【1】
「ピカソさんね、お母さんを助けてあげるって言ってたの」
皆で食事をしていた部屋にて、少女は立香達に向けてそう言った。
少女は頭を垂れており、その表情を窺う事はできない。
けれど、きっと泣きそうな顔をしているだろうと、立香は推測していた。
「お母さんは生きてるから、僕達が助け出してあげるって。
だから、お守りを貸してあげたの。そしたら、急に壁が壊れて……」
それから少女は、言葉を発せずにしくしくと泣き始めた。
ブーディカが彼女の傍に寄り添い、頭を撫でながら宥めようとする。
少女がこうなるのも無理はない。それくらい、唐突な悲劇だったのだ。
「……大丈夫、ピカソ君もお母さんも、私達が取り返してあげるからね」
そう言ってブーディカは、優し気な表情で少女を励ました。
彼女はローマ帝国を相手取った修羅だが、同時に家庭を持った母親でもある。
泣いている子供の癒し方は、きっと彼女が一番熟知していた。
「主殿、この娘を泣き止ませ次第、すぐに向かいましょう。
"人理焼却式"なる絵画が完成する前に、奴らを討たねばなりません」
「確かにそうだ。そうだけど……」
小声で話しかける牛若丸は、既にいつでも出陣できる心意気にある。
対する立香は、決戦に対しまだ慎重な姿勢であった。
何しろ、下準備らしい下準備を何一つとして行っていないのだ。
万博の構造はおろか、どこに裏口があるかさえ明らかになってないのである。
それを知るであろうピカソは、既に拉致されているのだからどうしようもない。
「……絶対されてるだろうな、待ち伏せ」
立香が何より警戒しているのは、敵の待ち伏せであった。
コロンブスがああ言った以上、敵側はこちらの襲撃を事前に予知している筈だ。
だとすれば、万博は間違いなく警備が厳重になっているだろう。
こちらの戦力はサーヴァント三騎、頼みの令呪は使用不可ときている。
どう見積もっても、こちらの不利は揺るがなかった。
「ご安心を、主殿。敵の待ち伏せは予測済みです。私にいい手がありますので」
「……どんな手なのさ、それ」
「それは後のお楽しみという事で、どうか一つ」
牛若丸は天才だから、きっとその策は上手くいくのだろう。
けれども彼女は、時として自分の安全を顧みない悪癖がある。
それが本当に三騎とも無事で済む策なのか、立香には不安が残った。
「お母さんとピカソさん、本当に助けてくれるの?」
「勿論。だって私達は、君達を助ける為に此処に来たんだから」
一方で、ブーディカは少女にそう言って微笑んでみせた。
こういう時、やはり彼女は頼りになると、立香は実感する。
きっと自分一人では、彼女を泣き止ませる自信などなかっただろう。
「私達が戻ってくるまで、ここに隠れててね。お姉さんとの約束、守れる?」
「……うん、約束する」
そうした後、ブーディカと少女は指切りをした。
元よりそれは、日本から始まった約束を守る為の儀式である。
この地においては、相応しいやり取りと言えるだろう。
「行こうかマスター。こんな世界、一刻も早く壊さないと」
少女の頭を撫でた後、ブーディカは立香に向き合ってそう言った。
彼女の瞳は、既に母親から戦士のそれへと移り変わっている。
「親を亡くした子」を目にした彼女は、いつになく本気であった。
肉親を奪われる痛みは、他でもない彼女が何より理解している。
とそこで、席を外していたジェロニモが戻ってきた。
ライダーと遭遇して以降、彼は独りにしてくれと言ったきりだったのだ。
心配していた立香が駆け寄り、ジェロニモの様子を窺う。
「ジェロニモ、大丈夫?」
「……心配をかけたなマスター、私は問題ない」
そう言ってジェロニモは、小さく笑ってみせた。
本人としては、立香達を心配させまいとしているのだろう。
けれども、それが返って痛ましさを覚えてしまう。
立香の一番の懸念事項が、ジェロニモであった。
もし次に彼がコロンブスと出会った時、彼は敵に対し恨みを爆発させかねない。
本人は大丈夫と嘯いているが、あの様子ではその言葉も鵜呑みにはできない。
万博のセイバーの様に憎しみに狂うジェロニモなど、立香は見たくなどなかった。
(……それでも)
不安材料は多いが、もう時間は残されてはいない。
ピカソが敵の手に落ちた以上、いつ例の絵画を完成されるか分かったものではない。
最早一刻の猶予もないのだ。三人を携えて、万博に乗り込まなければ。
そして、何より。
自分の生まれ故郷を、これ以上血と叫びで穢される訳にはいかない。
この地で怯える全ての命が刈り取られる前に、憎悪の火を掻き消してみせる。
「決着をつけに行こう。こんな地獄、終わらせないと」
【2】
拉致されたピカソは、かつて使っていたアトリエに運び込まれていた。
そこにはご丁寧に、かの絵画――"人理焼却式"も一緒に存在したいる。
敵がピカソに何をさせたいのかは、最早明白であった。
「……この絵を完成させるくらいなら、舌を噛み千切って死んでやるぞ」
ピカソはそう言って、部屋の隅で笑うアヴェンジャーを強く睨み付けた。
今の言葉は本気であり、彼には自分の命を絶つ覚悟があった。
けれども、アヴェンジャーは余裕を崩す気配さえ見せていない。
「嘘だと思ってるな」
「そんな事はねえよ、早く舌を噛み切ってみせろ」
乱暴な口調となっているアヴェンジャーを、再度恨めし気に見つめる。
そちらがそう言うのであれば、お望み通りやってやろうじゃないか。
己の覚悟を見せつけんと、ピカソは大きく口を開けて、
(……噛めない!?いや、そもそも口が動かな……ッ)
ピカソの口は、あんぐりと開いたまま固定されていた。
彼がどう力を込めようが、口の形が変わる事は一向にない。
それを見たアヴェンジャーは、笑みをより一層深くした。
「残念だがな、お前は元より自由無き身なんだよ。
糸をお前の身体に通させてもらった、これでお前はこっちの思うが儘だ」
アヴェンジャーが指を鳴らすと、ピカソの口が勝手に閉じる。
刹那、突如として生まれた激痛が、彼の全身を打ちのめした。
のたうち回りたい程の痛みだが、身体の自由が利かないせいでそれすらままならない。
ピカソは今、直立したまま痛覚の刺激に耐えなければならなかった。
「言い忘れてたが、少し痛みが走るようになってる。多少辛いが我慢するこった」
それと同時に、ピアソの身体が勝手に動き出す。
行先は絵の具が用意された机であり、その時点でアヴェンジャーの目論見が理解できた。
この悪辣な童子は、自分に無理やり絵を描かせようとしているのだ。
例えどれだけ劣悪なものでも、描き終えればそれは一つの作品となる。
アヴェンジャーはピカソという道具を使い、遠隔操作で絵画を完成させようとしているのである。
「辛いか?まあ仕方ねえよなァ?お前が逃げなきゃよかっただけの話なんだからよォ」
自身の絶叫をBGMに、ピカソの身体はさながら絡繰の様に動いていく。
痛覚を刺激され、彼自身思うように思想する事が出来なくなっている。
それでもなお、彼の心中には無念と屈辱が燻り続けていた。
結局絵を完成させる道具にされてしまったという無念。
そして、自身の絵画を最悪の形で汚されるという屈辱。
これら二つの感情が、今のピカソを支配していたのであった。
(すまない……僕は……君達の力に……なれそうも……ない……ッ)
ピカソの頬に、一筋の涙が流れた。
無念と悔しさが溜まったそれは、無意味に零れ落ちるのであった。
【3】
万博の屋上、街が見渡せる場所にて、バーサーカーは佇んでいた。
仮面に隠されているが故、その表情を窺う事は出来ない。
そんな彼に近づいてきたのは、仲間であるセイバーであった。
「何してるのさ、こんな場所で」
「奴等が来る頃合いだと思ってな。迎え撃つ用意をしている」
それを聞いて、セイバーが怪訝そうな顔を浮かべた。
一体こんな場所で、どんな対策をとるつもりでいるのだろうか。
と考えた所で、彼はこの万博という施設の正体を思い出した。
この巨大な建造物は、元々はバーサーカーの宝具なのである。
彼が一度号令を上げれば、この建物は元の姿を取り戻すのだ。
「別にそんな事する必要なくない?どうせ俺らがブチ殺すんだしさ」
「駄目だ。念には念を入れなきゃならねえ、兵士共も集合させたしな」
今度のセイバーは、少々呆れた顔つきであった。
この巨体に似合わず、バーサーカーは理知的な存在なのである。
圧倒的有利な環境においても油断せず、敵の可能性を虱潰しにしようとする。
良く言えば慎重派、逆に悪く言えば臆病な男なのであった。
「宝具を解放し、全力で奴等を迎え撃つ。あの二人の大和人諸共確実に殺す」
憎しみに狂う一方、手を抜く事を忘れないその姿。
敵であったらどれだけ恐ろしいかと、セイバーは小さく震える。
こんな男が味方にいるのだから、余程の事がない限りこちらの勝利は約束されているだろう。
相手に一発逆転の手でもない限り、自分が剣を抜く事もあるまい。
けれども、もし敵がバーサーカーの逆鱗に触れればどうなるか。
そうすれば最期、普段理知的な彼とて容易く激昂するのは間違いない。
これまで練っていた策を全てかなぐり棄てる、なんて可能性さえあり得る。
とはいえ、激怒した彼を止めれる者など、早々いないのも確かである。
彼を怒らせたら、それこそ敵側に勝ち目は無くなるというものだ。
「そう、じゃあ好きにやれば?」
「言われなくとも、そうするつもりだ」
セイバーは後ろに下がり、バーサーカーの邪魔にならないように備える。
一方のバーサーカーは、彼には見向きもせずに、宝具解放の準備を行う。
途端、周囲に魔力が満ちていき、大男の服がはためき始める。
バーサーカーは拳を天高く振り上げ、そして叫んだ。
「宝具解放ッ!!『天魔御伽・鬼ノ城』ォォォォ――――――ッ!!!!」
同時に、振り上げた腕を床に叩き込む。
刹那、万博が大きく揺れ始め、その姿を変貌させ始めた。
血濡れの舞台に不釣り合いな万博は、瞬く間に消えていき。
代わりに現れたのは、見る者全てを威圧する巨大城であった。
果たしてそれは、史実に存在していた鬼ノ城と大きく異なっていた。
岩造りの堅牢な造りの城は、凶暴な怪物を模している様に見える。
何より目を引くのが、天高く聳え立つ巨大な二本の岩である。
顔の様な城の外見も相まって、それはまさしく鬼の角と言うべきであった。
ここまで言えば、最早バーサーカーが誰なのか明白であろう。
しかし言うまい。その真名を語る時は、まだ訪れていないのだから。
相応しい者がその名を叫ぶその瞬間まで、しばし待つべきだろう。
燃え尽きるのは、果たして大和の火か、はたまた憎悪の火か。
激突の時は、もう数分後にまで近づいている。
最終更新:2018年02月28日 23:17