第五節:『リミット』(1)

【1】





 まずは一度、小さく振り子が揺れた。





 □ ■ □


 分かり合えると、あの瞬間までは信じていた。
 自分達の怒りをようやく理解し、真に対等であると認めたのだと。
 愚かにも、本気で信じ込んでしまっていた。

 和睦を祝う宴、そこで振る舞われた一升の酒。
 それに含まれた毒が、全ての夢を掻き消した。
 血反吐を吐きながらも、眼を動かして辺りを巡らせば。
 地に伏せる自分を嗤う、憎き怨敵の姿が見えた。

 思わず吼えた。お前らに武士道は無いのか、と。
 その刀に乗せた誇りは、一体誰の為のものだったのだと。
 するとどうだ、奴等は悪辣な笑みをより一層深めて、

『武士道は人に向ける者だ。お前は人じゃあないだろう』

 やはり嗤いながら、奴等は腰の刀を抜いた。
 ぎらつく刀身を前に、胸に湧き上がるのは、慄く程の熱量だった。
 憎悪という名の熱が、この身を焼き尽くさんとしていたのだ。

 許すまじ、日ノ本の畜生共。
 偽りの誇りを着込み、我が血族を貶めし者共め。
 そうまでして利得が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。

 最期まで、血と共に呪詛をまき散らしていた。
 刃が総身を貫くその瞬間まで、ひたすらに怒り狂った。
 いや、死してなお、恨みが消える事はなかった。

 決して、決して許すものか。
 例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
 我が"怒り"を思い知れ――――大和、死すべし。


 □ ■ □





 振り子が揺れる。振り幅は、段々大きくなっていく。





 □ ■ □


 自分達が一体、何をしたというのだろうか。
 ただ、町の者達と仲良くやっていただけではないか。
 それがどうして、仲間諸共滅ぼされる罪になるというのか。

 自分たちはただ、人として生きたかっただけなのだ。
 人間らしく、田を耕し、獣を狩り、人と笑って暮らしたいだけなのに。
 ただ普通に生きたいという事が、罪だとでも言いたいのか。

『そうだ。■の身で人らしく生きるなど、紛う事なき罪であろうに』
『お前は■だ。民衆を誑かす■め、疾く死ぬがいい』

 罪人であると認めよう。極悪人である事も認めていい。
 だが、それだけはやめてくれ。自分はあくまで人間なのだ。
 お前達と同じ、赤い血が通ったただの人間でしかないのに。

 何故だ、どうしてこんな目に遭わなければならない。
 一方的に悪と決めつけられ、そして怪物として死ぬ必要がどこにある。
 お前達の都合で、どうして人である事を捨てなければならない。

 許すまじ、日ノ本の畜生共。
 偽りの正義を振りかざし、我が誇りを貶めし者共め。
 そうまでして栄誉が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。

 ただただ、心中で恨み節を吐き続けていた。
 この胸に秘めた憎しみは、絶対に晴れる事はない。
 己が身を化物に変えた者共への怒りだけが、身体中を支配する。

 決して、決して許すものか。
 例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
 我が"恨み"を思い知れ――――大和、死すべし。


 □ ■ □




 振り子が大きく揺れる。まるで猛り狂うかの如く。




 □ ■ □


 それは何の前触れもなく、町に姿を現した。
 武装した彼等は、躊躇いもなく仲間を殺していく。
 何の罪もない自分達を、無慈悲に殺傷するのである。

 何故だ、ただ彼等に従わなかっただけだというのに。
 ただのそれだけで、どうして殺されなければならないのか。
 たかがこの程度、死に値する程の罪ではないだろうに。

 何の縛りも無く、平穏に暮したかっただけだった。
 そっとしておいてくれるだけでよかったではないか。
 それなのに、どうしてこんな目に遭わなければならない。

『痛い、痛い』
『苦しい、苦しいよォ』
『誰か、誰か助けてくれ』

 聞こえてくるのは、同胞達の苦しみの声。
 血を吐きだしながら、彼等は無念を謳い続ける。
 悲しかろう、苦しかろう、けれどその声は、誰の耳にも届かない。

 許すまじ、日ノ本の畜生共。
 偽りのを大義を纏い、我が未来を貶めし者共め。
 そうまでして繁栄が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。

 その村にいた誰もが、同じ感想を抱いていた。
 絶対にこの恨みを晴らしてやると、あの憎き朝廷の犬共に。
 いや、奴等の末代までも、絶望の底に叩き落してやらんと。

 決して、決して許すものか。
 例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
 我が"嘆き"を思い知れ――――大和、死すべし。


 □ ■ □




 憎悪の振り子は揺れ続ける。憎しみの奔流が止まない限り。




 □ ■ □


 人間の檻が立ち並ぶ、万博内部の一室。
 その真ん中にて、ライダーは一人佇んでいた。
 ただ退屈そうに、揺れるペンデュラムを眺めている。

 そこに現れたのが、アヴェンジャーであった。
 今の彼女は、平時に比べ酷く高揚しているように見える。
 無理もない、もうすぐ彼女の悲願が叶おうとしているのだから。

「喜ぶといいライダー、時は来たぞ」

 ライダーはすぐに張り付いた笑みを取り付けて、アヴェンジャーと向き合う。
 ここで彼女の機嫌を損ねれば、これまでの努力が水泡に帰すからだ。
 当初の目的を果たす為にも、下手な真似をする訳にはいかない。

「キャスターはあの絵を完成させる、いよいよ我らの悲願が達成されるのだ」
「それは何より、私も重い腰を上げた甲斐があるというものです」

 キャスターが例の絵画を完成させるのが、アヴェンジャーの目論見だった。
 理屈は不明だが、それさえあれば彼女は己の目的を達成できるらしい。
 尤もそんな事、ライダーにとってはさして重要な話でもない。
 彼が強く興味を惹くのは、アヴェンジャーが所有するある道具である。

「ところでその、例の約束なのですが」 

 ライダーはそれとなく、上機嫌なアヴェンジャーに聞いてみる。
 彼は彼女とある契約を結んでおり、それを条件に協力していたのである。

「ああそれか、そうだな、最早我らには無用の長物だ」

 そう言ってアヴェンジャーは、懐からある物を取り出した。
 薄暗い室内でも淀みなく輝くそれは、杯の形をしていた。
 紛れもなくそれは、万物の願望器たる聖杯ではないか。

「おお、それが……ッ!!」

 アヴェンジャーは歓喜の声をあげるライダーに、聖杯をぞんざいに放り投げる。
 急に目的の物を投げられた彼は、危なっかしい仕草でそれを受け取った。

「それを持って何処へなりとも行くがいい」

 アヴェンジャーにとって、ライダーは聖杯と同様不要な存在であった。
 今や彼が何をしようが、彼女にはどうでもいい事でしかないのである。
 約束も果たした以上、ライダーはもう用済みなのであった。

「いえいえ、流石に此処で逃げるような真似はしませんよ。
 行くのだとすれば、それは貴方の所業を見届けてからでしょうね」
「……そうか、好きにするといい」

 ここでライダーは、あえてこの場に留まる選択をした。
 どうせ逃げるのなら、アヴェンジャーがこの地で何を起こすのかを見てからでもいいだろう。
 そんな好奇心が働いたが故に、彼は逃亡の選択肢を捨てたのであった。

 それに、これからやって来るであろうカルデアの面々にも興味がある。
 特にアメリカ大陸の先住民、その子孫であるジェロニモへの関心は深い。
 彼が自分と対面した時、彼は平時の冷静さを保ったままでいられるのか。
 それとも、セイバーやバーサーカーの様な、狂える鬼になり果ててしまうのか。
 それを知りたくないと言ったら、間違いなく嘘となるだろう。

「ところでそれ、何処で手に入れた?」

 アヴェンジャーが指さしたのは、ライダーが手に持ったペンデュラムだった。
 彼女の知る限りでは、彼は少し前までこんな物など所有していなかった筈だが。

「ああこれですか、兵士達が殺した女が持っていた物でしてね。
 中々綺麗な代物だったので、奴等から頂戴したのですよ」

 ライダーの返答に対し、アヴェンジャーはただ「そうか」とのみ答えた。
 この特異点とは関わりのない事であり、大して重要な問いでもない。
 どうも人が一人死んでいるようだが、所詮それも日本人だろう。
 アヴェンジャーにとっては、心底どうでもいい話であった。


 □ ■ □




 憎悪とは、振り子と似ている。

 一度揺らせば最期、それは延々と揺れ続ける。

 描かれる弧は憎悪の強さ、湧き上がる憤怒である。

 振り子が大きく揺れる程、描かれる(いかり)も大きくなるのだ。

 恨みは無限に増幅していく――誰かが、その振り子を止めない限り。




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最終更新:2018年06月08日 01:46