7節 ある心の原形1

「うっ……あ、あぁ……は……」

自分のしたことをアサシンは受け入れきれなかった。
大切な人を手にかけた。仲間を殺した。
それはアサシンにとってあまりにも重すぎる罪だ。

「遅かったな」

セイバーはそうとだけ言って倒れた橋姫の首を掴んで持ち上げる。

「火葬してやらんとな」
「ま、待てっ!」

アサシンがセイバーの足にしがみつくと鬱陶しそうにセイバーが視線をやる。
酷い顔をしている。アサシンの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「あなたの言うようにした! これ以上彼女を傷つける必要はないはずだ!」
「そうか、俺は別にそうは思わんが」
「彼女は死んだ。それで終わりだ! 彼女の体を粗末に扱うようなことは……!」

アサシンが言い終わる前に橋姫の体に火がついた。
真っ赤な炎と共に煙があがる。
空に向かって伸びていく煙はまるで狼煙のようだ。

「あ、ああああ……」
「はは、アサシン。一つ教えておいてやるよ」
「な……なにを……」
「殺しきれていなかったよ。俺は奴を掴んだとき、確かに奴が反応をしたのを感じた」

すがりつくアサシンの体を蹴り上げた。
内臓に響く痛みに手を放してしまう。
また掴もうと手を伸ばすが今度は頭を踏みつけられる。

「お前はまた心が邪魔をして攻め手を打てなかった」

大地に額を無理やりこすりつけられる。
屈辱よりも恐怖が先にやってくる。

「味方に向ける攻撃のそれと敵に向ける攻撃のそれの持つ意味は違う」

墨のようになった橋姫の首にセイバーが歯を立てかみ砕いた。

「結局殺せという命も守れなんだな。今ここで死ぬか?」

◆◆◆◆◆

日がゆっくりと登り始めた。
まだ早朝と言った時間、廃れた遊郭の部屋で藤丸は布団にくるまっていた。
このまま床の上に転がすのも何だろうと気を遣われた結果だった。
部屋の中には酒吞童子。廊下に座り込んでいるのは織田信長。
酒呑は藤丸の横に座って赤漆の盃に口をつけている。信長は腕を組んで目を閉じていた。
信長の隣には妹の市が座っている。四人以外はこの遊郭にはいない。
静かな時間が流れていた。山の喧騒が遠い事のように思えた。

「ん……」

藤丸が目を目を覚まし、二度三度目をこする。
彼の顔を覗き込む酒呑童子。

「起きてもうた?」
「うん……」
「寝て起きて寝て起きて……忙しいなぁ」

藤丸が目を覚ますのは何度目だろうか。
あのまま布団の上に転がされた時にも目を覚ました。
こびりついた不安な気持ちのせいか、十分ほどの睡眠と覚醒が繰り返された。

「またする?」
「ん……いい……」

笑っていう酒呑童子に目をつむったまま言葉を返す。
布団を握る手に力が入った。
その手を酒呑童子の手が撫でれば、一瞬強張ってその後に脱力してしまう。
くすくすと笑う酒呑童子の声を聞きながらまた深いところに落ちていくのだ。
まるで汚泥に身を沈められているような気分であった。
息苦しい。心臓を内側からかきむしられているようだ。腹の奥から何かがこみ上げてきそうだ。
不安を紛らわせてもらう事も出来るが、それにすがれる精神状態も過ぎた。
有意識と無意識の狭間を幾度となく行き来している。
もしも、もしも自分が人理修復を始めたばかりの頃であったなら助けを求めただろう。
酒呑童子に織田信長に市に、自身の不安を吐き出しながらも整理をつけただろう。
しかしそれが出来るほど子供でもなくなってしまったのは藤丸がよく分かっている。

「……あ……ぁ……」

どうすればいい。どうすれば一歩先に進める。
どこに向かえばいい。何をすればいい。何も分からない。何も、何一つ。
立ち向かわねばならない。だが、立ち向かえない。
踏み出せない一歩。勇気を出し、踏み出した一歩の先にあるものが崖のように思える。
だから、進めない。どこにも行けない。
藤丸の抱えている問題は心で癒え、その心によって殺される。

「は…ん、ぅ……」
「……旦那はん。全部吐き出してもうた方がええんとちゃう?」

◆◆◆◆◆

「どういうつもりかしら? この大狸」
「狸ではないさ。俺はな」

墨になった橋姫が地面に放り投げられ、セイバーの手がアサシンの首に伸びた。
それを止めたのは一発の弾丸だった。
セイバーに命中こそしなかったものの彼の頭上をかすめ、彼の髪を落とす。
次は外さないという意思を感じる。
射手は京のアーチャー。遊撃衆……否、雑賀衆の頭領。

「手を出したわね。アサシンに。私の隊員に」
「はは……忠罰だな。これは」
「よく言うわ。それに私達に嘘の情報を流してたわね?」
「……くだらん。そんなことないだろう? もし、そんな事が真実だとしたらどうする?」
「殺すわよ」
「そちらこそ……よく言うよ」

セイバーの体が揺れる。
物理的に。しかし体そのものが、その輪郭が揺れる。
陽炎のように彼自身の姿が揺れて消えた。
次に現れたのはアーチャーの背後。彼の手がアーチャーに伸びる。

「!」

火薬の弾ける音と共にセイバーの背から血が吹き出た。
既に雑賀衆は彼を包囲している。
反射的に止まっていた手をまた伸ばすが、今度は彼の腕から血が出る。
銃弾ではない。いつの間にかアーチャーの手に刀が握られていた。
向き合う二人。傷を負っていない手を振れば火が放たれる。
後ろに大きく飛びのくアーチャー。すれ違うように飛ぶ弾丸がセイバーの胸に赤い花を咲かせる。
宙で火が散ればそこには銃を構えたアーチャーが現れた。
引かれる引き金。迎撃の炎。銃弾を焼き尽くし、溶かす。
しかしまた背後への攻撃。同時に来る足への銃撃。
完全な包囲と連携。迫る一斉攻撃。雑賀衆に死角なし。

「行きなさいアサシン……彼の所まで」
「しかし頭領殿!」
「あなたの仕事を忘れないでもらおうかしら」
「……私は」
「はぁ……行きなさい。ぐずぐずしないで。アサシン。あなたが行かないといけないんだから」

アサシンは走り出した。山を下りるのだ。彼の元に行かねばならぬ。
待つ身と待たされる身どちらが辛いか。
踏み出すしかない一歩がそこにあるのだ。
この問題は心によって進展し、転換する。

「……少々、なめていたかな」
「あら、それは残念。私たちの腕は分かってもらえていたような気がしてたのだけれど」

だがお互いに決め手に欠ける。
陽炎のような揺らめきによる移動は攻撃をかわすのに有効だった。
移動した直後に攻撃されるという一点を除けばだが。
一方の雑賀衆も孫一も彼に致命傷となる一撃を与えられていない。
絶妙に急所を外される。
幾度攻撃を受けてもセイバーは倒れない。
傷を問題としていないわけではなさそうだが、手ごたえがないのは事実だ。

『何をしている』

セイバーの体内から声が聞こえた。
その正体はすぐに分かった。すぐに現れた。すぐに知れた。
名を体が表した存在。魔神柱。不気味な肉のような何かの柱と大量の目。
妖怪百目にも勝るとも劣らない見た目の奇妙さ。
不気味であり、不快な印象を与えそうな存在。

「魔神柱」
『我が名はアイム。溶鉱炉フラウロスに含まれる魔神柱なりや』
「そう。そうなのね……」

アーチャーが魔神柱に銃を構える。

(……ここからが本番……勝てなくていい……まだ、まだ過程……!)

(しっかりと手の内出してもらうわよ)

◆◆◆◆◆

転がるように山を下り、日がゆっくりと登っているのを感じながらアサシンは花街にたどり着いた。
もう視覚からの情報が脳に向かっていかない。
ただ前をぼんやりと見て歩いているだけだ。
曖昧な記憶から道の事を思い出し進む。
やっとたどり着いた。行きついた。廃れた遊郭。
階段を上り二階に上がる。そこには布団の上に座る藤丸がいた。
その横には酒呑童子がいた。優しい顔だった。だが、心は安らがなかった。
酷い臭いがした。すっぱい様なきつい臭い。

「……おかえり」

酷い顔だ。
目の周りにクマが見える。今この瞬間に浮かび上がったのだろうか、それとも今まで見過ごしていただけか。
ボロボロだ。姿ではなく、心が。
消耗している。摩耗している。疲労している。苦労している。
何もかもが徒労に終わったかのようなその姿。
アサシンは引きずるように足を出す。
そして藤丸の前に膝をついた。気付けば涙がこぼれていた。

「すまない……藤丸君……!」
「うん……」
「私が……私が、やったんだ……!」
「うん……」
「橋姫は死んだ。私が殺した!」

藤丸の体が後ろに倒れ、布団に体を預ける。
そうか、そうなったか。
声にならなかった。藤丸の口がそのように動いただけだ。
アサシンの嗚咽が響く。二人の男がすり減っていた。

(思ったよりも……苦しくて、悲しいなぁ……)

始まり
6節 かげろふの命4 永久統治首都 京都 7節 ある心の原形2

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最終更新:2018年07月05日 02:42