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第一節:シャンバラの残骸

 それは、今までの特異点と比べて明らかに小さな反応を持った歴史の歪みであった。
 魔術王の七つに劣るのは勿論、それに続く形で作り出された亜種特異点にさえ遠く及ばない。
 あまりの反応の小ささは消えかけの心音のよう。
 極めつけに、カルデアの顕学、レオナルド・ダ・ヴィンチの評がこれだ。

『この特異点には自然消滅の可能性がある。少なくともこれまでの特異点と比べて数段危険度が落ちるのは間違いない』

 慎重派のダ・ヴィンチをしてそう言わしめる特異点。
 一体どんな時代に生じた異常なのかと訊いてみれば、1945年のドイツ・ベルリンだという。
 1945年。この時代にあったことなんて子供でも知っていよう。
 第二次世界大戦の終幕だ。ドイツに限った話をするなら、【総統(フューラー)】アドルフ・ヒトラーの死没。
 自然に消えてもおかしくないほど弱い反応という割には重大な年である。
 何か裏があるのではないかとカルデアのマスター、藤丸立香は考えた。
 無論、彼の何倍もの頭脳を持つダ・ヴィンチやもうひとりの頭脳派サーヴァント、シャーロック・ホームズもそれに同意した。

 特異点では何が起こるか分からない。
 その常識を度外視しても、この時代のベルリンが歴史上持つ意味は大きすぎる。
 ナチスドイツの失脚は世界を大きく変えていく――もしもかの国の敗北が覆れば、最初は小さかった異変でも十分に人理を崩壊させ得るだろう。

 斯くして立香たちは向かうことになった。
 敗戦のベルリン、残骸の第三帝国(ドゥリッテス・ライヒ)
 二騎のサーヴァントを連れ立って、何度目かの冒険へ。


   ▼  ▼  ▼


 僕は自慢ではないがそう知識のある方じゃない。
 カルデアのマスターをやる中で嫌でもある程度は身に付いたが、歴史に詳しいだなんて口が裂けても言えない。その程度の知識量だ。
 しかも近代の特異点を訪れた経験はそう多くないと来ている。
 よって、僕が今回の舞台である【敗戦国】――戦時下のドイツに詳しいかというと否である。
 とはいえもちろん一般常識と呼ばれるような部分は知っているつもりだ。
 悪の独裁者アドルフ・ヒトラーとナチスドイツ。彼らが主導した負の政策、人種迫害および虐殺。

「厄い時代ってのは分かってたけどさあ」

 身も蓋もない言い方をすればろくでもないことをやっていた国。
 それが僕、というか一般的な感性を持った人間の共通認識だろう。
 そんな国だから、僕はあらかじめ覚悟を決めていた。
 気分の悪いものを見たり聞いたりする覚悟。正気度が下がるような光景を目の当たりにする覚悟を。
 決めていた、のだが……。

「此処まで露骨にやるかね、ナチスドイツ」

 レイシフトするなり視界に入ったのは、道端にゴミのように散らかった人間の中身。はらわた。
 目を凝らせば持ち主だったろう遺骸が並木に混ざっていたり、歪に潰れていたり、壁に貼り付けられたりしている。
 耐性のない人間が見たなら嘔吐はおろかパラノイアを起こしてもおかしくない光景が、1945年のベルリンには広がっていた。

「……ううん、どうしたもんかな。二人はどう思――」

 大戦下のドイツといえばアドルフ・ヒトラーだ。
 向かうべきはやはり総統官邸辺りかと安直な発想をしかけるが、念の為同行している二人にも意見を仰ぐ。
 いや、仰ぎかけた。すべて言い切る途中で、僕の言葉は遮られる。
 地の底から響いているような重々しい軍靴の音。
 一人二人では効かない、大勢の足音に。

「「「er――er――er――er――」」」

 声は何か言っている。
 離れた方がいいのは分かるが、何か手がかりになるかもしれない。
 耳をそばだてる僕の前方に現れた足音の主は隊列を成していた。
 敗北寸前とはいえまだ降伏には至っていないベルリンに軍隊が闊歩しているのは何もおかしなことではないが、ひとつだけ明確におかしなことがある。

 国のため身を子にして戦っているのだろう兵士たちの中に、真っ当な姿形をした者が存在しない。
 先頭から後尾に至るまで、見える範囲では全員が人の形をした影――【シャドウサーヴァント】なのだ。

「「「Führer!  Führer!  Führer!  Führer!」」」

 Führer。フューラー。――総統。ナチスにおいてその肩書が意味する人物はたった一人だ。
 アドルフ・ヒトラー。綺麗なほど予想通りの名前が浮かび上がったことに僕は思わず苦笑してしまう。
 だが当然、笑っている場合などではない。僕らを視認するなり、影の隊列は足を止めた。

 そして、手に携えた剣だの槍だのの武器を僕らに向けて駆けてくる。

「「「Holocaust! Holocaust! Holocaust! Holocaust!
   Sieg Heil! Sieg Heil! Sieg Heil! Sieg Heil!」」」

 なんて物騒なこと叫びながら襲い掛かってくるんだこいつら。
 僕は内心引きながらも、しかし逃げようとはしない。
 こいつらが虐殺を行っているのは明らかだ。此処で見逃せばまた誰かが死ぬ。それは寝覚めが悪い。
 これだけなら我ながら格好いい理由だが、正直を言うとやっぱり打算もあった。
 こいつらは所詮シャドウサーヴァント。対して僕が連れている二人は――

「下がってください、此処は僕らが」
「かわいそうな子たち。やっつけるわね、マスター」

 ――正真正銘、本物のサーヴァントだ。
 圧勝する理由はあっても遅れを取る理由はない。

「……静かに。狙いが逸れる」

 一人目、アサシンのサーヴァント。
 真名をシャルル=アンリ・サンソン。
 彼は手にした処刑刃で影兵隊の攻撃を受け止め、捌き、その首を一瞬で断ち切っていく。
 シャドウサーヴァント相手にさえ苦痛のない死を徹底している辺りに、彼の人となりが窺える。

「どうせだもの、楽しく遊びましょう?」

 二人目、キャスターのサーヴァント。
 真名をナーサリー・ライム。
 彼女がそう言って笑うと、向かってくる影兵隊の足元が爆ぜた。
 次の瞬間、体幹を崩した敵を包み込むようにつむじ風が生まれ、跡形もなく消し去ってしまう。

 そんな戦いと呼んでいいのかも分からない一方的な状況は、わずか数分で終結した。
 最後の一体をサンソンが斬首したことで敵は全滅。
 僕らは掠り傷すら負っていない。完全勝利とはまさにこのことである。

「怪我はないか、二人とも」
「マスターの方こそ大事はありませんか? わずかな怪我でも敵地では時に死へ直結します。必ず申告してください」

 心配するサンソンに「大丈夫だ」と答えて、僕は消えていく最後の一体に意識を向ける。
 シャドウサーヴァントにも質というものがある。
 例えば、ヘラクレスみたいな大英雄を元にした個体なら影でも普通のサーヴァント以上の強さを持っていたりする。
 もっともそれはほとんど例外といっていいケースだ。基本は今回のように、あくまで紛い物相応の力しか持っていない。
 不可解なのは、腐っても英霊という元があるはずの彼らが口を揃えてナチスドイツと【総統(フューラー)】を賛美していたことだ。
 消えていく影の口が何やら動いているので耳を傾けてみれば、ほら。

「H……ei……l…………Füh……re………r」

 ハイル・フューラー。総統万歳。こんなことを今際に呟く奴なんてそれこそドイツ軍人くらいしか思い付かない。

「でもそれにしては武器がおかしいんだよな。ナチス政権の頃のドイツ軍が剣や槍で戦ってた訳がないし」
「通常のシャドウサーヴァントとは違う生み出され方をしているのか、それとも何か特殊な処置を受けているのか。
 いずれにせよ、この特異点を生み出した元凶が何かしたのは間違いないでしょうね」
「元凶……ね。なあサンソン、それってやっぱり」

 僕の言葉に、サンソンは「ええ」と肯く。
 もう驚くほど予想通りの展開だが、やっぱり黒幕はあいつだとしか思えない。
 人類史上最も悪名高い独裁者であり、虐殺者。
 熱病のような世論で国を染め上げて、多くの屍を生み出したちょび髭の男。

「アドルフ・ヒトラー……ナチスドイツ第三帝国の【総統(フューラー)】かと」

 本来の歴史におけるヒトラーは地下壕で自ら命を絶った。
 だがすべてを割り切って死んだわけではないだろう。
 国を次のステージに導けなかった未練、敵国への怨嗟、どうしようもない感情があったはずだ。
 死後に英霊となって特異点を作り出したとしても何ら不思議ではない。
 朧気ながらも敵のビジョンが見えてきた。後はこれをどうやって明確にしていくか、だが。

「ねえ、マスター。気付いているかしら?」
「……何に?」
「あの子によ」

 そんな時ナーサリー・ライムが妙なことを言い出す。
 あの子? 虐殺から逃れて隠れていた子どもでも見つけたのかと思い目を凝らすもそれらしいものはまるで見当たらない。
 サンソンも同じのようだった。僕らに痺れを切らしたナーサリー・ライムは、びしっ、と虚空を示す。そこには、何も見えない。

「何もいないけど」
「いいえ、いるわ。わたしには分かるのだわ! だって多分、彼女は――」

 熱を帯びた声色で捲し立てるナーサリー・ライム。
 何も見えない僕らは狐につままれたような顔をするしかなかったが、それもこの時までの話。
 童話少女が何か言いかけた、その時だった。
 つい一瞬前までは確かに何もいなかった、存在しなかった虚空に――ぽっと、見知らぬ少女が出現したのだ。

「「!?」」
「だから言ったじゃない。そこにいるって」

 少女は灰色の髪に、煤けたみすぼらしい洋服を着ていた。髪が短いからかどこかボーイッシュな印象を受ける。
 一目で裕福ではない境遇の子どもだと分かるが、同時にただの子どもじゃないことも分かる。
 僕はサンソンと顔を見合わせた。この少女が人間ではなく、サーヴァントであると気付いたからだ。

「……どうして分かったの? ちゃんと見つからないように隠れていたのに」
「わたしとあなたが似た者同士だからなのだわ、きっと。
 わたし、分かってしまったの! ねえ……あなたのお名前を教えてくれるかしら?」

 さっぱりついていけない僕らをよそに、ナーサリーは高揚した様子で話を進めていく。
 似た者同士なのだと彼女は言った。まさか子ども同士だから、というわけではないだろう。
 となると……童話絡み? 創作物絡み? だろうか。
 目を輝かせて人懐っこく絡むナーサリーに若干気圧された様子の少女だったが、名を問われるとばつが悪そうに目を逸らす。

「ごめん、此処ではダメなんだ。【あいつら】が聞いてるかもしれないから」
「……あいつらって、あの影どものことか?」
「うん。……あ、さっきは凄かったね。あたしびっくりしちゃった。
 あたしは戦えるサーヴァントじゃないからさ、あんな数だけの奴らとも満足に戦えないんだ。逃げるか隠れるしかないの」

 「だから、見てて胸がすく気分だったよ」と少女は笑う。
 どうやら見た目通り、戦いにはあまり向いていないサーヴァントらしい。
 次に彼女に質問を投げかけたのはサンソンだった。
 問いかけに入る前に、「少し失礼な質問になるかもしれないが、気を悪くせずに聞いてほしい」と前置く。
 少女のサーヴァントがそれに「いいよ。手短にしか答えられないけど」と答えると、サンソンは問いを口にする。

「単刀直入に聞かせてほしい。君は何者で、このベルリンで何をしているのか」
「う~~~ん……。
 それはちょっと、手短に答えるのが難しい質問だなあ……でもあたしは悪いことはしてないよ。それだけは断言できる。
 もちろん【総統(フューラー)】も、あの【影の大隊(シャドウ・バタリオン)】のことも嫌い、大ッ嫌い。一発ひっぱたいてやりたいくらい」

 そう語る彼女の語調にはナーサリー・ライムがさっき込めていたのとはまた別種の熱が宿っていた。
 敵愾心、とでも言おうか。少なくとも、彼女が仮称・ナチスドイツ側のサーヴァントでないことはしっかりと伝わってきた。
 ……というか、待て。今さらっと重要なことを言ったな。

「【総統(フューラー)】? やっぱりヒトラーが糸を引いてるのか、この地獄絵図は」
「……分からない。あのちょび髭おじさんがやってるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」

 少女は難しい顔をしていた。
 何とも複雑な表情とさっきの"熱"から、僕はなんとなく理解する。
 多分この子は――ナチスドイツと何らかの負の関わりがあるサーヴァントだ。 
 ヒトラーに、第三帝国に、【総統(フューラー)】。
 そういった諸々に強い怒りを抱く英霊。……僕の頭の中には、浮かんでくる名前が一個あった。

「あなたたちがどこから来た誰なのかは知らないけど、悪い人じゃなさそうだから……もっと詳しい話を聞かせてあげる。
 さ、ついてきて。道中はあたしの宝具でみんなしっかり【隠して】あげるから、あいつらに見つかる心配はないよ。安心してね」
「ついてきてって、どこに。拠点でもあるのか?」
「んー、まあそんなとこだね。あいつらの虐殺を逃れた人や傷ついた人を集めて、隠してるおっきな家があるんだよ」

 成る程、レジスタンスもどきということか。
 僕は脳裏をよぎるどこぞの爺さんの顔芸を必死に受け流す。
 オーケー、オーケー。此処はベルリン。アガルタでもアメリカでもない。

「あたしたちは、【ヘット・アハターハウス】って呼んでる」
「ヘット、アハターハウス。……【後ろの家】か」

 はっと目を見開いて復唱し、「そういうことか」と苦い顔をするサンソン。
 ナーサリーは変わらない調子でにこにこと微笑んでいたが、彼女もまた、何かを察したようだった。
 "ようだった"なんて言ってるが、僕もこの時点で八割方少女の真名に察しが付いていた。
 というか、二人の反応を見て予想が確信に変わった、というのが正しい。

「だから、そうだな。家に着くまではあたしのことをこう呼んでよ。【アハターハウスのキャスター】、って」

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最終更新:2018年05月22日 15:54