「すとくいん……」
聞いたことのない名前だ。
でも、ひーちゃんは覚えがあるみたい。
その顔は、厄介なことになった、とでも言いたげなそれで。
わたしは否応なく、伊佐貫を根城にしているという《天狗》の恐ろしさを悟る羽目になった。
『言っておくが、難易度は格別どころの騒ぎじゃない。
数値化するなら一パーセントあるかどうか。崇徳院に関しては、都合のいい攻略法は一切存在しないからね』
てけてけに使ったような、特定の攻略法は存在しない。
ダ・ヴィンチちゃんはわたしに、そう釘を差してくる。
一パーセント。それはつまり、百回やって一回しか勝てないってこと。
それどころか、ダ・ヴィンチちゃんによればそもそも一パーセントあるかもわからないらしい。
……絶望的。本当に、その一言に尽きる話だ。
「……どうする、りっか?」
ひーちゃんがわたしに問いかける。
すぐには、答えを返せない。
だってどうせまた、話の通じる相手じゃないんだろうし。
失敗したら死んでしまうのは、見えているし。
何より、戦うのはひーちゃんなんだ。
傷つくのも、苦しむのも、全部、全部。
わたしはただ、ひーちゃんがダメだった時に一緒に死ぬだけの足手まとい。
だから、ひーちゃんが決めなよ、と言おうとしたのだけど。
「ぼくは、いくべきだとおもう。
というより……いくしか、ないとおもう」
ひーちゃんは、まったく怖がっちゃいなかった。
前向きに、伊佐貫を抜けることを考えている。
強いなと、改めてそう思う。
「そこのダ・ヴィンチもいってたけど、このまちからでるしゅだんはいさぬきしかないから。
もしここでこわがってたら、いっしょうこのまちからでられない。そうなったらどのみち、いつかぼくたちはころされちゃうよ」
此処は人の住める街ではない。
そのことは、わたしも此処までのぼうけんでよくわかってる。
そんなこの街から出る唯一の手段が、伊佐貫トンネルを抜けること。
だから――わたしたちに選択肢は、そもそもない。
選ぶことは、出来ないんだ。
「いこう、りっか。ぼくたちのよるをおわらせるんだ」
「……そうだね」
怖くないといえば、嘘になる。
でも、逃げたってどうにもならない。
進むしかない。進むしかないんだ。
わたしは、ひーちゃんに頷きを返した。
そして、その手を強く握る。
わたし自身の勇気を、呼び起こすために。
「いっしょにいこう、ひーちゃん。
もしかしたらてんぐさんは、はなしたらわかるひとかもしれないし。
わるいほうにばっかりかんがえるのは、よくないもんね」
『うーんその可能性は限りなくゼロに近いと思うが、前向きなのはいいことだ』
苦笑するダ・ヴィンチちゃん。
そういえば、わたしとひーちゃんのふたりきりではもうないんだった。
ダ・ヴィンチちゃんは大人なだけあって、頭がいい。
お話は難しいけれど、わたしたちが知らないことを知っている。
……心強い味方だ。わたしも、二人に負けないように頑張らないと。
『それじゃあ行こうか、この街のさいはてに』
そうして、またはじまる。
わたしたちのぼうけん。
けれど――結論から言ってしまえば、このぼうけんは永くはかからない。
これまでのように恐ろしい何かがやって来て、道が反れることもない。
正真正銘、最後のぼうけんだ。
夜の終わりが来る。
さいはてのトンネルの先に、夜の終わりが待っている。
■
「……じゅんちょう、すぎない――?」
わたしは思わずそうこぼしてしまった。
ひーちゃんも、神妙な顔でそれに頷く。
妖怪がまったく出てこないのだ。
あれだけちょっかいをかけてきた女郎蜘蛛すら出てこない。
わたしたちとダ・ヴィンチちゃんだけ。
そんな時間がずっと続いて――ついに。
地図上は、伊佐貫の近くまで辿り着くことに成功した。
それはもちろん喜ぶべきことなのだろうけど、こうも順調だと正直、気味悪くもある。
もしかしてわたしたち、誰かに嵌められているんじゃないのかな、とか。要らない心配を、してしまう。
『それだけが理由ではないだろうが、可能性の一つとしては』
ダ・ヴィンチちゃんの言葉に耳を傾ける。
『もしかすると、疱瘡神が暴れた結果かもしれないね』
「えっ、あのかみさまは、ひーちゃんがたおしたんじゃなかったっけ」
疱瘡神。
正直、思い出したくもないくらい怖い相手だ。
あの姿もそうだけど、身体中が膨らんで弾けるみたいな痛みは思い出すだけで泣きそうになる。
向こう何ヶ月かは、悪夢の定番コースになりそうなくらい。
「たおしたわけじゃないよ。
さいごは、にげられちゃったから」
流石に神様だから、妖怪ほどうまくは倒せないらしい。
少しばつが悪そうに言うひーちゃんの頭を、わたしはぽんぽんと撫でる。
『要するに手負いの熊さ。
重傷を負って狂気が深まり、見境なく暴れまくったんだろう。
その証拠に、此処までの道、ところどころに人間の腐った血や肉が飛び散っていた』
「えっ、ぜんぜんきづかなかった……」
『教育によくないからね。言わなかったんだ』
少し複雑だけど、わたしたちはあの神様に助けられたらしい。
心の中で感謝しつつ、地図にもう一度目を落とす。
此処からトンネルまでは、あと三百メートルほどしかない。
もう、すぐそばだ。ダ・ヴィンチちゃんの言った《さいはて》が、今すぐそこにある。
「あとすこしだよ、りっか」
「でも、もんだいはこのさきなんだよね……」
日本大魔縁。
六道の外にある存在。
堕ちた、やんごとなき人。
崇徳院。日本三大怨霊の一角。
如月で一番強いという天狗が、この先には待っている。
「だいじょうぶ。りっかは、なにもしんぱいしなくていいんだよ」
「ひーちゃん」
「きみは、ぼくがまもる。
ふたりでいっしょに、あのトンネルをこえるんだ」
その言葉は、どんなものより心強くて。
わたしは思わず笑みをこぼして、「うん!」と頷いた。
それを微笑みながら、見守るダ・ヴィンチちゃん。
まるで、わたしたちの保護者みたい。
『そうだね。キミ達を直接手助け出来ないのが何とも心苦しいけれど、私も、心から祈っているよ』
あたたかい言葉が、胸に沁みる。
『キミ達が如月の隣町――《かたす》に辿り着くことを』
■
それからすぐのことだった。
「……りっか」
「うん」
道の先に、誰かが立っている。
日本人らしくない服装をした男の人だった。
顔立ちも体格も日本人のそれだし、服だって、何もアロハやサンバほど奇抜なわけじゃない。
それでも、どことなく外国の気配を感じる。
そんな変わった人が、道を塞いでいた。
「……厭に速いね。あの小僧、サボタージュしたわけではあるまいな」
ふう、とため息をついて。
「お前は誰だ、という顔をしているな。
まあ、無理もない。何しろ初対面だ。それなりに有名な自負はあるが、お前のような子どもなら、知らないのも無理はない」
……ん。
わたしは違和感を覚える。
なんてことのない会話。
少し尊大ではあるけれど、初対面の人間同士の会話としてはありふれた内容。
でも、今、何か――。
「ウォッチャーという単語に聞き覚えはあるね」
「ありません……!」
「………」
「………」
誓って初耳です。
「……あの小僧、やはり一度年功序列というものを教え込んでやる必要があるらしいね……」
頭の良さそうな顔にビキビキと青筋が浮かぶのが遠目にも分かる。
ひぃっ、こわい。ひょっとしてこの人も妖怪なのかな。
「……まあ、いい。
片目が飛び出していて、尚且つ片腕のない男。
こう言えば、流石に分かるだろう?」
「あ……」
分かる。
あの、変な男の人。
ひーちゃんにひどいことをした剣の妖怪の仲間みたいだったから、いいイメージは全くないけれど。
「あれも私もサーヴァントだ。同じクラス、同じ出身、同じ職業のね。
クラスはウォッチャー。覚える必要はない、滅多には出ないイレギュラーだ」
この人もなのか。
わたしはダ・ヴィンチちゃんの方に目を向ける。
するとダ・ヴィンチちゃんは、ぱちりとウインクを一つ返してくれる。
やっぱり、そういうことらしい。
「本当なら、真名は隠すものなんだろうが……生憎と今回はその必要もなさそうだ。
どだい、此処以外に私の出る幕などないだろうしね。故に、正々堂々名乗らせて貰おうと思う」
「………」
「小説家兼民俗学者、小泉八雲だ。
この如月に蠢く妖怪、幽霊ども。ああいう哀れな奴らを生み出す側の存在だよ」
真名判明
第弐のウォッチャー 真名 小泉八雲
こいずみ、やくも。
薄々は分かっていたけど、知らない名前だ。
でも、さらっとすごいことを言ったのは分かる。
彼は言った。自分は、妖怪を生み出す側の存在だと。
「勘違いしないでもらいたいが」
指を一本立てる。
「私は別に、キミ達に妖怪を仕向けたわけじゃない。
てけてけも疱瘡神も、人の手に依らずして生まれた真性妖魔だからな。
あくまで私が生み出したモノも、この街には居るというだけの話だ。まあ、あまり気にする必要はない」
「そう、気にする必要はありません。
我々ウォッチャーは基本、全面的にキミの味方ですからね。お嬢さん」
聞き覚えのある声が割って入った。
ひーちゃんが、わたしを庇うように前に出る。
わたしも、自分の顔が険しくなるのが分かった。
だってその声は、あの時話した人のものだったから。
腕と目のない、不思議な人……もとい、ウォッチャーのそれだったから。
「……お前」
ギロリ、と。
八雲さんの視線が鋭く、もう一人のウォッチャーを睨めつける。
「ちゃんと仕事はこなせと言った筈だぞ。
私に改めて説明をさせるな、煩わせるなと。
そう言い含めておいたのに、蓋を開けてみればこいつ、何も知らなかった」
「ははあ。まあ、此処は酩酊の街ですから。
そういうことも、あるんでしょうなあ」
「良し分かった。事が済んだら、お前の目玉がきちんと嵌まるまでタコ殴りにしてやる」
仲は、悪いみたいだけど。
わたしはそれに騙されない。
だってこの人達は、妖怪たちと同じ存在。
クラスで分類される、とても強大なモノなんだから。
「子どもの前で物騒な物言いをするもんじゃありませんよ。ほら、怖がられてしまった」
軽口を叩かれて、チッと八雲さんは舌打ちをする。
紳士的な見た目とは裏腹に、かなり怒りっぽい性格らしい。
彼は面倒臭そうに頭をポリポリと掻くと、ゆっくりと口を開く。
そして――唐突に、よくわからないことを言った。
「神社のお守りには、なんでご利益があると思う?」
「……は?」
「答えは二つだ。
一つ、本当にそこの神体の加護が籠もっているから。
一つ、ただのプラシーボ効果。ありがたい場所で貰ったんだから効き目があるはずだというおめでたい思い込みが、偶然起こった幸運な事象をお守りのおかげだと解釈させる」
お守り――なんで今、その話?
確かにお守りは持ってるけど、なんでそのことを知ってるの?
いや、それより……
「後者の場合、意識的に幸運事象を発現させるのはどう頑張っても不可能。よって論ずるにも値しない。割愛だ。
前者の場合はどうか。こちらは間抜けな思い込みとは違い、れっきとした本物だ。
効果も当然あるだろう。試験に合格する、天気が晴れる、病気が治る、金の入りが良くなる。
名のある神社で買ったものなら、誇張抜きに人間一人の人生を変えることもありえるだろうな」
――この人、何が言いたいの?
「だがな。加護の力で可能になるのは、あくまでも《現実の範疇でどうにかなること》だけだ。
問題の出方が良くて試験に受かる。気象学的要素が作用して天気が変わる。
術後の進行が桁外れに良くて病気が治る。客の動向が関わって、金が入るようになる。
どれだけ天文学的数字だろうとな、全ては理論上可能な事象なんだよ。起こり得るんだ。
プールに時計の破片をばら撒いてかき回しても、猿にキーボードを打たせても。
無量大数回やれば時計は組み上がるし、シェイクスピアは書き上がる。そんな確率論から、強引に自分の求める確率を引き出しているに過ぎん」
分からない。
話が、難しい。
ダ・ヴィンチちゃんよりもずっと難しい。
「……まだピンと来ないか。仕方ないな、分かりやすくクイズにしてやる」
また、八雲さんはため息をついて。
「お前、祈るだけで自分の手から水が出せるようになる確率って、何パーセントだと思う?」
――わたしは、すべてを理解した。
彼の言わんとすることが、一発で伝わった。
「考えるまでもないよな? ゼロだ、ゼロだよ。
まして、水を武器の形に出来るようになった上で身体能力が超強化?
触れた地面が水になる不思議な船を出せるようになる?
そんな確率が宇宙のどこに存在するっていうんだ」
「……りっか、きいちゃダメ。こいつ、おかしいよ」
ひーちゃんはそう言うけど。
聞いちゃダメだとわかると、尚更、わたしの耳は彼の声に集中してしまう。
聞いてはいけない。そう、聞いたらダメなんだ、この先は。
この先を聞いたら――何か、大事なものが壊れてしまう。
分かっているのに。わたしは、耳を塞ぐことも出来ない。
「そんな確率を当たり前に持つ輩が居るとすれば」
「りっか!」
わたしは。
この先を。
聞きた―――、
「そいつは人間じゃない。
疑う余地もなく、人外側の存在だよ」
「――それ以上、喋るな!」
……ひーちゃんが叫んだ。
水の槍を出して、鉄砲水を呼び出す。
力任せに、八雲さんともう一人のウォッチャーを押し流そうとするけれど。
「そう上手くはいかねえよ」
ふう、と八雲さんが吐き出した息。
それが触れた瞬間、ひーちゃんの水がすごい勢いで凍っていく。
「化けの皮が剥げてきた。場所が場所なだけに騒ぐのは躊躇われるが、此処で片すのが早いだろう」
「でしょうな。というわけで、ごめんなさいねお嬢さん。
大人しくいい子にしていれば、危害は加えないと我らの名誉に誓って約束するので、どうかご勘弁を」
ウォッチャーが笑っている。
八雲さん――いや。
小泉八雲も、笑っている。
ひーちゃんは怒っていて、焦ってもいて。
わたしは……ただ、見ているだけ。
今度こそ、見ているだけしか、出来ない。
この戦いに、わたしの出る幕は、ない。
――だってわたしは、知ってしまったから。
ひーちゃん、あなたは……
最終更新:2018年01月22日 22:27