「……はっ」
京のセイバーが笑った。
クックッと笑いながらふらふらと足を運ぶ。
乱れた黒髪が顔にかかり、その表情が隠れるが笑っているのは分かる。
「藤丸、さん……逃げて……」
「安珍……駄目……」
「……目的は……果たせた……やっと、彼女と……向きあって、結論が……出せたんだ……」
悔いはない。
言葉には出さなかったが心で理解した。
その言葉に藤丸はかぶりを横に振る。
まだだ。誰も死なずに帰るのだ。そう決めている。
だから何度でも藤丸は手を伸ばす。
「帰ってこい」
「安珍! 阿呆が……!」
アサシンが安珍の元に駆け寄ろうと一歩を踏み出した時だ。
ズッと地面に一本の筋が入る。
登る白煙。これは炎熱によって起こされたものだ。
「跨ぐなよ……アサシン。命が惜しければな」
アサシンの足が止まり、下がる。
思考しての事ではない。反射的な動き。本能の動き。
それは谷底に身を投げる行為、飢えた獣の檻に入るような感覚。
思わずすくんだ身を誰が責められようか。
「今、殺す順番を決めている」
髪をかき上げながらセイバーは語る。
口元は三日月のように曲がり、目は満月のように開かれている。
「まず一にクソ坊主。次は竜、その次に鬼……そこから先が悩みどころだ。どうにも……はは」
「……」
「おい待て。身構えるなよ? 俺はあくまで順番を決めているだけだ。本当に殺すかはまだ分からんだろうが」
どこまで信じられる言葉だ。
どこまで真に受けていい言葉なのだろうか。
うそぶいている雰囲気はない。しかし、この男はやると決めれば躊躇なくやるはずだ。
跨げば死ぬ。もしくは彼の思いに反すれば殺される。
「アーチャー! おい、アーチャー! 遊撃衆に入っているのはこの藤丸という男とアサシンだけなのだな?」
「そうよ。なにか文句でも?」
「そうかそうか……では、それ以外ならばどのようにしても文句はなかろう?」
「……」
「それは肯定でいいな?」
チチチと鳥の鳴くような声が聞こえた。
藤丸は空を見上げたがそこには何もいない。
アサシンは近くの木に目をやったがそこにも何もいない。
いたのは森の奥深く、木の影にそれはいた。
いや、正確にはそれそのものではなく『それが呼び出したものだ』
突然森から黒い塊が飛び出す。それは狼だ。飢えた獣が現れた。
「送り雀……」
狼や送り犬を呼び出すとされる妖怪だ。
だがこの場に現れたのは狼ではない。鵺が、輪入道が、山荒が、多くの妖怪が山の中に殺到している。
「これはお前の差金か? クソ坊主」
「まさか……」
違う。安珍にそのような能力はない。
であれば何が原因か。
遊撃衆は妖怪の対処に手を回している。
「君の……差金では……?」
「まさか。俺は武士だぞ……まぁ殺すのは依然変わりなく」
セイバーが刀を振り上げた。
が、その腕は下ろされない。
安珍が小さく念仏を呟いている。彼の……いや、熊野権現の力。
何度も何度も祈り続け、何度も何度も叶えられた。
目の前の動きを縛るという気持ちだ。
「藤丸君……逃げなさい」
「ダメだお前も連れて帰る」
「はは……嬉しい……が……私は……足手まといさ」
安珍の右手が突き上げられる。
呼応するように夜空には鐘楼。安珍の宝具が発動した。
「安珍!」
「……どのみち……逃げきれ、ない……手負いだ……私を連れて……いけば、みんな……」
「戻ってこい! 金縛りが続いているうちに……!」
「さようなら……」
ドスンと鐘が下ろされ、安珍とセイバーが閉じ込められる。
鐘を壊せば脱出させられる。
しかしそれはセイバーの開放を意味する。それでも彼を助けねばならない。
だが今この場、何を優先するべきか。その判断の天秤が傾く。
行かねばならない。彼の心を無下にしてはいけない。
彼が作ったこの機会を逃す訳にはいかないのだから。
「戻ろう……! 生きて帰る」
「わかった……妖怪ども、怪我したないんやったらのいときや」
「頭領殿、悪いが援護は出来ない!」
「要らないわよ……くそっ、うっとうしい!」
銃を構え妖怪を撃つアーチャーに背を向け藤丸達は山を下りる。
立ちはだかる妖怪が橋姫とアサシンに蹴散らされる。
何としても生きて帰る。必ずだ。
(……全く。計画が崩れたわ……元からあなたたちを撃つ気なんて……)
もう藤丸達は見えなくなった。
彼らがいた位置からアーチャーは倒れる竜に視線を移す。
妖怪たちは竜を攻撃しはしない。
恐れているのだろうか。傷を負っているとはいえ、意識を取り戻せばただでは済まない。
触らぬ神に祟りなし。触らぬ竜に火傷なし。
(あの竜はまだ死んでいない。だけど、安珍は確実に殺される)
アーチャーの脳内で思考が巡る。
(あの男にこの竜を殺されるわけにはいかない……なら――――)
妖怪の中を突っ切る。
アーチャーは竜にすさまじい速度で接近し―――引き金を引いた。
(不安は出来るだけ潰す)
◆◆◆◆◆
セイバーと安珍は熱に耐えていた。
安珍は祈りを止めない。もはや限界の肉体だがそれでも踏み込み続ける。
この男を藤丸に近づけてはならない。
目の前にいる英霊は災厄をもたらす最悪の存在だと、そう心の何処かで気づいていた。
「ぐっ! この……やめろ、クソ坊主!」
「やめない。貴方がこの鐘楼の熱で倒れるが速いか私が倒れるのが速いかの勝負です」
上がり続ける鐘楼内の温度。
まるで火に焼かれたかのように熱い。
安珍の死の逸話が繰り返されている。
「これだからキャスターは嫌いだ! くそっ! 動けん!」
(藤丸さん……ご武運を……)
ずっ
そう言う音だった。
腹部に痛み。安珍が視線を落とせばそこには刀。
気が付けば、そこにいたはずのセイバーの姿が陽炎のようにぼやけ、消える。
そして自分に刀を突き刺した彼の姿が認識できた。
「噓だよ」
「あ、ぇ……」
刀が抜かれ、また刺される。
何度も何度も何度も何度も。乱暴に右腕を振りながらセイバーが刀を突き出す。
押し込むように突き続けられ、いつの間にか安珍は鐘楼の端に追いやられる。
また一刺しを腹に受け後退。
背中が鐘楼に触れ、焼けた。だがそれを感じないほどに安珍は傷を受けていた。
口から血を吐き、前に倒れる体をセイバーが足で支える。
足の裏で思い切り鐘楼に押し込まれて、やっと安珍は背の熱を認識できた。
着物が焼け、自身の肉が焼かれる痛み。
目を見開いても視界はかすんだまま。
「祈ったところでなんになるよ。なぁ、クソ坊主」
足が離され、倒れる体。
待ち受ける刀。自重で突き刺さり、ゆっくりと傷が深くなっていく。
「その体はもらってやるよ。はは」
安珍の体が炎上する。
一瞬のうちに炎に包まれ、体が黒く焼け焦げていく。
セイバーの肉体に炎は燃え移らず安珍だけが焼けていった。
(あぁ――――私は結局―――――)
安珍の意識はそこで終わった。
代わりに消し炭になった真黒な人型が残った。
「霊基焼却完了―――さて、いただこうか」
その消し炭を掴み上げるとセイバーは迷わず喉のあった場所に食らいつく。
どろりと墨のような液体がこぼれた。
最終更新:2018年05月29日 00:36