第五節:『リミット』(2)

【1】


「ピカソさんね、お母さんを助けてあげるって言ってたの」

 皆で食事をしていた部屋にて、少女は立香達に向けてそう言った。
 少女は頭を垂れており、その表情を窺う事はできない。
 けれど、きっと泣きそうな顔をしているだろうと、立香は推測していた。

「お母さんは生きてるから、僕達が助け出してあげるって。
 だから、お守りを貸してあげたの。そしたら、急に壁が壊れて……」

 それから少女は、言葉を発せずにしくしくと泣き始めた。
 ブーディカが彼女の傍に寄り添い、頭を撫でながら宥めようとする。
 少女がこうなるのも無理はない。それくらい、唐突な悲劇だったのだ。

「……大丈夫、ピカソ君もお母さんも、私達が取り返してあげるからね」

 そう言ってブーディカは、優し気な表情で少女を励ました。
 彼女はローマ帝国を相手取った修羅だが、同時に家庭を持った母親でもある。
 泣いている子供の癒し方は、きっと彼女が一番熟知していた。

「主殿、この娘を泣き止ませ次第、すぐに向かいましょう。
 "人理焼却式"なる絵画が完成する前に、奴らを討たねばなりません」
「確かにそうだ。そうだけど……」

 小声で話しかける牛若丸は、既にいつでも出陣できる心意気にある。
 対する立香は、決戦に対しまだ慎重な姿勢であった。
 何しろ、下準備らしい下準備を何一つとして行っていないのだ。
 万博の構造はおろか、どこに裏口があるかさえ明らかになってないのである。
 それを知るであろうピカソは、既に拉致されているのだからどうしようもない。

「……絶対されてるだろうな、待ち伏せ」

 立香が何より警戒しているのは、敵の待ち伏せであった。
 コロンブスがああ言った以上、敵側はこちらの襲撃を事前に予知している筈だ。
 だとすれば、万博は間違いなく警備が厳重になっているだろう。
 こちらの戦力はサーヴァント三騎、頼みの令呪は使用不可ときている。
 どう見積もっても、こちらの不利は揺るがなかった。

「ご安心を、主殿。敵の待ち伏せは予測済みです。私にいい手がありますので」
「……どんな手なのさ、それ」
「それは後のお楽しみという事で、どうか一つ」

 牛若丸は天才だから、きっとその策は上手くいくのだろう。
 けれども彼女は、時として自分の安全を顧みない悪癖がある。
 それが本当に三騎とも無事で済む策なのか、立香には不安が残った。

「お母さんとピカソさん、本当に助けてくれるの?」
「勿論。だって私達は、君達を助ける為に此処に来たんだから」

 一方で、ブーディカは少女にそう言って微笑んでみせた。
 こういう時、やはり彼女は頼りになると、立香は実感する。
 きっと自分一人では、彼女を泣き止ませる自信などなかっただろう。

「私達が戻ってくるまで、ここに隠れててね。お姉さんとの約束、守れる?」
「……うん、約束する」

 そうした後、ブーディカと少女は指切りをした。
 元よりそれは、日本から始まった約束を守る為の儀式である。
 この地においては、相応しいやり取りと言えるだろう。

「行こうかマスター。こんな世界、一刻も早く壊さないと」

 少女の頭を撫でた後、ブーディカは立香に向き合ってそう言った。
 彼女の瞳は、既に母親から戦士のそれへと移り変わっている。
 「親を亡くした子」を目にした彼女は、いつになく本気であった。
 肉親を奪われる痛みは、他でもない彼女が何より理解している。

 とそこで、席を外していたジェロニモが戻ってきた。
 ライダーと遭遇して以降、彼は独りにしてくれと言ったきりだったのだ。
 心配していた立香が駆け寄り、ジェロニモの様子を窺う。

「ジェロニモ、大丈夫?」
「……心配をかけたなマスター、私は問題ない」

 そう言ってジェロニモは、小さく笑ってみせた。
 本人としては、立香達を心配させまいとしているのだろう。
 けれども、それが返って痛ましさを覚えてしまう。

 立香の一番の懸念事項が、ジェロニモであった。
 もし次に彼がコロンブスと出会った時、彼は敵に対し恨みを爆発させかねない。
 本人は大丈夫と嘯いているが、あの様子ではその言葉も鵜呑みにはできない。
 万博のセイバーの様に憎しみに狂うジェロニモなど、立香は見たくなどなかった。

(……それでも)

 不安材料は多いが、もう時間は残されてはいない。
 ピカソが敵の手に落ちた以上、いつ例の絵画を完成されるか分かったものではない。
 最早一刻の猶予もないのだ。三人を携えて、万博に乗り込まなければ。

 そして、何より。
 自分の生まれ故郷を、これ以上血と叫びで穢される訳にはいかない。
 この地で怯える全ての命が刈り取られる前に、憎悪の火を掻き消してみせる。

「決着をつけに行こう。こんな地獄、終わらせないと」



【2】


 拉致されたピカソは、かつて使っていたアトリエに運び込まれていた。
 そこにはご丁寧に、かの絵画――"人理焼却式"も一緒に存在したいる。
 敵がピカソに何をさせたいのかは、最早明白であった。

「……この絵を完成させるくらいなら、舌を噛み千切って死んでやるぞ」

 ピカソはそう言って、部屋の隅で笑うアヴェンジャーを強く睨み付けた。
 今の言葉は本気であり、彼には自分の命を絶つ覚悟があった。
 けれども、アヴェンジャーは余裕を崩す気配さえ見せていない。

「嘘だと思ってるな」
「そんな事はねえよ、早く舌を噛み切ってみせろ」

 乱暴な口調となっているアヴェンジャーを、再度恨めし気に見つめる。
 そちらがそう言うのであれば、お望み通りやってやろうじゃないか。
 己の覚悟を見せつけんと、ピカソは大きく口を開けて、

(……噛めない!?いや、そもそも口が動かな……ッ)

 ピカソの口は、あんぐりと開いたまま固定されていた。
 彼がどう力を込めようが、口の形が変わる事は一向にない。
 それを見たアヴェンジャーは、笑みをより一層深くした。

「残念だがな、お前は元より自由無き身なんだよ。
 糸をお前の身体に通させてもらった、これでお前はこっちの思うが儘だ」

 アヴェンジャーが指を鳴らすと、ピカソの口が勝手に閉じる。
 刹那、突如として生まれた激痛が、彼の全身を打ちのめした。
 のたうち回りたい程の痛みだが、身体の自由が利かないせいでそれすらままならない。
 ピカソは今、直立したまま痛覚の刺激に耐えなければならなかった。

「言い忘れてたが、少し痛みが走るようになってる。多少辛いが我慢するこった」

 それと同時に、ピアソの身体が勝手に動き出す。
 行先は絵の具が用意された机であり、その時点でアヴェンジャーの目論見が理解できた。
 この悪辣な童子は、自分に無理やり絵を描かせようとしているのだ。
 例えどれだけ劣悪なものでも、描き終えればそれは一つの作品となる。
 アヴェンジャーはピカソという道具を使い、遠隔操作で絵画を完成させようとしているのである。

「辛いか?まあ仕方ねえよなァ?お前が逃げなきゃよかっただけの話なんだからよォ」

 自身の絶叫をBGMに、ピカソの身体はさながら絡繰の様に動いていく。
 痛覚を刺激され、彼自身思うように思想する事が出来なくなっている。
 それでもなお、彼の心中には無念と屈辱が燻り続けていた。

 結局絵を完成させる道具にされてしまったという無念。
 そして、自身の絵画を最悪の形で汚されるという屈辱。
 これら二つの感情が、今のピカソを支配していたのであった。

(すまない……僕は……君達の力に……なれそうも……ない……ッ)

 ピカソの頬に、一筋の涙が流れた。
 無念と悔しさが溜まったそれは、無意味に零れ落ちるのであった。


【3】


 万博の屋上、街が見渡せる場所にて、バーサーカーは佇んでいた。
 仮面に隠されているが故、その表情を窺う事は出来ない。
 そんな彼に近づいてきたのは、仲間であるセイバーであった。

「何してるのさ、こんな場所で」
「奴等が来る頃合いだと思ってな。迎え撃つ用意をしている」

 それを聞いて、セイバーが怪訝そうな顔を浮かべた。
 一体こんな場所で、どんな対策をとるつもりでいるのだろうか。
 と考えた所で、彼はこの万博という施設の正体を思い出した。
 この巨大な建造物は、元々はバーサーカーの宝具なのである。
 彼が一度号令を上げれば、この建物は元の姿を取り戻すのだ。

「別にそんな事する必要なくない?どうせ俺らがブチ殺すんだしさ」
「駄目だ。念には念を入れなきゃならねえ、兵士共も集合させたしな」

 今度のセイバーは、少々呆れた顔つきであった。
 この巨体に似合わず、バーサーカーは理知的な存在なのである。
 圧倒的有利な環境においても油断せず、敵の可能性を虱潰しにしようとする。
 良く言えば慎重派、逆に悪く言えば臆病な男なのであった。

「宝具を解放し、全力で奴等を迎え撃つ。あの二人の大和人諸共確実に殺す」

 憎しみに狂う一方、手を抜く事を忘れないその姿。
 敵であったらどれだけ恐ろしいかと、セイバーは小さく震える。
 こんな男が味方にいるのだから、余程の事がない限りこちらの勝利は約束されているだろう。
 相手に一発逆転の手でもない限り、自分が剣を抜く事もあるまい。

 けれども、もし敵がバーサーカーの逆鱗に触れればどうなるか。
 そうすれば最期、普段理知的な彼とて容易く激昂するのは間違いない。
 これまで練っていた策を全てかなぐり棄てる、なんて可能性さえあり得る。
 とはいえ、激怒した彼を止めれる者など、早々いないのも確かである。
 彼を怒らせたら、それこそ敵側に勝ち目は無くなるというものだ。

「そう、じゃあ好きにやれば?」
「言われなくとも、そうするつもりだ」

 セイバーは後ろに下がり、バーサーカーの邪魔にならないように備える。
 一方のバーサーカーは、彼には見向きもせずに、宝具解放の準備を行う。
 途端、周囲に魔力が満ちていき、大男の服がはためき始める。
 バーサーカーは拳を天高く振り上げ、そして叫んだ。

「宝具解放ッ!!『天魔御伽・鬼ノ城』ォォォォ――――――ッ!!!!」

 同時に、振り上げた腕を床に叩き込む。
 刹那、万博が大きく揺れ始め、その姿を変貌させ始めた。
 血濡れの舞台に不釣り合いな万博は、瞬く間に消えていき。
 代わりに現れたのは、見る者全てを威圧する巨大城であった。

 果たしてそれは、史実に存在していた鬼ノ城と大きく異なっていた。
 岩造りの堅牢な造りの城は、凶暴な怪物を模している様に見える。
 何より目を引くのが、天高く聳え立つ巨大な二本の岩である。
 顔の様な城の外見も相まって、それはまさしく鬼の角と言うべきであった。

 ここまで言えば、最早バーサーカーが誰なのか明白であろう。
 しかし言うまい。その真名を語る時は、まだ訪れていないのだから。
 相応しい者がその名を叫ぶその瞬間まで、しばし待つべきだろう。

 燃え尽きるのは、果たして大和の火か、はたまた憎悪の火か。
 激突の時は、もう数分後にまで近づいている。



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最終更新:2018年02月28日 23:17