てけてけ。てけてけ。てけてけ。
音がする。音が来る。夜が鳴る。
わたしたちはそれから逃げる。
追い付かれれば、わたしたちも夜になる。
だから。静まり返った、人っ子一人いないように寂しい町並みを駆けていく。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
音は速い。お化けだってことを含めても、ちょっとズルすぎるんじゃないかってくらい。
わたしたちは逃げ切れない。
だってこのお化け……《てけてけ》は車よりも速く走れるんだから。
そもそも、逃げられる理由がない。
わたしたちのがんばりは無駄に終わって、二人仲良く真っ二つ。
いや、ちがう。だってわたしたちには、《必勝法》があるんだ。
「りっか!!」
「うん!!」
ひーちゃんの声に頷いて、わたしは彼女の手を引きながら目の前の曲がり角に飛び込む。
それでも足は止めず、全速力で足を動かして、また別な曲がり角に。
距離を取るだとか、相手を出し抜くだとか、そんなことはまったく考えない。
ただ、角から角へ。それだけ考えて、必死に逃げる!
てけてけの弱点は、その速さ。
《真・日本妖怪大全》には、そうあった。
つまり、ひーちゃんが最初にやったあれが正しかったということ。
(……くるまはきゅうにとまれない)
てけてけはすごく速いけど、その分曲がるのがすごく下手なんだ。
だから急カーブに対応できない。一回のカーブでさえ結構遅れてしまうのに、それを何度も繰り返されたら差はどんどん開いていく。
わたしたち逃げる側は、それを利用すればどんどんてけてけから離れられる。
正直最初は、そんなにうまくいくのかと不安だったけど、いざやってみたらこの通り。
うまくいった。これなら、わたしたちでも十分逃げ切れる!
……でも、いつまでもは逃げられない。
あの本にはこうも書いてあった。
狙った獲物を永遠に追い回し続ける。
てけてけ相手の逃げ方も、しょせんはその場しのぎ。
ずっとこれを繰り返せば、捕まらないことは出来るかもしれないけど――
「りっか、あれ」
「……! コンビニだ!」
「だいぶはなれられたとおもうし……いっかい、あそこできゅうけいしよう」
わたしたちは人間だ。
それも、小さな子ども。
いつかは体の方が疲れて、動けなくなっちゃう。
……どうにかしないといけない。
なにか、方法を探さないと。
そんな焦りにくちびるを噛み締めながら、わたしたちは電気のついていない、無人のコンビニエンスストアへと飛び込んだ。
■
「かってにのんじゃってだいじょうぶかな」
「だいじょうぶだよ。おみせのひとがきたら、ぼくがせつめいしてあげるから」
コンビニの中。
棚の影に隠れながら、わたしたちは売り物のスポーツドリンクで喉を潤していた。
これだけで疲れが完全になくなるわけじゃもちろんないけど、何も飲まないのとでは全く変わってくる。
体に染み渡る冷たさがすごく気持ちいい。
こんな状況じゃなかったら、もっとおいしいんだろうけど。
「にしても、たいへんなことになっちゃったね」
「そだね。……おまわりさんにそうだんして、なんとかなるかなあ」
わかんない、とひーちゃん。
こく、ともう一口飲んで、彼女は続ける。
「そもそも、おまわりさんなんているのかな」
「……どういうこと?」
「だって、ほら」
ひーちゃんはお店のレジを指差す。
次に、お店の中をひとしきり見渡す。
何が言いたいのか、なんとなくわかった。
コンビニエンスストアは何でもあることと、朝でも夜でもいつでもやってるのが一番の売りなはずなのに。
「だれもいない。それにいくらよるだからって、けっこうはしってきたのに、わたしたちいがいひとりもひとがいないっていうのはおかしいよ」
「いわれてみれば、そうだね……じゃあ、もしかしてどうしようもない?」
「そうはいってないけど、べつなほうほうをかんがえなきゃだめかも」
別な方法。
つまり、おまわりさんに頼る以外の手段。
流石のわたしも、薄々は感じてた。
この町は、あのお化けのことを抜きにしても、何かおかしい。
わたしが暮らしていたところとは、明らかに違う。
妖怪図鑑にも、そんなことが書いてあったはずだし。
――となると、やっぱりわたし、ひょっとして帰れないんじゃ?
そう思うと自然に顔が俯いてしまう。
目の端に涙が滲んでくる。
おかあさんとおとうさんの顔が、電車に乗っている時にはあれだけ見たくなかった二人の顔が、浮かんでくる。
こんなところで、死にたくないなあ。
お化けに殺されるなんて、いやだなあ。
溜まった涙が溢れ出しかけた時、わたしの手をぎゅっと温かい感触が包んだ。
「りっか、おちついて」
ひーちゃんだ。
顔を上げると、ひーちゃんはわたしをぎゅっと抱き締めてくれる。
おかあさんに抱っこされているような安心感に、涙が引っ込んでいくのを感じた。
「だいじょうぶ。ぼくがついてるよ」
「ひーちゃん……」
「たぶんだけど、このまちはおかしいんだとおもう」
本にはこうあった。
ここは《如月》。永劫に酩酊する無間の町――
言葉の意味はよくわからないけど、この町は普通じゃないよ、って意味なのは間違いないだろう。
「ひーちゃんはほんにかいてあったことのいみ、わかるの?」
「わかるけど、せつめいしにくいんだよね」
「……?」
「まあようするに、ここはぼくやりっかがいていいとこじゃないってことみたい」
妖怪やお化けの町、って言えばいいかな。
ひーちゃんはそう締めくくった。
その簡単なまとめで、ようやくわたしは正しく今の状況を理解出来た。
この町は、でっかいお化け屋敷なんだ。
しかもお化け役をやってるのは人じゃない。本物のお化けであり、妖怪。
おまけに驚かすだけじゃなくて、わたしたちを殺してしまおうと近寄ってくる。
「でも、それならはなしはかんたんだとおもわない?」
「え?」
「まちがおかしいなら、まちからでればいいんだよ」
町から、出る。
如月がおかしいなら、その外へ。
人間のいていいところまで逃げればいい。
「そっか! なんでいままできづかなかったんだろ!」
希望が湧いてくるのを感じる。
涙はとっくに消えてなくなった。
そうだ――簡単なことだった!
「かんたんではないとおもうけどね。
てけてけだってどうにかしなきゃいけないし……どこからでるのがいちばんいいかもわからないし」
「んー……あ」
「?」
ひーちゃんが首を傾げている。
わたしは、ぽんと手を打ってがしっと彼女の肩を掴んだ。
わたしだってひーちゃんに頼りっきりじゃない。
その証拠に今、とってもいいことを思いついた。
「もしかしたら、どこからでればいいのかはわかるかも」
「……どうやって?」
「しらべるの!」
ばっと両手を広げて、わたしは言う。
「どこで?」
「ここで!」
そう、ここはコンビニエンスストア。
コンビニのいいところは二つ。
朝でも夜でもやってることと、何でもあることだ。
■
「おてがらだよ、りっか!」
「えへへ」
如月町の地図はすぐに見つかった。
雑誌コーナーを漁った結果、見つかった旅人向けの観光ガイド。
そこには町の全体図が丁寧に記されてあって、わたしとひーちゃんは思わず笑顔でハイタッチをした。
わかったことはいくつかある。
まずこの町は四方を山に囲まれていて、出ようと思えば山を越えるしかないこと。
もちろん、これはわたしたちの体力じゃまず無理だ。
まして山は色々と、よくないものが出る場所だってことはわたしでも知ってる。
町のお化けや妖怪が山にもいたなら、逃げられる見込みは今よりずっと低くなるはず。だから、山越えは出来ない。
「とりあえず……めざすところはきまったね」
「うん。ここ、だね」
しかし、そこにひとつだけ例外がある。
山を登らなくても、山の向こうに行ける方法。
すなわち。
「「《いさぬきトンネル》」」
トンネルだ。
町の西端にある、伊佐貫トンネル。
それを通ることで隣町、《堅州》に行けるんだとか。
山を越える体力を持たないわたしたちにとって、このトンネルが唯一の希望。
如月町を抜けて、人間の世界に帰る蜘蛛の糸。
「でも、きょりはそうとうあるよ。たいりょくをおんぞんしながらいかないと、もたないかも」
「……どろぼうみたいでいやだけど、ちょっとのみものもらってこうか。
さすがにスポーツドリンクいっぽんだけで、トンネルまでたりるとはおもえないや」
お店の人、本当にごめんなさい。
でもわたしたちも死にたくないの。
そんな言い訳をしながら、スポーツドリンクをレジ袋に放り込んでおく。
「ところでひーちゃん、てけてけのことだけど……」
「うん、ぼくもいまそのことをかんがえてた」
てけてけ。
体力以前の問題だ。
あれがいる限り、わたしたちはずっと角を使いながら進まないといけなくなる。
一度撒ければこうやって時間は稼げるけれど……堅州の町までも追いかけてくるというのならいよいよお手上げだ。
逃げる以外に、どうにかする方法を探さないと。
考えても、答えは出ない。
そんな時、ほとんど自然に、わたしの口から漏れた言葉があった。
「……やっつけるしか、ないのかな」
お化けを、やっつける。
妖怪を、人間がやっつける。
めちゃくちゃなことを言った自覚はあるけど、頭のよくないわたしにはそれくらいしか思いつかなかった。
それに対して、ひーちゃんは。
「むずかしそうだね」
苦笑いした。
「あう」
「でも、そのくらいのこころがまえでいたほうがいいのかも。
きもちでまけないってのは、なんにしてもだいじなことだよ」
「せんせいみたいなこというね」
「そう?」
気恥ずかしくて顔が熱くなっているわたしを、ひーちゃんは前向きにフォローしてくれる。
でも、やっつけたいくらいの気持ちだってのは本当だ。
こんなところで死んじゃうなんて、絶対にいやだもん。
「あ、そうだ」
そこでわたしは、不意に思い出した。
ごそごそとポケットを漁って、中にあった《それ》をひーちゃんへと差し出す。
「これあげる!」
「これ……」
きょとんとした顔をする、ひーちゃん。
「おまもり?」
その手にはわたしが差し出した、巾着袋のような形のお守りがある。
「そ! おばあちゃんといっしょにおまいりにいったときにもらったんだ。ふたつあるから、いっこあげる」
ほんとはおかあさんたちにあげるつもりだったんだけど、わたしとひーちゃんは……えっと、あれだ。そう、《運命共同体》。
ひーちゃんにもし何かあったら、わたしはきっとこの町から出られなくなってしまう。
それに、そもそも友達が死んじゃうのはすごく嫌なことだし。
「……いいの?」
「よくなかったらあげないよ!」
「そっか……ありがと。たいせつにするね。
――そうだ。ぼくからも、これあげる」
そう言ってひーちゃんも、自分のポケットから何かを取り出した。
丸い、綺麗な石。
……いや、宝石――かな、これ?
サファイアとか、そういう石に近い気がする。
手に持ってみると、なんだか不思議な温かさと安心感が湧いてきた。
驚いて、わたしはひーちゃんにさっきの彼女と同じセリフを言ってしまう。
「おまもり?」
「そんなかんじ。だいじにしてね」
「うんっ! ありがとね、ひーちゃん!」
お化けや妖怪がいるこの町だからこそ、お守りの存在が心に余裕を生み出してくれる。
とはいえ、結局のところ、生きてこの町を出られるかどうかはわたしたち次第だ。
どこまで諦めないで進めるか。
どこまで、二人で歩けるか。
迷子同士、子ども同士で、理不尽なお化けから逃げられるか。
「そういえば、ひーちゃんはさ。どういうところにすんでたの?」
「んー……」
ふと気になって、わたしはそんなことを聞く。
ひーちゃんは少し考えてから、口を開いた。
「しずかなところだよ」
「ふうん?」
「ぼくは、あんまりすきじゃなかったなあ」
ひーちゃんにも色々あるらしい。
わたしは、そういう田舎もいいと思うけどなあ。
まあ、考え方は人それぞれだけど……。
そんな他愛もない会話をしながら、わたしたちは荷物を纏めて立ち上がった。
持ち物は少し増えたけど、レジ袋を調達できたおかげで持ち運びにはそんなに苦労しない。
真・日本妖怪大全。スポーツドリンク。観光雑誌。そして、ひーちゃんのお守り。
――伊佐貫を目指す備えは、万全だ。
「いける? りっか」
「ひーちゃんこそだいじょうぶ?」
「ぼくはだいじょうぶ」
「なら、わたしもだいじょうぶ」
互いに頷き合って、一歩外へ。
夏の夜特有の蒸し暑さが襲い掛かってくるけれど、そんなことを気にしてる理由はない。
それよりも気にするべきことが、すぐにわたしたちに襲い掛かってきたからだ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
あの音がする。
夜が、追い付いてきた。
■
「はしるよ、りっか!!」
「うん、ひーちゃん!!」
のんきしてる暇はない。
まだてけてけの姿は見えないけど、見えたらダメなんだ。
その前に必勝法を使って、また音が聞こえないくらい距離を離さないと。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
音はすぐそこまで迫ってきてる。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
骨の髄にまで響くような音。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
子どものわたしたちにもわかるくらい、深い憎しみのこもった音色。
「ひーちゃんあそこ! 曲がり角!」
「おてがら!」
さっそく角に飛び込もうとして。
そこでひーちゃんが、急ブレーキを踏んだみたいに停止した。
転びそうになるのをなんとか堪えて、わたしは声をあげる。
「どうしたの!?」
「……だめ。ここ、とおれない……!」
どうして!
わたしは身を乗り出して、目当てだったはずの角、その向こうを見てみる。
そして、ひっと息を呑んだ。
角の先にいたのは――大きな蜘蛛。道を塞げるくらい大きな、ジョロウグモ!
こんな生き物が普通にいるはずはない。
つまり、これは……如月の住人! 妖怪だ!!
「ど、どうするの!?」
「べつなまがりかどにいく!」
ここがダメなら次。
もちろん、やれることはそれしかない。
わたしたちは出せる限りの全速力で、次の角へと急いだ。
けれど。
「ここも……!?」
そこには蜘蛛はいなかったけれど、蜘蛛の巣が張られていた。
道を塞ぐくらいの大きさではあるけれど、しょせんはただの蜘蛛の巣だ。
「これ、むりやりつっきったらだめかな!?
わたしだってできればやりたくないけど、きもちわるいとかいってるばあいじゃないとおもう!!」
「……たぶんだめ。みて、あそこ」
ひーちゃんの指差す方に視線を向けると、彼女がダメと言うその意味が理解できた。
道の隅、側溝の中からたくさんの目が覗いている。
蜘蛛の目だ。それも、一匹二匹のものじゃない。
あの中にものすごい数の子蜘蛛がいる。
親蜘蛛の張った巣に、間抜けに飛び込んでくる獲物を今か今かと待ち受けている。
それはとてもおぞましい光景で、全身にぶわっと鳥肌が立っていくのがわかる。
そして。
「足、ちょうだい」
てけてけという音が、止まると同時に声がした。
恐る恐る振り返れば、道の向こうに小さな女の子がいる。
体が足りない女の子。わたしより大きくなくちゃいけないのに、足がないから小さい女の子。
停まっていてくれたのは一瞬だった。
すぐに彼女は、足のない体で駆け出し始める。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
奇怪な音を、響かせて。
車なんかよりずっと速い、人間じゃ絶対に逃げられないスピードで迫ってくる。
死神の鎌を、振り上げながら。
なくした足を取り返しにやってくる。
「あ、あ――」
腰が抜ける。
がくんと、視点が下がる。
あまりに恐ろしい光景と、絶望的な袋小路にようやく見つけた希望が消えていく。
そんなわたしの耳に――大きな声がとどろいた。
「りっか!!」
びくんと体が跳ねる。
「おまもりをかまえて!!」
言っている意味がわからない。
けれど、言う通りにしなきゃいけない気がした。
そうしなきゃ何もかも終わってしまうと本能的にわかったから、なんで、と訊くよりも早くひーちゃんから貰った方のお守りを取り出し、構える。
――夜の闇に、流れ星が煌めいた。
てけてけの猛進が止まる。
胸を抑えて、呻いている。
わたしはお守りを構えたまま、はあはあと荒い息を吐くしか出来ない。
今、何が起こった?
わたし、今、何をした?
お守りから飛び出したのは――水の、塊?
「じょうでき」
ぽんとわたしの頭に手を置いて。
ひーちゃんが、わたしを庇うように前に出る。
その手に握られているのはレジ袋ではない。
大きな――大きな、水で出来た棒だった。
……いや、違う。棒じゃない。
先っぽの尖った武器の名前は、確か。
「りっかはさがってて」
ああ、そうだ。
「あとはぼくがやる」
――槍だ。
最終更新:2017年12月30日 17:51