第三節:精神病棟の獅子

 霊安室を後にした僕達は階段を上がって二階へ向かう。
 普通霊安室だとか遺体安置所だとかそういう部屋は患者の目に付かない地下に作るもんだと思ったが、その辺りは設計者に聞かないとわからない。
 設計者。設計者か。そもそもこの病院、どこの誰が何のために作ったんだろうか。
 僕は特異点だと思っているけども、ダ・ヴィンチちゃんの助言を仰げない以上本当のところどうなのかも不明だ。
 今の僕に出来ることは、ナーサリー・ライムと一緒に傷病英霊どもを退院させていくことだけ。
 この英霊病棟から患者を消して、存在意義をなくしてやることだけだ。

「どうしたのお兄ちゃん?」
「ちょっと考え事。そういえば気になってたんだけど、ナーサリーはこの病院についてどこまで知ってるんだ?」

 僕の前に突然現れ、やるべきことを伝えてきた童話少女。
 彼女を疑っているわけではないが、どこまでモノを知っているのかは気になる。
 そう思って問いかけたのだったが。

「……んー、あたしもあんまりよくはわかってないよ。
 でもやるべきことはわかってた。お兄ちゃんが来てることもね」

 その言葉から察するに、こいつはマスターがいないと真っ当に戦えないのかもしれない。
 特異点のサーヴァントは基本そういうセオリーからは解き放たれているけど、何せ明らかに異様なこの場所だ。
 そういう一周回ったイレギュラーパターンがあっても不思議とは思わない。
 謎は多いが、やっぱり病棟を攻略していくしかないようだ。

「ん」

 二階に入ると、廊下の突き当たりに妙なものがあることに気付く。
 長方形の箱だ。扉が付いており、中にはパックの飲み物が山ほど入っている。
 一瞬何かと思ったが、流石に海外旅行の経験がない僕でもそれが何かはわかった。

「自動販売機か。あくまで既存の病院を持ってきただけなのかな」

 日本のものとはずいぶんデザインが違う。
 内装や部屋のプレートの文字から既に分かっていたことではあるけど、やっぱり此処は海外の病院らしい。
 僕にもうちょっと外国語の知識があったならどこの国かまで判別が付いたろうし、自分の浅学が呪わしいな。
 まあ別に喉も乾いてないし、さっさと次の病室に――と歩き出したところで、僕は童話少女がついてきてないことに気付く。

「ナーサリー?」
「……じー」

 童話少女は自販機を興味津々な様子で見つめていた。
 ……さすがの僕もこれを無視して進むのは心が痛いな。
 しかし外国の自販機で日本円は使えないだろうし、そもそも財布なんてもうずっと部屋の隅で埃を被っている。
 カルデアの中で暮らす分には金なんて必要ないし、身分証明書などもってのほかだからだ。

「よっと」
「わ! お兄ちゃん!?」
「別にいいだろ。誰が咎めるわけでもなし」

 扉を開いて手を突っ込んでやると、案外簡単に飲み物が取れた。
 堂々たる泥棒だが、そもそも金を払う相手がいないのだから仕方ない。
 僕は別に喉は渇いてないのだけど、サーヴァントであるナーサリーにしてみればこういう今風の飲み物は珍しいのだろう。
 戦闘面はおまかせになるのだからこのくらいはいいかなと考えての行動だった。

「どれが飲みたいの?」
「……ほんとにいいの?」
「別に僕の懐は痛まないからな」
「じゃあ……それ。いちごのジュース!」

 はいよ、と取ってやる。
 日本でもよくある紙パックのジュースだ。
 僕は普通にコーラとかあの辺が好きなのだが、ナーサリーくらいの子供にはこっちの方がいいだろうしちょうどよかったのかもしれない。

「おいしい! 甘くておいしいよ、お兄ちゃん!」
「そっか」
「……えへへ。悪い子だね、あたしたち」
「言っとくけど、聖杯戦争で呼ばれることがあったなら絶対やるなよ。面倒くさいことになるからな」

 そんな機会があるかはわからないが、一応釘を差しておいた。
 どこかの誰かが突然の非行に面食らうことは、これでとりあえずなくなるだろう。
 口の中に広がるいかにも人工っぽい味はどこか懐かしい。
 ナーサリーは小さな両手でパックをリスみたいに持ち、ご機嫌にちゅうちゅうストローを吸っている。
 二人で非行の甘味を味わいながら、廊下を進んでいく。

「あ、お兄ちゃん」
「お。出たな」

 そうする内に、またあの赤く点灯したプレートが見えてきた。
 小走りで駆けていくナーサリー・ライムと、それに続く僕。
 またもやプレートの文字は外国語だ。読めないって言ってるだろ。
 【Psychiatrie】……ほら見たことか、さっぱりだよさっぱり。

「読める?」
「読めない。僕の英語の評定は2だ」
「英語じゃないんだけどな……じゃあ、またあたしが読んであげるね」

 アルファベットを使ってるならどれも英語でいいだろ。
 などとぼやきながら、僕は童話少女の読み上げを待つ。

「精神病棟、って書いてあるよ」

 精神病棟。つまりは精神科か。
 僕はお世話になったことのない分野だが、なかなかどうして【それらしい】部屋が来たものだと思った。
 心を病んでいるサーヴァントが集うのなら、なるほど確かにあって然るべき部門である。
 もっとも此処に押し込められるということはそれだけ病みが深いのだろうし、気分は憂鬱になるばかりだったが。

「入る前にジュース全部飲んどけよ。飲みながらだと危ないぞ」
「もう全部飲んじゃったから大丈夫だよ、お兄ちゃん」

 早いな! 流石は子供だ。
 僕なんてまだ半分も残っているのに。
 昔は僕もジュースと来たら喜び勇んですごい勢いで飲んでいたのに、歳は取りたくないもんだ。
 ナーサリーにじっと見つめられながら、急いで甘ったるい液体を喉奥に流し込む。

「もうだいじょうぶ?」
「……うん、大丈夫」
「おなかたぷたぷだと危ないわ。もうちょっと休んでもだいじょうぶだよ?」

 なんで僕の方が気遣われてるんだ。
 虚しい気持ちになりながら、僕は精神病棟の扉に手をかけた。
 とてとてという童話少女の付いてくる音が止むのを待ってから、僕は扉を開け、中へ踏み込む。


   ▼  ▼  ▼


「SHIT……SHIIIIIIIIT!!
 こうではない! こうではないだろトーマァァァァァァァァス!!」

 ライオンがいた。
 机に座って何かにペンを走らせながら、天高く吠えていた。

「部屋を間違えたらしい。帰ろう」
「ま、待ってお兄ちゃん! ちゃんと合ってるよ!?」
「でも……ライオンだぞ」
「ライオンだけど!」

 あまりにもトンデモな光景に思わず現実逃避しかけたが、僕はあのライオンのことを知っている。
 第五特異点、イ・プルーリバス・ウナムでケルト軍との戦いを共にした誰もが認める大偉人。
 発明王トーマス・エジソン。クラスは確かキャスターだったか。
 どうやらこの精神病棟に押し込まれた患者は、このトンデモ生物であるらしい。

「ム? 今、どこかで聞いたような声が……」

 エジソンがゆっくりとこちらに振り向いた。
 僕は身構え、ナーサリーはそれを庇うように前に出てくれる。
 さっきは対話の余地なく襲いかかってきた。
 いざとなったらガンドを撃ち込んで、またあの時と同じパターンに持ち込みたい。
 そう思っていた僕だったが。

「おお! 君はカルデアの!!」

 意外にもエジソンは正気のようだった。
 椅子を立ち上がると、相変わらずアンバランスなボディでどしどし駆け寄ってくる。
 そして僕の手を掴むと再会を祝する握手。ぶんぶんとそれを振るオマケ付きだ。

「久しぶり、エジソン」
「うむ。アメリカ……いや、あの神殿ぶりだな。
 君もふんだんに聖晶石を使って早く私を召喚したまえ。
 私は役に立つぞ。この天才的頭脳でもって、カルデアの電力事情と食糧事情を恒久的に改善してやろう……!」

 前者はともかく、世界が救われた今となっちゃ後者はあまり必要ないかな。
 正直にそう返そうとも思ったけど、エジソンが楽しそうなのでやめておくことにした。
 楽しそうにしている英霊には水を差さない、これもサーヴァントとうまく付き合うコツの一つだ。

「おや。今日はずいぶんと可愛らしい友人を連れているのだね? 初めまして、お嬢さん」
「はじめまして、あたしはセイバー。わけあってお兄ちゃんと一緒にいるの」

 白いドレスの裾をつまんでお辞儀する姿は見た目が見た目なだけあってえらく様になっている。
 持ち歩いている砂糖菓子の剣さえなければ、良家のお嬢様と紹介しても誰も疑問は抱くまい。

「フフ、可愛らしいお嬢さんだ。散らかっていて申し訳ないが、ゆっくりしていってくれ」

 別にゆっくりしていくつもりはないんだけどな。
 そう思って部屋を見渡してみると、何やら見覚えのある機械がいくつも見える。
 見える、というよりは【うろついている】という方が正しいか。
 アメリカで飽きるほど戦った機械化歩兵たちがエジソンの部屋には何十体と闊歩していた。
 見た目はどことなくユーモアがあるのだが、いざ戦闘となると集団で機銃をぶちかましてくるので侮れない。

「こんなことならジュース、急いで飲まなくてもよかったな……」

 ちら、とナーサリーの方を見ると視線が合った。
 彼女も同じことを考えていたらしい。
 つまり――このトーマス・エジソンという英霊はどこを病んでいるのか、と。

「霊安室の子とはずいぶん違うよね。なんていうか……元気いっぱい?」

 僕らの目的は全ての病める英霊の退院だ。
 英霊病棟の患者をこの世界から消して、元ある場所に還す。
 その対象にはもちろん、このエジソンも含まれる。
 踵を返して机に戻り、また何か書き始めた彼はしかしどこをどう見ても病んでいる風には見えない。

「スルーしちゃダメなのか? せいぜいオーバーワークくらいしか治すべきところが見当たらないんだけど」
「うーん……」

 エジソンに聞こえないようこそこそと相談していると、不意に乾いた音がした。
 音の発生源は童話少女の足元。どうやら空になったジュースのパックを落としてしまったらしい。
 慌てて拾おうとする彼女だったが、それには及ばなかった。
 素早く寄ってきた機械化歩兵が器用に拾って、部屋のくず籠に放り込んだのである。
 ルンバみたいだな、と僕は思った。

「わ。ふふ、ありがとう、お人形さん」

 ナーサリーが機械化歩兵の頭を撫でる。
 機械はそれに何の反応も示さないが、微笑ましい光景だった。
 カメラが趣味のゲオルギウスが此処にいたなら、絶対にシャッターを押しているな。

「すごいお人形さんね、ライオンさん。とってもお利口さんでびっくりしちゃった」

 彼女が賞賛の言葉を投げると、エジソンの手がぴくりと止まった。
 一秒、二秒と空白の時間。
 機械化歩兵が動き回る駆動音だけが夜の病室に響いている。
 やがてエジソンが放った声は――普段の彼からは想像も出来ないほど険しいものだった。

「……本当に、そう思うかね?」
「え……? う、うん」
「そうか……」

 何かの砕ける音がする。
 見れば、エジソンの握っていたペンが半分に折れて机を転がっていた。
 握り潰した手は小さく震えている。
 手どころかエジソンの全身が、震えている。
 それは恐怖によるものでも、病によるものでもない。
 発明王エジソンの人となりを知る僕だからこそ、いち早くそれに気付くことが出来た。

「私はそうは思わない」

 トーマス・エジソンは世界の誰もが認める偉人だ。
 しかし、褒められることばかりしてきたかというとそうではない。
 彼は間違いなく天才で、どこまでも人間臭く、何よりストイックな男であった。
 そして……運の悪い男だった。

「これでは足りんのだ。
 私に言わせればそこにあるのは全て失敗作。
 世間は天才の腕前と賞賛するだろうが、そんなものを私は欲してなどいない。
 奴に勝てなければ意味がない。あの男の上を行けなければ価値がないのだ」

 もしも彼だけが天才だったなら、エジソンの名声は更に大きなものとなっていたことだろう。
 だが、そうではなかった。彼だけではなかったのだ、天才は。
 正確には天才と呼べる人物は大勢いたが、ただ一人、彼と同じ分野で真っ向から否を唱えた男がいた。
 男もまた――天才であった。
 トーマス・エジソンに匹敵、それどころか一日でも探求を怠れば即座に上回ってくるような……怪物じみた叡智の持ち主だった。


「ニコラ・テスラを! 越えねばならんのだ!! 私は!!!」


 ライオン頭の天才がまた吠える。
 確かな憎悪と焦燥を込めた雄叫びが大気をびりびりと揺さぶった。
 そう、彼の仇敵の名はニコラ・テスラ。
 ゼウスの雷霆を人の手に貶め、エジソンを悪鬼と蔑んだもうひとりの【天才】。
 かつて電流戦争と呼ばれる諍いを起こした彼らは、死後も互いの存在を意識し、絶え間なく研鑽に励んでいる。
 だからこそ、ああ分かりきっていた。
 トーマス・エジソンが病魔を患うとすれば、好敵手(ニコラ・テスラ)が関係しないわけがないのだ。
 彼らはどこまでも天才で、ゆえに分かり合えない永遠の宿敵同士なんだから。

「おお、何が足りない!
 私とあの男の間に何の差がある!」

 エジソンの目にはきっと僕もナーサリー・ライムも写っていない。
 天才らしく自分の世界に没頭したまま、向ける先のない怒りを放出し続ける。

「違う、違う違う違う!
 差などないのだ私とて天才なのだから!
 ならば何故こんなにも行き詰まる!」

 ナーサリーがまた、僕の前にさっと立った。
 僕はガンドを撃つタイミングを図りながら、エジソンから目を離さない。
 そうだ。この男はナーサリーの言う通り、基本的に元気に溢れている。
 だがその精神は意外にもナイーブになりやすい。
 挫折、行き詰まり、そうした諸々に弱いという欠点が彼にはある。
 そこに病みが芽生えたというのなら、こいつは厄介だ。
 つまり、今のエジソンは――見た目通りの猛獣。

発想(アイデア)が浅い!
 理論が腐っている!
 探さねば、見つけなければ発明の芽を!
 星を開拓するがごとき偉業の種を! この手で! 見つけなければ!!」

 理性的とはとても言えない激情のままに撒き散らす電流。
 飢えたライオンそのものの獰猛な貌で、エジソンは僕らの方を睨みつけた。
 それと同時に失敗作呼ばわりされていた機械化歩兵たちがエジソンの背後に移動し。
 また、壁が消える。床が消える。
 宇宙のように広大な精神世界が展開されていく。

「――お兄ちゃん!!」
「わかってる! どこが痛いか、だな!!」

 頭に流れ込む感情はやはり怒りと焦り。
 比喩ではなく頭の血管が焼き切れそうな熱に目まいさえ感じながらも、僕はその【痛み】を掴み取った。

「……自分が【停まっている】ことへの焦りと自分への不甲斐なさ。
 思うように発明が実らない現状と、そんな状況を招いている自分への怒り。
 エジソンらしいな、くそ、此処にエレナがいれば一発だったぞこんな癇癪!!」

 要するに働きすぎなんだ、このライオンは。
 煮詰まりすぎて心がおかしな方向に転がり、そこを病みに付け込まれた。
 あれこれ考えなくてもあんたは僕みたいな凡人にしてみればわけがわからないレベルの天才だってのに、嫌味か全く。

「わかった。それなら、一回休ませてあげないとね」

 砂糖菓子の剣を構えて、ナーサリー・ライムが一歩前に出た。
 心の痛みをお菓子に変えるこいつは英霊病棟のデウス・エクス・マキナ。
 ガンドは残ってる。全体強化も含めて、切りどころは絶対に間違えられない。

 ……さあ、どうなるかな。


    ▼  ▼  ▼


       真名判明
第二の傷病英霊 真名 トーマス・エジソン


   ▼  ▼  ▼


「天啓を寄越せ! 私の脳髄に閃きを走らせるのだ!!」

 塗り替えられた部屋はいつしか稲妻の煌めく黒雲が漂う天空と化していた。
 エジソンの咆哮に呼応して、機械化歩兵たちの銃撃が童話少女に襲いかかる。
 その数は明らかに機械化歩兵の総数と一致していない。
 千か二千か、もしかするとそれ以上。

「そうやって怒ってるうちは、閃きなんて出てこないわ!」

 童話少女が俊敏に走った。
 果てなく広がる戦場という特性を活かして、機械化歩兵たちの銃弾が当たらない位置まで移動。
 追撃で放たれたぶんは砂糖菓子の剣を振るって払い落としながら、エジソンに向け駆けていく。
 カッと、エジソンが獣の眼を見開いた。
 そこには今までと違う、指向性のある怒りが宿っている。
 ナーサリーの言葉は、ばっちりエジソンの逆鱗に触れたらしい。

「黙れェ!!」

 黒雲を引き裂いて、味方の機械化歩兵さえ粉砕しながら雷の柱が噴き上がる。
 アメリカで敵対した時のエジソンですら此処までの激情は見せなかった。病んでいるがゆえの暴走、というわけだ。

「私は天才だ、天才なのだ!
 美しい直流電流をもって世界を変えるのだ!
 そんな崇高な目的のもとに努力する私に、何故天啓が降りないという!!」

 柱が今度は竜のようにナーサリー目掛けて向かっていく。
 仲間の数を半分ほど他ならぬボスの手で減らされていながら、機械化歩兵たちもまた健気に弾を吐き続けていた。
 砂糖菓子の刃が弾を落とし、降り注ぐ雷にナーサリーは敢えてそのまま前進。
 雷に挟み潰されるほんの一瞬前に激突点を通り過ぎることで、エジソンの雷撃を無に変えた。

「それとも貴様もこう言うのか?
 優れているのはニコラ・テスラであると。
 このトーマスは凡骨であると侮蔑するのかッ!!」

 黒雲が雷光を伴って爆裂した。
 機械化歩兵は今度こそ全滅する。
 失明しそうなほどの眩しい光に僕は視界を奪われながらも、全体強化の魔術をしっかり飛ばした。
 使い所は間違いなく此処だ。この攻撃の威力は馬鹿げている、アシストなしのナーサリーじゃ破れない!

「誰も、そんなことなんていってない……!」
「否だ否否! あの男ならばまだしも、貴様ごときが私を嘲笑うなァ!!」
「っ……好きなのか嫌いなのか、どっちなの!
 そんなこと言うってことは、ライオンさんだってその人のこと……!!」
「奴は天才だ! だからこそ気に食わんのだ!!」

 ナーサリー・ライムはわけがわからないといった様子だ。
 無理もない。この男たちは、実に面倒臭い関係なんだから。
 お互いにいがみ合い罵倒し合い、しかし実力だけは認めている。
 認めているからこそ誰が負けるかこんな男にと意地になるのだ。
 こればかりは、事情を知らない部外者には理解不能だろう。
 理解不能、だけれど。童話少女にもその片鱗くらいは伝わったらしい。

「……おっきいの、来る!」

 そう、宝具を撃ってくるとしたら此処だ。
 ニコラ・テスラへの情念こそエジソンの痛みの核。
 そこを刺激されたのだから、もう後は反射と同じだ。

「行けッ、ナーサリー!」

 わかってるのに誰が撃たせるか。
 僕はガンドを構え、エジソンの宝具を止めようとする。
 しかしそんな僕を、ライオンの眼光が鋭く一瞥した。

「甘いわァ!!」
「ぐっ!?」

 僕の足場が眩く輝くと共に。
 僕の全身に、きつい電流が駆け抜けた。
 意識をやらなかったのはほとんど奇跡だ。
 特異点で体も心も鍛えられたのが活きたか、どうにか暗転だけは避けられたが……
 ガンドを撃つタイミングは完全に逸してしまった。
 両手を広げる大偉人の姿が視界の向こうで感光する。

「黙らせてやるぞ非礼の輩め!
 貴様らの化けの皮を全て剥がし、電気処刑に処してくれるわ!!」

 黒雲すら吹き飛ぶ電気のエネルギー、その全てがエジソンのもとに収束する。
 あらゆる神秘を剥ぎ取り真実の姿をあらわとする世界信仰強奪宝具が、後先考えない激情と共に解放されようとしている。

「万人に等しく光を与える! それこそが天才の成すべきカルマなれば停滞など許されない!
 許されない許されない許されない! おお、おお、我が身は大義を成すため眠らず進み続ける!!」

 こうなっては童話少女の奥の手がどれほど通じてくれるかに期待するしかない。
 ありったけ持っていけ、ナーサリー・ライム!
 僕は叫んだ。視界の果て、光に照らされた白ドレスのご都合主義(セラピスト)がこくりとそれに頷く。


I・B・Q(インフィニット・ブレイン・クエスチョン)!!」


 神秘が剥げ落ちる。
 全て焼く光と共に幻想が壊れて落ちる。
 僕の目は覆っていなければ焼けてしまいそうだった。
 とうとう視界が、ホワイト・アウトして。

「っ……?」

 その時僕は不思議な映像を見る。
 どこかで見たような、でも同じじゃないサイバーチックな景色。
 それが塗り潰されて、どこまでも広がる自然の中へ。
 なんだこれは、走馬灯にしちゃおかしい。
 だって僕はこんなところは知らないぞ。
 いったい僕は何を見てるっていうんだ。

「どうなってるんだ」

 僕が思わず呟いた時、映像は不意に途切れた。
 最後に見えたのは白いベッドと、そこに横たわるノイズで覆われたヒトのシルエット。
 意味不明の光景が晴れた先には、青空が広がっていた。

「ぐっ、馬鹿な! 私が奪った幻想を、再び奪い返しただと!?」
「ライオンさんはがんばりすぎなのよ。少しくらい休んだって誰もバカになんかしないのに」

 真実を暴く光もまた病みによって変質した幻想に過ぎない。
 それなら、病みを切り離すセラピストのメスで切り離せるのは当然だ。
 その上で取られた幻想全て、奪い返して再定義した。
 ある形にこねられた粘土を、また別な形にこね直すように。
 ナーサリー・ライムが駆ける。エジソンが仰け反った。

「ライオンさんのお人形、すごかったよ」

 その言葉に一瞬、はっとなった様子を見せたエジソンだったが。
 やはりまだ病みは消えていない。彼は勢いよく己の懐に手をやり、何かを引っ張り出した。
 小さな薬だった――もちろん尋常なものであるわけがない。相手は英霊、まして発明王なのだから。

「かくなる上は……!」

 一気にそれを呷ろうとするエジソンだったが、悪いけど邪魔させて貰う。
 撃てなかったガンドをエジソンめがけて発射し、薬を容器ごと破壊して空に散らせた。
 これで奥の手はもうない。虎の子の宝具は攻略した。
 後は終わらせろ、ナーサリー・ライム。

「繰り返す頁のさざなみ、押し返す草のしおり」

 雲が砂糖になっている。
 熱気が甘い香りに変わっていく。
 幻想を塗り潰して幻想が支配する。
 病みをかき消して元の姿を戻す療法幻想(セラピー)


貴方に還す物語(ナーサリー・ライム)


   ▼  ▼  ▼ 


 青空だけが広がっていた。
 黒雲は消え、機械化歩兵の残骸すら残っていない。
 トーマス・エジソンは両手足を広げ、仰向けに倒れている。

「……そうか。私の発明は、君にとっては凄いものに写ったか」
「うん。あんなの見たことなかったもの」

 手札を全て失ったエジソンに最早ナーサリー・ライムを阻む術はなかった。
 一息に接近を果たした童話少女が剣を振るい、その首を刎ね飛ばした。
 その瞬間再び立ち込めようとしていた黒雲は散り、電気の残滓さえ消えてなくなった。
 首を刈られたはずのエジソンに傷はなく、やはり血の一滴も流れてはいない。
 発明王は満足げな顔で、少女の顔を見上げていた。
 彼はニコラ・テスラと常に競い合う天才で、交流の存在を許せない頑固者。
 けれどそれ以前に、自分の発明を喜んでくれる者を愛する現代の英雄なのだ。

「ハハハ、それは惜しいことをした。
 一体くらい残しておけばよかったな。お掃除ロボットとしてはなかなか有用だったのに」

 お掃除ロボットにするなら、とりあえず銃弾を全部抜いてダイソンの掃除機にでも変えておいてほしい。

「……しかし、まさか君のようにいたいけな少女に諭されてしまうとはな。
 みっともない姿を見せた。これは君の勧め通り、少し休息するしかあるまい……」
「だいじょうぶ。ライオンさんは寝て起きたってすごいライオンさんのままだよ」

 さっきまであれほど暴れていた英霊と同一人物とはとても思えない。
 そんな穏やかな様子で、エジソンはナーサリーに言う。
 うんうんと頷く姿は、まるで親子のようにも見える。
 いや、雰囲気的には親子というより祖父と孫娘の方が合ってるかもしれないな。

「むぅ……それはそれとして悔しいな。
 絶対に画期的な発明が出来ると思ったのに、とうとうこの設計図を書き上げられずじまいとは。
 今回は大人しく諦めて、また一から――――」

 金色の粒子に変わっていく、エジソンの体。
 彼はカルデアにまだ召喚されていないサーヴァントだ。
 だから帰る場所はきっと英霊の座。
 僕の仕事が残っている内に彼を呼べるかはわからないけど、いたらいたで便利そうだし、善処はしよう。
 そんなことを思う僕とは裏腹に、消え行くエジソンは握り締めてくしゃくしゃになった設計図を開き直しじっと凝視していた。
 そしておもむろに、設計図と一緒に握り締めていた壊れたペンの先端部分を持つ。

「この、皺は……」

 設計図に偶然刻まれた、無数の皺の内の一本。
 それをエジソンがペン先でなぞる。
 僕やナーサリーが見ても何のことだがさっぱりわからなかったろうが、線を引いたエジソンはくっくっと笑い声を漏らし始めた。

「ハ、ハハハ、ハハハハハハハ!」

 今のエジソンには、やっぱり僕たちの姿は見えていないのだろう。
 発明家が発見をしたのだ。それは一瞬にして他の諸々を全部まとめて吹き飛ばす。
 彼らはそういう生き物だ。そういう、難儀な生き物なのだ。

「なんだ……こんなにも、簡単なことだったとは」

 もっとも、今回のは【発見】と呼ぶにはちょっとばかし不格好なものだったようだが。
 心底おかしくてたまらない、といった笑顔を浮かべながらエジソンが消滅する。
 世界が閉じる光はやっぱり目を開けていられないほど激しくて。
 つい目を閉じてしまい、慌てて開けば、そこには無機質な病室だけがあった。
 機械化歩兵も、エジソンの机も、壊れたペンの残骸も全てどこかに消えてしまっている。
 夢から覚めるように、何もかも。

「あのさ、ナーサリー」
「なあに?」
「変なこと聞いていい?」

 聞くかどうかは迷ったけど、好奇心には勝てなかった。
 一仕事終えてベッドに腰掛けているナーサリーに、僕は問いかける。
 脳内に、白いベッドとノイズの病人の絵を思い浮かべながら。

「君、どこかに入院してたこととかある?」

 問いかけた僕に、ナーサリー・ライムは静かに微笑んだ。
 愛らしいのに儚げな、今にも消えてしまいそうな笑み。
 砂糖菓子。砂糖菓子だ。そう表現するのが多分いっとう正しい。

「お兄ちゃんは、どっちだと思う?」

 僕は答えられなかった。
 でもこの童話少女と、あの関連性のない映像が何らかの関係を持っていることはきっと確かだ。
 それがわかったからどうなるという話ではないけれど。
 【物語】の英霊にはまるで似つかわしくないあの寂しげな映像が、僕の脳裏にはいつまでも焼き付いているのだった。

 第二の傷病英霊、突破。
 【精神病棟(Psychiatrie)】、閉鎖。

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第二節:霊安室の少女 麻酔少女一夜 オイ・アクツィオン 第四節:無菌室の哭鬼

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最終更新:2018年04月20日 00:33