第10節:ターミネーター



金属同士が激しくぶつかり合う音がやまない。
それは即ち、大都会のど真ん中で始まった戦闘が激化の一途を辿っていることを意味する。
四騎ものサーヴァントが激突したのだ。当然の流れである。

「はいそこぉ!」
「器用ですね」

輝きを振りまきながら迫る白銀の剣に対し、燕青は自身の籠手でいなす。
結果、刃は籠手の表面を滑り、あらぬ方向へと振り抜かれる。
強引にバランスを崩されたため、騎士は大きな隙を晒してしまった。
刹那、この瞬間こそ〝まさに好機〟と察したのであろう。
態勢を整えさせてなるものか……とでも言うように、燕青は大地を強く踏みしめる。

「受け取れ!」

直後、彼は相手の心臓の位置に向けて拳を打ち込んだ。
あの李書文に〝稽古をつけてやれる〟程の実力者が放った拳を真正面から受けた騎士は、ワイヤーアクションよろしく後方へと吹き飛んでゆく。
やがて燕青が大きく息を吐いた頃、騎士は道路の端に停められていた運転手不在の一般車へと後頭部から激突した。
フロントガラスが音を立てて破砕したのを見るに、車内の何かしらにも頭を打ったに違いない。シンプルに痛そうだ。

「ライダーっ!?」
「余裕なのね。こんなときによそ見だなんて!」
「何を……っ!」

一方でケツァル・コアトルは、純白の薙刀……その刃先を翡翠色の盾で殴り飛ばした。
相手にしてみれば、この動きは予想外だったのだろう。衝撃を受けるやいなや、酒に呑まれたかのように姿勢が崩れていった。
だが続けざまに脇腹へと放ったマカナの刃は、地を穿つつもりかと見紛うほどの勢いで突き立てられた柄によって防がれてしまう。
挙句の果てには不安定になっていた姿勢をするりと正されるというおまけつき。
その流麗な動きたるや、他の追随を許さぬレベルにまで研ぎ澄まされたポールダンスを思わせる。
嫋やかな乙女は、顔のみならず所作も美しかったというわけだ。

『聞いたかい立香君。あの薙刀の彼女、口を滑らせたぞ』
「ああ、いいこと聞けたな。おーい、燕青! お前と戦ってる美形の兄さん、クラスはライダーだってさ!」
「そうかそうか! それじゃあ、せいぜい轢き逃げされない様に気をつけねぇと……なぁっ!」

ならばその美しさ、無理矢理にでも引っぺがさせてもらう。
立香は相手の心を乱し揺さぶるため、不躾に声を張り上げた。
すると少しだけ効いたらしい。構えを取り直した薙刀使いが「くっ」と立香に視線を向ける。
件の立香は人差し指で軽くこめかみを掻きながら「おぉ、怖い怖い。野女と野獣ですかぁ?」と吐き捨て、くつくつと喉を鳴らした。
無論、これも挑発である。折角なら薙刀使いだけではなく、白銀の騎士改めライダーにもうろたえてもらおうと思ったからだ。

「ご心配なさらずとも、卑劣な手など使いませんよ」

だが立香の小狡い手助けは失敗に終わった。
何故なら、自動車から脱したライダーが、穏やかな笑みを浮かべてこう言い放ったからだ。
そう。かなりのダメージを与えられているはずだというのに、ああも〝普通に〟口を開いたのである。
更には彼がサラサラの髪を何度か撫でると、粒子となったガラスの雨粒が地面へと落ちる。
そんな異様な一部始終……否、謂わば〝全部始終〟を眺めた立香は、背につららを突っ込まれたかのような感覚を抱いた。
その怖気たるや、ホラー映画を鑑賞しているときの比ではない。

「悪い、燕青……もう一回似た様なことやってくれるか?」

沸き上がる不安を振り払うため、すかさず無頼漢に指示を送る。
頼もしいことに彼は「ああ。じゃあ次は派手にしよう」と即答すると、コツコツと歩を進めるライダーに肉薄した。
かつて〝彼ではない彼〟が新宿で見せつけてきた走法が、ここ南米の地で寸分違わず蘇る。
感動のあまりに拍手を送りたくなったが、既に燕青は相手の懐に入り込んでいたので、それは叶わなかった。

「そぉらぁ!」

燕青が声を張り上げた一瞬後に、凄まじい音が立香の耳朶を叩く。
そう、燕青は再びライダーの身体へと非道極まりない威力の拳をぶつけたのだ。
しかもそれだけでは終わらない。今度は腹部に突き刺さっていた拳で顎をかち上げると、その場で回し蹴りを放つ。
そうした隙間が存在しない連続攻撃の締めは、またもや心臓を狙った両手での掌底打ちであった。
先刻ガソリンスタンドで発されたものと似た様な爆音が辺りの建物に反響し、ライダーは再び真後ろへと吹き飛ばされる。
ライダーは口を開く暇も与えられないまま、雑居ビルらしき背の高い建造物にまで全身を打ち付けた。
だが燕青は満足していなかったらしい。近場に停まっていた大型のワゴン車を目にすると、

「デザートだ!」

今度は〝それ〟に躊躇なく回し蹴りを放つ。
すると信じられないことにワゴン車は、翼も無しに地面と平行に飛んでいった。
肉体派サーヴァントの恐ろしさ、ここに極まれりである。
結果、ライダーはビルの壁とワゴン車の間に挟まれ、サンドイッチの具と化した。
なんという酷い有様か。あまりのエグさに、立香は「……俺なら挽肉になってる」と呟いた。
だが、

「恐ろしい膂力と絶技ですね。豪快でありながら華麗……お美事です。やはり世界は広いと再確認させられましたよ」

やはり今度も〝こう〟なった。なってしまった。

「なぁアンタ……」

燕青が、恐る恐る口を開く。
実際には戦っていない立香が気付いたのだ。ならば燕青が気付かないわけがない。

「……何食って、そこまで頑丈になったんだ?」

そう。なんとも不気味なことに、このライダーは……ここまでの戦いで一切〝怪我をしていない〟のである。
どんなに衝撃を与えられようともかすり傷一つつかず、息を切らすこともない。
しかもフロントガラスを割ったにも関わらず、彼の頭からは血の一滴どころか汗すら垂れていない。
今だってそうだ。もはや口にするのも恐ろしい目に遭ったにも関わらず、おもむろにワゴン車をどかせると、すぐにこちらへ歩き出している。
一体どんなカラクリが仕込まれているのだか。面妖な騎士を前にして、立香はゴクリと喉を鳴らし、様々な可能性を巡らせる。
そんな立香の苦労を知ってか知らずか、ライダーは「申し訳ありませんが、お答えすることは出来ません」と答えると、

「秘中の秘、ですので」

立てた人差し指を自身の唇に近づけ、陽だまりを思わせる優しい笑みを零した。
顔がいいので様になっている。一瞬だけだが危うく僻みかけた。

「ごめんなさい、ライダー……わたしったら、あなたを少し疑ってしまったわ……」
「いいえ、嘆くことはありませんよ。貴女のそれは慈悲と優しさ……誇るべきものなのです」
「あぁ、あぁ、ライダー! なんてこと……このような戦の最中ですら、あなたの高潔さはちっとも揺るがないのね!」

一方でライダーとは違って相応に疲れてはくれるらしい薙刀使いは後方へと跳躍し、ケツァル・コアトルから大きく距離をとった。
着地点は、件のライダーのすぐそば……立香達から見て彼の左側だ。並んで立つと、さながら王子と姫が寄り添うが如しである。
一見すると二人は自分達の世界に入り込んでいるように思えるが……その実、厄介なことに隙が見当たらない。
騎士はただ異様に頑丈なだけではなく、燕青と命のやりとりをこなせるほどの実力を持っている。
乙女は舞を思わせる流麗な動きでこちらを翻弄するに留まらず、防御や反撃もきっちりこなしてくる。
しかも仲睦まじいと来た。牙城を崩すにはそれなりの……否、それなりでは足りはしない。よっぽどの策がなければ厳しいだろう。
これでもしもホムンクルスの少年兵軍団が一緒になって攻めて来たら、目も当てられない大惨事が広がるのは確実だ。

「……ん?」

と、そこまで考えてようやく立香は疑問を感じた。

「そうだ……なんでホムンクルス達はたこ殴りしてこないんだ? いや、っていうか、普通に俺をヘッドショットすれば終わる戦いだろこれ」

そうだ。何故、ホムンクルス達は横槍を入れてこないのだろうか?
ここまで不可思議な力を持つ騎士と、そんな彼との相性が抜群そうなサーヴァントが燕青達を釘付けにしているのだ。
ならばここでマスターである自分を横合いからぶち殺してしまえばいいではないか……立香は、そのような違和感を覚えたのである。
だが一人で悶々とするわけにはいかないので、改めて彼はダメ元でライダーに問いかけることにした。

「ライダー。なんでお前、ホムンクルス達を大勢連れてないんだ? 今ここでしこたまぶつけてくれば楽勝だろ」
「そうかもしれませんね」
「そうかも、って……ちょいタンマ。まさか慢心してるのか? それとも上からの命令?」
「いいえ。これは僕の矜持です。卑劣な手は、騎士道に反しますからね」

ダメ元だった問いは、すぐに返された。

「今行われているのは、互いの運命を分けるであろう決闘です。そこに横槍があってはなりません」

しかも内容はとんでもなかった。
立香もこれには「……気高いんだな」と答えるしかない。
無意識の内に、乾いた笑いを浮かべてしまった。

「……でもな、ライダー。俺はそこまでいい人間じゃないし、これからもなれっこないぞ。何せ普通が服着て歩いてる感じの奴だからな」
「そうでしょうか? 貴方の内からは、光り輝く善の心を感じますが」
「うわ……どうも皮肉でも何でもなくマジで褒めてるっぽいな、この騎士さん」

真っ直ぐな言葉で敵を讃えるライダーを見て、眩しいなぁと立香は思う。
そして「んー……まいった」と呟くと、すっと真顔になって「燕青、左」と機械的に言葉を紡いだ。
すると義を背負う侠客が、かの光の御子もかくやとばかりの速度で乙女のすぐ脇へと立つ。そうして放ったのは無言での貫手だ。
しかし、当たらない。ライダーが「こちらへ」とその胸に彼女を引き寄せ、なおかつ自身が代わりに攻撃を受け止めたからだ。
ライダーの表情は穏やかなままで、眉間に皺の一つも寄せていない。それは、全身全霊の奇襲すら通じないことを意味する。
燕青も瞬時に全てを悟ったのだろう。こちらにも聞こえるほど大きく舌打ちをすると、行きと同じ速さで帰ってきた。

「悪い、燕青。無茶させた」
「謝るなよマスター。至らなかったのは俺だ」
「ってわけで、つまりはこういうことだ。割と想像以上に卑怯者なんだよ、俺は。ごめんな?」
「……ああ、なるほど。そうやって軽薄なふりをして闘志を保っているのですね。ある種の自己暗示とでも言いましょうか」
「…………」
「〝自分は戦いに向いている〟と自他に見せつける、いわば威嚇や擬態の類。ですが無理は禁物です……最悪、心が壊れてしまいますよ?」
「……………………」

性根を全て見透かされたようでばつが悪くなった立香は、誤魔化すように顎に手を当てて〝さて、どうするべきか〟と思考を巡らせた。
だがこの状況を覆す一手など皆無であろうことは既に察している。
そのため、ケツァル・コアトルからこっそり「……距離をとったおかげで車は近いわ。退くなら今よ」とアドバイスをされると、

「あー、じゃあそうするか」

立香はあっさりと思考を放棄した。
この特異点の土を踏んでからというもの、相手から逃げるか相手を逃がすかの二択ばかり選んでいる――バーサーカーは除く――が、仕方ない。
死んだら全てが終わりなのだ。ならばプライドなどという邪魔なものはゴミ箱に放り捨てて、意地汚く未来を求めるべきである。

「迎撃頼んだ!」

というわけで、カルデア三人組は揃って踵を返すと全力で走り出した。
当然だが、目指すは数メートル先の地点にてドアが開かれたまま放置されている愛車である。

「素晴らしい状況判断です」
「ええ。けれど、させないわ!」

無論、見過ごされるはずがない。
故に燕青とケツァル・コアトルは、敵に背中を向けながらも闘志を剥き出しにしていた。
来たら酷い目に遭わせるからな、というオーラが漂っている。
だがそれだけで相手の動きが止まってくれるなら、最初からここまで苦戦などしていない。

「やり返させていただきますね」

まずはかつて自分がそうされていたように、ライダーが燕青のもとへと肉薄する。
放たれたのは剣による横薙ぎ一閃。首を狙っているのは明白だ。
これに対し燕青は髪を抑えながら瞬時に姿勢を低くすることで対応し、振り向きざまに勢いを付けて足払いを放った。
ライダーは軽く跳躍し、避ける。だがそれだけでは終わらない。上段に構えた剣を、思いっきり振り下ろす。
さすがに白刃取りは厳しいと判断したか、燕青はクロスさせた両手首を掲げ、籠手で受け止めた。
もはやお馴染みとなってしまった音が立香の耳に届く。
先程よりも相手との距離が近いのもあり、立香はついつい「ひえぇ」と小さく悲鳴を上げてしまった。
次に聞こえたのは、風の吹くような音。何かと思えば、燕青が防御から回避へと動きを切り替えたのだ。
変幻自在の剣筋を、ひらりひらりと躱していく。彼ご自慢のみどりの黒髪も無事である。
だが燕青の表情に緩みはなかった。軽口の一つすら零していない。忌々しげに目を細めるばかりだ。

「姐さん! マスターを!」
「解ってるわ!」

燕青からの頼みを受けたケツァル・コアトルは、再び薙刀の乙女と対峙する。
だが何やら様子がおかしかった。というのも、何故か相手はライダーと違って間合いを詰めてこないのだ。
薙刀を振るうのだとすれば明らかに間合いを見誤っている。ケツァル・コアトルの力を警戒しているのかもしれない。
などと考えながら、立香はケツァル・コアトルに護られながら操縦席へと飛び込んだ。
そして二度目の無免許運転と洒落込む。戦ってくれているケツァル・コアトル達の為に、助手席のドアは開いたままだ。
キーを捻る。エンジンが稼働し、微かな揺れが起きる。立香は「よっしゃ」と小さく言って、目線を前に向けた。

「……は?」

すると、立香は信じられない光景を目撃した。
いつの間にやらケツァル・コアトルから距離をとっていた薙刀使いが、得物を大上段に構えていたのだ。
彼女は真っ直ぐこちらを見据えている。とてつもなく嫌な予感がした。そしてその予感は、すぐに当たる。

「何か出してる!」

透明なものが、あっという間に薙刀を覆ったのだ。

『先輩! 機材が反応しました! あれは恐らく、彼女の魔力によって作られた水です!』
『間違いなくぶった切る気だ!』
「そういうことかよ!」

激しい水にて幾多の敵を貫くフィン・マックールの宝具が脳裏をよぎる。
その瞬間、相手の目的がどれほど強烈であるかを、立香はようやく察した。
そう……彼女はこの車を、水の力で切断しようと企んでいるのだ!
英霊の放つ攻撃など、ただの機械が放つウォーターカッターの比ではないだろう。
ならばどうするべきか。答えは一つ、縦列駐車よろしく車を横へとずらすほかない。
だが一朝一夕で運転技術が向上するわけもなく、立香はあたふたするばかりだ。
そうしている内に、動きがあった。遂に乙女が薙刀を振り下ろしにかかったのである。

「させないわ!」

するとここで立ち上がったのは、我らが太陽神ケツァル・コアトルである。
彼女の右手に納まっているマカナは、既に煌々と輝く炎に包まれていた。
常々〝私は炎!〟と自己申告するだけのことはあり、こちらにまで熱が届いている。

「燕青、跳んで!」
「応!」

やがてマカナを覆うのみだった炎は瞬時に勢いと激しさを増し、天へと高く伸びていく。

「ライダー……そして、多分ランサーのお嬢さん! 今回のところはさようなら!」

そして物騒なそれを、ケツァル・コアトルは躊躇いもなく横向きに振るった。
伸びる炎が追従する。まるで鞭だ。炎で出来た、熱を持つ太い鞭だ。

「なるほど。やはり侮れませんね」

まずは巻き込まれたライダーが、炎に巻かれながら賞賛の言葉を発する。
相変わらず何故か平気そうだ。いや、実際に平気なのだろう。不気味が過ぎる。

「くっ!」

そしていよいよ、薙刀使いの放った水の刃に炎の鞭が激突した。
その瞬間、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの轟音――異常なことに先程からそればかりだ――が鳴り響く。
続いて起こったのは、激しすぎる衝撃だ。その威力たるや、相応の重みがあるはずの車が浮き上がったほどである。
目の前は霧が立ちこめたかのように真っ白くなっており、冗談抜きで何も見えない。

『先輩! 無事ですか!?』
「お、おう……車の方も、どうにかなってるっぽい……」
『なるほど、水蒸気爆発か! 危なっかしいが、この程度で済んでよかったね!』
「マスター! お喋りは後! 晴れる前にバックして!」

そうこうしている内に、ケツァル・コアトルが助手席に乗り込んできた。
燕青はどうなったかと訊ねると、すぐに「また荷台に乗ったわ!」という答えが返ってくる。
ライダーの件もあって今回ばかりは相当焦っているのだろう。彼女はこちらへと強引に脚を伸ばすと、

「さぁ!」
「痛い!」

立香の足ごとアクセルを踏んだ。
一応バックの準備自体は出来ていたので、果たして車は勢いよく後方に走り出した。
足を踏まれる痛みに耐えながら急いでシートベルトを締めた立香は、ハンドルへと手を伸ばす。
だが今度はいよいよ身を乗り出してきたケツァル・コアトルが「どけて!」と無理矢理ハンドルを握る。
高身長なのが吉と出たか……こうして彼女は、助手席で運転をするという離れ業を軽くやってのけた。
おかげで車は即座に向きを変え、街を脱出するためのルートをきちんと走行している。

「ケツァ姉! 待って! ヤバい!」
「何!?」
「いや、胸、胸がっ! 胸が当た……っ! ちょっとこれは、不健全じゃないかなーっ!?」
「……っ! も、もうっ! 今は逃げるのに集中したいんだから、後にして!」
「おい姐さん! イチャイチャしてるとこ悪いが、どうやら上手く逃げ切れたみたいだ! しばらくしたらちゃんと席を替わってやってくれ!」
「イチャイチャはしてねぇよ!」
「イチャイチャはしてません!」
「ああ、ほら! 前見ろ前! 十字路だぞ!」

ただ、問題なのは……車内は全くきちんとしていないことなのだが。


◇     ◇     ◇


これは、カルデアからの刺客達が尻尾を巻いて逃げ出した後の話である。

「ごめんなさい、ライダー……言い訳のしようもないわ」
「いいえ。あんな状況下で貴女はよくやってくれました。ただ、敵の能力が未知数だっただけのこと。気に病む必要はありません」
「……わたしは……わたしは、本当にあなたの隣にいてもいいのかしら……そんな資格、今のわたしには……」
「自省も過ぎれば毒となります。ですから貴女は、もっと自分自身を好きになってあげてください。それが、今の僕の望みです」

戦いを終えたライダーは、自身の至らなさを嘆くランサーの涙を拭い続けていた。
ランサーは大げさなほどに己を責めているが、ライダーは本心から〝そのように嘆く理由などない〟と思っている。
今この瞬間だけの話ではない。この世界に召喚され、彼女に出会ってから、ずっと……本当にずっと、そう考えていた。
何故なら彼女は、透き通るほどの純粋な心を持っているからだ。
互いに名も知らぬ間柄であるというのに、彼女はこんなにもライダーを信じている。慕ってくれている。
それがライダーにとってはたまらなく嬉しくて、自分でも驚くほどのとてつもない力をくれる。
故に、彼女には笑っていてほしいのだ。

「さぁ、顔を上げてください。僕達には次があります。未来があります。
 ですがそれも、泣いてうつむいていては見られない……それはとても残念なことです」
「……ライダーは、優しすぎるわ」
「そうでしょうか? もしかしたら、行きすぎた自衛のためかもしれませんよ?
 貴女からの信頼を失いたくないあまりに、口当たりのいい言葉を重ねているだけなのかも……」
「違う! そんなことない! あなたがそんな利己的な人ではないのは、わたしが一番知っているわっ!」
「……ほら、どうです? 過ぎた自省は、こんなにも周りを不安にさせるものなのですよ」
「あ……っ」

ライダーの言葉に、ランサーは「わたしったら、恥ずかしいわ……ごめんなさい。そして、ありがとう」と呟く。
その答えを聞けて満足したライダーは、ランサーの手の甲へと口づけをする。
季節が夏から秋に変わるかのように、ランサーの顔は真っ赤になった。
そんな彼女の変化を見て顔をほころばせたライダーは、

「貴女の未来が、どうか笑顔で満たされたものでありますように……」

静かに祈りを捧げるのであった。


◇     ◇     ◇


そして丁度同じ頃、

「今です、アーチャー」

大統領官邸にて、白いコーヒーカップを片手にキャスターが短く囁いた。


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最終更新:2018年03月05日 21:56