安珍が死んだ。橋姫が死んだ。
次は、次は誰の番だろうか。
自分はそれとも誰かか。
逃げきれないのならば、心を決めて向かうしかない。
陽の光が目に痛い。
あれから藤丸は意識を失った。
眠っていると言ってもいいが、あの場合は頭がパンクをしたという解釈でも正しいだろう。
アサシンも一旦休むことになった。
酒呑童子たちは静かに見守っていた。
ただ彼女達の纏っている雰囲気が剣呑なものになっていたのは間違いない。
それはアサシンが一番分かっていた。
問題を起こした人間だという意識が彼にはあるのだから。
「……」
「……」
京の街を歩く二人の間に会話はない。
藤丸の手には二輪の菊の花。
対するアサシンは丸腰で、お互いに横並びではあるが近すぎず遠すぎない位置にいる。
他には誰もいない。
酒呑童子も織田信長も市も誰もついてきてはいないのだ。
マスターである藤丸が望んだというのもあるのだろう。
信長は鋭い目つきながらもそれに頷き、市は姉の行動に従った。
一応護身用として何かを藤丸に手渡したようだが、それが何かはアサシンには分からなかった。
酒呑童子は笑って同行を申し出たが、藤丸が断った。
アサシンへの信頼のためなのだろうか。
酒呑童子も断るであろうことは分かっていたようだった。
だからか、アサシンは酒呑童子の瞳の中にほの暗く冷たいものを感じた。
もしものことがあればと言いたげな、あるいはもしものことがなくても、命を奪われてしまいそうな気まぐれな鬼の目。
その目を見つめているだけで体が震えた。
「……」
(この道は……)
アサシンは一歩また一歩と足を出すたびに気持ちが重くなる。
この先にあるものは分かっている。
逃げ出す気持ちなど起きない、向き合うのが自分に出来ることなのだ。
藤丸の顔からは感情が読み取れない。
暗い瞳をして前を見ている。
その姿にアサシンは顔を伏せてしまった。
(私が悪いのだ……全て……)
もしもこの道が永遠に続くのならば、アサシンは永遠に暗い気持ちを背負い続けるだろう。
だがそうはならなかったのは、歩き続けてさえいれば、いずれは地続きの場所にたどり着けるという、至極全うな理屈があるからだ。
「ついたよ」
「……あぁ」
たどり着いたのは橋。
橋姫と出会い、安珍と出会った場所。
暴れていた鬼を捕らえたという情報はすでに広まっている。
しかしそれでも人はその場所を避けているようで、人通りはない。
遊撃衆に対する信用云々というよりは、用心深さの結果なのかもしれない。
「……お疲れ様」
藤丸が橋に一輪、菊の花をそっと供えた。
そして、もう一輪をアサシンに差し出した。
「ねぇ、供えてよ」
「あ……! あぁ……もちろん……だとも……」
アサシンの手が震えながらも菊の花を掴む。
しゃがみこんで両手を合わせる藤丸。
藤丸の置いた花の隣に震える菊の花が供えられる。
「……」
手が離れ、アサシンは膝から崩れ落ちた。
脳裏に、網膜に、彼女の死にざまが浮かぶ。
爆ぜた背が浮かぶ。
飛び散る血が浮かぶ。
彼女の死に際の顔が浮かぶ。
死が近くに現れたのだ。
それを自分が与えたのだ。
仲間に手をかけて、爆死をさせたのだ。
一息に殺せばよかったものを無意識の手加減によって彼女は二度の死を与えられた。
「私は……私は……!」
「アサシン」
「俺は……なにをしているんだ……!」
気付けばアサシンは地面にうずくまっていた。
吐き出しそうになるが、霊基の体から何を吐き出せるというのか。
走れば疲労があるのは己の霊基の弱さだ。
殺して心が苦しいのは己の精神の弱さだ。
割り切れない、やりきれない、振り切れない。
人間であればあるほど、その罪の重さに耐えかねる。
「アサシン」
「藤丸君……どうすれば……」
アサシンが言い切る前に藤丸が彼の着物を掴んだ。
はっと顔を上げたアサシン。
藤丸の手から伝わる強い力。
脱力していたアサシンはそれに抵抗出来なかった。
馬乗りになられたと思った時にやっと、藤丸の姿が視界に入る。
視線の先にいたのは刃を握った拳を振り上げる藤丸だった。
「アサシン、今ここで死ね……!」
◆◆◆◆◆
「ははははははは!」
「ふっ……はは、あはははは!」
響く笑い声。
男のものと女のものの二重奏。
京のセイバー、そして京のアーチャー。
契約を交わしながらも、袂を別つことになった二人。
その結果に二人とも心は動かされない。
いずれこうなるとどこかで理解していた。
「やはり戦とはこうでないとね……!」
敵はセイバーだけでなく魔神柱もいる。
さらにセイバーも本来の彼の能力からは逸脱するほどの力を持っているのは明らかだ。
木の陰に隠れる者、アーチャーの指示で陣形を組む者、それらをセイバーと魔神柱の炎が焼いていく。
それでも雑賀は立ち続けている。
戦いは一進一退、それぞれが手負い。
お互いに血を流していた。
「笑っているがそろそろ限界であろう?」
「まさか、私たち雑賀衆は戦国最強、これは自信じゃないわ。自分たちを信じてるんじゃない」
アーチャーが、雑賀孫一が、雑賀衆の頭領が笑って天に銃口を向けた。
「この強さは真理。真の理。我らの強さ、そして御仏の加護は第六天の魔王からの赦免をも手にした」
「……」
「あんたとは決定的に格が違うのよ」
逆鱗に触れたらしい。
セイバーの顔から笑みが消え、代わりに強すぎるほどの憎悪と殺意が浮かんでいる。
不気味な笑みではない。
ただ、不気味な顔をしている。
「ちょっと戦い方を変えましょうか。連射の出来る火縄はあの時代にはなかった」
「だが俺の心の炎はあの時代から続いておるわッ!」
陽炎の如き揺らめき。
セイバーの体が揺れて消える。
雑賀の火縄の射線から完全に消え失せた。
「焦るな!」
孫一が振り返り、背面であった場所に弾丸を放つ。
「外れだ」
セイバーの移動先は孫一の背面。
振り返らなければ正面。
下手を打ったか。
「分かってるわ」
否、想定の範囲内。
セイバーの腹に熱がぶつかる。
孫一の手には先ほど使った物とは違う火縄銃だ。
傍にいた雑賀衆の一員の手に握られていたものを彼女が扱っている。
一瞬の内に受け渡しを行っていたのである。
「次ッ!」
別の銃が手渡される。
受け取って、すぐに撃つ。
「甘いな、アーチャー」
セイバーの手から放たれる火。
彼を中心にした火柱が立つ。
撃ちだされた弾丸は火柱の中に消えていった。
手ごたえはない。
火柱が膨張し爆発すると、中から現れたのは鬼だった。
「総員退避!」
鬼から一斉に距離を置く雑賀衆。
しかし敵は一人ではない。
『焼却、焼失、焼殺』
静観していた魔神柱からの攻撃。
焼き払われる大地と雑賀衆。
なんとか被害を最小に抑えた兵も火柱から現れた鬼に襲われる。
「ちっ……!」
「気分はいかがかな?」
残った雑賀衆で陣形を組む。
迅速な動きである。
そしていつの間にか目の前にはセイバー。
「『百鬼夜行』俺の宝具の一つ」
「あんたのじゃないでしょう?」
「然り。されど今は俺のものだ。魔神柱と聖杯と呼ばれる逸品の力よ」
「……そう。じゃああの時襲ってきた妖怪もあんたがけしかけたのね?」
「そうだ……貴様は邪魔だからな。さて、雑賀の頭領よ。我が妖の軍勢と魔神柱、そして総大将である俺。今ここで戦をより進めてもいいが、どうする?」
「はっ。これは和睦じゃないわ。その宝具の持ち主同様、私を飲むつもりでしょう?」
「無論。お前を生かす用事もなくなった」
次々に山から妖が下りてくる。
無数に生まれる、というわけではないのだろうが、明らかに雑賀衆よりも数は上。
(この辺りが潮時……)
「して、どうする? 凌辱の限りを尽くされた後に死ぬか、死んだ後に凌辱を受けるか」
「どちらも御免よ。下衆な男ね」
孫一が指で輪を作り咥える。
指笛だ。
甲高い音が周囲に響く。
「はは……あ?」
火が上がる。
森の一端、燃え上がる炎。
――――動いている。
まるで這うように、それは蛇のようで、それはまるで……
「何……!?」
それは殺されたはずの竜のようで。
「いざという時のため、袋小路に穴をあける針を用意しておくわよ……!」
竜が這えば妖怪が一切の区別なく焼き払われる。
対応しようと動こうとするセイバーだったが、構える雑賀衆の銃の前ではそれも厳しい。
たとえ陽炎のように揺らめく術を使っても、孫一はそれを読み切る。
セイバーと長く近くにいたためか、彼の一手の思考を理解してきている。
読めなかったとしても、竜の火を受けるのは確実。
下手を打つ気はない。
「あんたはそう言う人間だと思ったわ」
竜の炎がセイバーに向けられ、それを回避する。
しかし炎が消えた時にはアーチャーも雑賀衆もすでに消えていた。
「……」
『どうする、セイバーよ』
「どうするも……また次の手を打つだけだ。それよりも、大丈夫か? かなり銃撃を食らったと思うが」
『惰弱。あの程度、痛みとも認識しない』
「はは。よく言う。俺にした細工の分やら、カルデアとの戦いの傷やらで万全ではなかろうに」
『その口、今すぐに閉じよ』
「承知した」
また笑いだすセイバー。
もうその顔に憎悪の色はない。
また不気味な笑みを浮かべた男が立っているだけだ。
(針を持つのはお前だけじゃない)
◆◆◆◆◆
「ま、待ってくれ藤丸君!」
アサシンがそう叫んだのは拳が振り下ろされた後だった。
しかし彼の言葉は助けてもらいたかったから言ったのではない。
刃が到達したのが彼自身ではなく、彼の顔の横だったからだ。
橋にまっすぐ短刀がつき下ろされている。
「何?」
「き、君は今ここで死ねと! 私に死ねといった!」
「言った」
「だ、だが、君は……君は私を……!」
「本当に死んだとして、罪を償ったことにはならない」
藤丸の言葉にアサシンは心臓を刺されたような気分である。
身が強張る。
「僕は何もできなかった。僕がうまくやれば、死なずに死んだかもしれない命だ」
「藤丸君」
「だけど死んでしまったのなら、もう取り戻せない。仕方がない。死にたくなるほど辛くても、仕方がないんだ」
揺れる瞳。
苦痛の上に立ってここまで来た。
痛みの道を進んでここまで来た。
それが人理を救う人間の役割だ。
「答え合わせをしよう、アサシン」
「答え……?」
「今この場で京のアサシンは死んだ。君は君の名を知って、また僕らと歩くんだ」
「……君はそれでいいのか?」
「君がもし本当に悪人だとして、僕が死んだらそれはそれで仕方がない。だけど僕が死ぬ前に僕らは君を殺すよ」
嘘ではない。
若い少年のものとは思えない覚悟。
多くの死を見てきたが故に感覚が麻痺している。
生と死の境界が曖昧だ。
「でもアサシンは悪人に向かないと思う」
「そうなのかい?」
「うん……アサシン」
「なんだ?」
「梶井基次郎という人に心当たりはある?」
梶井基次郎。
かじいもとじろう。
「……」
何かが砕けた。
「それは――――」
理解した。
「俺の名前や」
フラッシュバックする。
自分の趣味嗜好も理解できた。
人生だけでなくいろいろなものが頭の中に流れ込んでくる。
パンクしそうになる情報量だが、容易に受け入れられうのはそれが自分のモノだからだ。
これは思い出しただけだ。
死ぬ間際に見た走馬燈の再放送である。
「俺は……わたし、は……梶井基次郎……でも、なんで」
「うん……ダ・ヴィンチちゃんに調べてもらったんだけど」
結論から言って、梶井基次郎は英雄となれるほどの人物ではなかった。
武勇の将軍ではなく、芸術系サーヴァントではあるが、シェイクスピアやアンデルセン並ぶものかと言われれば、世界的に見てそうではないだろう。
確かに人の歴史に彼の名はあるが、それは広くは認知されていない。
英霊の適正はない、ダ・ヴィンチちゃんはそう答えた。
しかし藤丸の前には英霊となった梶井基次郎がいる。
これはどういうことか。
「貴方たちの疑問は私がお答えしましょう」
「頭領殿……?」
横を見れば橋には雑賀孫一。
傷だらけだ。
酷くダルそうな顔をしている。
そして、彼女の傍にはもう一人。
「清姫」
彼女が笑った。
「はい。お久しぶりです、ますたぁ」
最終更新:2018年10月14日 23:21