6節 かげろふの命1

時は来た。それだけだ。
清姫を倒す。
殺さない様に気を付けながら、殺されない様に気を付けながら、彼女と相対するのだ。
月の明かりの輝く夜だった。

「あの竜の行動範囲は分からないが、山を入った奴に近づいてくるきらいがある」
「ほんと?」
「あぁ。多分、山の中に入ってきたのが安珍だと思ってるのかもしれない」
「……」

どうなのだろうか。実際は分からない。
しかし真実がどうであろうと、清姫が来るという事実があればいい。
いま必要なのは彼女との対峙。そして彼女の退治なのだから。

「行こう」

遊撃衆の羽織を脱ぎ、山に向かう。
自分は遊撃衆とは無関係であるという意思表示でもある。
全員が戦闘態勢。いつもの和やかな雰囲気はない。それでよかった。
口を横一文字に結ぶ安珍も、橋で出会った時のような目をした橋姫も、冷たく荒んだ雰囲気の藤丸も、強張った顔のアサシンも、皆必死なのだから。
決死の舞台にこれから向かうのだから。

◆◆◆◆◆

「待ち受けるならここがいい」

山中、アサシンがそう言った。
そこは平たく広い場所だ。しかし近くに急な坂になっている場所がある。
足を踏み外せば落ちてしまうだろう。

「形勢が悪くなれば危険だがここから下りられる」
「あたしらは不退転やろ」
「阿呆。立て直しや仕切り直しは重要だ」
「へぇ言うやん。そういうの慣れた風ではなかったけど」
「……頭領が言っていたことだ」

頭領。孫一の事だろう。
思えばアサシンが彼女の事を頭領と呼ぶのは遊撃衆としての筋を通しているのだろう。

「木でも折ってこっちの場所教えたるか?」
「その必要はないよ……私がいる」

安珍がそう呟いた時だった。
山の上の方から何かが這いずる音が近づいて生きた。
嘘を重ねた僧侶、安珍。彼女の殺したい男。
恨みの力は縁結びの糸のようにお互いの場所を把握させるらしい。
清姫が来る。
彼女自身が青白い炎だ。恐るべき蛇だ。
暗い山の中でも彼女は自分自身が明かりとなって進んできている。
竜の顔。燃え盛る顔。恨みの色を否応なく感じさせる顔。
来る。来る。来る―――――

「出し惜しみはしないよ」

初めに仕掛けたのは安珍だった。
藤丸を後ろに下げながら自分は一歩前へ。
安珍が念仏を唱えると徐々に迫る速度が落ちていく。
熊野権現への願い。安珍のスキルが発動した。

「っしゃァ!」

近くの木をへし折り清姫に投げつけたのは橋姫。
清姫の眼前で木が爆ぜる。すでに準備は出来ていた。

「……」

青い顔をしたアサシンが拳を握る。
木の破片を目に食らったのか清姫が唸り声をあげる。
甲高い少女の声だ。

「分かれて」

橋姫と安珍。藤丸とアサシンに分かれて動く。
金縛りが解けた清姫は迷わず安珍に迫る。

『ア、アアアアアアアア!』
「目つぶしが効いてない……?」
「感覚的に分かるんだろうな」

直線的な動きをかわし、橋姫の拳が清姫の横っ面に叩き込まれる。
殴ってダメージを与えたはずの橋姫の方が苦しそうだ。
拳から煙が上がり、手が焼ける。
まるで焚火の中に手を突っ込んだようなものだ。

「もっぱつ……」

今度は前蹴りを打ち込みに行くが、体を横に曲げて回避する。
速い。

「藤丸さん!」

体を曲げる勢いで清姫が回っている。
顔が西向きゃ尾は東。顔が動けば尾も動く。
故に反時計の動きが回避と攻撃の両方の意味を持つ。
アサシンは瞬時に懐の中の碁石をいくつか投げた。
空中で弾ける碁石は小さな手りゅう弾。
爆発の弾幕で尾の勢いを殺していく。それでも尾を受けたアサシンの体が宙を舞う。

「アサシン」
「大丈夫だ……」

よろめきながらもアサシンは立ち上がり今度は清姫の体に碁石を投げた。
連続して彼女の体の上で弾けていく。
機関砲を受けたかのような攻撃。並みの相手であればそれだけでも大打撃のはずだ。
だが相手は規格外。恐ろしいまでの頑丈。
まだ倒れない。

『アアアアアア!』

吐き出す炎。
防ぎようのない一撃。かわすしかない。
横に広がり対処―――が、それは彼女も分かっていたのだろう。
すでに清姫は突っ込んできていた。狙いは当然安珍。
拳を握り振り上げたのは橋姫。
清姫の顔や体が地面から離れた。それは橋姫の攻撃の為ではない。
彼女の持つ位置によってだ。

「嘘やろ……」

体を起き上がらせて攻撃を回避する。
そしてそのまま体を前に押し出し、二人を押しつぶしにかかる。
ドズンという鈍い音と共に安珍と橋姫の体が倒れる。
下敷きになっている。彼女の体は炎だ。押しつぶされた痛みだけでなく熱による攻撃が待っている。

「あ……つ、い……」
「ぐっ、が……ァ」

肉の焼ける臭いがほのかにした気がした。

「不味い」

碁石の連打。震える手で打ちこまれる爆弾。
耐える。清姫は耐え続ける。
だが意識はそらせたのだろう。そこを突いたのは橋姫。
彼女の胴を蹴り上げる。一瞬の浮上、そして金縛り。

「うまくいった……」

なんとか抜け出し、地面を転がりながらその場から離れる。
しみ込んでいく血の赤色。へし折れたのは安珍の左腕。
だらりと伸びきったそれはもう使い物にならない。だが傷の心配をする時間もない。
かんしゃくを起こした子供が地団駄を踏むように清姫は体を地面に叩きつけ火を吹く。
体が地面につく度に地響きと共に恐怖がこみ上げる。

「はぁぁぁぁ……」

大きく息を吐く。

「アサシン、尻尾に気を付けて。それから胴体辺りに爆撃を」
「承知した」

碁石の爆撃は続く。
清姫とは付かず離れずの距離を保ち続けなければならない。
彼女の狙いは安珍。だが彼だけを狙わせるわけにもいかず。
ただ忘れてはいけないのはこちらの頭は藤丸ということだ。

「安珍、いつでも金縛り出来るように準備せえよ」
「熊野様も愛想を使いそうだな……」
「そう言う無駄口が叩けるんやったらまだ余裕やな」

ヒットアンドアウェイ。
落ち着いて一手ずつ置いていく。一手ずつ対処していく。
将棋のように詰みまでの道を敷け。

『ア、ア、ア、ア、ア』

だが化け物はいつでもその一手を大きく超えるのだ。

『アンチン……』

一瞬、彼女の体が静止する。
そして次の瞬間にはその体が宙を舞っていた。
驚異的な体さばき。
火を吹けばそれはこちらの身を焼く炎の雨。
圧倒的な熱量と物量。避けようと動くが雨を避けられる人間がこの世にいようか。
多かれ少なかれ炎を受け、藤丸達の体が火に巻かれる。

「これは……!」
「転がって!」

地面に体を預けて転がれば火も消えてくれるだろう。
だが敵の目の前にそれをする余裕はない。
ならばどうする。

「下りるよ……!」

坂道に身を投げ落ちていく。
整えられていない道だ。石や近くの木の根に当たると体が痛む。
火が消え、転がりが止まった時には広い道に出た。

「大、丈夫か……?」
「橋姫が……途中で助けれくれて……なんとか……」
「あたしはまだいけるで」
「安珍は?」

地面に倒れた安珍が言葉にならない声で返す。
清姫からの攻撃を受けていた分、坂を下りる時の負担も大きい。
元より武人でもなんでもない英霊。
人間よりは上であるものの、その体に限界はあるのだ。

「……まだ息はある」
「あたしが担ぐか?」
「橋姫は攻撃に集中しないと……僕が肩を貸すよ」
「ふじま、るさ……」
「しゃべらなくても大丈夫だよ」

安珍に肩を貸し何とか立ち上がらせるものの、じきにまたあの音が聞こえてきた。
清姫だ。

『逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない……殺します』

這いずる音が消える。
代わりに彼女の位置を知らせる青白い炎がより一層強くなる。

「清姫……」

坂道を駆け降りる清姫がいる。
竜ではない。人の姿の清姫だ。

『紀州道成寺火渡り』

跳躍し、藤丸達の元へと落ちてくる清姫。
風が吹いた。藤丸達を包み込むような風。
しかしそれは神仏の助けではなく、清姫の執念が起こす奇跡のような出来事。
彼女の体から漏れ出た火の粉が風に巻かれ燃え上がる。
とぐろを巻いた竜のように火柱が生まれた。
いや違う、天に上る火柱はこちらを閉じ込める鐘楼のような檻。
吹き抜けた小さな穴に清姫がいる。
落ちながら徐々に竜の姿に戻っていた。

「これは……!」
「南無三……」
「安珍? 気が付い――――」
「『道成寺鐘四種三昧』」

咄嗟に安珍が宝具を発動し鐘楼で藤丸達を覆う。
覆われる一瞬、清姫の口から炎が吐き出されるのが見えた。
あれこそが京のアヴェンジャー清姫の宝具。
逃げられる炎の鐘の中に閉じ込め、その後に焼き殺す技法。
安珍の鐘楼の中にいるため直接火を受けることはないが、これではかの逸話の通りに死ぬ道だ。

「あ……つ……」
「……懐かしい熱さだね……やはり、ここまでか……守る……ためと思ったが……これ、じゃあ……」

みしりみしりと鐘が音を立てている。
あの時のように巻き付いているのか。

「まだだ……!」
「アサシン……」
「まだ死ねない……死なさへん、殺さへん! 誰も! 私は!」

アサシンはそう叫ぶと走り出し、鐘に思い切り拳を叩きつける。
何度も何度も血がにじむほどに。

「耳、塞ぎや」

その言葉に全員が急いで耳をふさいだ。

「宝具疑似展開。我が姿、我が名、我が人生、誰も知らず……全て弾ける泡の如く『スカッシュ』」

ドモンと鈍い音がして鐘楼が弾け飛ぶ。
最大威力での疑似宝具。それが安珍の宝具を粉々に砕く。
流石の清姫も抱いていた鐘が爆弾となっては回避不可能。
加えてその痛みは今まで受けた碁石の爆弾とは威力が違う。
吹き出る血は即座に身の炎によって蒸発する。

「助かった……けど、まだやな。清姫ちゃん!」
「藤丸君、指示を。私は従う」
「……」

藤丸の目が清姫の体を捉える。
傷の深い箇所がある……あれは。

(前に山で会った時、アサシンがつけた傷)

「……アサシン、地面の一部を爆弾化して」
「あい」
「安珍。もうひと踏ん張りだから」
「……あぁ」

清姫が来る。
先ほどよりも猛々しく迫る。
橋姫が彼女に向かって走り、真正面から受け止める。
彼女の頭部に生えた二本の角をしっかりと掴んだ。
清姫の口中に火が溜まったが、すかさず片手を離し鼻っ柱に叩き込んだ。

「もう吐かさへん。あたし、鬼やし」
「橋姫! こっち!」
「わかっとる!」

もう一度角を掴みなおし、清姫を持ち上げる。
そのまま地面に叩きつけた。そして、爆ぜる大地。
狙いは当然あの腹部。橋姫がぴったりに合わせてくれた。
先ほどよりも深い傷。最早清姫から出る声は怒りよりも苦しみの色が強い。
痛む胸。だが、まだ手は緩められない。

「!」
『ガ、ァ』

口を開き、橋姫に向かって顔を突っ込ませる。
炎ではなく、牙による攻撃の選択。
予備動作のない動きに橋姫は反応しきれない。
だが、牙は届かない。
この時まで祈りを諦めなかった男のおかげでだ。

「安珍……」
「……これで……すこしは、やく……に、たてた……かい?」
「上々や……いくで」

橋姫の体が赤く染まる。
それは切り札を切ったことを知らせることだ。

「ごめんね……『丑の刻縁切り鋏』」

真っ赤な腕による抱擁。
まるで鋏のような鋭さを持つ一撃が彼女を包んだ。

『ア……オ、ッ』

それが最後の言葉だった。
清姫の動きが止まり、体を横たえる。

「清姫!」

安珍をアサシンに任せ、駆け寄る藤丸。
暖炉のように熱を清姫は放ち続けている。そして不規則ながら呼吸をしている。
生きている。彼女は死んでいない。
自分たちは達成したのだ。誰も死なずに、清姫を殺さずに勝てたのだ。
しかしそんな達成感は湧いてこなかった。
生きているという安心と、彼女がまだ生きているという安心がある。

「よかった……男には強いし、一部の女にも強いけど……この子ぉには手加減できたみたいやね」
「ありがとう、橋姫」
「ん、ええよ……ちょっと疲れた……な」

緊張の糸が切れたのか倒れそうになる橋姫を何とか抱きとめる。

「大丈夫」
「はは……あたし、鬼神やで。鬼で神様やで? まだ大丈夫……ん」
「?」
「くそっ!」

藤丸の体が後方に飛んだ。
一瞬理解できなかったが、橋姫に突き飛ばされたのだと理解できた。
次に目にしたのは腕を伸ばす橋姫。
なんとか掴み取ったものは一本の刀だった。

「いったぁ~! 誰や」
「俺だよぉ……といっても、お前には分からんだろうが」

近くの木の影から現れたのは京のセイバー。
ほの暗い、不気味な雰囲気を纏った男。
その傍に控えるのは京のアーチャー。苦虫をかみ殺したような顔をしている。

「アーチャー! なんで」

約束の刻限にはまだ達していないはず。
そう口に出そうとしたが、アーチャーの目がその言葉を封じた。
言うな、という強い意志が脳に叩き込まれる。

「前倒しにしたんだよ。俺が。いつまでも竜におびえて待つ……いや、初めから竜を倒す気があるのやらないのやら」
「倒す気はあったわ。竜を何とかしてくれと、頼まれたから」
「はは……俺には化け物退治は契約の外だと抜かしたがね……」

髪をかき上げるセイバー。
そのまま一歩前進。身が強張る。身構えると森の中に遊撃衆がいるのが分かった。
囲まれている。

「それは俺の刀だ。返してもらおう」
「うっさいわ……ボケ」

刀が橋姫の手の中でへし折られる。
そして、切っ先のある方の刃を橋姫が投げる。
セイバーは軽く身をさばいてかわした。
続いて柄のある方を投げた。

「ご返却どうも」

今度は見事に柄を掴んで見せた。

「さて、では予定通り竜を殺させていただく」

折れた刀を持ったまま、歩みを止めない。

「ま……て……」

その前に立ちはだかるのは、安珍。
血にぬれ、美貌も曇った男。
嘘に死んだ男が不気味な男の前に立った。

「どけクソ坊主。俺は優しくはないぞ」
「そうか……構わない……よ……」
「なぜその竜をかばう」
「彼女は……私を……愛して、うらぎら……れた……ただの、少女……だから……さ」

嘘のない言葉があった。

始まり
5節 女の山4 永久統治首都 京都 6節 かげろふの命2

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最終更新:2018年05月28日 00:01