山を下りる。
足を出す速さは日が昇るよりも早いかもしれない。
落ちるように山道を駆け降りていくうち、藤丸の体が不意に倒れた。
受け身は取ったものの強かに体を打ち付ける。
痛みで血がにじむが構ってもいられないとまた立ち上がったが、今度は息切れがやってくる。
「はぁ……はぁ……」
「だ、大丈夫か? はぁ……休むか?」
「休めない……いつ、あいつが来るか……」
心は急いでいるが体がついていかず。
不本意ながら木の陰で息を殺すこととなる。
「それにしても、全然追っかけて来んかったな。遊撃衆」
「初めから……はぁ、はぁ、んっ……本気じゃなかった」
藤丸達は遊撃衆の包囲網の穴を抜けた。
だがそもそも本気であれば一見穴となる場所でもそこに誘導するためのものであったりする。
遊撃衆のやり方というのを多少なりとも心得ている。
「……なんか、あの女よう分からんな」
「言うな……」
静寂。
切れる息だけが聞こえる。
胸が痛む。苦しい。走ったからか? それとも安珍に任せたままにしたからか?
自分への気持ちなのか他人への気持ちなのか、混沌としてきた。
混濁する心の動きに疲れてしまう。
「行こう……行かなきゃ……」
悩んでる暇があるのなら進め。
藤丸立花の行く道は目の前にしかないのだから。
「待ち」
それを止めたのは橋姫だった。
鬼の腕に抱かれる。
動けない。いや、動けるのだが振り切れはしない。
「大丈夫やから」
「でも……」
「大丈夫やって。来たら戦ったる。やから、ちょっと深呼吸しぃ」
まだ整わない息。
焦る気持ちがなんだか和らいだ気がした。
「行くいうてもどこに行くん」
「正直、遊撃衆の屯所は難しい。頭領に投降せずに来ている」
「大丈夫。酒呑がいる」
「あの鬼んとこか」
「酒呑は確か妖怪とか反遊撃衆の人に担がれてるって」
であればあの妖怪の群れについても何かを知っているかもしれない。
だから行くならばあそこだ。他にあてもない。
橋姫を花街に連れて行くのは少し心配だが。
「ほんなら、そこ目指そ」
「うん……ありがとう」
「んーなんが?」
微笑む橋姫。
だが笑ってもいられなくなってきた。
周囲が煙くさい。見上げれば遠くの木が燃えている。
その近くに人影。折れて短くなった刀を持った男。あれは京のセイバーに違いない。
セイバーの足はこちらに向いている
「あんたはん、先行き」
「待て。まだ気づかれてないはずだ。全員で下りられる。藤丸くんを一人残すのはまずい」
「あかんよ。あれは気付く。多分そういう生きもんや」
「では私が残る。君は一緒に」
「ちゃう。あれは一人では止められん。そうやろ?」
「二人でも厳しいよ」
セイバーは魔神柱と何らかの関わりを持っている。
魔神柱が現れれば二人であってもひとたまりもない。
それにセイバーだけの戦闘力も、この二人を上回っているかもしれない。
「だから」
「だから何だって?」
ゆらめく陽炎。暑い日のアスファルトの上のように空間が揺らめいてそこにセイバーが現れる。
「セイバー……」
「ごきげんよう逃走者くん」
突き出された刀を橋姫が蹴り飛ばす。
そして跳ね起きながら藤丸の体を放り投げた。
「橋姫!」
「逃げぇ! 後から追いつく!」
突然のことだったのかセイバーは対応しなかった。
静かに刀を拾い上げようとしたが、その刀をまた橋姫が蹴る。
そしてアサシンの足元まで転がった。
アサシンはそれを拾い上げ、震える手で爆破した。
「酷い事をする。大事な刀なのに」
「知るか、んなもん」
「鬼め。いや、鬼か。そちらのアサシンは違うと思っていたが」
「私は人間だ」
アサシンが大地に触れる。
そしてその場から大きく飛びのけば地面が爆破され砂ぼこりがセイバーに向かう。
その気に乗じて橋姫も動く。
セイバーの視界が晴れた時には二人とも姿を消していた。
「……そこか」
セイバーが陽炎の如く揺らめき、背後の木の裏に貫通する様に移動した。
移動が終わった直後、セイバーの腹部に鈍い衝撃が走る。
橋姫の拳がめり込んだ。
「あ?」
「くらえやボケ」
そのまま着物を掴み、頭から地面に叩きつける。
片腕で彼を軽々と扱ってしまう鬼の膂力。
「今!」
木から爆発の音。
根本がアサシンの力で爆弾化していたのだ。
倒れる木がセイバーに襲い掛かる。
が、すんでの所でセイバーの反応が勝った。
木が地面に横たわる。それを見逃す橋姫ではない。
「っらぁ!」
倒れた木を持ち上げ彼に叩きつける。
間に合わない反応。
横薙ぎに木で殴られ、セイバーの体が吹っ飛ぶ。
「これは……中々……!」
重い一撃を食らいながらもセイバーは笑う。
その反応に身をこわばらせたのはアサシン。
一方橋姫はさらに奮い立つ。
「まだや……!」
もう一度敵に向かって木を振るう。
再度の攻撃。
対するセイバーは手を振るう。
木の表面を彼の手が撫でる。しかしそれでは木を押しとどめることは出来ず、また吹き飛ぶ。
「あ?」
橋姫が目を丸くしたのはセイバーがあっさりと攻撃を受けたからではない。
自分の持つ木に火がついたからだ。
そしてそれはすさまじい勢いで木を燃やし、数秒に満たない内に橋姫の手に燃え移りそうであった。
木を手放す。
一体いつの間に。
「鬼でも火が怖いか?」
一瞬でセイバーが目の前に現れる。
獣のような速度で橋姫が拳を放つが、セイバーはかわさない。
彼の頬を捉えたが手ごたえなし。
陽炎のように揺らめく目の前のセイバー。
「どれ」
背後からの声。橋姫は振り返る。
胸を走る一筋の感覚。
見れば彼が手をあげている。腹から胸にかけてを撫で上げられた。
痛みではないものが広がる。
これは熱だ。撫でられた場所に一筋の火が灯っている。
「なめてんなやお前!」
動けぬようにと両手を突き出し、セイバーの胸倉を掴んだ。
「これやったら!」
「あぁ、そうだな。だが、かわす必要はない」
「そんなんでひるむと思って……!」
「ははっ活きがいいな」
身を焼かれながらも攻撃の手は緩めまいと口を開いた。
が、噛みつくことはかなわない。
体が石になったかのように重く硬い。この感覚を橋姫は知っている。
(安珍の、なんで)
「祈ってみるものだな」
今度は橋姫の腹に拳。
火も気にせぬセイバーの一撃が入ったと思えば、今度は火が爆炎に代わり橋姫が吹き飛ばされる。
「ああああああああ!」
叫び声を上げながらアサシンが接近。
手に掴めるだけの碁石をセイバーに向かって投げた。
起爆。起爆。起爆。起爆。起爆。
セイバーを包み込むような爆撃が見舞われる。
「遅いな。せめて、鬼の動きが止まった時に来るべきだった……」
すでに移動は終わっている。
二歩ほどセイバーは下がり、爆炎をかわしている。
そしてその二歩の空間は一瞬のうちに埋められる。
「よく今まで生きてこられたものだ」
掴まれた服。
反撃をする間もなく地面に投げ捨てられた。
受け身をとれず、まるで肺の空気を吐き出したかのような苦しみ。
明滅する視界とそれに呼応するかのように頭が痛む。
間髪を入れずに胸板を踏みつけられ、アサシンは口から血を吐いた。
「折れるほどではないだろう。病持ちかお前。嫌なものだな、病というのは」
「ぐっ……あ……」
「落ち着けよ。お前は遊撃衆の一員なのだろう? お前を殺す必要というのはないんだ」
そう言いながらも足をのけることはなく、むしろかけられる体重が増している。
「アサシン。お前はついやってしまっただけだよな? 少し情が湧いてあの少年についていった」
「……」
「それで俺がついてきて、あの鬼に流されたんだろう。それなりの時間を共にしたものな?」
アサシンがセイバーの足に手を伸ばす。
触れる前に足がのけられ、今度は手ごと胸を踏みなおされた。
「だから思わず俺に攻撃をした。本当はそんな気持ちもないのにな?」
「ちが……」
「違わんよ。お前は無意識のうちに手加減をしている。お前の攻撃が俺に当たったか?」
「違う……」
「精々目くらましが出来た程度。俺を殺すには至らん。それにお前は自分で自分を人間と言ったではないか」
「お前は人の味方だ。ついつい思い違いをしていただけ。本気じゃない。俺に向けた何もかもが」
セイバーが笑う。
吠えるかのように高らかに笑っている。
「お前……なぁ!」
起き上がった橋姫がセイバーに迫る。
飛び掛かる橋姫の首を彼の手が掴んだ。
「アサシン、アサシン。人間であり、人間の味方であり、遊撃衆であるお前様」
「……」
「お前に機会をやろう。本気ではないとはいえ、俺に攻撃を仕掛けたのは事実。冗談で済まされる話でもない」
「なにを……」
「これは証明だよ。見せてくれ、お前の人間としての心意気」
橋姫がアサシンの上に叩きつけられ、二人は低く悲痛な声を出す。
「鬼を殺せ」
「な……!」
「しかしいつまでも待つつもりもない、戦場では一瞬の判断が必要だ。あのアーチャーの集団の中にいるのだ、それぐらい出来ねば困る」
セイバーが揺らめき大きく退く。
そしてアサシンは空に浮かぶそれを見た。
鐘楼。もう見慣れたそれが浮かんでいた。
「『道成寺鐘四種三昧』」
最終更新:2018年05月30日 02:53