第3節:三首竜王決戦(1)


 立香は、呆然と“それ”を見た。

「――――――――――――なんだ、あれ」

 開いた口が塞がらない。
 見間違いかと何度瞬きをしても、そこにある光景は変わらない。
 思考がまとまらず、ただ立ち尽くし“それ”を見る以外の行動がとれない。
 それほどまでに、“それ”の存在感はすさまじかった。

 立香は今、小さな山の森の中にいる。
 少し進めば雄大な草原が広がっている……のだが、風に揺れる草木を見ることは敵わない。
 なぜなら、草原を無数の兵士たちが埋め尽くしているからだ。

 見える限り、三陣営。
 鈍く光る鎧を着た騎士たちと、空を覆う飛竜の群れ。
 鋭く光る槍を構えた、日本の武士たち。
 そして濁った瞳で暴れまわる屍人たちと、淡く輝く亡霊たち。
 上から金竜覇王、蛇竜宮司、愛竜暴君の軍勢であると、ホームズが言葉短く説明した。

 しかし――――立香の魂が奪われた光景は、それではない。
 三つの陣営が喰らい合うかの如く争う光景は確かに壮絶ではあったが、思考を奪われるほどではない。

 立香が驚いたのは、遥か後方――――蛇竜宮司陣営の奥に構えた、巨大な怪物。

「言っただろう、ミスター・リツカ。蛇竜宮司は、“移動城塞を宝具とする”と」

 ――――それは、竜だった。
 無数の巨大な丸太を組み合わせて作った巨大な工芸品。
 虎を思わせる精悍な頭部、力強く大地に根を張る蛇の胴と尾。
 ブリテンの大地を這う、巨大な蛇竜――――立香は“蛇竜宮司”という二つ名の意味をぼんやりと理解し始めた。
 なるほど、確かにあれは蛇竜に違いない。
 蛇を模った巨大な城。
 それが油断なく戦場を這い回り、適時兵力を放出している。
 蛇にして城、城にして神。
 その姿を一言で表すのなら、あるいは、立香の言葉をそのまま出すのであれば――――



「――――――――――――――――ロボだあれぇぇぇぇぇぇーーーーっ!?」



 ――――――――巨大和風からくり蛇型ロボ、である!



   ◆   ◆   ◆



「では、状況を整理しよう」
「う、うん」

 ひとしきり驚いた立香を落ち着かせたホームズが、真っ直ぐその瞳を立香に向けた。
 理性の権化とも呼ぶべき男の瞳が、吸い込むように立香を見る。
 するとなんだか先ほどの驚きが今更ながら恥ずかしくなってきて、自然と立香の背筋が伸びた。

 まさかその、動物型とはいえ巨大ロボを見ることになるとは思わず、錯乱した。
 ロボは男の子の夢だ。仕方ないことと言える。

「私の推理通り――――三つ巴の乱戦が始まった」

 現在、立香たちは前述の森の中に隠れ、戦場の様子を遠目に伺っている。
 戦場たる大草原では乱戦が始まっており、騎士や武士、飛竜や亡者たちが一進一退の攻防を繰り広げていた。
 今のところ、状況は拮抗しているように見える。
 乱戦が始まってからあまり時間が経っていないという事情もあるだろう。

 ――――まだ、特記戦力たる各陣営のサーヴァントたちが、戦場に現れていないのだ。

「事前に説明した通り、我々の狙いは愛竜暴君……その弱体化、可能なら撃破となる」 

 ホームズに曰く、愛竜暴君が三陣営の中で最も与しやすいのだという。
 というのも、愛竜暴君が三つ巴の一角を担っているのはひとえに亡者を兵力に変える特異性故にであり、純粋な戦力としては他に劣るのだ。
 軍勢で攻め入れば、手駒が敵に変わり得る危険性故に迂闊に攻め入れない――――が、サーヴァントのみで構成された立香たちなら、問題なく戦える。

「三つ巴の一角が崩れれば、状況は加速し……残る二陣営も疲弊するはずだ」
「それらを全て切り捨て、我らの勝利、か。そううまく行くものかな?」
「騎士の冒険には、知恵と勇気がつきものである。それさえあれば、幸運は自ずと舞い込んでくるものよ!」

 ドン・キホーテの言葉に、立香は小さく頷いた。
 知恵と勇気があれば、幸運はあちらからやってくる。
 つまり、ベストを尽くせということだ。ドン・キホーテは狂人だが、その言葉は間違いばかりでもない。

「拙僧と小次郎殿が前衛、ホームズ殿が遊撃、キホーテ殿はマスターの護衛、でしたな。
 マスター。戦場はうねる生物のようなもの。幸運より先に苦難が舞い込んでくるやもしれません。ご用心を」
「うん、わかってる。今回はマシュもいないし……気を付けるよ」

 今回、立香を守ってくれる盾持ちの後輩はいない。
 護衛にドン・キホーテがつく……とは言うものの、実際の所は消耗でまともに戦えない彼を納得させるための方便に近い。
 実際、騎馬による機動力がある彼ならば逃げに徹するのに向く……という部分はあれど、無茶はできない。
 ドン・キホーテの性格的に、逃げ回るということも難しいだろう。
 彼はアマディス・デ・ガウラの次に騎士道に忠実な男であり、勇敢な騎士は敵から逃げ出さないものなのだから。

「いずれにせよ、今仕掛けるわけにはいかない。ここで仕掛ければ、三陣営の矛が同時にこちらに向きかねないからね」

 立香の視線が再び戦場に向けられる。
 奥に控える、蛇竜宮司の“城”。
 金竜覇王も、今は本陣で控え聖剣を抜くべき機会を伺っているはずだ。
 迂闊に手を出せば、立香たちが袋叩きにある可能性だってあるのだ。
 三つ巴は微妙なバランスで成り立っているからこそ、それを崩すための動きは慎重に行わなければならない。

 だから今は静観する。
 森に潜み、静かに好機を待つ。
 どこかの陣営が焦れてサーヴァントを投入したタイミングが狙い目だ。
 少しでも戦場のバランスが崩れる瞬間――――その瞬間が、いずれ来るはずなのだから。

「……しかし」

 戦場を鋭く眺める小次郎が、ぽつりと言葉を零す。

「蛇竜宮司と言ったか……あの軍勢の旗をどこかで見たような気がするのだが、さて」

 戦場は、遠い。
 遠すぎはしないが、武士たちが背中に差す軍旗の柄が詳細にわからない程度には。
 元来、旗とは軍勢の区別をつけるためのものだ。
 それを思えば、旗から軍勢の正体……即ち、蛇竜宮司の真名に辿り着くことも可能かもしれない。

 ホームズが言っていた「見ればわかる」という言葉は、そういう意味なのだろうか?
 ならばと目を凝らし、旗の柄を確かめてみようと意識を戦場に向け――――その瞬間。

「――――マスター、頭を下げろ!」

 小次郎の檄が飛び、立香は反射的にその場に伏せた。
 何事かと周囲に視線を巡らせれば、刀の柄にに手を駆けた小次郎の視線の先――――――――いた。
 蛇竜宮司の配下と思わしき鎧武者たちが数名、森の中を歩いている。
 そして同時に、こちらに気付いている――――!

「む、何奴!」
「金竜覇王の手の者か!?」
「おのれ、奇襲に感付かれたか……!」

 武士たちが思い思いに悪態をつき、抜刀する。
 勘違いだ、と言っても遅いだろう。
 彼らにとって、自分たちが敵であることは変わらない。
 どうやら大回りに金竜覇王陣営の背後を取り、奇襲によって膠着を打ち破ろうとしていたようだ。
 目撃者は消す。そう考えるのが当然のはず。

「やれやれ……運が無かったな」
「南無。致し方ない」

 小次郎が物干し竿を抜いた。
 入り組んだ森の中だ。長大な刀を自在に振り回すことは敵うまい。
 それでも雑兵に遅れは取らぬと、魔剣士が静かに無銘の刀を抜き放つ。

 同様に、弁慶が背から刀を抜く。
 普段の得物である大薙刀、岩融ではない。
 かつて弁慶が五条大橋にて集めに集めた九百九十九本の太刀の一。
 狭い森の中でも扱える、幅広の山刀だ。

 言葉を交わすでもなく小次郎が下がり、弁慶が前に出る。
 適材適所。この森の中であれば、弁慶の方が前衛に向くということを二人は理解している。
 ドン・キホーテは槍を手に立香の前に立ち、ホームズは銃に手をかけた。

「――――やぁやぁ我こそは“憂い顔の騎士”! あるいは“ライオンの騎士”! ブリタニアのドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ!!
 騎士道の正義と冒険のため、巨悪を討ち果たす者である! 貴公らも騎士とお見受けする! おのおのがた名乗りを上げられよ!」

 機先を制したのは、ドン・キホーテの名乗り口上。
 騎士道に忠実に、堂々たる名乗りが森に響く。
 その言葉に一瞬、武士たちの動きが鈍った。気圧されたか、困惑したか。

 いいや――――名乗る名が、無いのだ。
 彼らは所詮、蛇竜宮司の付属品。
 この地に根差す民ではなく、英霊の道具として召喚された雑兵に過ぎない。
 武士として名乗りを上げたくても、名乗る名が無い。
 その矛盾が彼らの動きを一瞬止め――――それが、全てを決めた。

「――――――――名乗る名もない、山賊の類のようだね!」

 ホームズが吠え、拳銃の引き金を引く。
 獣の咆哮にも似た発砲音が鳴り響き、先頭に立つ武士の首を穿った。
 短く、潰れたような悲鳴を上げて武士が倒れる。まず一人。

 それに怯んだ隙に、弁慶が突進する。
 一歩一歩が重厚、壮絶。
 獣に例えるならばゾウかサイ。パワーとタフネスに任せ、全てを蹂躙する破壊の化身。
 巨体を揺らして大地を踏みしめる度、森が軋んで悲鳴を上げる。

「南無!」

 山刀が振り下ろされる。
 咄嗟に掲げた刀ごと、一人の武士が頭蓋から股まで一刀両断。
 規格外の膂力。あるいは技量。
 阿修羅にも例えられる武蔵坊の前に、雑兵などは相手にならぬ。

 ようやく我に返った武士が構えた刀で弁慶に躍りかかれば、素早く狙いをつけたホームズの銃撃がその手を穿つ。
 痛みと衝撃に刀を取り落とし、さて目の前には武蔵坊。
 盛り上がった筋肉が解き放たれ、横薙ぎに振るわれた山刀が胴を真一文字。
 断末魔すら上げる暇なく、また一人敵が命を散らす。
 残る武士は三人。この調子なら、すぐにカタがつくか。

「――――どうかな」

 胸を撫で降ろす立香を咎めるように、名探偵が呟いた。
 慌てて背筋を正し、緊張の糸を結び直す。
 ホームズの顔を伺えば、世界唯一の詰問探偵は射撃による援護を行いながらも、油断なく周囲を警戒していた。
 理性の瞳。涼しげに、されど鋭く。

「なに、初歩的な推理だよ。彼らは少々、奇襲部隊と言うには弱すぎるし……少なすぎる」

 そう――――確かに、そうだ。
 彼らは背面からの奇襲を狙っていたようだが、その数がたかだか雑兵六名?
 僅か六名の雑兵で、奇襲作戦を?

 ……無理だ。無謀だ。不可能だ。
 この程度の戦力で、戦場の均衡を崩すことなどできるはずもない。

「なら、狂っているのは結果か手段だ。奇襲という目的か、歩兵(ポーン)六名という布陣か。
 だが恐らく、奇襲という目的は真実なのだろう。でなければ、ここに来る意味がないからね」

 であれば――――狂っているのは、手段。

「……気配は、ないな」

 物干し竿を構えながら、小次郎が口を挟んだ。
 ……ならば、さらなる大軍が控えている……ということはないだろう。
 それならすぐに増援が来るはずだし、小次郎たちがその存在に気付かないはずがない。
 ならば、ならば少数で戦場を動かし得る存在がいるはずだ。

 即ち――――――――特記戦力、サーヴァント。

「アサシンか」
「いるなら、そうだろう」

 気配遮断能力を持つサーヴァントが、周辺に潜んでいる可能性が高い。
 自然と立香たちの緊張が高まる。
 暗殺者が、今この瞬間もこちらの命を狙っている――――そう思えば、この森の中が針の筵にも思えた。
 心臓の音がいやにうるさい。
 努めて冷静になろうと、大きく呼吸をしている自分に気が付いた。

「――――――――南ァ無!」

 ……そうこうしているうちに、弁慶の方は最後の兵に山刀の一撃を叩きこんだところのようである。
 返り血こそ浴びているが、彼自身には傷ひとつない。雑兵程度に武蔵坊の相手が務まるものか。
 薙刀ばかりが弁慶の能ではない。
 剛力ばかりが弁慶の能ではない。
 七ツ道具に九百九十九の太刀。あらゆる武具を自在に操る技量こそ、天下に名高き武蔵坊弁慶の本領である。

 そして――――立香たちに、緊張が走った。
 敵を全滅させた、この直後。
 アサシンが奇襲を仕掛けてくるのならば、このタイミングしかない。
 ごくり、と立香の喉が鳴った。
 脂汗が滲み、心拍は激しく警鐘を鳴らし、瞳孔が開く。
 何度危機を前にしても――――命のやりとりをする瞬間だけは、どうしても慣れない。


「――――――――――――――――」


「…………………………………………」


「――――――…………来ない、か?」


 ……しかし、肝心要の奇襲が、来ない。
 どく、どくと心臓の鼓動がいやに大きく聞こえた。
 ピンと張りつめた緊張の糸が、森の中に視線を寄越す。
 どこから来る?
 いつ来る?
 いや、そもそも本当に来るのか?
 未知への怯えが、立香の体を硬くした。


「うむ! どうやら卑劣な暗殺者めは、吾輩らの武勇に恐れをなし、尻尾を巻いて逃げ出したようであるな!」


 ――――その緊迫を、ドン・キホーテが打ち破った。
 いやに朗らかな声が森に響き、それでも暗殺者が姿を見せる様子はない。

「所詮はこそこそと姿を隠す臆病者。真実の騎士の勇気を前にしては、恐れをなして逃げ帰るのも無理なき事である!」

 なるほど、そういえばドン・キホーテは“こういう”人物であった。
 が……いずれにせよ、この場での奇襲は無さそうだ。
 緊張の糸が解かれ、がくっと立香は脱力した。

「キホーテ殿の言うことも、あながち間違いではないかもしれんな」
「ですな。如何に奇襲を得手とする者であれ、これだけの武人が警戒しているとあれば、迂闊に手を出すこともできますまい」

 小次郎と弁慶が己の意見を述べながら、得物を納める。

 確かに、言われてみればその通りだ。
 なにせこの場にはサーヴァントが四騎。思考力に長けたサーヴァントも内包し、奇襲の警戒もされている。
 こうあっては、よほど熟練の暗殺者であれ奇襲は躊躇うだろう。
 あるいはそもそも潜んでいたサーヴァントなどいなかったという可能性もあるが、いずれにせよ奇襲が無いのなら同じこと――――

「――――――――とすると、少しまずいことになったな」

 ……というわけにも、行かないらしい。
 眉を顰めてそう呟いたのは、誰あろう世界一の名探偵。

「……まずいこと、って?」
「すなわち我々は、“敵を逃がした”ということだ。
 潜んでいたサーヴァントは自陣に逃げ帰り、我々の事を報告するだろう」

 言われてみれば……確かにそうだ。
 (暗殺者が本当にいたならば、だが)潜んでいたサーヴァントは形勢不利と見て逃げ出した。
 そして彼は状況からするに恐らく蛇竜宮司の配下であり、蛇竜宮司にこちらの情報が渡ってしまった、ということでもある。
 不確定要素としての奇襲性は大いに低下するし、あまり歓迎できる状況でもない。

「それに、彼らの頭目は……」
「……マスター、これを」

 ホームズの言葉を遮るように、小次郎が口を挟んだ。
 倒した兵の死体を検めていたようで、手にはなにか赤い布が握られている。
 驚愕の色を孕んだその声。
 マズいことになった、と言わんばかりに。

 その手に握られていたのは――――軍旗だ。
 布に、四つの字が刻まれている。
 ……それはきっと、日本で最も有名な軍旗。
 日本に住む人間で、この軍旗を知らない人間はまずいないだろう。
 孫氏の兵法に由来する、孫子四如の旗とも呼ばれる戦の心構えを記した軍旗。

 曰く――――――――疾きこと風の如く。

 曰く――――――――徐かなること林の如く。

 曰く――――――――侵掠すること火の如く。

 曰く――――――――動かざること山の如く。

 風林火山。
 即ち彼らの頭目は――――蛇竜宮司の正体は。


「――――――――――――――――武田信玄……!」


 “甲斐の虎”武田信玄に他ならない――――!

「……よもや、信玄公とはな」
「拙僧より後代の武将ですが……稀代の名将であったと聞き及んでおります」

 立香は、ホームズが「見ればわかる」と言った理由を理解した。
 風林火山の軍旗を背負い、赤揃えを従える、甲斐の国の戦国武将。
 彼の名を知らぬ者は、日本にはまずいないだろう。
 “甲斐の虎”の異名を持ち、“越後の竜”上杉謙信と幾度も川中島にて雌雄を争った、稀代の名将。
 彼の急死が無ければ、あるいは織田信長の天下もどうなったか……そうまで言われる大人物だ。
 間違いなく、戦国時代最強の英雄の一人と言える。

 その、軍神とまで呼ばれた武田信玄が――――今、蛇竜宮司としてブリタニアに君臨している。
 つまり、立香たちの敵として。

「……そして、彼に我々の情報が渡ってしまった」
「…………!」

 そうだ。
 仮にアサシンが潜んでいて、逃げ帰ったとするならば――――それはつまり、立香たちの情報が相手に伝わってしまったということだ。
 彼らの頭目――――蛇竜宮司、武田信玄に。

「当然、機を伺う不確定要素があると理解してもなお、勝負に出るほど彼は無能ではない。残念ながらね」

 苦々しげに、ホームズが首を振る。
 状況は悪化した。
 この作戦は、立香たちの存在が彼らにバレていないことが前提だ。
 ……もっとも、それすらも絶対ではない。

「加えて――――金竜覇王の側には、マーリンがいる」

 花の魔術師マーリン。
 冠位(グランド)の名を持つ、魔術師の頂点に立つ英霊の一人。
 故に彼は特別な目を持つ。否、彼は特別な目を持つからこそ、グランドキャスターに至った。
 即ち、千里眼――――現在の全てを見通し、その行く末を占う彼の天恵。
 ……そう。立香たちの存在は、とっくに金竜覇王には把握されている。
 どころか、今も彼によって監視されているだろう。
 マーリンを敵に回すというのは、そういうことだ。
 そのため、蛇竜宮司が動き出すのを待っていたのだが……今となっては、それはありえなくなった。

「それどころか、あちらから我々を排除するための一手を打ってくる可能性もある」
「不確定要素は早急に排除すべし、というわけですか」
「道理だな。我らにとっては、頭の痛い話でもあるが」

 ……状況は悪化した。急激に。
 立香は視線を森の外に移した。
 無数の騎士や飛竜が、騎馬武者が、亡霊が相争い――――未だに一進一退の攻防を繰り広げている。
 動かない。あの戦場は。
 そして武士たちの奥でとぐろを巻く、巨大な蛇竜を見た。

 ――――――――いる。あそこに、『ブリタニアの武田信玄』が。

 『蛇竜宮司』と、その名を聞くだけではあまり実感が湧かなかった。
 顔も名前も知らない、ただの強力なサーヴァントというだけの認識だった。
 だが、その名を――――有名すぎるその名を聞いて、改めて背筋に冷たいものが奔った。
 天下の知将が、あそこで軍配を握っているのだ。
 ――――そして、立香たちの命運を采配しているのだ。
 良くない状況だ。極めて。

「……怖気づいたか?」

 小次郎が、神妙な顔で問うた。

「……ピンチとかは、いつものことだし」

 どうにか、立香は苦笑で返した。

「なんでもないよ。今回も、敵はすごい英雄たちだ。それだけ、それだけ」

 強がりだ。
 自分でもわかっている。
 隣に、盾持ちの後輩はいない。虚空から天才の声が聞こえることもない。そのことがとても心細い。

 だが――――戦うしかない。
 いつものことだ。そうやっていつも戦ってきた。
 強がりでも、立つことはできる。進むことはできる。戦うことだってできる。

 藤丸立香は、人類最後のマスターだ。
 人類を代表し――――止まるわけにはいかない。
 例え、そんな実感がなかったとしても。

「……勇敢であるな、少年」

 そんな立香の肩を、ドン・キホーテがポンと叩いた。
 白い髭を生やしたその顔で、どこか嬉しそうに皴を寄せながら。
 そして両腕を広げ、並ぶサーヴァントたちに呼びかけた。

「おのおのがた。何を怯える必要があろうか! 若き騎士は勇気を示し、敵は我らを待ち構えて戦場で雄叫びをあげておる!」

 拳を振り上げ、興奮気味に唾を飛ばす。
 少し太り気味の、頼りない老騎士の演説は、しかし妙に真に迫るものがあった。

「ならば我らも堂々と名乗りをあげ、やぁやあ我こそはと挑みかかるべきではないか!」
「いや、それは流石に……」
「とはいえじっとしているわけにもいくまいよ、名探偵殿」

 難色を示すホームズを、小次郎が遮った。
 もとより、彼は剣士だ。こそこそと隠れて機を伺うなど、性に合わない。
 そもそもアサシンというクラスに当てはめられているのが間違いなのだ、彼は。

「こうなっては、動き回って攪乱するほかなかろうな」

 弁慶もまた、小次郎に同調する。
 ……実際、他に手と言えば逃げるぐらいのものだ。
 動き回り、少しずつ三陣営の力を削ぐ。
 今の立香たちにできることといえば、これぐらいだろう。

「……やれやれ、仕方ない。あまり暴力的な手段は、スマートではないのだがね」
「ははは、戦とはそのようなものでしょう。南無」
「そうと決まったら、とりあえず場所を移さないとね」

 いつまでもここに居座る理由も無い。
 蛇竜宮司が何か手を打つより早く、この場を離れなければ。
 そうと決まれば、どこに移動するかだ。
 戦場を見渡せる場所から、戦力が集中していない場所を選びたいところだが……

 …………と、周囲を観察しようと視線を巡らせたところで、立香は異変に気付いた。

「………………ドン・キホーテは?」

 ……いない。
 あの老騎士が、どこにもいない。

「――――――――マスター、あれを」

 弁慶が、半ば呆然と戦場を指さした。
 指先を追うように視線を向けると――――いた。


「やぁやぁ我こそは、“ライオンの騎士”ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと申す遍歴の騎士である!
 おのおのがた、自らの主の名誉のために戦っているものとお見受けするが、吾輩も無用な流血は本意ではない!
 お主らの主人が堂々と吾輩の前に現れ、騎士としての誇りを賭した決闘によって勝敗を決めるのが正道というもの!
 しかしもしも大将ともあろうものが後方で吾輩の武勇に怯えているのみであれば、臆病者の誹りは免れぬと知るがよい!」


 ――――馬……いや、よく見るとロバだあれ……に跨ったドン・キホーテが、堂々と戦場に向け突撃をしている……!


「そういえばああいう人だったぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーッ!」
「いけない。彼はまだ、戦える状況じゃない!」
「小次郎殿!」
「あいわかった!」

 慌てて、立香たちも飛び出すハメになる。
 彼は切り札だ。無為に失いたくはない。
 そしてこのまま突撃されると、確実に乱戦に巻き込まれて消滅する……!

 幸い戦場までは多少の距離があるが、幾人かの兵がこちらに気付いた。
 弓を持つ武士や騎士が、ギリギリと弓を引いている姿が遠くからでも見える。

「間に合うか、これは……!」

 弁慶が立香を抱え、ホームズと小次郎が全速力でドン・キホーテを追いかけているが、しかし。
 遠い。
 彼の判断が異様に早すぎた。
 このままでは、雑兵の攻撃の方が早い……!

「ドン・キホーテ!」

 叫ぶ。
 しかし、老騎士にその叫びは届かない。


 万事休すか――――――――そう思った瞬間、兵を蹴散らす爆発が起きた。


「――――――――!?」


 否、爆発ではない。
 “衝撃波”だ。
 なんらかの“衝撃波(ソニックブーム)”が、並み居る雑兵たちを、陣営の区別なく吹き飛ばした。

 当然、それはドン・キホーテの攻撃ではない。
 立香たちの攻撃でもない。
 であれば、この技の主はいったい――――――――



「――――――――御機嫌よう、ブタども!」



 ――――その声に、聞き覚えがあった。



「ええと、なんだっけ?
 そう――――“臆病者”とか聞こえてきたから反射的に出て来ちゃったんだけど、なに? アンタ私(アタシ)のストーカー?
 困るのよね、そういうの……ちゃんとプロデューサー通してくれないと、スケジュールってものもあるワケだし……」


 ――――その言い回しに、聞き覚えがあった。

 人影が現れた。
 紅い、紅い、もはやショッキングピンクにも近い長髪。
 渦のように巻かれた、リボンを思わせる角。
 ゴシック&キュートなコスチュームに、堂々と主張する尻尾と翼。
 鋭く伸びた紅いネイルに、槍にも似たマイクスタンドを握る彼女こそは。



「まぁいいわ。せっかくのライブだもの。多少の無礼は見逃してあげる。
 さぁ、いい声で啼きなさいブタども! この私のゲリラライブに噎び啼きなさい!」



「――――――――何度も出てきて恥ずかしくないんですかッ!?」


 カルデアにも登録されているスーパードラゴンアイドル、エリザベート・バートリー!


 咄嗟にツッコミを入れたが、しかし立香は安堵した。
 彼女とはカルデア以外でも幾度も特異点で遭遇し、またカルデアでも長い期間を共に戦っている。
 彼女の人格はある程度把握できているし、恐らく味方に引き入れることもできる!
 警戒の必要はあるが、彼女も“はぐれ”だろう。
 もしもカルデアの記憶が彼女にあるのなら、即座に味方につけられるし――――

 …………と、立香が考えていた、その瞬間だった。

「……はァ? 何度もって……えっ、ほんとにストーカー? 私、アンタなんか知らないわよ?」

 エリザベートは不快そうに吐き捨て、マイクを握る。
 悪魔にも似た竜の羽が大きく広がり、魔力の膨張に大気が震えた。

「え――――――――」

「――――まぁ、それだけ私のファンってことだし。今回だけは特別に許してあげる。だから、私の――――――――」

 嗜虐的に、エリザベートの顔が愉悦に染まった。
 彼女の周囲で様子を伺っていた雑兵たちが恐怖の悲鳴を上げ、逃げ出すのが視界の端で見えた。

 騎士も、武士も――――いや、怨霊だけは、この場に残っていて。
 踊っている。
 バックダンサーのように。
 ライブ会場で芸を見せる熱烈なファンのように。
 彼女の周囲で、死霊の軍勢が踊り出す。
 それは彼女が死霊たちの主君であることを如実に示しており、即ちそれは――――


「――――――――――――“愛竜暴君”エリザベート・バートリーの歌声で、イかせてあげる!」


 ――――――――彼女が、三本目の竜首ということに他ならない…………!


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最終更新:2018年03月08日 04:13