第3節:三首竜王決戦(4)


「――――諸君、撤退だッ!」

 真っ先に反応したのはホームズだ。
 銃を構え、鋭く叫ぶ。
 先に逃げ出さないのは、退路を開く役目を欲するがためか。

「ちょっ、まっ、い、いきなり!?」

 驚いたのは近くにいた立香で、困惑しながらホームズに問う。
 確かにあの竜の大軍は恐ろしいが、そこまで恐怖するほどのことなのか、と。

「ああ……早すぎる。早すぎるんだ。
 今の段階の万全な金竜覇王は、愛竜暴君の片手間に相手取れるほど弱くはない」

 それでも。
 それでも彼は敵の敵だ。
 味方ではないが、乱戦となればサーヴァントの数で勝るこちらの有利なのではないか。
 そう考える立香の視線の先で、疑問の答えが見えた。

「放て、放てェ!」

 武士の一団が、竜を目がけて矢を放っている。
 対空機銃にも似た矢の掃射は時に飛竜を貫いて撃ち落し、時に竜鱗や爪牙で弾かれている。
 ……当然、アーサー王が乗っている巨竜にはまるで通じていない。
 最強の幻想種、竜種――――その鱗となれば、この世のあらゆる金属をも凌駕する強度となる。
 それでも、腕のいい射手がいたのか、あるいは幸運か――――矢の一本が、金竜覇王目がけて飛んでいく。
 このままいけば、首を貫いて命を奪う。そういう軌道。
 無論、サーヴァントであればこの程度は切り払うかかわすかするのだろう――――そう思っていた立香は、信じられないものを見る。

 ――――――――覇王の首が、矢を弾いた。

 何もしていない。
 彼は本当に、飛んできた矢に意識すら向けていない。
 防御も回避もせず、矢はアーサー王の首を直撃し――――――――弾かれた。
 それこそ竜鱗に弾かれた時のように、甲高い音を立てて矢が弾かれる。
 ……当然、王の首には傷ひとつない。

 そして矢を射掛けられてなお、覇王は微塵も意識をそちらに割かなかった。
 雑兵など、羽虫に満たない程度の存在でしかないと、言葉より雄弁に態度が語る。

 一部始終を見ていたホームズが、苦々しく眉を潜めた。

「あまりこういう表現を使うのは好みではないのだが――――“不死身”なのだよ、彼は」

 不死身。
 悪竜の血を浴びたジークフリートのように。
 死の川に身を浸したアキレウスのように。
 黄金の鎧を身に纏ったカルナのように。
 “金竜覇王”アーサー・ペンドラゴンは、死を持たぬ英雄であるという。

「鞘であるな!」
「鞘?」

 いささか興奮気味に、ドン・キホーテが言葉を引き継ぐ。

「詩人に曰く、騎士王の聖剣は松明百本を束ねたよりもなお眩く輝き、掲げれば千人の敵を打ち払う!
 だが聖剣の真髄はむしろ鞘にこそあり! 湖の乙女の加護はすさまじく、あるじに不死を授けるという!」

 その話は――――確かに、聞いたことがあった。
 ロマニか、マシュか、ダ・ヴィンチちゃんか、円卓の誰かか……あるいは、騎士王アルトリア本人だったか。
 彼女の切り札は聖剣エクスカリバーではなく、むしろその鞘アヴァロンの方なのだと。
 彼女はその加護により、不死の肉体と鉄壁の守護を得ていたと。
 それにより、長年少女の肉体を保って性別を偽っていたと、そういう話を。
 ならばあれこそは――――金竜覇王が持つあの黄金の鞘こそが、不死の鞘アヴァロンなのか。

「――――来たわね、成金趣味!」

 それに堂々と吠え掛かるのは、愛竜暴君エリザベート。
 地鳴りと共に現れた竜の軍勢に臆すことなく、控えめな胸を張る。

「今日という今日こそ、私の鮮血魔嬢でイかせてあげるわ!」
「■■■■■■■…………!」

 フェレンツ二世が一歩前に進み出れば、ぶるぶると興奮に身を震わせている。
 三つ巴の内、竜の二首。
 幾度となく小競り合い、幾度となく痛み分けたのだろう。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――――ッ!!!!!」

 黒騎士が吠える。
 すると――――起き上がる。亡者たちが。
 弁慶の宝具『五百羅漢補陀落渡海』は愛竜暴君の軍勢を涅槃へと押し込めたが、彼らが持つ死者使役能力まで奪ったわけではない。
 ここは戦場だ。
 英霊が跋扈し、三ツ首の竜王が互いに喰らい合う戦場だ。
 死体は際限なく生産され、怨念は無限に積もりゆく。
 故に――――黒騎士の咆哮に呼応するように、亡者たちが起き上がる。
 死者が立ち上がり、死霊が渦を巻く。

 ――――――――――――亡者軍勢、再編。

 これはいかんと、小次郎と弁慶も立香たちの傍まで後退した。
 このまま三つ巴に突入する手もあるが……いささか、リスキーに過ぎる。

「――――逃がすと思うか? カルデアの勇者たちよ」

 ……その立香たちに、金竜覇王の視線が向いた。
 エリザベートが「無視!?」と衝撃を受けているが、それも意に介さず。
 射すくめるような碧眼が、相応の威圧感を伴って巨竜の頭上から立香たちを睥睨する。

「我が聖剣の一撃を受け、なお立ち向かう生命力と勇敢さは……評価しよう」

 竜の視線だ。
 覇王の視線だ。
 並の者であれば、そのひと睨みだけで鼓動を止めかねない程の覇気を伴った視線だ。
 竜であり、覇者であり、王である者の視線だ。
 ぞ、と立香の背筋に冷たいものが奔る。
 覇王の周囲を取り巻く飛竜が、ぎゃあぎゃあと嘲笑うように鳴き声を上げる。
 かつて冬木で相対した黒き騎士王とも、ロンドンで出会った槍持つ騎士王とも、キャメロットで戦った獅子王とも違う。
 あの――――強大な嵐を思わせるながらも理性と正義を心の根に置く騎士王とは、まるで違う。

「――――だが、ここまでだ。
 私は貴様らのを勇気を認め、それ故に加減はせん。
 我が聖剣、我が聖鞘、我が軍勢――――万全にて貴様らを排除する」

 ぎり、と覇王が聖剣を握る手に力が籠る。
 ……彼の口調は冷徹だ。
 冷徹に、尊大に――――覇王として、立香たちを屠ると宣言する。

 だが――――違う。
 その瞳は、怒りの炎に燃えている。
 静かに、静かに、彼の怒りは爆発するその時を待っている。
 憤怒だ。
 憤怒が、この覇王を突き動かしているのだ。


「――――――――我が名は、アーサー・ペンドラゴン!
 金竜覇王の二つ名を戴く、真なる騎士王! 真なるブリタニアの王である!
 雑兵よ、慄くがよい! 僭主よ、ひれ伏すがよい! 勇者よ、潰えるがよい!
 ここは私の国だ! 私が治める私の国だ! ここが私のブリタニアなのだッ!!
 さぁ喰らえ竜たちよ! 王が許す! “金竜覇王”『ブリタニアのアーサー』が、このキング・アーサーが許す――――喰らい尽くせッ!!!」


 ――――そして、王が号令する。
 怒れる竜王が、至上の幻想に指令を与える。
 喰らえ、喰らえ、喰らえ! 本能がまま、誇るがまま――――竜の恐怖を刻み付けてやれ、と。
 号令に応えるように、巨竜が咆哮した。大気が振動し、大地が突き動かされるほどの咆哮を。
 そして、飛竜たちも動いた。
 立香たちがレイシフトをした直後と同じように……否、あの時とは比べるべくもない物量にて。
 百を超える飛竜の群れが、思い思いに戦場へ飛び掛かる。
 災害にも例えられる竜たちが、まさしく濁流の如く押し寄せる。

「冗談じゃないわ! イくわよ旦那様(プロデューサー)っ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!!!!!!!」

 呼応し、亡者の群れも黒騎士に倣って雄叫びを上げる。
 先ほどまで金竜覇王に忠誠を誓っていたはずの騎士の骸が不格好に駆け出し、竜に槍を投げつけた。
 飛竜が堕ち、その後ろから次なる飛竜が飛び込んで亡者騎士の頭蓋を噛み砕く。
 その隣では死霊が飛竜に吹き散らされ、その翼をスケルトンが放つ弓が射抜いた。

 一瞬で、そのような乱戦が戦場に広がっていく。
 亡者と飛竜、それから騎士らが潰しあう。
 ……それだけなら、最初からあった光景だが――――今回は、サーヴァントが戦場にいる。
 覇王が乗る巨竜が亡者を踏み散らし、暴君と黒騎士が飛竜を次々に引き裂いて鮮血を撒き散らす。

 当然――――その余波は、立香たちにも。
 ……いや、それ以前に!

「――――おお、おお、ついに武勲を上げる時である!
 さぁ往こう友よ! 戦場にて勇気を示し、騎士の正義を行うべき時が来た!
 吾輩がいさおしを示すことで、我がドゥルシネーア姫こそがこの世で最も美しい貴婦人である証明にもなろう!
 我こそは“ライオンの騎士”ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ! いざ尋常に勝負せよっ!!」
「ダメだってドン・キホーテ! これは流石に逃げないと!」
「ばか者! よいか、騎士はこのような時ほど勇気を奮い立たせるものなのであるぞ!」
「無謀だよ、無謀!」

 立香たちは、今にも飛び出していこうとするドン・キホーテを止めるのに必死だ。
 幸い、寄ってくる竜や亡者たちは小次郎が押し留めている。
 一度刃を振るえば、描く半月竜を断つ。
 銀の一閃が首を断ち、瞬きする間に二閃、三閃。
 燕返しの魔剣使いにとって、この程度ならば児戯の域。 
 されど、如何せん多勢に無勢。
 物干し竿の結界が竜の軍勢を押し留めておけるのも、さていつまでと見るべきか。

「仕方ない、ここはバリツで意識を……!」
「あいやまたれい!」

 かくなる上はと白手袋を締めるホームズを止めたのは、意外にも弁慶である。
 弁慶はホームズを止め、そして戦場へ突撃しようと喚くドン・キホーテの前に立ちはだかった。
 その手には大薙刀――――ではなく、巻物?

「キホーテ殿! 御身が騎士として武功を立てんといきり立つお気持ち、拙僧にも痛いほどわかりまする。
 武人の誉れというのは、戦場にて勲功を示し、主君に捧げることでございますからな」
「わかっているのなら、そこをどくがよいぞ! 吾輩は主を持たぬが、貴婦人ドゥルシネーア姫に愛と忠誠を捧ぐ身であるが故!」

 その言葉を聞き、弁慶の巌の如き顔面に不敵な笑みが浮かんだ。

「しかし――――――――そのドゥルシネーア姫から退けと仰せつかったのであれば、如何か!?」
「ぬぅ――――――――!?」

 弁慶が巻物を開き、中身を検める。
 そこに何が書いてあるのか、体面に立つドン・キホーテにも、立香やホームズにもわからない。
 わからないが……立香はそれを見て、ピンとくるものがあった。
 あったが故に、冷や汗をかいた。


「――――――――ここに、ドゥルシネーア姫から預かった書簡がございまするッ!」


 武蔵坊弁慶の武勇伝が一つ、『白紙の勧進帳』――――ッ!
 主義経と共に北へと逃亡する弁慶が、白紙の巻物を手に朗々と架空の勧進帳として読み上げ、関所を抜けた逸話。
 弁慶は今、ドン・キホーテを相手にその逸話を再現しようとしているのだ。

 ……だが、これは賭けだ。
 狂人であるドン・キホーテを止めるためには、なるほど確かにその狂気に合わせる必要があろう。
 だが、常人が狂気に合わせて言葉を紡ぐことは、並大抵の技ではない。
 一歩間違えれば、ますますその狂気を助長することになるだろう。
 いけるのか――――立香の視線をどこ吹く風と、弁慶は堂々とその“書簡”を読み上げる。

「『我が騎士、ドン・キホーテよ。
 この手紙を貴方が読んでおられるということは、貴方様は今未曽有の試練を前にしておられるのでしょう。
 そのもしもの時のために備え、私はこの手紙を貴方の付き人と思わしき男に預けることといたしました。
 戦場に臨む騎士の決心を揺らがせぬよう、直接お会いせぬまま去っていったことをお許しください』」
「おお……これはとんでもない。
 姫から……恐らくは邪悪な魔術師めが我らを引き合わせまいと呪いをかけたのであろうが……間接的と言えど言葉を頂けるとは、光栄の極みでござる」

 ――――食いついたッ!
 思わず立香が拳を握る。
 視界の端では、小次郎が今も竜を一刀にて叩き落し続けている。
 青い衣の舞い手の顔には涼しげな笑みが浮かび、振るわれる銀閃は目にも止まらない。
 だが、竜や亡者は次から次へと向かってくる。やはりいつまでも保つものでもないだろう。
 視線をホームズに向ければ、名探偵は静かに頷き、拳銃を手に小次郎の補佐へと駆け出した。
 ここは、弁慶に任せるべきだ。

「『我が“渋面の騎士”、ドン・キホーテよ。
 貴方様の勇気がこの上なく立派なものであるということを、私は喉元を過ぎたスープの味のように熟知しております。
 そして、この世のありとあらゆる勇士や貴婦人であっても、同様に貴方様の勇気を理解している事でしょう。
 ですから、我が“ライオンの騎士”ドン・キホーテよ。
 ここは獅子のような勇気ではなく、気高き狼や鷹のような思慮深さをお示しください。
 それによって、ドン・キホーテが優れた騎士であるということがますます明らかになり、これによって私の評判も良くなるものと思われます。
 ですから、重ねてになりますが、決して一時の勲功に惑わされず、どうか騎士らしい思慮分別を示していただければと思います。
 ――――騎士ドン・キホーテの貴婦人、ドゥルシネーアより』」
「おお……!」

 ひとしきり即興の手紙を読み上げ、弁慶が神妙に巻物を畳む。
 ……即興とは思えぬ、異様なクオリティの手紙であった。
 考えたのが武骨な僧侶であるとは思えぬほど、実に貴婦人らしい手紙だ。
 現にドン・キホーテは深く感じ入るものがあったようで、わなわなと手を震わせながら瞠目している。
 やったか。あるいは。
 これでダメならいよいよ意識を奪って強引に連れて行くほかないと、立香の心臓が激しく鼓動した。

「――――うむ、そういうことであれば、ここは思慮分別をもって撤退としよう!」
「よしッ!」

 再び、ガッツポーズ。
 それから、素早く小次郎とホームズに視線を向ける。
 二人にはそれだけで通じたようで、ホームズが仕留めた飛竜を敵の方へと投げ飛ばし、素早く後退してくる。

「手紙の読み上げ、大義であったぞ!」
「はっ、恐縮でございます!」
「……いやほんと、すごいよ弁慶」
「ははは。ここ数日、キホーテ殿から姫君について散々聞かされましたからな……」

 流石の機転、流石の武蔵坊。
 ひとまず、ドン・キホーテが無謀な突撃によって消滅する事態は避けられそうだ。
 口先三寸で狂人を丸め込むその達者ぶりに、呆れ半分で感心する。

「あの黒騎士も――――金竜覇王も、是非とも心ゆくまで果し合いたいものであったが……そうもいかんか」
「うん。このまま、撤退しよう!」

 とはいえ窮地には変わりなし。
 なにせ戦場であり、乱戦であり、少なくとも金竜覇王はこちらを仕留めるつもりでいる。

 見れば金竜覇王は巨竜から飛竜に乗騎を移し、その背に乗って黒騎士と切り結んでいた。
 フェレンツ二世の白熱杭が投擲され、しかし金竜覇王はやはり防御もせずに鋼の肉体でそれを弾いてしまう。
 間髪入れずに黒騎士が飛竜に荒縄を巻き付け斧を手に飛び込むが、アーサーが力任せに聖剣を振るえば、彼は嘘のように呆気なく弾かれて勢いよく地面に激突する。
 追撃――――その直前、覇王の碧眼が立香たちを睨んだ。

「逃がすか――――燃やせ!」

 騎士王の号令に従い、巨竜が大きく息を吸う。
 それに応じるように、立香たちと巨竜の直線状から飛竜たちが退き始める。
 理解する。
 何が来るのか。何が放たれるのか。

「マズい、“竜の吐息(ドラゴンブレス)”……!」

 ……エリザベートのそれは、超音波(ソニックブーム)だった。
 だが、あの竜は――――あの巨竜が放つのは、恐らく最もオーソドックスなそれ。
 竜の口の端から、紅蓮の炎が零れた。
 竜種の武器は、爪爪牙尻尾――――――――そして吐息。
 毒を吐く竜もいる。吹雪を起こす竜もいれば、暴風を吐き出す竜もいる。
 だが、竜と言えば、竜と聞いて想起するものといえば――――――――火焔の吐息!

「致し方なし……! ここは拙僧が!」

 いつぞやと同じように、弁慶が殿に立つ。
 竜種の吐息。下手な宝具の真名開放にも匹敵するであろうそれ。
 その幻想の濁流を、その身で受け止めてみせると弁慶は大の字に立ちはだかる。

 無茶だ、と言うのは簡単だ。
 やめろと言うのも簡単だ。
 だが――――確かにそれは、必要な役目でもある。

「弁慶! まだ立ち往生は無しだよ!」

 だからせめて、軽口を叩く。
 軽口をたたいて、右の拳を握りしめる。
 右手の甲に浮かんだ三画の令呪。
 これを使えば、多少は生還の目も出るか。

「はっはっは! 主にそう請われては仕方ありませぬな! 是より拙僧、修羅に入り申す!」

 呵々大笑、強気に笑い飛ばす弁慶の姿が頼もしい。
 例えそれが空元気とわかっていても、その背を信じずして何がマスターか。

 そして――――――――――咆哮。吐息。灼熱。

 巨竜が四つ足にて大地を踏みしめ、業火の地獄を世に顕現させる。
 火焔は瞬く間に亡霊や逃げ遅れた飛竜を焼き尽くし、大地を舐めて進軍する。

「令呪を以て命ずる――――――――――――負けるな、弁慶ッ!!!」

 立香の右手が激しく熱され、紅い奔流が魔力となって大気に渦巻く。
 三度限りの命令権、令呪……カルデアのそれは古豪マキリが開発した本家に比べて効力が弱いというが、それでも。
 それでも、潤沢な魔力と――――主の信頼が、弁慶へと流れ込んでいく。

 迫るは大火。 
 覇王の聖剣には及ばずとも、並の英霊の宝具に匹敵するであろうそれ。
 打ち破るのは、屈指の難題となろう。
 されど――――されど、弁慶は騎士道狂いの老騎士を想う。
 西方の騎士にできたことを、天下の武蔵坊弁慶ができぬ道理がどこにあろう。
 なれば恐れはその身になく、できて当然のことが目の前にあるのみ。

 その身は修羅。
 その身は仁王。
 その身は羅漢。
 その身は明王。
 ――――――――――――そしてその身は、武蔵坊。

 いつぞやは鬼種の大火をも受けきったくろがねの肉体を盾として、真っ向から火竜の吐息に立ちはだかる。
 大薙刀を自在に振り回し、勢いを乗せたそれを――――火焔に、叩きつける!

「ぬぅ……ッ!!!」

 ごう、と熱気が弁慶の肉を焼き――――しかし、火焔が引き裂かれて両脇へと逸れていく。
 その剛体に阻まれて、背後の立香たちを守っている。
 ごう、ごうと吹き付ける火焔の濁流が弁慶の身を焦がし、それでもなお彼は仁王に立っている!
 まさしく修羅、まさしく仁王、羅漢明王武蔵坊!
 令呪の加護を受け、剛力にて火焔の瀑布を受け止めるその姿、まさしく鬼神の如くなり!

「――――どっせぇい!!」

 喝破一発、怒声と共に大薙刀を振り抜けば、火焔は見事に打ち払われ――――間髪入れず、飛竜の群れが押し寄せてくる!

「いかん! これが狙いであったか……!」

 火竜の吐息で消耗させ、その隙を飛竜の群れで蹂躙する。
 単純だが、効果的な策だ。
 実際、弁慶は今の切り払いで少なからず消耗している。
 助けに入るか、任せて退くか。
 判断しなければならない。マスターとして。
 弁慶であれば即座にやられるということはないだろうが、しかし――――

 ……そう逡巡した瞬間のことだった。


「――――――――鉄砲隊、放てぃッ!」


 男の声と共に、無数の銃声が戦場に響く。
 弾丸の雨は飛竜たちを横合いから貫き、弁慶に辿り着く前に墜落していく。
 声と音の方へと視線を向ければ、そこにいたのは武田の武士たち。
 火縄銃を構えた鉄砲隊の銃列が、膝を立てて硝煙をくゆらせている。
 指揮官らしき人物は――――和装に身を包み、不敵に笑う初老の男。
 サーヴァントだ。
 内包する魔力と、独特の存在の圧力から立香はそれを理解する。
 蛇竜宮司の武士を率いるサーヴァント……では、あれが武田信玄?

 ……いや、そのような雰囲気ではない。
 あれは大将ではない。全軍を率いる者ではなく、前線指揮官の立ち位置だ。

「二列目、構え――――放てぃッ!」

 そう考えている内に、第二射がまた飛竜たちを射落としていく。
 ……飛竜だ。その弾丸は、全て飛竜を狙っている。
 弁慶にも、立香たちにも、一発たりとも向けられていない。

「――――おう、カルデアのマスターとやら! 蛇竜宮司鉄砲隊、そなたらの撤退に助力するぞ!」

 浮かんだ疑問に答えるように、男がよく通る声でそう宣言する。
 撤退に、助力?
 蛇竜宮司が、立香たちに助力する?
 謂れが無い。心当たりが無い。そもそも、蛇竜宮司に会ったことすら無いというのに。

「考えている余裕は無さそうだよ、ミスター」

 混乱する思考が、ホームズの言葉で現実に引き戻された。
 そう――――そうだ。ここは戦場だ。
 常に思考し続け、しかし足を止めてはならない。
 今はその言葉の真意を考えるよりも、この乱戦から抜け出す方法を考えなければならない。
 気付けば弁慶も鉄砲隊の支援を受けながら再び立香の傍まで退いてきている。
 蛇竜宮司がこちらの撤退に協力するという言葉が真実であれば、退路はいくらでもアテができる。

「――――――――――――――――Grrrrr……!」

 だが、そうはさせぬと。
 王命故に、逃がしはせぬと。
 緩慢に大地を踏み荒らし、火焔にて兵を焼き散らしていた巨竜が――――弁慶に吐息を蹴散らされた巨竜が、怒りと共に唸り声をあげる。

「竜は執念深い、というが……これは目をつけられたやもしれんなぁ」

 物干し竿を肩に担ぎ、のんきに小次郎が笑っている。
 冗談ではない。
 巨竜はひとしきり唸り声をあげると、今度は咆哮と共に巨体を震わせる。
 突撃だ。
 突進だ。
 その山のような巨体を揺らしながら、一歩一歩と破壊の化身が押して寄せる。

「どうだ、弁慶殿。力自慢として、あれと相撲を取ってみる気は?」
「いやぁ……流石に、山と相撲を取る気にはなりませんなぁ」
「ぬぅ、やはりここは吾輩が見事あの竜めを!」
「……ドゥルシネーア姫のためにも退くんだろう、サー・キホーテ」

 サーヴァントたちはのんきに会話しながらも、しかし各々得物をしっかと握りしめていた。
 理解しているのだ。
 逃げきれぬと。ここであの巨竜を倒さねばならぬと。
 巨体は一足で膨大な距離を詰め、よしんば距離を取ったとて火焔の第二波に焼かれるのがオチだ。
 故に、あの巨竜をここで倒さねば退くこともままならない。
 そのことを、誰もが理解していた。

「おーおー、いきり立っておるわ」

 ことさらのんきな声を上げていたのは――――銃列の後ろで、己も火縄銃を担ぐ指揮官のサーヴァントであった。
 彼は部下に命じ、巨竜に弾丸の雨を浴びせるも……当然のように、全てが弾かれていた。
 たかだか火縄銃ごときで、神秘の化身の鱗を貫くことなどできぬ。
 だがそれでも、その老兵は嗤っている。
 己が巨竜の標的ではないから?
 ……否。
 彼が、ある確信を得ているからだ。

 ――――――――あの巨竜が障害にならぬという、確信を。

「おぅい、カルデアども! 頭が高いぞ! 下げておけ!」

 老兵の忠言。
 あるいは挑発にも思えるそれを――――しかし、ぞっとするような寒気と共に立香は身を屈めた。
 来る。
 何かが。
 あの巨竜にも勝る、圧倒的な存在が。

「――――御館様の出陣じゃ」

 なにか、頭上を飛行機が通り過ぎた時にも似た、地鳴りのような響きが立香の腹に響き――――



『――――――――――――穿て』



 ――――――――そして、巨大な木杭が降り注ぐ。

 一本一本が10mをゆうに超えるであろう木杭が、次々と戦場に降り注ぐ。
 膨大な質量の絨毯爆撃。
 たかだか木杭と侮るなかれ。これだけの巨大さを誇るそれらは、鉄の城すら容易に破壊しよう。
 であればそれは、竜種であれ例外にはならぬ。
 数多の飛竜が木杭を避けきれずに爆ぜ飛んだ。
 ついでのように、亡者たちも木杭に押しつぶされて行く。
 さながら大砲の乱射の如く。暴力的な質量が十、二十と戦場に降り注ぐ。

 当然、巨竜であれその暴虐を前に無傷ではいられない。
 致命傷こそ負わぬものの、木杭が次々とその巨体に直撃し、うめき声をあげながらその突進が止まる。

 この圧倒的な破壊―――― 一体、何者によるものか。
 立香は、木杭が飛んできた方角を見た。
 ……そこにいたのは、蛇竜だった。

『退け、カルデアのマスター。支援しよう』

 既に見た。
 何度も見た。
 いつの間にか、そこにいた。

 いくつもの丸太が寄り集まってできたかのような、からくり仕掛けの巨大な蛇竜――――蛇竜宮司の、その居城。
 自在に戦場を動き回るそれが、戦場の中心たるこの場所まで顕現していた。
 見上げる巨体が、雲突くような鎌首が、ゆっくりと戦場を睥睨している。
 放たれた木杭は、この機動要塞の顎より放たれたもののようだった。

 ならばこの声の主は一人しかおらぬ。
 あの巨大な竜の城を治める、ブリタニアが三首の一。
 すなわち、すなわち、すなわち!


『“蛇竜宮司”――――――――『ブリタニアの武田信玄』の神威にて』


 金竜覇王、愛竜暴君と並ぶ最後の将――――武田信玄その人である!


「来たか、蛇竜宮司……!」

 木杭の乱射にてもうもうと立ち込める砂煙の中、金竜覇王が碧眼を爛々と輝かせた。
 歓喜、ではない。
 憤怒によってだ。
 火竜の憤怒が、真っ直ぐに蛇竜を睨む。

「■■■■■■■■■…………!」

 幾重にも重ねた鉄板で木杭を防いだ黒騎士が、ゆっくりと白煙を吐き出した。
 傍らには愛妻。愛竜暴君の名を冠す者。
 金竜覇王との交戦を一時中断し、即座に妻を守ることを優先した。
 愛竜の騎士が、真っ直ぐに蛇竜を睨む。

『残念だが彼らを始末させはせんぞ、金竜覇王』

 そして、蛇竜要塞の頭上に巨大な立体映像が浮かぶ。
 赤き鎧に赤き陣羽織、牛角の前立てに、連獅子を思わせる白き獣毛を備えた兜。
 堂々と畳床机に腰かけ、背には『南無諏方南宮法性上下大明神』と書かれた本陣旗。
 冷たい蛇のような瞳で戦場を睥睨する、若き武将――――立香は彼が武田信玄なのだということを、理解した。
 いささか若い印象はある。
 だが――――あの装いは間違いなく、かの有名な信玄公のものだ。

『それとも、ここで決着をつけるか。私は構わんぞ――――軍神たるこの身に、敗北など在り得ぬのだから』
「抜かせ、蛇竜宮司。竜を統べる我が身にこそ、敗北などありはせん。我が聖剣、今日こそその身で受けてみるか」

 竜王たちが、ギラギラとした殺気を交わしている。
 そして――――その殺気はつまり、立香たちから逸れている。

「――――逃げるよ……!」

 ここだ。
 ここで逃げるしかない。
 巨竜は蛇竜要塞に押し留められ、飛竜は鉄砲隊に押し留められる。
 ならばここだ。ここは蛇竜宮司の助けを借り、一時撤退とする。
 立香は素早くそう判断し、仲間と共に一目散に駆け出した。

「逃がすか!」

 金竜覇王が、黄金の剣を抜き立香たち目がけて駆けだした。
 ――――その出がかりを、再び木杭が直撃する。
 蛇竜要塞の口中から放たれた木杭の大砲が、金竜覇王を吹き飛ばす。

「――――効かん……!」

 だが、ダメージは無い。
 聖鞘の加護による不死は、質量攻撃ですら傷をつけること敵わぬ。
 ……それでも。

『二射、穿て』
「ぐう……!」

 ――――質量を受けたからには、吹き飛ばねばならぬ。
 あるいは、受け止めねばならぬ。
 不死身であれ、木杭の乱射を前にしての前進は困難を極める。
 ましてやこのまま城塞に飛び込んでの攻撃ならばまだしも、他の相手を狙うとなればなおさらだ。
 他の目標を追っていては苦戦を強いられる程度には、両者の実力は拮抗していると言っていい。
 頼みの巨竜も、いつの間にやら蛇竜要塞が絡みつき、締めあげている。あれでは動けまい。

 その間に、立香たちは逃げた。逃げるために駆けた。
 城を操る英霊と、対城宝具を持つ英霊の戦い。
 とてもではないが、無策で首を突っ込んでいいものではない。
 だが幸いにして、鉄砲隊の援護もある。
 このまま、戦場の外まで離脱し――――


「逃がさないわよ、ブタァァァァァァァァッッ!!!!」


 ――――愛竜暴君が、“飛来”する。
 竜の翼にて飛翔する真紅の娘が、覇王と宮司の戦いの脇を抜け、立香たちに襲い来る。
 手には槍、背には翼。
 ……砲弾の如く飛来するそれは、そのまま立香たちを串刺しにすると言わんばかり。

「あと少しなんだがね……!」

 反射的に、ホームズが銃撃を返す。
 だがそんなものは児戯とばかり、エリザベートは尾のひと振りで銃弾を弾いて見せた。
 続く第二射、第三射も、空中でくるりと器用に蜻蛉を切って回避する。
 可愛い下僕どもをどこかへ追いやり、自分を生意気にも追い詰めた罪人を串刺しにするため――――竜の娘は、飛来する。

 来る、来る、来る。
 あと少しで離脱が叶うというのに、この期に及んで!
 決して逃がしはせぬと、竜王が立香たちに躍りかかり――――――――――


「ああ――――――――遅すぎる」


 ――――小次郎が、刀を構えた。


「なるほど、お主は間違いなく竜であるようだが……あの時の燕には、遠く及ばんよ」


 ――――特定の構えを持たぬ小次郎が、ただひとつ使う構え。
 刀を握る手を寝かせ、捻り、ぐっと引き絞るように背中に寄せる。
 これなるは、彼こそが佐々木小次郎である証。
 飛燕を切り伏せる、絶世の魔剣。

 ひと振りでは足りぬ。
 ふた振りでもなお足りぬ。
 そして人の身では三刀は操れぬ故――――ただの一刀にて、三度の太刀を“同時”に叩き込む秘儀。

 それを想えば、竜の娘程度。
 ただ頑丈で力が強いだけの怪物など――――――――あの燕には、遠く及ばぬ。
 故に、この魔剣は必中必殺。
 ただ翼で風を打ち払い飛ぶ程度の竜などでは、抗うこともできはせぬ。

 エリザベートが槍を構え、一直線に迫りくる。
 さながらそれは流星の如く、あるいは生きた砲弾の如く。
 迎え撃つは青き魔剣士。
 構えた刀を――――――――解き、放つ。




「――――――――――――――――――――――――秘剣、『燕返し』」



 ……魔術に明るいものであれば、その現象を多重次元屈折現象と称えよう。
 次元を歪め、三つの斬撃を一刀にて“同時”に放つ。
 あまりの剣技が条理を超え、魔法の領域に足を踏み入れた狂気の魔剣。
 同時故に回避不能。
 必殺必中、これぞ小次郎の奥義『燕返し』。


「――――ぁ、がっ……」


 ――――――――そして、魔剣士の一撃……否、一刀三撃は見事エリザベートを迎え撃った。
 少女の体に、切れ込み三つ。
 三つの斬撃が確かにその肉体を捉え、空中のまま鮮血を噴き出す。

「……浅いか」

 だが、エリザベートもさるものだ。
 それは『戦闘続行』スキルに由来する生き汚さか、竜種由来の耐久力か、惨劇を隠し続けた危機回避能力か。
 いずれにせよ、エリザベートは致命傷を避けた。
 小次郎の魔剣は見事エリザベートを捉えたが、致命傷には僅かに遠い。

「ならとどめを……!」

 そこに素早く、ホームズがトドメをささんと拳銃にて狙いを定める。
 銃口は紅の髪の娘を捉え、死神を吐き出さんとして――――飛来した白熱杭を避けるため、ホームズは咄嗟にコートを翻した。

「■■■■■■■■■■■■■■■■…………!!!!」

 黒騎士、ナーダシュディ・フェレンツ二世。
 妻を切り捨てられ、ますます狂気に磨きがかかったか。
 数多の飛竜を引き裂き、真紅の鮮血に塗れてショッキング・ピンクに輝くようになった白熱杭を手に素早くエリザベートに駆け寄っていく。

「……うん、退くよ!」
「し、しかし、追ってくるのでは……」
「あの感じだと、大丈夫……フェレンツ二世は、愛妻家だから!」

 そう告げながら、立香は今度こそ戦場の外へ駆け出した。
 今、エリザベートに駆け寄った仕種から予想した。
 こちらに襲い掛かるより先に、エリザベートに駆け寄ったということは……彼の中で、エリザベートの無事は優先度が高い案件なのだ。
 ならば彼は、守るため、救うために追撃を諦める可能性が高い。

「……“見るのと観察するのでは大違い”、でしょ?」
「…………ああ! その通りだ、ミスター・リツカ……撤退しよう!」

 悪戯っぽく名探偵に笑いかければ、ホームズは一瞬呆気にとられたあと、苦笑しながら立香と共に駆けて行く。
 他のサーヴァントたちも、それに遅れて駆けだした。

 ……奇襲は失敗した。
 だが――――当初の目的、愛竜暴君の弱体化は果たした。
 本音を言えば撃破までしたかったところだが、この混迷を極めた戦場に長居するリスクの方が大きい。
 こちらに協力を申し出てきた、蛇竜宮司の件もある。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――ッッ!!!!!!!」


「抜かせるか、私に聖剣を……!」


『――――“人柱”を起動しろ。畏れを起こす』


 ……絶叫、膨張、奔流。
 様々な、そして凄まじい魔力の高まりを背に――――藤丸立香は、戦場を離れた。


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最終更新:2018年05月29日 02:53