「ひーちゃん?」
あぶないよ、とわたしは叫ぶ。
けれどひーちゃんは、だいじょうぶと一言だけ言った。
その手に持った槍は、ひーちゃんの身の丈ほどもある。
いや……それよりも、どうして水があんな形にまとまっているんだろう?
凍ってるわけでも、ないのに。
「足を、ちょうだい」
足のない女の子。
妖怪てけてけ。
サーヴァント・ライダー。
お守りから出た水が食い止められたのはほんの一瞬。
てけてけと音を響かせながら、大鎌を振りかざして迫ってくる。
見てられない! わたしは、反射的にぎゅっと目を瞑った。
だけど。
「えっ――」
ひーちゃんは、それを身じろぎもせずに受け止める。
物を受け止めるなんて出来るはずのない、水の槍で。
そして次の瞬間には、攻撃してきたてけてけを押し返すことに成功していた。
「あげない」
そうして生まれた隙に、ひーちゃんは容赦なく槍を突き出す。
普通の女の子の動きとは、とても思えないものだった。
もしかするとひーちゃんは、こういう……《ぶじゅつ》を習ったりしてるのかもしれない。
いや、だけど、それにしても。
ひーちゃんが、強すぎる。
「足、をっ、」
「だから、あげないって」
さっきまで、あんなに怖かったてけてけ。
それを、ひーちゃんは完全に圧倒していた。
寄せ付けない、という言葉がこれほど似合う場面はそうないと思う。
大振りで振るわれる鎌は、全部ひーちゃんが受け止める。
なのにひーちゃんのする突きを、てけてけの方はぎりぎりでしか防げない。
武器の差では、ないと思う。
もっと、もっとずっと根本的に――
「ごめんね、りっか」
「ひーちゃん?」
「すこしめをつむってて」
――武器を使う人の差。
それが、大きすぎる。
「すぐおわるから」
わたしは、ただ。
言われた通りに目を瞑るしかなかった。
「あしを――」
響く、かたいもの同士がぶつかり合う音。
それはどんどん、どんどん激しくなっていく。
耳をつんざくように。
静かな夜を、切り裂くように。
「よこせぇっ!!」
嵐が来たみたいだった。
音はどんどん激しくなる。
音はどんどん増えていく。
きっと、お互いがものすごく早く打ち合っているから。
ひーちゃんが傷ついていないか怖くなって、つい目を開けてしまいそうになるけれど。
「だめだよ。まだ」
ひーちゃんにぴしゃりと窘められる。
その声は、今までのひーちゃんと何も変わらない。
びっくりするくらい、ひーちゃんは落ち着いていた。
もしかすると、てけてけ以上に。
「すぐおわらせるっていっちゃったし。
はやく、おわってくれる?」
少し鈍い音がした。
同時に、ひーちゃんのものとは違った呻き声。
どうやって終わらせようとしているのか、嫌でも分かる。
ひーちゃんがやろうとしていることを、怖いとは思わない。
だって相手は妖怪で。わたしたちを殺そうとしてる、怖い存在。
けれど――あまりにも淡々としたひーちゃんは、少し怖かった。
「に、くい」
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
「憎い! 憎い! 憎い!
どうして、あたしだけ!
どうして、あたしだったの!
あたしは、あたしは、悪くない!
だから!!」
またあの音がする。
てけてけ。てけてけ。てけてけ。
何かが軋むような、何かが脈打つような音。
この如月にやって来てから何度も聞いた、《こわい》ということの象徴。
しかも今度のは、明らかに今までと違っていた。
わたしは今日までお化けを見たことはない。
そういう存在に対して、詳しいわけでももちろんない。
でも、分かる。今度のは桁が違う。
「その足、よこせ―――!!」
てけてけ! てけてけ! てけてけ!
てけてけ! てけてけ! てけてけ!
てけてけ! てけてけ! てけてけ!
鼓膜が破れそうなくらいの音で響く、あの音。
聞いているだけで、叫び出しそうになってくる。
耳を塞いでも頭の中に直接聞こえるそれに、わたしはとうとうひーちゃんの言いつけを破ってしまった。
目を開けて、ひーちゃんに叫んだ。
あぶないよ、逃げようと。
でも。
「雪夜寓話・欠損裁斬!!」
全部遅かった。
てけてけの鎌が、消える。
綺麗さっぱり、最初からなかったかのように。
そして、その次の瞬間。
「ひーちゃん!!」
ひーちゃんの両足がある場所。
そこを、狙い澄まして切り裂くように。
世界に、真っ赤な血色の裂け目が現れた。
■
『雪夜寓話・欠損裁斬』。
それはライダーのサーヴァント、妖魔てけてけが持つ唯一の宝具。
失った両足への執念と、狙った獲物を必ず追い立てて殺すという性質。
以上二つが基底となって生み出された宝具の効果は、一言で言うならば過程の省略。
てけてけは必ず追い付く。
追い付いて両足を切り取る。
結果が分かり切っているのなら、そこに至る過程に意味はない。
故に彼女の宝具は、真名解放が行われると同時に、《敵の両足を切断した》事実のみを発生させる。
防御不能。回避も不能。
魔力消費は大きいが、代わりに放てば一撃必殺。
無念の想いから逃れる手段は存在しない。ただ二つを除いては。
一つは、高い魔力への耐性を持つ者。
もう一つは――
人由来の怨念程度は軽々跳ね返すほどの――神の性質を持つ者。
■
痛い、苦しい。
寒い、苦しい。
星の綺麗な夜空を見上げながら、あたしは雪の上に仰向けで倒れていた。
何が起こったのかわからない。
わたし、どうなったんだっけ?
そう思って手を動かし、かじかんだ指で目を擦る。
すると、目が見えなくなった。
指が真っ赤な液体で汚れていたからだ。
……それがあたし自身の血であると気付くまで、そう時間はかからなかった。
あたしは怪我をしてる。
だからこんなに痛いんだ。
だからこんなに苦しいんだ。
怪我をしたら、病院へ行かなくちゃ。
そう思って、立ち上がろうとした。
でも出来なくて、苛立ちながら自分の足を見た。
そこには足がなかった。
そうしてあたしは思い出す。
帰りを急いでいた。
踏切を乗り越えて、無理矢理帰ろうとしていた。
いけないことをしようとしたから、きっとバチが当たったんだろう。
あたしは、電車に撥ねられたんだ。
困ったな、どうしよう。
足がなきゃ学校にも行けない。
母さんの見舞いにも行けない。
弟を保育園に迎えに行くことも出来ない。
それよりも、このままじゃ死んでしまう。
誰かに、助けてもらわないと。
そう思っていると、遠くから誰かが走ってきた。
多分、電車の車掌さんだろう。
その人は倒れた足のないあたしを見て、えらく驚いたような顔をした。お化けでも見たような顔だ。
ああ、驚くのは分かるけど。
その前に助けてくれない?
見ての通り大怪我だからさ、このままじゃ死んじゃうんだ。
喋りたくても声が出ないから、手ぶりだけでそう伝える。
でも、車掌さんは救急車を呼ぶ素振りも見せない。
ただ、かわいそうなものを見るような目をしていた。
どこかで見たことのあるような、目。
……あっ、そうだそうだ。
思い出した。
これ、轢かれた猫の死体を見る目だ。
――え。
ちょっと、待てよ。
あたし、まだ生きてるよ。
まだ死んでない、生きてる。
は? えっ? あたし、死ぬの?
足がなくなって、血がいっぱい出てるから?
救急車を呼んでも間に合わない?
ならいいよ、あたしが走って病院に行くから。
あたしこれでも足速いんだ、陸上の県大会にも出たんだよ?
だから足だけ持ってきてくれない?
足がないと、走れないんだけど。
ねえ。ちょっと。
足。あたしの足。
足を、返して。
ねえ――あたしを。
そんな目で、見ないで。
■
「めをつむっててっていったのに」
てけてけの胸を、ひーちゃんの槍が貫いていた。
その両足はきちんと胴体と繋がって、地面を踏み締めている。
確かに、斬りつけられたはずなのに。
ひーちゃんには、効かなかったらしい。
「ひ、ひーちゃん……」
「……なに?」
ごくりと、わたしは唾を飲み込んだ。
聞くのがこわい。でも、聞かなきゃずっとこわいままだ。
ひーちゃんはわたしの友達で、わたしの仲間で、同じ迷子で。
なのに、今のひーちゃんはまったく別の存在に見える。
こんなことを思っちゃいけないとは分かってるけど、ひーちゃんが、人間に見えない。
あの恐ろしいてけてけをまるで寄せ付けないまま、子供扱いしてやっつけるなんて。
「ひーちゃんは――なにものなの?」
絞り出した質問に。
ひーちゃんは、首を傾げながら答えた。
「にんげんだよ?」
「で、でも! そのやりとか、いままでのうごきとか、どうやって……」
「おまもりのおかげじゃない?」
え。
わたしの口から、声が漏れる。
「りっかのくれたおまもりのおかげだよ。
たぶん、おまもりにこもったかみさまが、ぼくたちにちからをくれたんだ」
「ぼく、たち?」
「うん。だってりっかも、すごいちからつかってたじゃない」
そういえばそうだ。
わたしも、ヘンな力を使ってた。
咄嗟に構えたおまもりから飛んでいった、水の塊。
それはてけてけに直撃して、その動きを何秒かとはいえ止めることが出来た。
……なんだか体の力が抜ける気がした。
なんだ、それなら、ひーちゃんがおかしいわけじゃなかったんだ。
おまもりが、わたしたちを守ってくれてたのか。
「それよりりっか、はやくいこ。
まっすぐすすめるようになったから、あのくもたちはこわくないよ」
「そうだね……」
あんまり、のんびりしてる時間はない。
この如月をうろついている妖怪は、何もてけてけだけじゃないんだ。
わたしたちはさっき、そのことを自分の目で確認した。
どこまでも追いかけてくるてけてけ。
道を塞ぐジョロウグモと、その子ども達。
わたしたちがこの街で見てきた妖怪達は、きっと全体で見ればごく一部のものでしかないのだろう。
今みたいに、何度も何度も妖怪に勝てるとは限らない。
出来るなら戦わない、出会わないまま、素早く目的のトンネルを抜けた方がいいに決まってる。
「でも、ごめん。ちょっとまってて」
「え?」
だけど、わたしにはどうしてもしておきたいことがあった。
時間の無駄は百も承知だ。
でも、わたしは馬鹿だから、無駄なことをしてしまう。
困惑したようなひーちゃんを横目に、わたしは歩き出す。
わたしが何をしようとしているか気付いたのだろう。
ひーちゃんが目を丸くして、唾を飛ばしながら言った。
「りっか! そっちにいったら――」
「わかってる!」
わたしは近付いてく。
ひーちゃんに刺されて、倒れた、てけてけの方に。
そう、こんなの時間の無駄だし、何より危ない。
「(わかってる、あぶないことくらい)」
でも、こうしなきゃダメだと思った。
――妖怪図鑑に書いてあった、てけてけという妖怪が生まれた経緯の話。
追いかけられてる時も、コンビニで休んでる時も、ひーちゃんが戦ってる時も。
わたしの頭の中には、そのことがずっと残っていた。
返しの付いた針みたいに、全然外れてくれなかった。
それくらい、悲しい話だったから。
寒い雪の夜。
電車に轢かれた女の子。
本当は痛みもなく死んでしまうはずなのに、ほんのわずかだけ生き延びてしまった。
どれだけ痛かったろう。
どれだけ苦しかったろう。
どれだけ、怖かったろう。無念だったろう。
そう思うと、わたしは胸が張り裂けそうになった。
でも――人と妖怪は、分かり合えない。
だってあの子はもう人間じゃない。
永遠に《持っている人》を追いかけて、奪うしか出来なくなってしまったんだから。
けれど、それでも。
「………」
「ァ、あ――ぃ、あ、しぃ……」
わたしはこの子を、ただ怖いだけのばけものとして片付けたくはなかった。
そんな風に終わらせてしまったら、多分一生後悔すると思った。
胸を真っ赤に染めて、体の端っこが金色の粉になって消え始めているてけてけ――いや、名前も知らない女の子に。
「ごめんね」
わたしは、ぺこりと頭を下げた。
「―――」
「ごめん。あなたの《ほしい》をじゃまして、ほんとうに、ごめんね」
でも。
「……わたしは、わたしたちは。まだ、いきてたいの」
わたしは、あなたのために死ねる――そんな女神さまにはなれない。
だからごめんなさいをした。
許してくれるとは思ってない、ただの自己満足だけど。
それでも、この子はそうやって向き合わなくちゃいけないお化けだと思ったから。
「りっか……」
ひーちゃんが驚いたような、複雑そうな顔で見ている。
最後にわたしはもう一度女の子にお辞儀して、彼女の方に戻っていった。
女の子も、最後の最後まで、今のひーちゃんと同じような表情をしていた。
「ごめんね。どうしても、こうしておきたくって」
「……ううん、しょうがないよ。りっかはやさしいからね」
「えへへ、そうかなあ」
面と向かってそんなことを言われると、少し照れくさい。
それはさておき――今度こそ、伊佐貫を目指して出発する時だ。
またあの蜘蛛に道を塞がれてたりしたら面倒だけど、流石に全部の道がああなってるなんてことはないだろう。
少しずつでも、確実に進んでいく。
そうして、この人《だった》ものたちの街を抜け出すんだ。
わたしたちは、生きているんだから。
「ところでいまさらだけど、わすれものとかしてないよね?」
「そういわれるとちょっとふあんになってくるなあ……」
急いで荷物を確認する。
……うん、ちゃんと全部持ってきてるみたい。
胸を撫で下ろしてから、わたしは元来たコンビニの方を振り向いた。
ちょっと遠くに見える、見慣れたマークのコンビニエンスストア。
「あれ」
そのはずなのに、なんだろう?
なにか、おかしい気がする。
あ、わかった。
「ねえ、ひーちゃん。なんか……」
「?」
「コンビニ、あかくない?」
「―――」
コンビニの窓が赤く染まってる。
赤といっても、血の赤じゃない。
あれは、肌に出来たできものとか、そういう種類の赤色だ。
「りっか」
ひーちゃんの顔を、ちら、と見る。
青ざめていた。
「にげよう」
頷くよりも先に、わたしはもう一度コンビニを見る。
今度はわたしも気付いた。
血の気が引いていく。
全身に、点の集合体を見た時のような鳥肌が立つ。
あの赤色は、人間の皮膚だ。
ものすごい数のできものが化膿して、赤くなってるんだ。
でも間違いなく、あれは人間じゃない。
コンビニの店内を、自分の体だけでぎゅうぎゅうに埋め尽くせるような人間なんているわけがない。
じゃあ、あれはなに? その答えを、わたしたちは知っている。
――人ならざる、おぞましいもの。それを、妖怪というのだ。
最終更新:2018年01月01日 19:41