町だからこそ、お守りの存在が心に余裕を生み出してくれる。
 とはいえ、結局のところ、生きてこの町を出られるかどうかはわたしたち次第だ。
 どこまで諦めないで進めるか。
 どこまで、二人で歩けるか。
 迷子同士、子ども同士で、理不尽なお化けから逃げられるか。

「そういえば、ひーちゃんはさ。どういうところにすんでたの?」

「んー……」

 ふと気になって、わたしはそんなことを聞く。
 ひーちゃんは少し考えてから、口を開いた。

「しずかなところだよ」

「ふうん?」

「ぼくは、あんまりすきじゃなかったなあ」

 ひーちゃんにも色々あるらしい。
 わたしは、そういう田舎もいいと思うけどなあ。
 まあ、考え方は人それぞれだけど……。
 そんな他愛もない会話をしながら、わたしたちは荷物を纏めて立ち上がった。
 持ち物は少し増えたけど、レジ袋を調達できたおかげで持ち運びにはそんなに苦労しない。
 真・日本妖怪大全。スポーツドリンク。観光雑誌。そして、ひーちゃんのお守り。
 ――伊佐貫を目指す備えは、万全だ。

「いける? りっか」

「ひーちゃんこそだいじょうぶ?」

「ぼくはだいじょうぶ」

「なら、わたしもだいじょうぶ」

 互いに頷き合って、一歩外へ。
 夏の夜特有の蒸し暑さが襲い掛かってくるけれど、そんなことを気にしてる理由はない。
 それよりも気にするべきことが、すぐにわたしたちに襲い掛かってきたからだ。

 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。

 あの音がする。
 夜が、追い付いてきた。


「はしるよ、りっか!!」

「うん、ひーちゃん!!」

 のんきしてる暇はない。
 まだてけてけの姿は見えないけど、見えたらダメなんだ。
 その前に必勝法を使って、また音が聞こえないくらい距離を離さないと。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 音はすぐそこまで迫ってきてる。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 骨の髄にまで響くような音。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 子どものわたしたちにもわかるくらい、深い憎しみのこもった音色。

「ひーちゃんあそこ! 曲がり角!」

「おてがら!」

 さっそく角に飛び込もうとして。
 そこでひーちゃんが、急ブレーキを踏んだみたいに停止した。
 転びそうになるのをなんとか堪えて、わたしは声をあげる。

「どうしたの!?」

「……だめ。ここ、とおれない……!」

 どうして!
 わたしは身を乗り出して、目当てだったはずの角、その向こうを見てみる。
 そして、ひっと息を呑んだ。
 角の先にいたのは――大きな蜘蛛。道を塞げるくらい大きな、ジョロウグモ!
 こんな生き物が普通にいるはずはない。
 つまり、これは……如月の住人! 妖怪だ!!

「ど、どうするの!?」

「べつなまがりかどにいく!」

 ここがダメなら次。
 もちろん、やれることはそれしかない。
 わたしたちは出せる限りの全速力で、次の角へと急いだ。
 けれど。

「ここも……!?」

 そこには蜘蛛はいなかったけれど、蜘蛛の巣が張られていた。
 道を塞ぐくらいの大きさではあるけれど、しょせんはただの蜘蛛の巣だ。

「これ、むりやりつっきったらだめかな!?
 わたしだってできればやりたくないけど、きもちわるいとかいってるばあいじゃないとおもう!!」

「……たぶんだめ。みて、あそこ」

 ひーちゃんの指差す方に視線を向けると、彼女がダメと言うその意味が理解できた。
 道の隅、側溝の中からたくさんの目が覗いている。
 蜘蛛の目だ。それも、一匹二匹のものじゃない。
 あの中にものすごい数の子蜘蛛がいる。
 親蜘蛛の張った巣に、間抜けに飛び込んでくる獲物を今か今かと待ち受けている。
 それはとてもおぞましい光景で、全身にぶわっと鳥肌が立っていくのがわかる。
 そして。

「足、ちょうだい」

 てけてけという音が、止まると同時に声がした。
 恐る恐る振り返れば、道の向こうに小さな女の子がいる。
 体が足りない女の子。わたしより大きくなくちゃいけないのに、足がないから小さい女の子。

 停まっていてくれたのは一瞬だった。
 すぐに彼女は、足のない体で駆け出し始める。
 てけてけ。てけてけ。てけてけ。
 奇怪な音を、響かせて。
 車なんかよりずっと速い、人間じゃ絶対に逃げられないスピードで迫ってくる。
 死神の鎌を、振り上げながら。
 なくした足を取り返しにやってくる。

「あ、あ――」

 腰が抜ける。
 がくんと、視点が下がる。
 あまりに恐ろしい光景と、絶望的な袋小路にようやく見つけた希望が消えていく。
 そんなわたしの耳に――大きな声がとどろいた。

「りっか!!」

 びくんと体が跳ねる。

「おまもりをかまえて!!」

 言っている意味がわからない。
 けれど、言う通りにしなきゃいけない気がした。
 そうしなきゃ何もかも終わってしまうと本能的にわかったから、なんで、と訊くよりも早くひーちゃんから貰った方のお守りを取り出し、構える。

 ――夜の闇に、流れ星が煌めいた。

 てけてけの猛進が止まる。
 胸を抑えて、呻いている。
 わたしはお守りを構えたまま、はあはあと荒い息を吐くしか出来ない。
 今、何が起こった?
 わたし、今、何をした?
 お守りから飛び出したのは――水の、塊?

「じょうでき」

 ぽんとわたしの頭に手を置いて。
 ひーちゃんが、わたしを庇うように前に出る。
 その手に握られているのはレジ袋ではない。
 大きな――大きな、水で出来た棒だった。
 ……いや、違う。棒じゃない。
 先っぽの尖った武器の名前は、確か。

「りっかはさがってて」

 ああ、そうだ。

「あとはぼくがやる」

 ――(やり)だ。

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第二節:さーばんと 無間暗黒迷界 如月 第四節:ごめんね

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最終更新:2017年12月30日 17:51