「御館様」
暗い城内に、一人の将が浮かび上がる。
朱染の鎧を着込んだ、中世日本の者と思わしき名も無き将。
畳の上に跪き、主君に向けて知らせを告げる。
「戦の支度が整いました。我ら一同、いつでも出陣できまする」
「……そうか」
物憂げに言葉を受けた主もまた、姿を浮かび上がらせる。
同じく赤い鎧を着た、精悍な青年だ。
しっかりと鍛え上げられたその肉体は、しかしどこか不自然に青白い。
獣に例えるのであれば、あるいは大蛇に例えるのが妥当であろうか。
力強く、されど不気味な、真紅の大蛇。
「“人柱”の装填は?」
「はっ。無論、済んでおります。しかし……」
「……しかし?」
淡々と言葉を投げかける主君に、将は思わず言いよどんだ。
その言葉に怒りの色はなく、嗜虐の色も無い。
だが同時に――――まるで感情の一切が抜け落ちたかのように、冷たい。
本来炎を連想させるべき赤い鎧が、奇妙なほどに冷徹な印象を醸し出す。
ただ言葉を紡ぐだけで、首筋に刃を突き立てられたかのよう。
それでも将が沈黙を選ばなかったのは忠節か、あるいは沈黙を選ぶことに対する恐怖心か。
「そ、その、おそれながら。“人柱”を恐れ、民や兵の末端に離反者が出ております」
「……ふん。そんなことか」
黒い瞳が細められる。
蛇に睨まれたかのような圧力が、将の心にのしかかる。
「勝ち、奪え。それで全ては事足りる」
「……はっ。で、出過ぎたことを申しました」
「よい。お前が国の行く末を憂いた故の言葉だということは、わかっているからな」
労いの言葉――――それですら心安らかにならないのは、何故だろうか。
もはやその威容、人の域にあらず。
修羅か仏か、あるいは神であるかのような。
……将の怯えを感じ取ったか、青年は小さく鼻を鳴らした。
「怯えるか。
いいや、お前たちは畏れねばならん。
なぜなら、これはお前たちが望んだことだ。
私を拒絶したのはお前たちであり、私を望んだのはお前たちであるのだから。
私はただ、お前たちが望むように在り続けるだけだ。
――――故に、怯えるな。畏れのみを抱け」
返答として、将はより深く頭を下げた。
責めるような物言いでありながら――――青年の言葉にはやはり、怒りや嗜虐の色はない。
ただひたすらに無感情に、事実のみを告げるように、その言葉は紡がれる。
縮こまる将の姿に気を良くしたか、あるいはそれすらもどうでもいいのか、青年はいくらか圧力を和らげた。
「……ところで、“奴”はどうした?」
「は、ははっ。仕込みがある、と先に戦場に向かわれました」
「ふむ……そうか。まぁ、よい。あれは怨敵だが――――だからこそ、腕は信用できる」
半ば独り言のように呟きながら、ゆっくりと青年は歩き出した。
将の脇を通り抜け、無感動に部屋の外へと向かっていく。
「――――兜を持て。出陣する」
「ははっ――――――――!」
背に従う将にもはや注意も向けず、青年は遥か遠くに想いを馳せた。
ブリテン南部を治める覇王。その居城、キャメロット。
幾度となくぶつかりあい、しかし未だに決着のつかぬ今生の宿敵。
「この好機、逃すわけにはいかん。金竜覇王――――そろそろ、雌雄を決するとしよう」
◆ ◆ ◆
「――――この特異点は、君たちも察しているであろう事柄に端を発する」
気付けば、日が暮れていた。
パイプを咥えた名探偵の白い顔が、たき火の橙に照らされる。
その口から紫煙が吐き出されれば、同時にたき火がパチと音を立てた。
「騎士王アーサーが聖剣を抜き、ブリテンの王になったこと……だな?
私は極東の出身故、その辺りの話はさほど詳しくはないが」
瞠目していた小次郎が、片目を開いてホームズに流し目を送る。
その辺りの歴史情報は、事前にダ・ヴィンチちゃんやマシュに聞いている。
「いかにも。騎士王は聖剣による正当性と武力を背景にブリテンを統一したわけだが……ここで少し、事情が違った」
ホームズは鷹揚に頷いてから、僅かに眉を顰めた。
「アーサー王が聖剣を抜き、ブリテンの統一に乗り出した――――が、彼は少々“紳士的”ではなかった。
正当性よりも、武力を背景に。黄金の聖剣を振りかざし、飛竜の群れを率い、周辺の王たちを屈服させ、圧政をしいていった。
……とはいえ、ここまでなら問題にはならない。
手段に多少の違いがあれ、“アーサー王がブリテンを支配する”という歴史は変わらないからね」
……特異点とは、“時代が歪む”ことで発生するものだ。
例えば、復活した聖女が竜と共にオルレアンに攻め込んだり。
例えば、歴代のローマ皇帝たちがネロ帝に従属を要求したり。
例えば、無限に続く無法者の海が世界を覆ったり。
例えば、人を蝕む魔霧がロンドンを包み込んだり。
例えば、無限に湧き出るケルトの戦士たちが機械化されたアメリカ人たちと東西に分かれ戦争を始めたり。
例えば、聖地にキャメロットが現れ、女神に至った騎士王が人類の選定を行ったり。
例えば、三柱の女神がウルクを蹂躙すべく同盟を組み、賢王の治世を脅かしたり。
そのように、人類の歴史を大きく脅かす事象により、特異点は発生する。
亜種特異点であれ、それは同じこと。
放置すればやがて人理を侵す異常が発生し、初めて成立するもの。
であれば、この特異点の異常とは。
立香たちの疑問に答えるように、名探偵は話を続けた。
「時を置かず、二人の王が現れた――――サーヴァントだ。
両者は宝具によって居城を顕現させ、アーサー王の支配に否を叩きつけた。
一方は移動可能な城塞によって広域を支配し、一方は亡者を取り込む性質によって軍備を整えた。
これによってブリテンは三人の王が支配し、覇を求め争うようになった……というのは、先ほど説明した通りだが」
聖剣によって覇道を邁進する『金竜覇王』。
移動式城塞によって民を虐げる『蛇竜宮司』。
亡者を取り込み快楽を貪る『愛竜暴君』。
この三人の王が、さながら三つ首の竜が喰らい合うかの如く相争っている――――それこそが、この特異点の異常なのだと。
「なるほど、事情は理解した。が……ひとつ聞かせて欲しい」
「構わないよ、ミスター・コジロー」
「先ほど、アーサー王を“彼”と呼んだな。
無論、歴史上は男であるとも聞いているが……私たちは既に、“アーサー王が女性である”ことを知っているのだが、如何に?」
「あっ」
そう――――そうだ。
英霊の座には、伝説と異なる姿や性質の英霊も無数にいて……アーサー王は、その一人だ。
特異点Fで聖杯を守っていた黒き騎士王、ロンドンに現れた槍持つ黒き騎士王、聖地を支配していた槍持つ女神。
それら全て、姿形や性質は僅かに異なってはいたが――――等しく『アーサー王』であり、そして女性だった。
だが、ホームズは今“彼”と呼んだ。
あるいは座を経由した知識の共有が不十分で、伝承通りの性別として認識しているのかとも思ったが……
「――――お見事。確かに、この特異点のアーサー王は正しく男性だ」
名探偵は微笑み、頷いた。
「ただし、性質は相当異なる。
諸君の知っているアーサー王とは、また違う存在だと考えた方が無難だとは思うがね。
……いやしかし、知識としては知っているが、彼の騎士王が女性とはね。
この私も一度、お目にかかりたいものだ」
「むむむ? 何を言っておるのだ、諸君。騎士王アーサーが女性だなどと、そんなことがあるはずがなかろう!」
可笑しそうに笑うドン・キホーテに対してなんと言ったものか、ひとまず曖昧な笑みを浮かべつつ。
「ともあれ――――君たちを襲った魔力の奔流を、覚えているね」
続く言葉に、立香たちの表情が引き締まった。
忘れもしない、あの濁流だ。
「……推測するに、今並べられた三陣営のいずれかなのでしょう。一体、誰の仕業なので?」
「いかにも……君たちを襲い、サー・キホーテが打ち破った一撃――――あれは、聖剣エクスカリバーによるものだ」
立香の背に、静かに怖気が奔った。
今の話を聞いて、頭では理解していたが――――今回もまた、騎士王アーサーは敵なのだ。
幾度となくカルデアと敵対し、時には味方として戦った、あのアーサー王が。
……今回もまた、敵として聖剣を振るっている。
あるいはあの時、ドン・キホーテの助けがなければ――――その先は、考えるまでもあるまい。
「金竜覇王、か」
「何らかの手段で、諸君の到着を予見していたのだろうね。……恐らくは、魔術師マーリンによって」
「マーリン……!?」
さらに出てきた名前は、立香に衝撃を与えるには十分すぎるものだった。
第七特異点で立香たちと共にウルクを守るために戦った、花の魔術師マーリン!
現在の全てを見通す千里眼を持つ、グランドキャスター!
あの、魔術師というカテゴリの頂点に立つ魔術師が――――今回は、敵なのだ。
「……心中は察するよ」
沈痛な面持ちで、ホームズが立香を見る。
立香は少し押し黙ってから……顔を上げ、笑って見せた。
「……ううん、大丈夫。知った顔が敵になったことも、味方になったことも、何回もあったから」
重要なのは、誰が味方で、誰が敵で、自分が何をすべきかということだ。
いくつもの戦いを経た少年は、仲間と、そして自分を安心させるため、そう言って笑って見せた。
「――――謝罪しよう。私は君を侮っていたようだ」
「いいって。それより――――」
立香の視線が、ドン・キホーテに向けられる。
「改めて、助けてくれてありがとう。
ドン・キホーテがいなかったら、俺たちは死んでた」
頭を下げる立香に追従するように、弁慶が合掌し、小次郎が首肯する。
老騎士は一瞬きょとんとしてから、ガンと胸を叩いて鷹揚に笑う。
「はっはっは! なぁに、なぁに、騎士として当然の行いをしたまでである!
吾輩はドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ――――アマディス・デ・ガウラの次に騎士道に忠実な男であるからして!
諸君の国では“犬も歩けば棒に当たる”と言うらしいが、さながら“騎士も歩けば難業に挑む”と言ったところであるな!」
アマディス・デ・ガウラというのはよくわからなかったが(ちなみにスペインに伝わる騎士物語の主人公のことだ)、その態度が頼もしい。
決して強そうな英雄ではない。
実際に切り結べば、小次郎や弁慶の相手にはならないのだろう、という予感もある。
それでも聖剣の一撃を打ち破ったのはこの騎士であり――――そして、騎士らしい善良な正義感に満ちた男のようであった。
「彼の宝具――――『騎士の勇気は風車を超えて(エル・インヘニオソ・カバレロ)』は、強力な宝具でね。
端的に説明すれば、“どんなものが相手でも必ず勝つ突撃”というものだ。
…………ただし、比例して消耗も加速度的に激しくなるが。まぁ、ライダーらしい宝具と言えるだろう」
「うむ、うむ、うむ! 騎士道に忠実な男が勇気と共に駆けた時、乗り越えられぬ困難など無いのである!」
「それはまた、凄まじいですなぁ!」
それで、彼はあの濁流を打ち破り――――しかし、直後に倒れてしまったわけだ。
一瞬押し負けそうになったのは、単純に消費する魔力が足りなかったか。
強力だが、相応以上に代償も大きいらしい。
案の定というか、彼のクラスがライダーであることも明らかになりつつ。
「とはいえやはり、聖剣と正面からやりあうのは無理があったか……少し診てみたが、当分の戦闘は無理だろうね」
「むむっ! なにを言うか名探偵殿! 吾輩の勇気に限りなど無く、例えどんな状況でも騎士道を示すのみ!」
「……次に戦えば、最悪消滅しかねないのだが」
「……それはまた、凄まじいですなぁ……」
あの聖剣を打ち破ったドン・キホーテが凄いのか、一撃でドン・キホーテをそこまで消耗させた聖剣が凄いのか……
……恐らく両方なのだろうなと考え、立香は苦笑した。
「まぁ……強力な宝具だが、当たらなければ意味もない。
消耗や、彼自身の性格も含め――――彼がまた戦えるようになったら注意を払っておいてくれ、ミスター」
「うん、わかった」
「では、話を戻そう……」
そこでホームズは一度言葉を切り、パイプを吹かした。
「現在、三陣営の戦いは膠着している。
総戦力で言えば、金竜覇王、蛇竜宮司、少し離れて愛竜暴君というところなのだがね。
蛇竜宮司は城ごと移動が可能であるため、一度の戦場に投入できる戦力が多い。
加えて、愛竜暴君はそこまで大きな勢力ではないが、無視できるほどでもない。
叩きに行けばもう一つの陣営に横腹を突かれ、無視して決戦を始めれば逆に愛竜暴君が漁夫の利を取るだろう」
つまり――――単純に決着をつけるだけであれば、金竜覇王と蛇竜宮司の決戦で事足りてしまう。
が、そこに愛竜暴君という不確定要素が存在するため、拮抗した三つ巴が成立してしまう……ということか。
と、ここでひとつ疑問が湧いてくる。
「その、他の二陣営の真名とかは?」
「ふむ――――……いや、やめておこう。君たちならば見ればすぐにわかるだろうし……あまり先入観を与えたくはないからね」
ホームズの言葉に、むぅと立香が押し黙る。
知っている――――ホームズはこうなると、もう絶対に話さない。
一年にも満たない付き合いだが、その程度のことはわかっていた。
経験としても……彼が登場する小説の、知識としても。
「ワトソン医師も苦労したんだろうなぁ……」
思わず、ぽろりと苦笑が漏れる。
するとホームズは、なんとも複雑そうな、困ったような表情を見せた。
しまった、と立香は口元を抑える。
雑談の範疇とはいえ、ワトソン医師と言えばシャーロック・ホームズの半身とでも呼ぶべき友人だ。
あまり不用意に話題に出すのは、彼の決定的な“一線”を超えてしまう可能性があった。
「あ、いや、その、ご、ごめん。今のは、失言だった」
しどろもどろに謝罪すると、ホームズは余計に困ったように苦笑した。
「いや……構わないさ。確かに彼には、私のせいで多くの迷惑をかけてしまったしね」
「…………………?」
……なんとなく。
そのホームズの言葉に、僅かな違和感を立香は覚えた。
明確な言葉にはならない、僅かなひっかかり。
立香がその答えに辿り着くより早く、ホームズが咳払いで話題を切る。
そんなことより大事な話があると言われれば、それまでの話だ。僅かな違和感は、僅かな違和感でしかない。
「ともあれ、現在のブリテン島はこのような状況なわけだが――――諸君の登場で、この均衡が崩れる。
厳密に言えば、崩せる。
私とサー・キホーテは、この特異点の異常を取り除くために動いてきたが……いささか戦力に欠けていたからね」
ドン・キホーテが、不愉快そうに鼻を鳴らした。
誇り高き理想の騎士を自称する彼にとって、戦力が足りなかったという事実は面白くないらしい。
しかし、実際宝具の一発が頼りのライダーと、どちらかと言えば頭脳労働担当のアーチャー……肉弾戦に特化したサーヴァントとの戦闘は、厳しいだろう。
いわんや、他の陣営は雑兵も抱えているのである。
二人だけでできる行動というのも、限界があったと見てしかるべきだ。
「恐らく先ほどの聖剣の解放を見て、蛇竜宮司が動くだろう。
となれば、両者の中間に領土を置く愛竜暴君も黙ってはいない。
三つ巴の戦争が起こる――――そこで、均衡を僅かに崩すことができれば」
均衡が崩れれば、天秤が傾く――――そんな、単純な話ではない。
危ういバランスで保たれていた均衡が崩れた時、全ての陣営は消耗を強いられる。
今までは勝算が遠かったが故に攻めあぐねていた連中が、勝利という餌を前に欲を出し始める。
「そうして三つ巴が疲弊したところを、順に叩く――――これが、この事件の解法だ」
名探偵の青い瞳が、真っ直ぐに立香を見つめる。
「カルデアのマスター、ミスター・リツカ。
どうか我々に、協力してもらえるだろうか?」
ドン・キホーテが――――小次郎も、弁慶も、その視線を立香に向けていた。
ここで立香が頷くかどうかで、これからの全てが決まる。
だが、返すべき答えは、もう立香の中でははっきりと決まりきっていた。
「――――もちろん。むしろ、こっちこそ協力してほしいぐらいだよ、ホームズ。それから、ドン・キホーテも」
ホームズは、ドン・キホーテは、立香たちがここに来る前からずっと戦っていた。
それに、ドン・キホーテは立香たちを救ってくれた。
ことここに至って、彼らの力にならないなどという選択肢は、最初からないのだ。
「うむ、うむ、うむ! それでこそ、世界を救った勇者というものであるな!」
「ありがとう、ミスター・リツカ。では――――」
パチ、と、焚き火が音を立てて弾けた。
「――――――――この事件を、終わらせに行こう」
夜が明ければ、立香たちは森を抜け、戦場へ向かう。
世界一の名探偵、憂い顔の騎士、燕返しの剣豪、忠節の仁王を連れて。
この特異点で、最も激しい戦いの場へと。
最終更新:2018年03月03日 03:25