「川中島の戦い、といえば聞き覚えくらいはあるだろう?」
藤丸立香がブリーフィングルームに呼び出される理由と来れば相場は決まっている。
人理修復が完了し、後は然るべき処遇が決まるのを待つ身のカルデアではあったが、では完全に暇になったのかと言えば決してそんなことはない。
魔神柱の生き残り。統括局を失いながらも時間神殿を生き延びた魔神達が紡ぎ上げる、"亜種特異点"。
それらの、レイシフトによる修復。立香達は一年間、そんな作業に従事してきた。
今回も例に漏れずその類の話だ。
極東の地……立香の故郷である日本のとある土地で、特異点反応が観測されたというのである。
反応の強さはまたしても七つの特異点に匹敵する領域。
捨て置けば人理が崩壊する。そうでなくても、取り返しの付かない被害が世界を蹂躙することになろう。
「それって、武田信玄と上杉謙信の?」
「お、そこまで知っていたか。勉強の成果かな、良いことだ。これからも精進しなさい」
「へへへ」
立香とて、レイシフト以外の時間をただ無為に過ごしてきたわけではない。
カルデアの中にあった歴史書や文献に触れ、自分なりに知識を深めていたのだ。
これまでにも何度かあった、ダ・ヴィンチ達のナビゲートを受けられない状況に陥ってもいいように。
そういう状況で敵のサーヴァントと出くわし、対処法を考えなければならない状況に陥ってもいいように。
まだまだ知識の程度は浅いが、それでも円卓の騎士の名前もろくに知らなかった頃と比べれば大分前進したと自負している。
――川中島。川中島、か。
戦国きっての強軍である武田・上杉が幾度となくぶつかり合った一連の大合戦を称して、川中島の戦いと呼ぶ。
この戦いは五度に渡って繰り返され、結局どちらかが滅ぶわけでもなく、痛み分けの形で幕を閉じた。
では、五度の合戦の内のどこが今回特異点となっているのか? 少しでも知っている人間であれば、その答えは容易に浮かんでこよう。
「まさか――第四次合戦? 特異点になってるのって」
「そのまさかだ。元は上杉氏と北条氏の諍いだったものに、北条の同盟者であった武田氏が介入。
紆余曲折の末、武田上杉両軍は過去最大の合戦へと突入する。結局、明確な勝敗は着かなかったようだけどね」
川中島の戦い・第四次合戦。
一連の合戦の中では唯一大規模な戦いとなり、両軍に多大な損失を被らせた大一番。
川中島の戦い、と言えばこの第四次合戦を指すと言っても全く過言ではないくらい、この戦は有名であった。
特によく知られているのは、宿命の好敵手である武田信玄と上杉謙信の一騎討ちであろう。
甲斐の虎と越後の龍が演じる奇を衒わない真っ向勝負――戦国きっての名場面だ。
決して歴史上大きな意味を持つ戦いではないが、それでも、全五度の合戦の中から特異点とするならば間違いなく此処の筈。
もしも立香が特異点を生み出す側の存在だったなら、間違いなくそうしている。
問題は、件の戦場で一体何が起きているのか、だが……
「こればっかりは、実際に行ってみるしかないよなあ」
「そうだね。苦労を掛けるが、こちらもいつも以上に丁寧なサポートを心がけよう。何せ今となってはサポートも三人がかりだ。抜かりはないよ」
人理を修復してからの旅は、それまでのものとはほんの少しだけ事情が変わっている。
一番大きいのが、シールダーのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトの不在だ。
立香と常に旅路を共にし、如何なる英傑の攻撃にも果敢に立ち塞がった彼女が今は戦えない。
されど、何もマイナスな変化ばかりではない。
立香を通信の越しにサポートし、導き、知恵を授けてくれるカルデアのブレイン達。
修復作業に同行出来ないマシュだけでなくもう一人、そこに加わった人物が居る。
その人物こそ――
「日本史は若干門外漢気味なのだがね。いっそミスター・リツカが殺人事件にでも巻き込まれてくれれば、絶対の活躍を約束出来るのだが」
「縁起でもないことを言わないで下さい! それはそうとマシュ・キリエライト、ただいま到着いたしました!」
――天下の名探偵、シャーロック・ホームズである。
どれだけ無学な人間でも、彼の名を聞いたことがないという者はまず居るまい。
それほどまでに、この"名探偵"の物語は有名だ。
万人に親しまれ、愛され、研究され、世代を越えて読まれ続けた推理小説。その主役。
……尤も、あくまで物語の中の住人である筈のホームズがこうして現実に存在しているなど、彼の物語を愛する者が見れば卒倒ものであろうが。
今は非戦闘員の位置に落ち着いているマシュ・キリエライトと共に、カルデアの新たなブレインがブリーフィングルームに現れた。
「そうだよ、縁起でもない。また上空に放り出されそうだ」
殺人事件というとあのアラフィフを連想し、アラフィフというと新宿を思い出すのだ。
……いや、アラフィフはカルデアに来て以降も定期的にやらかしているのだが。
そろそろもう一度ライヘンバッハに叩き落とされるべきなのではないかというくらい、好きに悪巧みしまくっているのだが。
「して、今回はどのサーヴァントを連れて行くかな?
気心の知れた相手を連れて行くも良し、純粋に強さで選ぶも良し、敢えて新顔と一緒に向かうも良しだ。
判断はキミに任せるが、連れて行ける数は二騎が限度ということだけは念頭に置いておくようにね」
戦力を重視するなら、二騎。
作家英霊を始めとした霊格の然程高くない英霊を連れて行くならば三騎、ひょっとすると四騎連れさえ夢ではないかもしれないが、今回立香にそうするつもりはなかった。
何故か。一応、ちゃんと筋の通った理由はある。
それは、今回のレイシフト先で起きているイベントが"川中島の戦い"であるということだ。
川中島というフィールドは、これまで修復してきた特異点の中では比較的小さい。
その上、歴史通りならば川中島は益荒男達が火花を散らす戦場と化している筈。
そんな場所、そんな状況で戦闘を不得手とするサーヴァントが十全に活躍出来るかというと実に怪しい。
それなら多少頭数が少なくなろうとも、"戦えて"尚且つ"強い"サーヴァントを連れて行くのが最適解だろうと立香は踏んだ。
問題は"誰を"連れて行くのか、だが――少なくとも二騎の内の片方は、日本出身の英霊にするのが丸いだろう。
日本に出来た特異点なのだから当然日本の英霊が呼び出されている、ないし元凶である可能性は高い筈であるし、まさに適任と言える。
幸いカルデアには一騎、日本の英霊で、尚且つとんでもなく強い女傑が居る。
此処で彼女を連れて行かない選択肢は、存在しないだろう。
さて、もう一騎の方は如何にしたものか。
立香は考えて、考えて、考えて、考えて――……
◆
「酒呑童子に、ジークフリートか。成程、納得の人選だ。文句の付けようもない」
大江山の大鬼、酒呑童子。
竜殺しの英雄、ジークフリート。
カルデアに召喚された英霊の中でも、屈指の強さを誇る二騎だ。
ホームズをして文句なしと言わしめる彼らを破るなど、たとえ一対一であったとしても困難であろう。
「うちと旅したいなんて、旦那はんはほんまに奇矯な人やねえ。うっかり骨抜いてまったら、堪忍な?」
「酒呑が言うと冗談に聞こえないからやめて」
妖艶に笑いながら、酒瓶片手に囁く酒呑童子。
彼女は実に楽しそうだったが、立香の顔は引き攣っていた。
普通なら少しばかりブラックな冗談で片付くところだが、酒呑童子の場合、冗談なのかそうでないのか判然としない。
冗談であった台詞がある時突然冗談ではなくなる。敵味方の垣根など、彼女にとってはあってないようなものなのだ。
何故なら酒呑童子は鬼だから。鬼の中の鬼であるから。人の常識を決して解さない、そういう存在であるから。
こういうサーヴァントな以上、連れて行くことにリスクが伴わないと言ったら嘘になる。
が。そのリスクを最小限にまで抑えられる、頼もしさという言葉が形を結んだような男こそ、立香が選んだもう一騎の英霊だ。
「案ずるな、マスター。いざという時は俺があなたを守る」
大英雄・ジークフリート。
黄昏の魔剣を以って邪竜を滅ぼし、不死の肉体を得た無双の男。
その性根は質実剛健。ひとたび召喚されれば、マスターに降り掛かるあらゆる災禍をその剣で跳ね除けてくれる最上級サーヴァントの一角だ。
彼が居る限りは、さしもの酒呑童子も無闇に気まぐれは起こせない。
それは何も、ジークフリートが単純に"強い"からというだけではなく――
「ふふ。眩しい兄さんやねえ。遊びっ気がないのが、玉に瑕みたいやけど」
「……俺の剣は竜を、その因子を引く者を断つ。如何にお前が強くとも、この身、この鎧。容易くは溶かせないぞ、極東の鬼人よ」
彼が持つスキル、竜殺しの存在が大きい。
ジークフリートの剣は竜に対し特攻の切れ味を発揮し、彼の肉体は竜の一撃から受けるダメージをある例外を除いて大きく減衰させる。
巨いなる竜の血を、因子を引く酒呑童子にとってジークフリートはまさに天敵だ。
立香は別にそこまで考えて彼を選択したわけではなかったのだが、結果的に自分の安全が守られそうなのでほっと安堵した。
立香を庇うように立つ、生真面目な英雄の姿に鬼はくすりと笑って、肩を竦める。
「ま、半分は冗談やからそんなに構えんでもええよ? 小僧も牛女も煩そうやし、茨木もなんだかんだで旦那はんのこと気に入っとるみたいやしなあ」
ぐびり。酒を嚥下する音が響く。
この通り酒呑童子というサーヴァントは、従えている側も油断ならないなかなかに難のあるサーヴァントなのだが――その分実力は確かだ。
日本出身の英霊は数あれど、その中でも間違いなく上位に食い込むだろう霊基の持ち主。それがこの酒呑童子なのである。
犬猿の仲という言葉が生易しく思えるほど険悪な間柄にある源氏の女武者も、その点については異論を唱えまい。
川中島でどのような激戦が繰り広げられていようと、その全てに真っ向から向かい合える。
ジークフリートも酒呑童子も、そういう力を持った大英霊だ。
「じゃあ、立香くんの準備が良ければ早速特異点に向かって貰いたい。
分かっていると思うが、特異点の規模と実際の厄介度は全く別だ。くれぐれも油断だけはしないようにね」
「分かってるよ。新宿やセイレムのこともあるしね」
いつ、いかなる特異点であろうと絶対に油断はしない。
幾つの時代を修復しようが、人理を救った経験があろうが、そこを怠れば待つ結末は死と敗北だ。
この双肩に人理の命運が懸かっているのだから、油断など出来るわけがない。
立香には既にその自覚が備わっていた――成長したなと、ダ・ヴィンチが頬を綻ばせる。二年前の彼は、本当にただの素人だったのに。
「準備は出来てる。行こう、ジークフリート、酒呑童子。今回はよろしくね」
「了解した。あなたが正義を成す限り、俺はあなたの敵を切り払う剣となろう」
「ほんに堅苦しいねえこの兄さんは。もうちょっと"らふ"になれへんの?」
「む……それは、すまない。どうにもそういうノリは慣れないんだ。……また、空にでも浮かんでみるべきだろうか――」
「結構です!! ていうかあの時の記憶ってあるんだ!?」
出来ることならなるべく思い出したくないいつかの秋の記憶を振り払いながら、立香はぱんぱんと自分の頬を叩く。
スタート地点への強制ワープってそれ魔法の域に片足突っ込んでないかだとか、そんな疑問は今抱くべきではないのだ。
いざ行かん、川中島。
待ち受ける敵は武田信玄か、はたまた上杉謙信か、全く別の誰かなのか。
答えがどれであったとしても、自分のやるべきことは変わらない。
戦って、守って、最後は救う。それだけだ。
「先輩、どうかお気をつけて! わたしも、全力で先輩をナビゲートさせていただきますので!!」
「ああ。頼りにしてるよ、マシュ。じゃあ……行ってくる」
さあ、何度目かの――世界を救う戦いを始めよう。
◆
「あらま、こりゃ酷い有様やねえ」
くすくす笑う酒呑童子とは対照的に、立香は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
その原因は、立香達一行の周囲に散らばる人の形をしたモノ達にあった。
死屍累々とはまさにこのこと。
武田上杉両軍の兵士が、壮絶な死に顔を浮かべてそこかしこで息絶えている。
とはいえ、戦に屍の存在は付き物。まして今回のような大規模な合戦ともなれば尚更だ。
だから、そう驚くべきことではない。ない、のだが――当然のことと片付けられない奇妙な点が二つある。
立香もそれに気付いて、既に思考を回し始めている。ジークフリートも、酒呑童子も、通信の向こうのナビゲーター達も、当然気付いているようだ。
『ふむ。妙だな、刀剣が主流の時代にしては些か死体が多すぎる』
散らばる死体の数は百を優に超えていた。
この時代の戦は未だ刀剣での戦いが主流であり、物珍しげな兵器が導入されていた事実はない。
故にこそ、一点に死体が密集するということは余程のことがない限りあり得ない筈なのだ。
兵士達は人形ではないし、ロボットでもない。
一人ひとりが意思を持って動くから、不利と見れば後退し、或いは戦場を変えと思い思いの対抗策を講じるのが普通。
にも関わらず一点にこれだけの屍が集まるとは――化学兵器でも用いて旗の色を問わずしっちゃかめっちゃかに虐殺したとしか思えない。
無論、この時代にそんなものが存在する筈はないのだが……此処でもう一つの妙な点が活きてくる。
「……それに、刀じゃこんな風にはならないよね。馬で踏んづけたって、此処まで酷い死体にはならない」
いずれの死体も、異様なほど損傷が激しいのだ。
手足は折れ曲がり、甲冑は砕けて馬は潰れ、酷いものに至っては赤いトマトでもぶち撒けたような有様。
損傷は死体に限った話ではない。川中島の大地は大きく罅割れ、陥没し、死体の多くがその陥没にめり込んでいる。
刀と馬だけでこれほどの光景を作ろうと思うなら、よしんば可能だったとしても気の遠くなるような時間が必要になるのは間違いない。
現実的に考えるなら、何かしらの大質量か大衝撃でもって一気に叩き潰した、というところだろうか――
その想像の時点で大分現実的ではないのだが、あいにく此処は特異点。人智を容易く超えてくる英霊共が跋扈する人外魔境。
そういう芸当を苦もなく行える輩が暴れ回っている可能性は十二分にある。ふむ、と通信越しのホームズが自分の顎に手をやった。
『いずれの死体も死後一日……いや、二日は経過しているね。
二日前の川中島で何かがあった。武田か上杉かは分からないが、本来の歴史ではあり得ない事態を引き起こしたんだ』
「サーヴァントの宝具、かな」
『可能性は高いね。もしくは、こんな光景を作り出せるくらい強力な魔物を飼っているか』
どちらにせよ、何とも気の重い話だった。
舐めてかかるつもりなど毛頭なかったが、やはり今回も例の如く、一筋縄では行かない難度の特異点らしい。
さて、まずはどう行動したものか。立香は考え、そして。
「……とりあえず、川中島の戦いが今どういう局面にあるのかを調べないと始まらないよね。
どっちが勝っててどっちが負けてるのか。後は、これをやったのが誰なのか。知りたいことは山積みだ」
『うん、それが賢明だ。こと特異点において、情報は金銀財宝にも勝る価値を持つ!』
いつも通り、まずは地道な調査から入ることにした。
川中島の現状を見極める。その上で、またどうするか決める。
凡庸な一手ではあるが安牌だ。危険なのはこの際仕方がない。危険を恐れていては、そもそも話が始まらないのだから。
……とは言ったものの。この時代の戦にこれだけの破壊力が投入されて、果たして生き残りが居るのだろうか? と思う自分も居る。
合戦が既に何らかの形で終結し、その先の目的に向けて黒幕達が動き出している――というパターンが立香達にとっては最も厄介だ。
もしそうなれば下調べが出来ない以上、必然的にぶっつけ本番の一本勝負に全てを委ねる羽目になってしまう。
大体いつも最後にはそういう状況が待っているといえばそうなのだが、それでもなるだけそうなることは避けてかかりたい。
見知らぬ武士達の無事を祈りながら、立香は二騎の英霊を連れて一歩を踏み出そうとする……が。
その肩に添えられる手があった。少女のものではない。頑強な男のそれであった。
「すまない。少しいいか」
「ジークフリート?」
「……近くに、隠れて此方の様子を窺っている者が居る。特に魔力も敵意も感じないが、如何にする?」
ジークフリートは目線で、その何者かが隠れている方角を立香に示した。
目線を追っていくと、先にあったのは二日前の"衝撃"の二次災害で生じたのだろう土砂の山。
それほど大きなものではないが、人間一人が身を隠すには十分すぎるサイズだ。
あの裏側にどうやら、ジークフリートの言う誰かが隠れているらしい。
魔力を感じないということはつまり、順当に考えればサーヴァントではないのだろうが――油断は禁物。
此処で放置してしまうのはどう考えても愚策だろう。それに、もしかすると貴重な情報源になってくれるかもしれない。
「事が荒立ったら嫌だけど、接触してみよう。敵にしろそうでないにしろ、十中八九なにか知ってるだろうし」
「解った。ではそのように――む」
ジークフリートが頷き、言い終えようとした時。
既に立香の傍らに酒呑童子の姿はなかった。
見れば土砂溜まりの裏側から、バタバタと暴れる男性の襟を摘み上げた酒呑童子の姿が現れる。
……どうやら立香達が注意を反らした一瞬の内に、結論を待たず接触へ走ったらしい。何とも彼女らしい奔放な振る舞いだった。
「しゅ、酒呑さーん!?」
「……すまない。俺が付いていながら止められず、本当にすまない……」
狼狽する立香達に、酒呑童子はやはりいつものように笑って言う。
「うちは鬼やからねえ。旦那はんの考えそうなことは、す~ぐ察しが付くんよ」
「うっ、うおおおおお!? は、離せ! 離せ馬鹿! あとちゃんとした服を着なさい年頃の娘さんでしょおおおおおお!?」
「……で、"これ"どないします? なんや暴れそうやし、いっぺん蕩かしてまう方が早そうやけど」
至極当然なことを言いながら暴れる男性を横目に、酒呑童子は事もなげにそう宣った。
酒呑童子はその名の通り、酒気を操ることの出来る大鬼だ。
芳しい果実の酒気を、ちょっとばかし濃さを抑えて嗅がせればあら不思議。
ものの数秒も要さずに、なんでも喋ってくれる酔っ払いの出来上がり――という寸法である。
されど、そこは藤丸立香。そんな手段を好む筈はなく、「穏便に行こう」と酒呑へそう伝えるのだった。
「とりあえず下ろしてあげて」
「逃げるかもしれへんよ?」
「その時は捕まえよう」
「いやそこは捕まえるのかよ! 君も大概穏便じゃないな!?」
声を張り上げる男性は、分かりやすく武士の出で立ちをしていた。
それにしても、なかなかに鋭いツッコミである。実に筋がいい。
カルデアに居てくれたらマシュも助かるだろうなと、立香はそんな場違いなことを考えてしまう。
「げほ、げほ……! ……っ、一体なんなんだ君らは! 格好もおかしけりゃ会話もやることも全部おかしい!」
「否定は出来ないな。ただ――信じろと言っても難しいだろうが、俺達にあなたを取って食おうという気はない。
少し話を聞かせて貰いたいだけだ。此処であったこと、あなたの見たこと、知っていること。それを、俺達に聞かせてほしい」
ジークフリートの言葉に、立香も同調して頷く。
明確な敵でもない限り、この川中島に居る武士達はカルデアにとってむしろ守るべき存在だ。
それに進んで危害を加える意味はない。さっきは、酒呑童子が少しばかり物騒なことを言ったが。
しかしその言葉を受けてなお一層、武士は怪訝そうな顔をする。疑っているというよりは、不可解なものを見るような目をしていた。
「……藪から棒に何言うんだ? 君達はあの破壊と震動の中、居眠りでもしてたっていうのか?」
「実はオレ達、ついさっき此処に来たんですよ。だから何も知らなくて」
「はあ?」
今度は立香が怪訝な顔をする番だった。
ついさっき来たんだ、という台詞に対する武士の反応が、「ふざけているのか」とでも言うようなトーンのそれであったからだ。
確かにどこから来たのか、何のために来たのかはぼかしているが、それでも自分はそんなにおかしなことを言っただろうか?
不安になってジークフリートの方を見るが、彼もどうやら同じ心境のようだった。
どういうこと、と立香が聞く前に、武士が口を開く。
「どうせならもっとマシな嘘吐きなよ。この戦場から出入りする方法があるんなら、僕達はこうやって途方に暮れちゃいないよ」
「……それは、どういう?」
「なんだ、聞いてないのか? 遅れてるなあ。
……まあいいや。丁度いいことに、此処は川中島の端っこの方だ。付いて来なよ、答え合わせをしてやる」
彼の言葉を額面通りに受け取るなら――今、この川中島は閉ざされていることになる。
出られないし入れない。だから、ついさっきやって来たなんて輩はそもそも存在する筈がない。
……しかし視界の先に壁のようなものは見当たらないし、とてもではないがそんな事態が生じているようには見えないのが正直なところだ。
答え合わせをしてやる、と言って一人歩き出した武士。
彼が腹に一物抱えていないという保証はどこにもないが、下手に疑いすぎて貴重な手がかりを見落としてしまっては本末転倒だ。
それに、自分にはジークフリートも酒呑童子も居る。いざという時には、ガンドだって撃てる。
警戒半分好奇心半分の心地で、立香は武士の後に続く。川中島の最果てを、目指して。
「ところであんたはん、武士いう割に随分弱そうやねえ。宗矩の爺様とは大違いや」
「う……うるさいなぁ! しょうがないだろ僕は凡人なんだよ!
……ていうか君、あんまり僕に近付くなよな! 君からはなんか……アレだ! 本能的な危険を感じる! 角とか付けてるし!!」
付けてるんじゃないんだけどなあ。
その子、本物の鬼なんだけどなあ。
立香は教えてあげようと思ったが、酒呑が楽しそうなのでやめた。
……どうやら余程からかい甲斐のある相手と見たらしい。酒呑がああいう人を気に入るのは珍しいなと、立香は思うのだった。
◆
「此処が、川中島の端っこ?」
「そうだよ」
……目を凝らす。
何ら変わったところはない。
曇天の空がどこまでも広がっていて、向こうの景色も普通に存在している。
別に、これなら出入りなんて簡単に出来そうなものだが――結界でも貼ってあるのだろうか。
何にせよ、いきなり飛び込むのは危険そうだ。此処はダ・ヴィンチちゃんに連絡をして……と、思ったその時だった。
「よく見てなよ。ほいっと」
「……ちょっ!?」
ひょいと前に出る、武士の男。
すると、どうだ。
川中島の外に一歩出た途端、ぱっとその姿が消失したではないか!
「ダ・ヴィンチちゃん! 今の――」
『ううむ、事をややこしくすべきではないと思って通信を控えていたんだが。もっと早く出てくるべきだったかな』
「……もしかしてもう解析とかしてる? これ、結界か何か貼ってあるみたいなんだけど」
『ああ。君達が着くちょっと前からね』
まだ完全に結果が出たわけではないが、と前置きして、ダ・ヴィンチは立香へ語り出した。
川中島を閉ざすモノ。本来の歴史ではある筈もない、現状の特異性を象徴するような異変。それは――
『結論から言おう。この川中島は今、"蛇の鱗"に覆われている。
立香くん達の前もそうだし、上空も地底も恐らく同じだ。球状に展開された蛇鱗状の膨大な魔力が、確かに川中島を閉ざしている』
「つまり、やっぱり出入りは出来ない?」
『恐らくはね。……ただ、そうなるとさっきの某がどこへ消えたのかが分からないんだが――』
ダ・ヴィンチが言い終わろうとした、その時であった。
「おい、何してるんだ? 早くこっちに――」
何もない虚空。
ダ・ヴィンチ曰く、蛇鱗状の結界が閉ざしているというその地点から、ぬるりと武士が顔を出したのである。
無論その彼は、今さっき立香達の見ている前で姿を消した某と全くの同一人物だ。
驚きに目を見開く立香だが、それは彼の方も同じであった。
無理もないだろう。何故なら立香の傍らの虚空には、"絶世の"と呼んで差し支えないだろう美貌を湛えた美女の顔が浮かんでいるのだから。
……言うまでもなく、この戦国乱世にモニターなんて便利な概念は存在しない。そもそも遠隔通信という発想がまずない。
そんな時代に生きる現地人が、立香の時代に換算しても近未来技術に片足を突っ込んだ光景を見ればどうなるか。
答えは、簡単だ。
「よ――」
「……よ?」
「妖術だあああああああああああああああああああああああッ!!!???」
……まあ、こうなる。
踵を返して走り出したのだろう、武士の顔が虚空の向こうに引っ込み消える。
引き止める暇もなかった。が、残念だったなあと潔く諦めるわけにはいかない。
川中島で起こっている異変の一つに辿り着くことは出来たものの、結局"何が起きてこうなったのか"についてはまるで知れていないのだ。
「追いかけよう!」
「! 待て、マス――」
ジークフリートの制止も聞かず。
立香は、逃げる武士の後を追って蛇鱗の結界へと飛び込んだ。
刹那――ジークフリート達の前から、藤丸立香の姿が消失する。
先程の某と同じようにあっさりと。騒然とする、残された者達。だがそれもまた一瞬のことであった。
竜殺しの戦士が意を決して駆け出そうとした時、先程の某の焼き直しのような動作で、立香が虚空から顔を出したのだ。
「あらら。旦那はんまでおんなじことしてはるわ」
「……大丈夫なのか? マスター」
「うん、なんだろう、うまく説明出来ないんだけど――とにかく大丈夫! 特に危なかったり痛かったりはしないみたい!!」
ほんなら、うちも行ってみよか。
立香の言葉を聞いて、躊躇いもせず酒呑童子が前へ出、消える。
ジークフリートも一歩遅れはしたがそれに続く。川中島とその外側を繋ぐ見えない境界線。
それを踏み越えた途端――景色が変わった。景観はまるで違うが、流れる空気の質や匂いは今までと大差ない。
川中島のどこかに飛んだのか。ハロウィンの一件ではないが、魔術の世界において"空間跳躍"は次元違いの術理とされる。
魔法の領域に手を伸ばせるだけの魔力が"結界"にはあるのか、それともまた別なカラクリが存在するのか。
定かではないが、転移した先には立香の姿があった。
少し離れた地点に、情けなく逃げていく武士の某。
「あらま、脱兎の如くとはこのことですなあ。旦那はん、どうしはる?」
「ちょっと気の毒だけど追いかけよう! 誤解されたままっていうのも嫌だし!!」
そう言って、立香は走り出す。
サーヴァントに一言命じればそれで事足りる場面だというのに、自ら先陣を切る辺りが彼らしい。
如何に日頃鍛えている武士といえど、あくまで人間。サーヴァントの脚力に敵う道理はない。
立香に続いて動いたジークフリートの前に、悲しいほどあっさりと距離は詰められていく。
「っくそ、ついてくるなよ! どうせ君ら、アレだろ! "あいつら"の仲間なんだろ、くそっ!!」
「違うし、そもそも"あいつら"って何のことか知らないんですけど――!!??」
嘘つくなバーカ! と叫ぶ姿はおよそ全く武士らしくない。
元々こういう性分なのか、それとも屈強な武士の心を折るほどの何かがあったのかは分からないが、まあこればかりは前者であろう。
「話せば長くなるけど、オレ達は本当に川中島の外から来たんです!」
「尚更怪しいじゃないかッ!!」
「確かに!!」
違う、同意してどうする!
立香は首をぶんぶんと振って次の言葉を考える。
しかしやはり、気の利いた文句は思い付かない。
そこで仕方なく、思ったことをそのまま口に出すことにした。
「でも、オレ達ならあなたの言う"あいつら"だってなんとか出来ます!!」
「……はあ!?」
あまりにも信じ難い台詞だったのか、武士の某はそこで思わず足を止める。
立香には、彼の言っている"あいつら"が何者なのかは分からない。
そもそも何一つ知識がないのだから当然だが――しかしこんな状況は今まで何度となく経験し、超えてきた。
「出来るわけがないだろ! 相手は神だぞ!?」
「えっ!?」
「本当にあの場に居なかったっていうなら教えてやる! 川中島も武田も上杉も、全部たった一人の化物にぶっ壊されたんだよ! 一撃でな!!」
――ようやく、話が見えてきた。
今回の敵は、つまりそいつか。
川中島と、乱世において限りなく最強の座に近かった精強な二つの軍をただの一撃で滅ぼしたという神霊が、この特異点の下手人なのか。
「アレも、アレが連れてきた蛇共も、それを率いる妖共も本当に強い!
刀は通らないしモノによっては馬より速いんだ! 君らに何が出来――」
「過ぎたことを言うようだが……その程度ならば、俺達は見慣れている」
ジークフリートが逃げる某の手を掴んだ。
その台詞は、立香が叫ぶどんな言葉よりも強い説得力で溢れていた。
当然だろう。彼はサーヴァント。人類史の影法師。邪竜ファヴニールを斬殺した、誉れ高き大英雄なのだから。
焦り、慌てていた筈の武士の瞳が、ジークフリートの澄んだ翠色の瞳を見上げる。
彼が英雄に見た面影は、己の軍勢を束ね上げていた大将のそれであった。
雄々しく強く輝く戦場の勇士。
どんな逆境、死線にも動じない"強き者"。
ジークフリートの姿は、震えぬ声は、淀みない言葉は――的確に男の胸を打ち、落ち着かせ。冷静さを取り戻させたのである。
「話を、聞かせてくれ。
俺達は――あなた達を救いに来たのだ」
その言葉に、武士が浮かべたのは自嘲するような笑みだった。
心底自分に呆れ返った、というような。
立香には理解の出来ない表情をした後で、武士はぽつりぽつりと語り始める。
――川中島で何があったのか。
――神とは、そしてそれが従える"蛇""妖"とは何なのか。
――本来川中島の主役である筈の武田上杉両軍は、神の一撃を受けてどうなったのか。
――この川中島が今、如何に救いようのない地獄であるのか、を。
◆
「そいつは突然現れた。そして、全てを壊していったんだ」
――八岐大蛇。
その名は、立香も知っている。
須佐之男命によって退治された蛇神。そして、龍神。
そんな紛れもない神霊が人の形を取って現れ、圧倒的な力でもって川中島の戦いそのものを破綻させた。
崩れた大地、抉れた戦場。某曰く、これは全て蛇神の"腕"による一撃によって齎された破壊なのだという。
上空から見下ろしたならばきっと、巨大な手の形が大地に刻み込まれているのだろう。
……さぞかし壮絶な光景であったのだろうと、立香は自分がやって来る前に起こった神代の大破壊に思いを馳せる。
「武田も上杉も軍はほぼ壊滅状態。本丸に至っては文字通りの粉砕だ。
そんな有様だから兵士達は散り散りになって、誰が生きてて誰が死んでるのかも分かったもんじゃない。信玄公や謙信でさえそうなんだから終わってる」
『無理もないですね……如何に信玄公や謙信公が強く聡明でも、神霊の猛威を相手取るとなると、災害相手に相撲を取ろうとするようなものでしょうし』
頷き、続きを促す。
――川中島の戦いは既に終わっている。
史実とはまた別な意味で、勝者なき戦いに終わった。
神の横槍による完全粉砕という、およそ考えられる限り最悪の形で。
「……で、此処からが問題なんだ。
川中島からは出られない。生き残りは、数の大小は分からないけど確かに居る。
そんな状況で、あの腐れ神はまだ火種を投げ込んできやがった。彷徨いてるんだ、蛇が」
蛇神が投げ込んでくる蛇――もとい魔物となれば、イメージは大体付く。
これまでの旅の中でも幾度となく戦った、ナーガのようなものだろう。
立香達にとっては最早慣れた敵だが、確かに神秘を持たない人間が与するにはキツい相手だ。
更に、それだけではない。
「で、そいつらを率いてる"妖"共がまたとんでもないらしいんだよ。僕は幸い、出くわしたことはないんだけどさ」
「……"妖"」
立香は視線を、モニターのダ・ヴィンチへ移す。
ダ・ヴィンチはそんな彼に、「ああ」と頷いた。
そいつらはきっと妖の類じゃない。神霊・八岐大蛇に与する――サーヴァントだ。
「僕が知ってるのはこんなとこさ。……さ、僕は話せること全部話したぞ。
次はそっちの話を聞かせてくれ、情報量が多すぎて頭が破裂しそうなんだよさっきから」
「あ……ありがとう。えっとね、話せば長くなるんだけど……」
こうなった以上は、隠しても無駄だろう。
信じるか信じないかは彼次第ということで、素直に喋るしかない。
カルデアのこと。此処に来た理由。ジークフリートと酒呑童子のこと。
教えられる限りのことを、上手いこと短く纏めて立香は話した。
話された側の某はというと……案の定、口をあんぐりと開けて混乱を示している。
「か……かるであ? じんり? れいしふと?
挙句の果てに、そっちのお嬢ちゃんは大江山の酒呑童子……?」
「よろしゅうなあ」
「いやよろしゅうじゃないが。下手しなくてもそれ、厄介ごとの中に厄介ごとを持ち込んだだけじゃないのか」
ぐうの音も出ないのが悲しいところだった。
とはいえ、今の酒呑童子はカルデアのサーヴァント。
そして何より……彼女を連れてきた選択に、立香は運命じみたものを感じずにはいられなかった。
川中島を地獄に変えたのは蛇神。
古の時代に滅ぼされ、されどその因子を多方に遺した巨いなる神――八岐大蛇。
立香達が恐らくいずれ戦うことになるその神性は、酒呑童子とも浅からぬ縁のある存在なのだ。
酒呑童子の父、伊吹大明神の根幹。それが、八岐大蛇という神だ。
つまり立香は自分でも意図しない内に、限りなく最善手に近いカードを選び取っていたのである。
「そうだ、酒呑はどう思う? この人の話」
「おもろいことになっとるなあ思って聞いとったよ? あの雅のみの字も知らん蛇親父が、逸物外して暴れとるなんてなぁ。
どういう風の吹き回しなんか知らんけど、前々からいっぺん赤っ恥かかせてみたかったんよ。ほんま、ツイとるわぁ」
「そ、そう……」
いつもの艶やかで扇情的なものではなく、黒い感情をたっぷり込めた笑顔に思わず立香の顔も引き攣る。
どうやら酒呑童子と八岐大蛇の間柄については、あまり深く突っ込まない方がいい案件のようだ。
だがそれはそれとして、八岐大蛇という神の血をその身に宿す彼女の存在は間違いなく大きな意味を持つ筈。
……そうだ。もう一つ、これだけはどうしても聞いておかねばならない。
愚問と言われればそれまでだし何なら立香自身、答えも分かり切っているのだが――せっかく龍神の威容を知る者が居るのだ。
たとえ無駄な質問だとしても、問うておくに越したことはあるまい。
「ごめん、もう一個だけ。その、八岐大蛇って神様は――」
「強いよ?」
「……ですよね」
「大元の神体を見たわけやないけどね? でもま、旦那はんからすれば冗談みたいな強さしとるはずよ。
竜殺しの兄さんでも真っ向勝負ならきついかもしれへんね。ただま、見たとこまだ本体は出てきとらんみたいやけど」
本体じゃない状態で、あれだけの破壊を引き起こせるのか。
立香は酒呑の言葉に安堵するのではなく、むしろ気の遠くなる思いだった。
これまで何度となく神霊やそれに準ずる存在と相対してきた立香だが、何度経験しても慣れるということはない。
いついかなる時でも、彼ら彼女らは恐ろしい。……それこそ、天変地異そのものを相手にしているような気分になる。
「いろいろ教えてくれてありがとうございました。その……色々失礼なことしちゃってすみません」
「ほんとだよ」
「そちらさえ良ければですけど、オレ達と一緒に行動しませんか?
あなたの話を聞く限り、今の川中島はあまりにも危険だ。馬もなしに一人で彷徨くのは、ちょっと危ないですし」
「……えっ。いいの? マジで?」
あっ、この人乗ってくるタイプなのか。
何しろ相手は武士だ。馬鹿にするなと怒られることも、立香は覚悟していたのだが。
一緒に来ないかと話を振られた彼は、ぐいっと身を乗り出してがっつり食い付いてくる。
最初脱兎の如く逃げていった男と同一人物とはとても思えないが、会話を通して信用してくれたのならそれに越したことはない。
たとえ現地人、英霊ですらないその時代を生きる人間だとしても、仲間は多ければ多いほどいいのだ。
ウルクで魔獣達に果敢に立ち向かった彼らのように。
アガルタで奴隷王へ一矢報いた彼らのように。
時に人間の存在は、立香達にとって思わぬプラスとなってくれる。
「なんや、えらい綺麗な手のひらの返しっぷりやねえ。清々しいわぁ」
「僕は確実に生き延びられるなら、余程のことでもない限り手段を選ばないことにしてるんだ。
矜持とかクソだよクソ。百姓も武士も生き残ってなんぼ、無駄死にするのは最低最悪ってね」
なるほど。……なかなか、イイ性格をしているらしい。
「えーと、立香くんだっけ? 短くなるか長くなるかは分からないけど、そういうことならよろしく頼むよ。
なあに、僕も一応は武士だからね。もし錯乱した輩が襲って来たりしたら、注意を反らすくらいの役目は買ってやるぞ!」
「戦ってくれませんか???」
「それは時と場合によるね。時と場合によっては、僕は容赦なく逃げ出すつもりだからよろしくどうぞ」
「あなた本当に武士なんですか?????」
なんで武士になったんだこの人。
久々の圧倒的ダメ人間指数に、相手をしているだけで疲労が溜まってくるのが分かる。
なるだけ真面目な話ばかりして、主導権を握らせないようにしよう。立香は胸に誓うのだった。
『君は武田軍の武士だったね。失礼だが、名前を教えてもらってもいいかな?』
「ん? ああ……僕は望月だよ」
『……望月?』
「望月盛時。一応城も持ってるし、信濃国では知らない者は居ないくらいの知名度はあると自負してるんだけど……知ってるかな? 僕のこと」
えっ。
立香が声をあげてしまったのも詮無きことであろう。
この頼りなく、矜持も何もない男が……何と戦国ではそれなりに名のある人物だというのだ。
そして何より、その姓は――
『私達は召喚されるにあたって、英霊の座から色々と教えて貰っているからね。
信濃望月城の城主。信濃国の豪族・望月氏の当主か。……その割に家臣やら何やらは連れていないようだけど』
「あまり人望がある方じゃなかったからなあ。八岐大蛇が出てきたらあっさり散り散りになっちゃったよ」
肩を竦める某……改め盛時に、自身の下をあっさり離れていった部下達を咎めるつもりはないようだった。
生き残る為には大体何でもすると宣うだけあって、生きようとすることについては寛容なのか。
それはそれとして人望がないというのには、まあ納得するより他にないが。
『待ってください。望月氏、ということは――』
『その通りさ、マシュ。彼は"望月千代女"の夫だ』
望月千代女――下総で出会った際にはアサシン・パライソの忌み名を与えられ、英霊剣豪として非道の限りを尽くしていた少女。
その時は討つべき敵として相対したのだったが、今ではカルデアへの召喚にも成功し、良好な関係を築けている。
望月と聞いた時点でもしやとは思っていたが……よもや本当に彼女の関係者、それどころか夫とは。
酒呑童子の件もそうだが、今回はずいぶん奇妙な巡り合わせが多いレイシフトだ。
「ん? なんだ、ちーちゃんのことも知ってるのかい?
いいだろ、家柄と地位を除けば僕の数少ない自慢なんだぞ。いいか、あの子はなあ――」
ふふん、と呑気に胸を張っている盛時を横目に、立香に小声でホームズが耳打った。
通信越しの会話を指して耳打ったというのも妙な話ではあるが、それはこの際置いておく。
『ミスター・モリトキがいい気分になっている内に言っておくが、彼に"カルデアの彼女"の話はしないように』
「あー……それは何となくオレも思ってた。ややこしいことになるよな、どう考えても」
『間違いなくね。そもそも望月千代女という人物が名を上げるのは、望月盛時の死後だ。
夫を失くした彼女はその後武田信玄に忍の腕を買われ、巫女の頭領という大役を任されるに至る』
その信玄も今は生きているのか死んでいるのかすら分からないが、とにかくだ。
まだ生きている頃の盛時に、あなたが死んだ後にあなたの奥さんが偉くなるんですよ、などと伝えてみろ。
どう考えても良からぬ混乱を生む。まして盛時はお世辞にも心が強いとは言えない類の人物だ。
変に消沈されたり拗らせられたりすると、カルデアにも彼自身にも益がない。
お互いのためにも、未知のことは未知のことのままにしておくべきなのである。
『ミスター・モリトキのコントロールは大変だろうが、なあに君ならきっと出来るさ! いざとなったら私達も最大限アシストしよう!!』
「簡単に言ってくれるなあ、ホームズは……」
実に気が重いが、しかしやらないわけにもいかない。
落ち着ける拠点を見つけられるまでは、この些か頼りない武士に目を配りながら進んでいくとしよう。
立香がそう思った、まさにその矢先のことだった。
「もし、そこの面々。不躾ながら、ひとつ問わせていただきたい」
平穏な時間が終わる。
流れが―――変わる。
男か女かすら判然としない中性的な声は、しかしその性別がどちらであるにせよ、醜男醜女のそれでは決して有り得ない。
間違いなくこの声の主は天性の美貌の持ち主だ。誰もが己の耳を、鼓膜を通じてそう理解する。
それだけの力が、ただ一言の発声に込められていた。既知の言葉で表現するならば、カリスマとしか言い様のない力が。
だが、真に驚くべきはそこではない。
実際に声が発せられるまで、誰もその存在に気付けなかったのだ。
立香や通信越しにしか川中島の様子を把握出来ないダ・ヴィンチ達、そもそもただの人間である盛時は勿論。
鬼の中の鬼である酒呑童子、果てにはカルデア内でも五本の指に入る手練れであるジークフリートでさえ例外ではなかった。
立香が自ら選んだ"強い英霊"二騎すら欺く技を持つ乱入者。一体何者なのかと、視線は自然と声の方に向かう。
するとそこには、やはり中性的で、それでいて凄まじいほどの整った顔立ちを持つ一人の武人が佇んでいた。
部下を連れず、傍らに凛々しい目をした馬のみを侍らせて。
艷やかな黒髪を風に遊ばせ、水色の瞳で立香達を見つめる――恐らくは乱世の住人であろう、何者か。
しかし結論から言うと、その正体はすぐに明かされることとなった。
立香達の新たな同行者である望月盛時。彼が、気圧されたように後退りしながら口にしたのだ。かの人物の真名を。
「うっ……上杉、謙信……!?」
「いかにも」
――上杉謙信。甲斐の虎・武田信玄と幾度となく鎬を削り、此度の合戦においては熾烈な一騎討ちを演ずる"筈だった"越後の龍。
彼は何に憚ることもなく、何を恐れることもなく。
悠々と、立香達の前に姿を現した。
目の前の集団の中に頭抜けた実力者が存在することも知った上で、されど恐れない。
それは頑然たる事実として定義された自身の実力を誰より信じているからこそ出来る振る舞い。
一軍を背負って立つ覇将にのみ許された、ある意味では傲岸不遜とも言える精神性から成る鋼の心胆に由来する。
謙信はその色気ある唇を唄うように動かして、問うた。
あくまで質問の体を保ちながらも、しかし答えを確信した様子で。
藤丸立香ただ一人に視線を合わせて――問うた。
「君達は、"カルデア"からの来訪者かな?」
◆
上杉謙信――越後の龍。軍神。聖将。
数々の二つ名を恣にした彼は、間違いなく最強の戦国武将の一角と呼ぶに相応しい。
軍力、純粋な個人武力、いずれも無双の域。
そして何より、謙信は"敵に塩を送る"という言葉の語源にもなった程の人格者でもある。
義を重んじ、乱世を駆けながらも侵さない。
助けを求められれば腰を上げ、道理さえ通っていれば敵味方の垣根を容易く飛び越える。
ある意味では異端中の異端とも呼べる高潔な男。
天下に名高き大豪傑・武田信玄の好敵手として知られる彼は、本来の川中島合戦の主役の一人だ。
「……そう、ですけど」
隠す理由もないし、仮に隠したとしてこの人にはお見通しだろう。
宝石のように煌めく水色の瞳を前に、立香は本能でそう直感した。
激しさのみが強さではない。透き通った静けさもまた、時に強さ。
そしてそういう種類の強さを持つ者は、恐ろしい。
何故なら彼らは油断も慢心もしない――いつだとて冷静に、詰め将棋のように状況を詰めてくるからだ。
「なら良かった。それなりに時間を使った上で無駄足だなんて、この状況じゃ笑い話にもならないからね」
「えっと……どうしてカルデアのことを知っているんですか? もしかして――」
「その"もしかして"だよ、藤丸立香君。私は今、生き残った兵達に加えて、君と面識があるらしい"サーヴァント"を二人抱えている」
立香の顔がぱっと明るくなる。
居るのか、自分の知るサーヴァントがこの地に。
ジークフリートと酒呑童子は勿論強い。しかし何度も言うが、戦力と協力者は多ければ多いほどいいのが特異点というものだ。
「私は八岐大蛇を討ち、この川中島合戦を終わらせることを目指して行動しているんだ。
須佐之男大神の偉業をなぞるのは並大抵のことではないが、しかし成せねば大勢死ぬ。であれば、成すしかないだろう?」
人の手による神殺しを、謙信は笑みすら浮かべながら宣言した。
かの嵐神がしたように、傲岸な蛇神を斬り殺して世界のあるべき姿を取り戻す。この地獄を終わらせる。
乱世に名乗り出たからには死は最早隣人だ。死人の出ない戦など存在しない。しかしそれでも、人間の死に方とそうでない死に方というものはある。
「――神に潰され、その眷属に貪られ、犯された末の死。そんなものは人間の結末ではない。
そこに敵も味方もないと私は考えていてね。故に何としてでも、あの蛇共を滅ぼさねばならないという結論に至った」
「オレも……オレもそう思います!」
視界の端で、ジークフリートが頷くのが見えた。
間違いない、上杉謙信はこっちの味方だ。
カルデアと面識のあるサーヴァントを擁しているからというのもそうだが、彼の言葉には確かな熱があった。
神の暴虐許すまじという義憤の念が籠もっていた。嘘八百でこれだけの感情を表現するなど、悪魔に魂でも売らない限りは不可能だろう。
神殺しの難度を理解しながらたじろがないその雄々しさに、立香は確かに英雄の気質を見た。越後の龍と畏れられた所以を見た。
「うん、此処までは良しだ。志を同じくする者が居るのは、実に素晴らしい」
ニコリと、上品に笑う謙信。
「しかし、私も将でね。自軍の兵士を疎かにするわけにはいかないのが正直なところなんだ」
その手が――ごく自然な動作で、腰の刀へと伸びる。
立香を庇うように、ジークフリートが前に出た。
立香はまだ謙信の意図を理解出来ていなかったが、聡明な英雄は龍が零した"本音"の時点で、彼が何を言いたいのか、そして何をしたいのかを解していたのだ。
「聡いな。その上相当な腕前と見える」
「あなたの言わんとすることは解った。力を推し測りたいのだな、俺達の」
「その通り。不躾な上に非礼だということは承知の上で、ひとつ勝負を挑ませて貰いたい」
遅れて立香にも、謙信が何故こんな真似をするのか理解出来てきた。
神が戦場を破壊し、兵を大勢殺戮し、その矜持や士気をも粉砕したこの現状。
謙信ほどの将といえども、足手まといを抱えている余裕はないのだ。
食糧も水分も有限、いつかは尽きる。そんな状況で毒にも薬にもならない余所者を増やしたとなっては、兵達の心胆に要らない乱れを生みかねない。
上杉謙信は義を重んじる男。されど自分を信じて付いて来てくれた部下達を疎かにしてまで他者に忖度する阿呆ではない。
故に彼は今、こうしてらしくもない非礼に打って出たのだ。藤丸立香率いるカルデアの実力を見極め、共に歩むに値するかどうかを判断するために。
「もし我が目に適わなかったとしても、非礼のお詫びに一日分の食糧は分け与えよう。それが、この状況で私が示せる最大限の"義"だ」
「……お心遣いはありがたいですけど、無用だと思いますよ。謙信公」
「――ほう?」
上杉謙信は強い。彼は間違いなく、戦国の玉座に最も近い勇士の一人だ。
そこに異論を唱える者は誰一人として居るまい。この貫禄、気品、そして隙のない佇まい。どれを取っても一級品だ。
そして恐らく謙信は、「その時代の人間でありながら、英霊に匹敵する力を持つ」タイプの人間である。
セプテムのネロ・クラウディウスのようなもの。たとえサーヴァントであろうと、真っ向から斬り伏せられる力をこの美丈夫はきっと備えている。
盛時を始めとする"普通の武士"が倒せなかったという蛇の魔物達も、彼を前にしてはただの野良犬も同然であろう。
ともすればそれを率いる者達にすら、その切っ先は届き得る。
「うちのジークフリートは、"竜殺し"ですから」
それでも――立香のサーヴァントだって負けてはいない。
越後の龍の二つ名はあくまでも人が勝手に呼んだものであり、謙信自身は龍の因子を宿しているわけではないが。
たとえ敵が竜でなくとも、ジークフリートの武技は雄々しく煌めいて聳え立つ壁を抉じ開けてくれる。
多くのサーヴァントの中から立香が選んだ、自慢の大英雄だ。彼の勝利を、立香は微塵の疑いもなく信じることが出来る。
「なかなか言うじゃないか。……うん、いいね。これは少しばかり、私情が出てしまいそうだ」
瞬間、謙信の纏う雰囲気が明らかに変質する。
清らかな覇者のそれから、戦場を馳せる武士のそれへと。
彼もまた一人の益荒男。天を目指して名乗りを上げた、野心の塊だ。なればこそ立香の威勢に震えない道理はない。
謙信もまた、理解している――自分の前に居る異邦の男は、ともすればあの信玄をも上回る弩級の豪傑であるのだと。
「異国の方……ジークフリート殿といったかな。そういうことで一つ、手合わせ願いたい。いいかい?」
「無論、断る理由はない。主君にこれほどの言葉を戴いたのだ、応えてみせねば嘘だろう」
「それでこそ。そちらの君達はどうする? 武田の方に、鬼のお嬢さん」
望むなら、全員がかりでも私は構わないよ――
そう言って微笑する姿にやはり驕りはなく、立香は身震いすら覚えた。
日本出身の英霊といってもこの彼は、信長のようなタイプでも牛若丸のようなタイプでもない。
どちらかと言えば円卓の騎士達に近かった。派手さ奇矯さは見た感じないが、堅実で揺るがない戦いをさせれば右に出る者はない、そういうタイプの武人。
「うちはええわ、あんたはんとはやりにくそうやし。望月の兄さんは、何やえらい暴れたそうやけど」
「君武士の三枚おろしとか見るのが趣味だったりする?」
……とのことなので、試合の形式は自然と一騎討ちに落ち着いた。
奇しくもそれは、第四次合戦を代表する大一番と同じ趣向。
挑むはカルデアの竜殺し、ジークフリート。推し測るは上杉の美しき龍、上杉謙信。
いざ尋常に――勝負。
◆
剛剣、轟き唸る。
柔剣、煌き撓る。
両者の剣戟は双方目視不能の域に届いていながら、しかし敵の肉体を決して捉えない。
否、捉えない――というのは語弊がある。
正確には、回避を取らされているのは謙信のみだ。ジークフリートの肉体に、かの柔剣は確かに届いている。
にも関わらず、一切の傷が生まれない。致命傷を与えるどころか、薄皮一枚剥ぐことも出来ないのだ。
これでは鉄の壁でも斬っていた方がまだ手応えがあるというもの。謙信の眉が、訝しむように顰められる。
「甲冑か」
「然り」
軍神の聡明な脳髄は、無敵を支える見えざる武具の存在を導き出すに至った。
ジークフリートを無双たらしめる恐るべき鎧。常時発動型宝具・『悪竜の血鎧』こそが、謙信の剣戟を阻んでいた不可視の防御の正体である。
かつて英雄ジークフリートは、邪竜ファヴニールの血をある一箇所を除いた全身に浴びた。
その結果が、歌に語られる不死の肉体。一定の水準に達しない攻撃を物理・非物理に関わらずシャットアウトする超常の甲冑。
神秘も優れた武技も備える謙信だが、彼が振るう刀が持つ神秘は、ジークフリートの鎧を貫けるほど上等なものではなかった。
故に攻撃は一切通らない。どれだけ技と狙いを凝らそうが、全て無駄。その上で一撃一撃が岩をも砕く英雄の剛剣にも対処せねばならないのだから堪らない。
謙信の愛刀・典厩割国宗が唐竹割りに振り下ろされた一閃を真っ向切って受け止めた。
衝撃を逃されたなとジークフリートは瞬時に気付く。日本刀は世界規模で見ても最上位に食い込めるほど優れた刃物だが、繊細故に蛮用には弱いという欠点も持つ。
強靭な筋力より繰り出される、桁違いの業物による重撃を無策に受ければ、刀身が欠けたり最悪折れてしまうことすら十分に有り得るのだ。
だからこそ謙信は刀に伝わる衝撃の程度にとにかく気を配っていた。得物の破損は、それ即ち敗北と同義なのだから。
その技巧を素直に心中で賞賛しながらも、攻めの手は緩めない。一気呵成に畳み掛け、マスターに勝利を持ち帰らんとする。
「……やるね――!」
「生憎と、これしか能のない男でな……!」
速さならば謙信。一撃の重さならばジークフリートが、それぞれ圧倒的に優れている。
しかしやはり、『悪竜の血鎧』の存在が大きい。謙信の攻勢を全て遮断する絶対防御の存在があまりにも彼にとって逆風だった。
そも、これではどうしようもない。謙信にだけ勝利条件が存在しないようなものだ――無論、それをアンフェアなどとは言わないが。
されど謙信も謙信で、あのジークフリートを相手取っていながら未だ掠り傷一つ負っていない。
それどころか髪の毛の一本も散らしていないというのだから驚嘆に値する。
謙信には見えているのだ、ジークフリートの繰り出す剣戟の軌道が。その意図が、目論見が。
見えているからこそ避けられる。未来予知めいた先読みは剣豪と呼ばれる人種のそれ。軍神の算盤は悠々と最適解を弾き出す。
そして、彼が導くのは敵の攻めへの対処策のみではない。
その程度では手練れを名乗ることは出来ても、軍神と呼ばれるまでには至らない。
「ふ―――!」
攻撃を悉く躱されていながら、毛ほども精神を乱さない巌の如きジークフリート。
最早何百回目かの火花が散った。遅れて空気の裂ける音、乱れる気流。
剣と剣の打ち合いのみでこうなるかねと、凡人の盛時が引いてしまったのも無理はあるまい。
この時、謙信が動いた。膠着した戦況を一気に進展させる驚愕の一手で以って、軍神が打って出た。
「何……!!」
鍔迫り合いの構図が完成した瞬間、である。
踊り子を思わせる流麗なステップで、謙信はジークフリートの背後へ回った。
立香があっと声をあげる。ジークフリートの顔にも驚きが宿る。
当然だろう。彼にとって背中というのは、絶対に晒してはならない弱点。唯一の欠陥であるのだから。
「いや、驚いたよ。君ほど優れた使い手を、私は見たことがない。
おまけにその甲冑だ。正直焦ったし、弱点を悟らせずに戦うのも実に巧い。私の部下達にも見習わせたいくらいだ」
「……何の知識も無しに、『悪竜の血鎧』の急所を見抜くとは。見事だ、越後の龍」
「光栄だな、ジークフリート。君ほどの男に褒められると、流石の私も舞い上がりそうになる!」
――英霊は召喚に際して知識を与えられる。
だからこそ、真名の割れたジークフリートと相対したサーヴァントは何か例外的事情でもない限り、彼の弱点について最初から知った状態で挑むことになるのだ。
しかし上杉謙信はサーヴァントの力を持ってはいても、あくまでこの時代の住人。生きている人間である。
ジークフリートの弱点など、その身に受けた呪いなど知る筈もない。にも関わらず彼はそれを見抜いた。
ではどうやって、それを成し遂げたか。その答えは、実に単純。
入念な観察と分析で、ジークフリートの立ち回りに存在するほんの僅かな"クセ"を暴き出したのだ。
そこから逆算して全ての動作の意味を割り出した。
そうすれば当然、彼が戦いの中で意識しているポイントも見えてくる。
僅かな傷ですら致命に至る、無敵の鎧の唯一の綻び。
邪竜の血を唯一被らなかった、背中という弱点を見つけ出せる。
後はそれを突けばいい。堅固な穴熊囲いを僅かな隙間から崩し、敵陣を瓦解させるように。
「く……!」
だが弱点が割れたからと言って、それで容易く致命傷を受けるようならジークフリートは英雄などと呼ばれてはいない。
相手の勝利条件が明らかになっただけ。ならば、それを達成させないように振る舞えばいい。
やることは変わらない。油断なく慢心なく、主の敵を叩き伏せる。
迅雷か旋風か。
条件が対等になったことで、二人の戦いはよりその激しさを増した。
立香や盛時のような普通の人間に言わせれば、これも天変地異とそう変わらない。
次元が違う。これが、極限の技を持つ者同士の戦いか。
……宝具が飛ぶことも、ありえるかもな。
想像を遥かに超える激しい戦いに、立香はひっそりと覚悟を決める。
宝具が抜かれれば、それに反応して魔物達が寄ってくる可能性もあるからだ。
いつでもすぐに対応出来るよう、気を張っておく必要がある――思考に意識を傾けた立香は、その瞬間を見落としてしまった。
覆った戦況がまた一気に変動する、決定的な一瞬。その腕前を思えば考えられないような一つの綻びを。
「ッ――」
謙信の動きが、突然に乱れたのだ。
目を見開き、ぐらりと体が揺れる。
それは僅かな綻びだったが、ジークフリートを前にしては死にも等しい不覚である。
当然、彼はそれを見逃さない。剛剣をもって苦し紛れの剣閃を打ち払い、謙信の首筋に刃を突き付けた。
時が止まったように、世界から音が消える。
最初に口を開いたのは、敗れた側である謙信――ではない。
彼の隙を突き刃を突き付けた勝者、ジークフリートの方だ。
「呪いか。貴公の体を蝕んでいるのは」
「……鋭いな。ああ、その通りだよ。不覚を取ってしまってね」
上杉謙信が万全だったなら、戦いはまだ続いたろう。
最後にどちらが勝つとしても、これで終わりではなかった筈だ。
しかし生憎と、謙信は今万全ではなかった。
万全だった肉体を襲った発作が彼の完璧なパフォーマンスを乱し、致命的な隙を作り出すに至ったのだ。
――呪い。ジークフリートの口にした単語に、謙信は苦笑しながら頷いた。
「とはいえ、要因が何であれ負けは負けさ。
――見事だ、異国の英雄殿。御身の刃は確かにこの首へと届いた」
キン、と鋭い音を立てて、謙信は己の愛刀を鞘へと納める。
それに続いてジークフリートも刃を彼の首から離し、あるべき場所に納めた。
……不完全燃焼な形ではあるが、試合の結果はこれで出たわけだ。
そして上杉謙信という男は、一度出た結果を蔑ろにするような矮小な人物ではない。
「ついておいで。私達の拠点へと、君達を案内しよう。
……ああ、そこの武田の方も付いて来てくれたまえ。元々、君だけは試合の結果に関わらず連れて行くつもりだったからね」
「へ? ……僕を?」
「詳しくは後で話す。此処は毘沙門天の加護なき魔境だからね、急ごう。
八岐大蛇のこと、かの神がばら撒いた蛇共のこと、それを率いる妖のこと。
そして――この身に癒えない呪詛を刻んだ、"黒い巫女"のことも。君達が神殺しを志すならば、知っておかねばならないだろう」
◆
灯籠だけが照らす薄闇の底に、その神の姿はあった。
背より巨躯を溢れさせ、深緑色の髪と碧色の瞳を闇に煌めかせる美少女。
ただそこに居るだけで、圧倒的な質量で以って世界を圧する蛇の神――八岐大蛇。
「……来たか、人類最後のマスター。忌々しいぞ。斯様に矮小な志で我が悲願を阻めると夢想される屈辱、実に不愉快だ」
地の底から響く轟々という音色は地鳴りである。
未だ見えない、しかし確かに存在だけはしている大蛇の巨躯。
それが神体の怒りに呼応し、撓っているのだ。世界を揺さぶりながら、深緑色の鱗を犇めかせている。
「剣呑ですね」「困ったものです」
「神がお怒りになると大変居心地が悪いのですが」「なんて迷惑な客が来たものでしょう」
「藤丸立香」「人類最後のマスター」
「「本当にそれほど恐ろしい存在なのですか?」」
肩を竦めて問うたのは、奇妙な調子で喋る少女達だった。
その外見は瓜二つ。あるいは鏡写し。
赤いポニーテールの方と青いポニーテールの方。
二人居るにも関わらず、その発言はまるで一人の人間が喋っているかのように淀みなく繋がっている。
彼女達の問いに答えるのは神ではなく、また別な"妖"だ。
「そりゃあ恐ろしいだろうさ、少なくとも俺らにとっちゃね。
なんてったって俺ら自体はそこまで強くない。どいつもこいつも、幻霊から一歩だけ飛び出た程度の二流英霊さ」
「心外なのですが」「撤回を要求したく」
「おいおい、一応俺のが格上だよぅ? ……ま、とにかく。
あちらさんの連れてきた英霊次第じゃ、俺らが狩られる未来は十分にあるってことさ」
如何にも軽薄そうな身なりと口調をした、金髪の青年。
頭の上に乗っているのは銀の王冠だ。おまけに左の肩には鶏の首から上を模した趣味の悪い装飾品が載っている。
何ともアンバランスで、性根の捻くれぶりが滲み出た姿の妖だ。
しかし口にする言葉は意外にも現実的。"神"を頭にしていながら、カルデアの戦力を一切過小評価していない。
「何だろうが同じさ。俺様の視界で蠢くなら潰す、犯す、斬り捨てる!
誰が何と言おうが、英霊としての格がどうだろうが、少なくとも今この世界で強えもんは俺達だろうが!
思うがままに振る舞えばいいんだ――蛇らしくよお。俺らそういうもんだろ?」
その一方で此方の彼は、あるがままに暴性の塊であった。
隻眼に紫電の雷光を灯し、引き裂くように笑う彼こそは天性の捕食者。
喰らい、貪ることにかけて彼に勝る情熱を持つ者はそう居ない。
欲求の塊、強大な蛇の在り方をある意味では最も体現した男である。
「んで? 神サマよ、俺らを喚びやがった当の本人はどこで何してんだ? 好きに暴れられるのは最高だが、薄気味悪くてどうにも好かねえな、あの坊主は」
「さあ。またぞろ、昔の女への懺悔にでも耽っているのであろうよ」
「下らねえな、女々しいぜ。やったことはでけえのに器が小せえんだよな、あいつは」
「言ってやるな。下手に増長して身の丈に合わん真似をした挙げ句、勝手に自滅されるよりは余程いい」
彼らこそ、蛇の神と共に招来された人類史の影法師。
彼らは妖に非ず。人類史にその名を刻まれた、サーヴァント達に他ならない。
蛇鱗の霊基を犇めかせ、神の支配を共に見る毒蛇共。
だがこの彼らは、まだ正当な英霊であると言える。
英霊としての位は低いが、英霊の座から正しい在り方で呼ばれた者達。
その点で言えば、最後に残された"彼女"はこの場で最も異端のサーヴァントであった。
灯籠の周りを囲む、狐面を被った幾人もの巫女達。
彼女達よりも数歩前に立ち、仮面の下で薄く笑む彼女こそ、蛇神が手ずから拵えたこの特異点の中枢存在。
「兎に角、だ。カルデアのマスターにどう臨むかはおまえ達の意思に委ねる。
だが黒巫女よ、おまえは別だ。おまえは自ら出向き、あの小僧に"蛇"を刻んで来い」
「――ふふ、御意に。ちょうど昂ぶっているところだったのです。楽しんで参ります、大明神様」
「うむ。軍神を冒したその辣腕、もう一度余に見せてみよ」
黒く反転した巫女服を纏った彼女の背丈は、少女のそれだった。
されど。仮面越しにこぼれ出た笑い声も、興奮を抑え切れない様子の声も、毒婦としか言い様のない邪悪さに満ちている。
蛇の毒はこうまで人を変えるのかと、隻眼の竜は口笛を鳴らした。恐るべしは、八岐大蛇。巨いなる古の神。
「幕が上がる。幕が上がるぞ、カルデアよ。
――余は世界を喰らう蛇、八岐大蛇なれば。
星を見る貴様らもまた、諸共に噛み砕いてやろう」
最終更新:2018年04月11日 20:54