【1】
まずは一度、小さく振り子が揺れた。
□ ■ □
分かり合えると、あの瞬間までは信じていた。
自分達の怒りをようやく理解し、真に対等であると認めたのだと。
愚かにも、本気で信じ込んでしまっていた。
和睦を祝う宴、そこで振る舞われた一升の酒。
それに含まれた毒が、全ての夢を掻き消した。
血反吐を吐きながらも、眼を動かして辺りを巡らせば。
地に伏せる自分を嗤う、憎き怨敵の姿が見えた。
思わず吼えた。お前らに武士道は無いのか、と。
その刀に乗せた誇りは、一体誰の為のものだったのだと。
するとどうだ、奴等は悪辣な笑みをより一層深めて、
『武士道は人に向ける者だ。お前は人じゃあないだろう』
やはり嗤いながら、奴等は腰の刀を抜いた。
ぎらつく刀身を前に、胸に湧き上がるのは、慄く程の熱量だった。
憎悪という名の熱が、この身を焼き尽くさんとしていたのだ。
許すまじ、日ノ本の畜生共。
偽りの誇りを着込み、我が血族を貶めし者共め。
そうまでして利得が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。
最期まで、血と共に呪詛をまき散らしていた。
刃が総身を貫くその瞬間まで、ひたすらに怒り狂った。
いや、死してなお、恨みが消える事はなかった。
決して、決して許すものか。
例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
我が"怒り"を思い知れ――――大和、死すべし。
□ ■ □
振り子が揺れる。振り幅は、段々大きくなっていく。
□ ■ □
自分達が一体、何をしたというのだろうか。
ただ、町の者達と仲良くやっていただけではないか。
それがどうして、仲間諸共滅ぼされる罪になるというのか。
自分たちはただ、人として生きたかっただけなのだ。
人間らしく、田を耕し、獣を狩り、人と笑って暮らしたいだけなのに。
ただ普通に生きたいという事が、罪だとでも言いたいのか。
『そうだ。■の身で人らしく生きるなど、紛う事なき罪であろうに』
『お前は■だ。民衆を誑かす■め、疾く死ぬがいい』
罪人であると認めよう。極悪人である事も認めていい。
だが、それだけはやめてくれ。自分はあくまで人間なのだ。
お前達と同じ、赤い血が通ったただの人間でしかないのに。
何故だ、どうしてこんな目に遭わなければならない。
一方的に悪と決めつけられ、そして怪物として死ぬ必要がどこにある。
お前達の都合で、どうして人である事を捨てなければならない。
許すまじ、日ノ本の畜生共。
偽りの正義を振りかざし、我が誇りを貶めし者共め。
そうまでして栄誉が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。
ただただ、心中で恨み節を吐き続けていた。
この胸に秘めた憎しみは、絶対に晴れる事はない。
己が身を化物に変えた者共への怒りだけが、身体中を支配する。
決して、決して許すものか。
例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
我が"恨み"を思い知れ――――大和、死すべし。
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振り子が大きく揺れる。まるで猛り狂うかの如く。
□ ■ □
それは何の前触れもなく、町に姿を現した。
武装した彼等は、躊躇いもなく仲間を殺していく。
何の罪もない自分達を、無慈悲に殺傷するのである。
何故だ、ただ彼等に従わなかっただけだというのに。
ただのそれだけで、どうして殺されなければならないのか。
たかがこの程度、死に値する程の罪ではないだろうに。
何の縛りも無く、平穏に暮したかっただけだった。
そっとしておいてくれるだけでよかったではないか。
それなのに、どうしてこんな目に遭わなければならない。
『痛い、痛い』
『苦しい、苦しいよォ』
『誰か、誰か助けてくれ』
聞こえてくるのは、同胞達の苦しみの声。
血を吐きだしながら、彼等は無念を謳い続ける。
悲しかろう、苦しかろう、けれどその声は、誰の耳にも届かない。
許すまじ、日ノ本の畜生共。
偽りのを大義を纏い、我が未来を貶めし者共め。
そうまでして繁栄が欲しいか、そうまでして欲を貪りたいか。
その村にいた誰もが、同じ感想を抱いていた。
絶対にこの恨みを晴らしてやると、あの憎き朝廷の犬共に。
いや、奴等の末代までも、絶望の底に叩き落してやらんと。
決して、決して許すものか。
例え地獄の業火に焼かれようと、貴様らの血族を根絶やしにしてくれる。
我が"嘆き"を思い知れ――――大和、死すべし。
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憎悪の振り子は揺れ続ける。憎しみの奔流が止まない限り。
□ ■ □
人間の檻が立ち並ぶ、万博内部の一室。
その真ん中にて、ライダーは一人佇んでいた。
ただ退屈そうに、揺れるペンデュラムを眺めている。
そこに現れたのが、アヴェンジャーであった。
今の彼女は、平時に比べ酷く高揚しているように見える。
無理もない、もうすぐ彼女の悲願が叶おうとしているのだから。
「喜ぶといいライダー、時は来たぞ」
ライダーはすぐに張り付いた笑みを取り付けて、アヴェンジャーと向き合う。
ここで彼女の機嫌を損ねれば、これまでの努力が水泡に帰すからだ。
当初の目的を果たす為にも、下手な真似をする訳にはいかない。
「キャスターはあの絵を完成させる、いよいよ我らの悲願が達成されるのだ」
「それは何より、私も重い腰を上げた甲斐があるというものです」
キャスターが例の絵画を完成させるのが、アヴェンジャーの目論見だった。
理屈は不明だが、それさえあれば彼女は己の目的を達成できるらしい。
尤もそんな事、ライダーにとってはさして重要な話でもない。
彼が強く興味を惹くのは、アヴェンジャーが所有するある道具である。
「ところでその、例の約束なのですが」
ライダーはそれとなく、上機嫌なアヴェンジャーに聞いてみる。
彼は彼女とある契約を結んでおり、それを条件に協力していたのである。
「ああそれか、そうだな、最早我らには無用の長物だ」
そう言ってアヴェンジャーは、懐からある物を取り出した。
薄暗い室内でも淀みなく輝くそれは、杯の形をしていた。
紛れもなくそれは、万物の願望器たる聖杯ではないか。
「おお、それが……ッ!!」
アヴェンジャーは歓喜の声をあげるライダーに、聖杯をぞんざいに放り投げる。
急に目的の物を投げられた彼は、危なっかしい仕草でそれを受け取った。
「それを持って何処へなりとも行くがいい」
アヴェンジャーにとって、ライダーは聖杯と同様不要な存在であった。
今や彼が何をしようが、彼女にはどうでもいい事でしかないのである。
約束も果たした以上、ライダーはもう用済みなのであった。
「いえいえ、流石に此処で逃げるような真似はしませんよ。
行くのだとすれば、それは貴方の所業を見届けてからでしょうね」
「……そうか、好きにするといい」
ここでライダーは、あえてこの場に留まる選択をした。
どうせ逃げるのなら、アヴェンジャーがこの地で何を起こすのかを見てからでもいいだろう。
そんな好奇心が働いたが故に、彼は逃亡の選択肢を捨てたのであった。
それに、これからやって来るであろうカルデアの面々にも興味がある。
特にアメリカ大陸の先住民、その子孫であるジェロニモへの関心は深い。
彼が自分と対面した時、彼は平時の冷静さを保ったままでいられるのか。
それとも、セイバーやバーサーカーの様な、狂える鬼になり果ててしまうのか。
それを知りたくないと言ったら、間違いなく嘘となるだろう。
「ところでそれ、何処で手に入れた?」
アヴェンジャーが指さしたのは、ライダーが手に持ったペンデュラムだった。
彼女の知る限りでは、彼は少し前までこんな物など所有していなかった筈だが。
「ああこれですか、兵士達が殺した女が持っていた物でしてね。
中々綺麗な代物だったので、奴等から頂戴したのですよ」
ライダーの返答に対し、アヴェンジャーはただ「そうか」とのみ答えた。
この特異点とは関わりのない事であり、大して重要な問いでもない。
どうも人が一人死んでいるようだが、所詮それも日本人だろう。
アヴェンジャーにとっては、心底どうでもいい話であった。
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憎悪とは、振り子と似ている。
一度揺らせば最期、それは延々と揺れ続ける。
描かれる弧は憎悪の強さ、湧き上がる憤怒である。
振り子が大きく揺れる程、描かれる弧も大きくなるのだ。
恨みは無限に増幅していく――誰かが、その振り子を止めない限り。
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最終更新:2018年06月08日 01:46