「水は凍れば流れる力を失う。
怪奇だの神秘だの、論ずる以前の話。単純な相性問題だよ」
凍りついた激流の上に立って、八雲は淡々とそう言った。
冬の日に、絶え間なく流れる筈の川の水が凍りついてしまうように。
あまりにも寒いと、流れていようが水は凍る。
それはどうやら、ひーちゃんの水も例外ではないらしい。
「俺の宝具は俺が綴った物語、俺が生み出した怪異の性質を自由に借り受けることが出来る。
……まあ、作者の特権ってやつだな。『小泉怪奇道』、名前はダセえが嵌まりゃあ強い」
ひゃっきやこう。
百鬼夜行――その言葉はわたしでも知っている。
お話を通じてたくさんの妖怪を作り出したこの人には、確かに相応しい単語かもしれない。
「本当は手札をあれこれ使ってあの手この手で嵌め殺すんだが、特段相性のいい相手ならやり方を変える。
手札を一枚だけに絞って、その力を百パーセント引き出すのさ」
わざわざ敵であるひーちゃんにぺらぺら説明している姿は一見間抜けに見える。
でも、八雲は結局自分はお前に相性がいい、ということしか言っていない。
他の手札があるとしても、一枚だけで戦うのならばらしたところで関係はないだろう。
その余裕な態度が、ひーちゃんにとってそれだけ相性の悪い戦いなのだと素人のわたしにも理解させてくる。
それに。多分、小泉八雲が今使ってる妖怪は……
『雪女、だろうね』
「やっぱり……」
妖怪図鑑を開くまでもない。
妖怪に詳しくない人だって、誰でも知ってる。
それくらい有名な妖怪だ。吹雪の雪山に現れて、男の人を取り殺してしまう雪女。
『断っておくと、雪女は別に小泉八雲が生み出した妖怪ではないよ。
室町時代の物語には既に、雪女の伝承が記録されているくらい古い、由緒正しい妖怪なんだ。
でもまあ、彼がそこに大きく肉付けしたのは間違いない。『小泉怪奇道』の一体として使えたとしても、不思議ではないね』
ダ・ヴィンチちゃんの説明が頭に入ってこない。
そんなこと、聞いている場合じゃないからだ。
ひーちゃんは八雲の言う通り、目に見えて苦戦していた。
突き出す槍が先から凍る。構わず貫こうとすれば氷が内側から砕け散る。
激流を呼び出して押し流そうとすれば、最初の焼き直しだ。
水は凍って流れは止まる。八雲にしてみれば、ちょっと具合の悪い足場が増えた程度のことでしかない。
「神を伝承が完封する。なかなかに痛快な光景だね、我ながら」
「うる、さいッ……!!」
されどひーちゃんに諦める気は毛頭ないみたいで。
地面に右手を当てると、アスファルトを突き破って幾つも水の柱が噴き上がった。
それはまるで意思でも持ってるように、ミミズみたいにうねりながら四方八方から八雲へ襲いかかる。
八雲は少し驚いた顔をしたものの、さっきまでと同じように雪女の力で端から凍らせていく。
でも、今回はそれだけでは終わらなかった。
「――おっと」
空中で複雑に絡み合った水の柱。改め、氷の柱。
それが物凄い勢いでひび割れて、真下へと落下する。
正確な重さは分からないけれど、落ちる音を聞いただけでも相当な重みだということが察せられる。
そんなものを受ければ、さしものこいつでもひとたまりもない筈。
ひーちゃんはそう考えたのだろう。
凍らされるなら、凍らされた上で押し潰す。
ひーちゃんらしい、賢いやり方だった。
でも。
「それは、通りませんなあ」
もう一人のウォッチャーがはははと笑った。
次の瞬間、八雲の左右から何百、何千もの鋭い針が伸びてくる。
どう見ても針なのに、それは糸のように柔軟な動きで、即興であるものを作り上げていく。
網だ。ひーちゃんの重量攻撃をシャットアウトする鉄の網を、ほんの一秒にも満たないわずかな時間で作ってしまった!
「……頼んでいないよ、余計なことをするな若造」
「これは失敬。しかし、雪女の力では少し大掛かりになるでしょう。少なくとも、スマートには行かなかった筈だ」
「…………」
「なあに、せっかく二人がかりなんです。
任せられるところは任せ合っていきましょうや、先輩殿」
「――つくづく、お前とは馬が合わんね。馬鹿後輩」
もしもそのまま喧嘩を始めて、潰し合ってくれたならどれほど良かったことだろう。
でも、そうはならなかった。二人の瞳はひーちゃんへ……倒すべきものへと向けられていた。
「私を守ることを許可する。邪魔だけはするなよ」
「承知。ああもっとも、攻め時があったなら、支援役に徹していられるかは怪しいものがありますけれど」
会話の終わりを待たずにひーちゃんが地面を蹴る。
槍を生み出すと、今度は待ちもせずに八雲目掛けて放り投げた。
確かにこれなら、凍らされても砕ける前につらら状態で八雲に当てられる。
凍らせなかったら凍らせなかったで、いつも通りにやればいいだけだ。
相手が八雲だけなら、或いはこれでも通ったのかもしれない。
しかし、相手は八雲だけではない。もうひとり、ウォッチャーがいる。
「今更ながら、感慨深いものがありますなあ。
よもや自分が作った妖怪の技を、自分自身で使える日が来ようとは」
ばさりと、腕のない方のウォッチャーが着ている服が翻った。
かと思えば、ゴムみたいに長く伸びて、八雲が凍らせたことで実体を持ったひーちゃんの槍を絡め取ってしまう。
今度は、八雲はそれを砕かなかった。その意味はわざわざ説明するまでもない。
「そうれ、お返ししますよ」
投げ返す。
器用に、自分の体のように動かした服で以ってひーちゃんに水槍改め氷槍を投げ返す。
ひーちゃんはそれを避けるしか出来ないようだった。
水は操れても、どうやら凍ってしまえば専門外らしい。
さっきの柱の攻撃は、あらかじめ水の中身をスカスカにしておくとか、そういう仕掛けをしていたのだろう。
そして、避けたひーちゃんの足が地面を踏み締めたその時だ。
ぱきぱき、と厭な音がする。
「っ……!」
ひーちゃんの足が、凍ってアスファルトに縫い止められていた。
これも恐らくは八雲の力。雪女の力の一つ。こんなことまで出来るなんて、とことん反則じみている。
けれど、わたしが卑怯者と声を張り上げたところで彼らにはまったく届かないだろう。
わたしは、ちっぽけな子どもだから。
弱くて、頭が悪くて、知識もない。
この町のどんなお化けより弱い、小学三年生でしかないんだから。
そんな相手の言葉を真に受けるほど、《おとな》は馬鹿じゃない。
「や……ああああああああっ!!」
足から血が出るのも構わずに、氷の拘束から力づくで抜け出すひーちゃん。
もちろんそこもウォッチャー達の読み通り。ひーちゃんが逃げ出した先には、何十本というつららが待ってましたとばかりに降り注いできていた。
足元から水を噴き上げて押し流すものの、流せなかった分はひーちゃんの体を無遠慮に傷つける。
……やめてあげてよ。ひーちゃん、女の子なのに。
「それは悪手だよ、流浪の神」
ひーちゃんが防御のために噴き上げた水が、中にひーちゃんを残したまま凍っていく。
はっとひーちゃんが目を見開くのがわたしには見えた。
咄嗟に飛び退こうとするけれど、水の凍結で補えない部分は八雲が自前の氷でカバーしていくから結局逃げ場は存在しない。
ひーちゃんの抵抗も虚しく、出来上がってしまったのは氷の牢獄。
柱状に固まった水は、ひーちゃんを中に残したまま、逃げ場のない檻として完成してしまっていた。
とはいえ、ひーちゃんの水はあれだけの速度と数で押し寄せるつららの群れを押し流せるくらいの力はある。
なら、このくらいは内側からでも食い破れる筈――わたしはそう思ったし、ひーちゃんも、多分そう思ったに違いない。
……わたしたちが思いつく程度の可能性は、当然大人たちも思いつくわけで。
「真名を解放する。お前は《髪の毛針》で檻を外から補強しろ、脱出の可能性を摘み取れ」
「あい、分かりました。ということは――」
「ああ。少しばかり心は痛むが、カーミラの十八番に倣うとする」
八雲がそう言うと、離れた位置にいるわたしにも分かるくらい急激に空気の温度が変わった。
寒い。うだるような真夏の夜にしてはあり得ない、真冬の吹雪の中を歩いているような寒さが駆け抜けていく。
それを合図に、ひーちゃんを閉じ込めた《檻》がどんどん膨れ上がっていく。
……厚くなっていく。氷が水を足してもいないのにひとりでに成長していくという、あり得ない現象が目の前で起こっている。
「美しくもおぞましき雪山の華。
我が筆に宿りて、常世に怪異を顕現せしめん――」
カッと、目を見開いて。
「取り殺せ 『小泉怪奇道』」
八雲がもう一度、百鬼夜行の名を呼べば。
ひーちゃんを包んだ檻は、家ほどもある巨大なドーム状のそれへと変わっていた。
その上で、別なウォッチャーの髪の毛がグルグル巻き付いて補強していく。
ひーちゃんを逃さないように。どれだけ強い水の力にも、突き壊されないように。
「だ……ダ・ヴィンチちゃん!
さっきあいつがいってた、《かーみらのおはこ》ってなに!?」
『……ふむ。心当たりはいくつかあるが、十中八九《鉄の処女》のことだろうね』
「あいあん……?」
聞いたことのない名前だ。
だけど、とっても不吉な響きだった。
『中に長い釘が突き出している、人が入れる仕組みになった人形だよ。
あまり教育によろしい話ではないんだが、カーミラもといエリザベート・バートリーという貴族がね、これを処刑に使っていたという話が存在する』
「……それ、って」
『お分かりのようだね、その通りだ。
釘だらけの中に人を閉じ込めて、蓋を閉めるのさ。
中の人は釘でめちゃくちゃに突き刺される。なかなか死ねずに、もがき苦しむ』
自分の顔が青ざめていくのが分かった。
そんな。そんな酷いことを、ひーちゃんにしようとしているの?
ひーちゃんは確かに強い。でも、わたしと同じ一人の女の子だ。
傷付けば痛い。疲れれば辛い。そしてきっと、殺されたら、死んでしまう。
このままじゃいけない。このままじゃ、ひーちゃんが殺されちゃう。
わたしはひーちゃんのことを何も知らない。
ひーちゃんが人間じゃないことだって、全然気付かなかったし知らなかった。
でも、でも!
わたしにとってひーちゃんはかけがえのない友達で。
一緒にこの恐ろしい町から抜け出そうと誓った、大事な仲間なんだ!
それを――それを!
人じゃないから、なんてつまらない理由で奪うなんて、納得できない!!
「っ~~~~!!」
もう我慢出来ない。
わたしは、駆け出そうとした。
勝てるかどうかなんて知らない、関係ない。
わたしが気に入らないから、わたしはあの二人の邪魔をしてやるんだ。
あの二人はわたしに危害を加えはしないと言った。
多分、人であるわたしを殺すつもりはないし、殺したくもないんだろう。
それならその優しさだって使ってやる。
ひーちゃんを助けるために、わたしに出来ること、全部やってやる!
『……本気かい? 藤丸立香』
「いわなくても、わかるでしょ……!」
『失礼した。どうやら疑いようもなく、本気のようだね。
親友を救うためなら何だってする、そういう覚悟がキミには備わっているようだ』
ダ・ヴィンチちゃんが薄く笑う。
そして、信じられないことを言った。
『一つ、手がないわけじゃない。
でも、うまく行くかは運次第だ』
「……え……」
『うまく行かなかったらキミの友達は殺される。キミが体を張っても、あの二人は止められないだろうからね。
しかしうまく行ったなら、キミの友達はきっと助かるだろう。それだけの力を、あの子は持っているんだ。
大事なのはあくまできっかけ――状況を変える一枚のカードなのさ。キミなら、それになれるかもしれない』
「やる!!」
どんな手を使うのかを聞き終わる前に、わたしは叫んでいた。
そう、どんな手だって構わない。どんな痛いことでも我慢できる。
どんな痛みでも、此処でひーちゃんを殺されてしまう痛みよりはずっとマシだ。
わたしが、今度はひーちゃんを助ける。あの子を、生かしてみせる!!
『了解した、では始めようか。
一世一代の大博打、反則中の反則で、大人達の正義を台無しにしてやろう』
■
王手は掛かった。
逃げ場はない。
恐るべき神霊、全ての元凶は完全に詰んだ。
「てけてけ、騎士、疱瘡神。
お前が連戦を経ていなければ、こう上手くは行かなかっただろうな」
神と人間の間にある差はとんでもなく莫大なものだ。
それこそ、策や知恵ではどうにもならないくらい。
八雲達が抜群の連携を見せたとしても、それを真っ向から踏み躙る。
それだけの存在なのだ、
《ひーちゃん》と呼ばれたあの少女は。
八百万に名を連ねる、或いは連ねた神々の中でも、霊格のみで言えばかなりの高位に君臨する流離の子。
「だが、所詮はイフだよ。
お前は此処で、私の手により処刑される。
それでこの夜は終わりだ。藤丸立香は日常へ帰る」
鉄の処女ならぬ氷の処女は既に完成している。
後は氷牢そのものを変形させ、中の少女を槍衾に変えるだけだ。
そしてそれを実行するまでに、最早三秒と掛からない。
雪女の力を完全に引き出した小泉八雲は冷気の支配者、雪山の王。
氷の形を自在に歪め、針山地獄を作り上げるなど、朝飯前の芸当である。
「じゃあな、原初の不具。
願わくば次は、真っ当な形でお前の願いが叶うことを祈っているよ」
言って、八雲は牢を処刑具に変容させた。
氷の組み代わる音と少女の雄叫びが此処まで聞こえてくる。
全ては無意味。これにて、如月の夜は終幕する。
……その、筈であった。
一人の少女と、彼女に光を示す知恵者がいなければ。
大人達の望みどおりの終わりが執行される筈だった。
「ひーちゃん!!」
少女の声。
藤丸立香の、声。
「れいじゅをもって、めいずる!!」
「……何ッ!?」
けれど、その台詞は。
藤丸立香が知る筈のない、魔術で――
「――――ほうぐをかいほうし、だっしゅつしろ!!」
刹那。
小泉八雲が造り、隻腕のウォッチャーが補強した《牢獄》が――内側から、砂の城のように突き破られた。
飛び出してきたのは鉄砲水を数倍にも強めたような、災害と呼ぶ他ない勢いの激流。
その先頭に立つのは、水色の髪を靡かせる流浪の子。
確かに処刑した筈の、神霊であった。
「――――淤能碁呂葦船」
全力で冷気を迸らせ、激流を凍らせていく。
先頭の彼女諸共に、全てを凍てつかせんとする。
だが。彼女と、それを乗せたちっぽけな葦の船だけは凍らない。
触れた部分の氷を、あらゆる理屈を無視して水面に変容させながら、マッハに届かんという速度で迫る。
「……小僧ッ!!」
「くッ――!!」
あの八雲が、あれほど疎んじていた後輩に援護を求めた。
それほどまでに切迫した状況ということの証左であったが……しかし遅い。
隻腕のウォッチャーもまた、八雲と同等、ともすればそれ以上に優秀な男であるのだが、それでも彼はあくまで人として生涯を終えた存在。
本気になった神には、敵わない。その殺意に追い付けない。
「…………!!!」
「とっ、た――!!」
結果。
伸ばした服の手が追い付くよりも早く。
凍り付いた水槍が、小泉八雲の心臓を真正面から刺し貫いていた。
「……面、妖な、真似を。
何やら目障りな物が視界の端を彷徨いているとは、思っていたが……
そう、か。奴め――この娘と、藤丸立香の間に、魔力のパスを、繋げやがったの、か……」
そう。
これは全て、ダ・ヴィンチの差し金であった。
彼女が一時的に魔力を立香に貸与し、更にある手段を用いて《ひーちゃん》との間に魔力のパスを構築。
即興ながらも精巧な疑似契約は、本物に限りなく近い令呪の一画を立香の手に宿らせた。
その後押しを受け、《ひーちゃん》は全ての損耗を無視して宝具を全力解放。
人間の知恵と相性を踏み潰して、槍を届かせたのである。
「つまらなく、なって、きたね――
ああ、くそ。本当に、つまらん……!」
氷槍を掴んで。
血反吐を吐きながら、ギロリと八雲は目の前の神を睨み付ける。
そして、叫んだ。
藤丸立香に聞こえるように、ありったけの声量で。
それを《ひーちゃん》は、止めようとはしなかった。
最早隠しても無駄だと判断した故だろう。
藤丸立香は、自分が人外であると知ってしまった。
ならば、後はどう転ぼうが変わらない。
何も知らないままの彼女を導くことは――この厄介な大人達に行き逢った時点で、不可能になってしまった。
「お前の思い通りに、行くと、思うんじゃないよ……!」
そう。この少女が忌み嫌った、真の名前は――
国産みの母と父。遥かなる伊邪那美と伊邪那岐より授かった、神号は。
「蛭子命…………!!!!」
真名判明
《ひーちゃん》 真名 蛭子命
最終更新:2018年02月13日 01:23