「藤丸君といったか、僕は中禅寺と云う。こんな重々しい場所までよく来たね。ゆっくりするといい。」
「それ真名じゃないでしょキャスター。」
「聖杯戦争の極意は如何に真名を気取られないかだと聞いた覚えがあるがね。」
「聖杯戦争なんかしてないし、それは相手がこっちに攻撃する意思があるからよ。アタシにはないしヨハンだってないでしょ。」
「それでも真名を開示するかしないかは僕の自由だ。」
「そんなのオウボウ!」
「そうは云うがね。」
僕だって君から真名を聞いた覚えはないよアヴェンジャー。革張りの厚い本から目を離さない男の言葉に、少女はンムムと唸って口を尖らせる。
「キャスターはもうしってるじゃない。」
「君から聞いていない。あれは僕が当てた。」
「だって、嫌われるもの。」
「それは君たちの文化圏でのみ有効になる価値観だろう。僕達のような多宗教の文化を持つ国の人間には、君の話を虚構以上の感慨を持って受ける人間はそういない。そして僕はそうではない。君以外の英霊だろうが、ヒトラーだろうがナポレオンだろうがペニーワイズだろうが、皆変わらない。」
「最後のは映画でしょ?」
「僕だって其方の人間だ。もっと云うなら世界的に有名でもなんでもない。ペニーワイズはスティーブンキング、ホラーの大家で世界中何処ででも読まれて居る。遥かにネームバリューがあるから幻霊的にも僕より格上じゃないか。それにペニーワイズはね、元になったものがシャンだろう。」
「なあにそれ?」
「シャッガイ星からの昆虫。とある小説家のフィクションの虫だよ。」
やっぱりつくりものじゃない!少女の大声がうわんと広間へ響いた。男はこれに、藤丸が彼と邂逅を果たしてから初めて大きな反応を見せた。
彼は本から彼女へと目を投じたのだ。
「つくりものと君は云うがね。」
少女は可愛らしい横顔を実に厭そうにぐちゃぐちゃに歪めた。眼で雄弁に「ああまた始まった」と騙って口をへの字に曲げて圧し黙っている。
「君は西暦一世紀、十四年頃に古代パレスチナで生まれた。そして英霊の座に登録される事由であるとある事件を起こしたが、この事件は一部の文献に残っているだけで、君と云う人間の人となりは一様にその文献から知れることはない。そしてその人となりだが、君のその美しい容姿やイメージや在り様を作ったのは、その後の画家や文筆家作曲家に映画監督、女優にメイクにファッションデザイナーにメイクにスタイリストじゃあないか。立派な虚構だ。」
そもそも。どうやら興が乗ったようだ。口の端を上げて一層凶悪な顔になった彼は続けた。
「そもそも、神話というのはその当時の事実だという触れ込みであるが、この【事実】を一体誰が確認できると云うのだね。神話でなくとも構わない。もう少し後になると於岩稲荷由来書上などがあるね。」
四谷怪談だ。藤丸は自分のフィールドの話になったせいでつい口を出してしまった。それに中禅寺と名乗った男はほうと少年を横目に眇めた。
「詳しいのかい。」
少しだけ。好きなんです。頭をかいた藤丸に、若いのに趣味が渋いねと馬鹿にしたのか褒めたのか曖昧な物言いをする。そのお岩さんだ。男の話はまだ続く。
「四谷左門町に住んでいた田宮伊右衛門が、岩という妻がありながら上役である伊藤喜兵衛の娘梅と重婚して子を為した。岩は発狂し失踪、その後岩の祟りに因って十八人もの人死にを出し、田宮家は絶える。」
いい気味!少女がパッと手を挙げて短く快哉を叫んだ。確かに伊右衛門や重婚相手とその家族はそうかもしれないけど、それ以外の十数人はとばっちりではないだろうか。藤丸は苦笑した。
「まだ続きがある。田宮家跡地に無関係の人間が越してくるのだが、この人間達にも怪異が降りかかるのだね。そこで当事者が菩提寺──まあ君でいうシナゴーグだ。」
「アタシお寺くらいはわかるわ。お坊さんも。ジュウショクっていうんでしょ?」
「そうかい、なら良いね。そのお寺の住職に頼んで追善仏事を行なったところ、怪異は止んだという。其処迄の顛末を書いた幕府への報告書だ。」
「バクフってニホンの昔のブタが居たところでしょ?ブタに出されたっていうなら、そういうことがあったんじゃないの?事実じゃない。」
「将軍は国王とは少し違うし、国王をブタと云うのは辞めなさい。」
「ブタはブタよ。」
「まあ良いよ。君が国王の英霊とかち合ったときに敵視されるだけだ。問題は其処だよ。」
「ブタ?」
「ブタに提出されたから事実だとは限らないと云う事だ。」
男はまた藤丸に眼をやった。解るかねと水を向けられて、少し緊張する。どうもものすごく詳しいようだ、滅多なことは言えない。
息を整える。
「歌舞伎狂言の作者で、鶴屋南北っていう人がいました、よね。」
「そうだね。」
「その人が四谷怪談の演目で、歌舞伎を作ってるんだ。」
「お芝居?でも事実を元にしたお芝居なんかいっぱいあるわ。アタシだってそうだったし、スゴーい人に演ってもらったこともあるよ?ヨハンもたぶん知ってるひと。」
「うん、それはそうなんだけど、」
藤丸は不安になって男を見たが、男は本を読んでいた。訂正しないということは、どうやら当たっているらしい。
「そのお芝居、封切られたのが二年も前なんだよ。その報告書が上がる二年前。」
「……うん?」
少女は頸を傾げた。うまく意味が伝わらなかったらしい。どう言おうか迷った藤丸の後を、男が継いだ。
「その南北の書いた芝居を元にして作られた可能性が在ると云う事だ。つまりは、フィクションだ。」
「えっ」
少女は眼を見開いて驚いている。先程から表情がくるくると動いて見飽きない。
「もともとその場所で有名なお話だったのをお芝居にしたとかじゃないの?」
「その可能性もある。何と云っても報告書だ、お上に提出するものだから全てが虚構だとは限らない。自作を宣伝するためにその【巷で有名なお話】を巷以外にも広めようとしたのかもしれないしね。但し、嘘である可能性も同時に内包している訳だ。そしてその真偽を我々は知る余地がない。」
【無辜の怪物】はそうして生まれる。男はそう結んで、分厚い本を閉じた。
──なんとまあ凶悪な顔であろうか。凶悪なだけならカルデアで幾人もそんな顔をしているのを知っているけど、凶悪な上に陰鬱となるとその数は限られる。まるで炭まで焼却された後に瞬間冷凍された南極にたった独りで取り残された人間みたいな仏頂面だ。和装の痩せた男は、袖から手を見頃の中に入れて腕を組んだ。
「其れで、君は此の少年を拾って此処に連れてきて、如何する積りだね。」
「だってお外でクチャクチャになって寝てるんだもの。動けないみたいだからちょっと胸をふくらして空気があって身体が重くないところに連れてきたげただけよ。」
「彼はカルデアのマスターだよ。識って居るのかい。」
「しらない。おかあさまならしってるかもしれないから、あとで訊くわ。」
「そうしなさい。今君が歓待すると云うなら茶くらい出すよ。」
「アタシ、グリーンティーきらい」
「なら君は飲まなくて宜しい。」
素気無く男は立ち上がってスタスタと奥へ消えた。小脇に大きな本を抱えたままで、少女が「あの本、だいどこでもお湯わかしながら読むのよ。ヘンタイよ。」と耳打ちした。
球をはらんだ長い睫毛とそれが縁取る大きな宝石のような眼をしていることは外で見ていた。良く良く見ると衣服は薄い布を何枚も重ねて全身を覆っている。透けているところとそうではないところのある独特なものだ。それから長い手足が伸びている。大人の女性の成熟した上半身と薄い肉付きの子供の脚をした、あどけない顔の年齢の解らない女性というのが第一印象であったのに、口を開くとエリザベートもかくやという頭の悪そうな喋り方をするので、藤丸の中の女の像は、今現在は「少女」で定まっている。
アヴェンジャー?藤丸の問いに、藤丸の見た彼女らしくうんと返した。
「サーヴァント、しってるのね。着てるのもなんだかウユウユするわ。」
「ウユウユ?」
なんていうのかしらと考え込まれたので、魔力かと助け船出す。それよとにっこり笑って、ウユウユするのとまた言った。
「魔術師?」
「ペエペエだけど。」
「人間って、海の中にいるとクチャクチャになって死ぬのね。アタシ、初めて見たわ。」
「苦しくないの?」
「あんまり。でもヨハンだって息しなくても生きてたわ。」
それだ。そこが不思議なのだ。どう考えても普通に生きているのはおかしい。肺が潰れてあばらが折れるほどの重力がかかっているのに生き延びてしまった。これに解説を施してくれる通信機器越しの天才発明家には未だにコンタクトが取れない。
普通は死ぬよ。どう説明したらわかってくれるのかを考えて、そもそも自分もわからないことに気がついて脱力したのでそれだけ言った。少女はじゃあお外にでられないねと舌足らずに頷く。
「出られないなら、いりゃいいわ。キャスターはああ言ったけど、出られないのをいきなり追いだしたりなんか、おかあさまはしないもの。」
三角座りの膝に頬杖をついて、顎を上げてアヴェンジャーはやはりにっこりと笑った。自分の知るアヴェンジャーとは双極にある表情のように思う。エドモンもゴルゴーンも、ジャンヌオルタだってこんな風には笑わない(へシアンとロボはそもそも表情が解らない)。本当にアヴェンジャー?クラスを偽る英霊にはこれまでに何度も会っている。変化だってするのだ。そうやって疑うほど、藤丸の眼に少女は復讐者にはそぐわない。
ただ、目の前のアヴェンジャーをそうではないとする証拠なんてどこにもないし、深海に踏み出せば死なないまでも少女のいう「クチャクチャ」にまたなるのだ。カルデアと連絡が取れるようになるまで、そうしているしか選択肢がないようだった。
きっと何日も一緒にいることになる。だから藤丸は彼女に名乗った。アヴェンジャーは長い球つきの睫毛をまたたかせて、それから少し言い淀んでよろしくと口の中で呟いた。
「ごめんね、キャスターに言ったけど、名前言いたくないの。きらわれたくないから。」
それから言い訳のようにこぼして黙った。
なんとなく会話に穴が開く。それでもいいよと言ってやればよかったと藤丸は今は思っているけれど、その時は思いつきもしなかった。だから黙ってしまった。今はアヴェンジャーの名前を知っているけれど、だからといって嫌いになることはなかった。言ってやればよかった。
しんとした広間に、アッと少女は何かに気づいた衝撃で声を上げる。
「キャスターの名前!!」
この時点でアヴェンジャーはようやく話を逸らされたことに気がついた。なんとなく同じようなことを繰り返しされているのだろうと想像がついて、藤丸はおかしくて吹き出した。
最終更新:2018年04月14日 02:43