第15節:だからこそ、俺のために死ねッ!



二度目のバーサーカー討伐から、どれほどの時間が経過しただろうか。
道中で立ち寄ることとなった街で補給や休息を取ったり、数度の車中泊などをも挟みつつ……立香達はひたすらに南下を続けていた。
色々なことがありすぎたコロンビアからはとっくの昔におさらば済み。現在はエクアドルの中南部、クエンカにまで到達している……らしい。
丸石で舗装された道路は、二代目の移動手段となった〝ハンヴィー〟なる土色の軍用車に負担をかけることもない。
マシュ曰く、そういった道路と、大理石や漆喰製の建築物や塔付きの教会などは、植民地時代のそれを彷彿とさせるものらしい。

「ダ・ヴィンチちゃんとマシュは何でも知ってんなぁ」

亜種特異点潰しが終わって、世界が完全に静けさ――当然良い意味でだ――を取り戻した暁には、海外旅行で訪れてみるのもいいだろう。
我ながら何を呑気な……などと心中でツッコミをいれながら、立香は視界をかすめていく景色を眺めていた。

「にしても、嫌な感じだな」

そして、ぽつりと呟く。
ダ・ヴィンチも『ああ。さすがに〝二度目〟ともなるとね』と同意した。
静けさ。そう、立香が〝嫌な感じだな〟と感じたのは、他でもないその静けさである。
これまで立香一行は南下を続ける内に、六騎のサーヴァントと、それらに追従するホムンクルス兵という名の壁にぶち当たってきた。
マジノ線などとは比べものにならないほどに厄介極まりない、名付けるならば〝動く城壁〟……それらは幾度となく立香達を苦しめてきた。
街も村も全て死に絶えたにも関わらず、そうした壁は騒がしく命を狙ってきたのだ。
で、あるにも関わらず、

「初めてバーサーカーが来たとき以来だよな、この静けさは」

ハンヴィーが前へ前へと進み続ける重い音だけが響くこれまでの旅路は、常に不穏な静寂に包まれているのだ。
車種を変えてからというもの、幅の広い主要道路を堂々と走り続ける今ですら、信号弾が叫ぶ音すら聞こえてこない。
ここに来て我々は誰にも発見されていないのか。それとも全てを把握された上で泳がされているのか。
幸運と不運、天秤がどちらに傾いているのだろうか。非常に気はなるが、生憎と知る方法はない。
荷台に座す燕青と小次郎が目を皿にしてくれているが、それでもなお謎は深まる。

「燕青、小次郎。何かいるか?」
「いやぁ? 俺の視界には何も入ってこないねぇ」
「蒼天にて鳥が翼を広げていたが、童が羽を伸ばしている様子は見られぬな」
「鳥ねぇ……ん? 鳥? ちょいタンマだ、小次郎。それ、鳩だったりしないか?」
「否、鳩ではない」
「鳩だったら気をつけてくれ。セミラミスのことも考えなきゃいけなくなる」

アサシン達と立香の会話を聞きながら運転するケツァル・コアトルが「難儀なものね」と呟く。
確かに、鳥一羽にまで気を張らざるを得ない今の状況は難儀極まりない。疲労が溜まること必至である。
立香は燕青達に「悪いな、神経質になるようなことさせて」と、苦い笑みを浮かべた。
燕青は「そんなに気ぃつかわなくても」と笑い、小次郎は「構わんよ。これしきのこと、苦であるものか」と微笑を浮かべる。
ケツァル・コアトルにも「改めて、サンキュな。運転しっぱなしなのも大変だろ」と声をかける。
だがやはり彼女も「お気遣いなく! さぁ、もっとスピードを上げますヨー!」と白い歯を見せた。
念のためにシートベルトを確認すると、それを合図にしたかのようにハンヴィーの速度が上がった。
法定速度を示した交通標識らしきものを見かけたが、メーターは余裕で数字を上回っている。
まぁ運転手が運転手なのでどうにかなるだろう……立香は心中でそう呟くと、視線を進行方向へと戻した。
相も変わらず視界の先では、見慣れぬ様式の家々をはじめとする建築物が、日向ぼっこでもしているかのように鎮座している。
毎度のことだが、ハンドルを切るだけでたちまち狭苦しい道へと入り込むこととなるだろう。
そして、そうする必要に駆られる可能性は、常に存在し続けている。まるで獲物を絞める蛇のように、延々とまとわりついているのだ。

「……主殿!」

などと改めて現状の危うさに辟易していると、不意に立ち上がった小次郎が声を上げた。
窓越しに何事かと訊ねると、彼は背の大太刀に手をかけ、振り向かずに言う。

「狼煙が上がった。戦場と化すぞ、この街は」

続いて荷台に立ち、構えを取った燕青が「おぉ、見える見える。もろに発煙弾だ」と乾いた笑い声をあげた。

「一つ、二つ、三つ……おうおう、どんどん増えてやがる。やばいぞ、マスター」

可能性という種子は、遂に花開いた。
備えなくてはならない。立香はすぐさま、カルデアへと問いかけた。

「サーヴァントは来てるのか!? 来てるとすれば誰だ!? それとも初めましての一見さんか!?」
『君の推理通り、機材はサーヴァントが存在していると認識した! 二時の方向から接近中! クラスは……』

立香の熱意に応えるように、ダ・ヴィンチはハキハキと情報を並べていく。
だが未だ通信の最中だというのに、遮るかのようにケツァル・コアトルがハンドルを横に切った。
するとハンヴィーが我が物顔で反対車線へと入り込んだため、相応の揺れが立香達を襲う。
しかしケツァル・コアトルは、いたずらに不安を煽ったわけではない。立香とてそれは解っていた。
彼女はただ、迫る脅威を迎え撃とうとしているのだ。
そんな心意気を褒め称えるかのように、立香達の眼前に青黒い人影が姿を現わした。
それは当たり屋のように斜め前から飛び込んでくるやいなや、まずは軽く跳躍して広いボンネットを踏みつける。
そしてそのまま更に高く飛び上がり、二騎のアサシンが待つ荷台へと迷いなく突貫した。
直後、鋼同士が派手にぶつかり合う音が耳をつんざく。

「久方ぶりだな、色男」
「懐かしいねぇ、伊達男」

バックミラー越しに荷台を注視すると……燕青が、太刀による一撃を群青色の籠手で防いでいた。
得物の持ち主は青黒い和装を纏っている。佐々木小次郎の電撃参戦も既に知っていたのか、彼は空いた片手で侍へと拳銃を向けた。

「お出ましか……アヴェンジャー!」

お察しの通り、突如として姿を見せた影の正体は、復讐者のクラスにて現界したあの和服男であった。
今回は隣に誰もいない。ホムンクルス達こそ引き連れているが、今日はソロ活動の気分であるらしい。
何か策でも仕込んできたか。立香は警戒レベルを強めるために「よし、大げさなくらいにビビろう」と自身に言い聞かせた。
すると助手席側のサイドミラーが、何の前触れもなく弾け飛ぶ。少年兵の一人が、軽機関銃をぶちかましたせいだった。
おそらくだが狙いは立香だ。サイドミラーが貫かれたのは、単なる照準ミスか……それとも〝いつでも殺せるぞ〟というメッセージ代わりか。
すぐさま身体を丸めた立香はダッシュボードの下に隠れ、この状況を打破する方策を編み出すために思考を巡らせた。

「マシュ、ダ・ヴィンチちゃん。荷台はどうなってる? バックミラーで確認したいけど、身体伏せちゃったもんで。代わりに見てほしい」
『一見すると二対一で〝こちら〟が有利に思えますが……ホムンクルスの数が多すぎるため、燕青さんと小次郎さんの動きが制限されています』
『燕青が接近戦でアヴェンジャーを押し、小次郎クンが隙を突いて中距離から首を落としにかかる……という戦法を取りたい様子だがね。
 マシュが報告した通り、ホムンクルスの数が数だ。特に小次郎クンは、彼らの横槍を防ぐことを強いられている。はっきり言ってジリ貧だよ』
「相手の様子は?」
『自在に太刀を振るっている。数の暴力という支援のおかげで、燕青達よりも遥かに活き活きしているよ』
『リロードを必要とする拳銃はともかくとして、せめてあの太刀での攻撃は制限させたいところですね……』
「だけども、囲まれている以上は難しいと。なるほどな」

カルデア側が届けてくれた情報をもとに、立香は特に色が付いているわけではない脳細胞を働かせる。
そうしてしばし黙りこくっていると……不意に彼は策を思いついた。
浅知恵だとは己でも理解しているが、不利な状況から脱するにはこれしかあるまい。
ただ、そうするためには〝とある条件〟が必要なのだが。

「ダ・ヴィンチちゃん。ARモニターで周辺の地図を表示してくれないか? iTunesカードくらいのサイズでいい」
『Android派なのにかい? それじゃあ、はい。現在地付きにしておいたよ』

というわけでダ・ヴィンチに地図を懇願すると、眼前に理想的な画像が現れた。
点滅しながら動いている赤い丸印は、ダ・ヴィンチの言う〝現在地〟……すなわちこのハンヴィー自身を示しているのだろう。
そんな気の利いたものをじっと見つめていると、立香は「よし。オッケー」と口角を上げた。

「マスター、何か素敵な悪巧みでも思いついたの?」
「ああ。ただ、せっかく来てくれた小次郎の価値を無茶苦茶下げる羽目にもなる、そんな諸刃の剣だけどな」

眼前に現れたホムンクルスの少年を「ごめんなさいね……」と撥ね飛ばしたケツァル・コアトルが、苦々しい表情のまま立香に訊ねる。
立香は「よし、それじゃあケツァ姉……丁度今、信号機の下を通っただろ?」と確認を取ると、

「その次の次の信号を越えたら、すぐさま右に曲がってくれ。多分〝この幅ならいけるはず〟だ」
「……なるほどね。いいでしょう、お姉さんは信じます!」

計測されれば逮捕必至の速度でもってハンヴィーを操るケツァル・コアトルは、指定の位置で思い切りハンドルを切った。
そうして生み出された完璧すぎるドリフトは、車体の向きを直角に曲げる。荷台にいる三騎のサーヴァント達が、僅かに唸った。
だが気にすることもなく、ケツァル・コアトルは指示通りにアクセルをベタ踏みする。
その瞬間、戦場はゆとりのある主要道路から、左右にペンシルビルや狭小住宅がずらりと立ち並ぶ細い路地へと移った。
生き残っている運転席側のサイドミラーが、建物の壁などにぶつかり火花を散らす。
表面がガリガリと削れていく音は実に不愉快だ。

「よっし、ギリセーフ! どうよ、この狭さ!」

だが立香は実に愉快だと言わんばかりに、思い切りガッツポーズをする。
そしてダ・ヴィンチに、今度は荷台の様子を新たなARモニターで見られるようにしてほしいと頼むと、

「おのれキャスターッ! 何が〝多めにつけておきます〟だ! こうなっては毛ほども役に立たんぞ!」

怒号を上げて薙ぎから突きの姿勢へと切り替えたアヴェンジャーの姿が、くっきりと映し出された。
いくらハンヴィーが大型車と言えども、この路地は車一台通るだけで精一杯の道幅なのだから、当然の流れである。
今やアヴェンジャーの太刀に許されたのは、縦に降ろすか前に突くか、振り上げるかの三択のみ。サーヴァントと戦うには、あまりにも心許ない。
例え近距離で拳銃を放ったとしても、燕青はその歩法で、小次郎はスキルにまで昇華された心眼で容易く回避するに違いない。
ホムンクルス達で周囲を固めることすら叶わない。アヴェンジャーは今、他でもない自身の得物によって〝詰み〟にはまったのだ。
本人もそれを自覚しているのだろう。燕青達の隙を窺っているのか、突きの態勢のまま動かずにいる。
一方で同じ理由により小次郎も〝詰み〟にはまってはいるのだが、こちらには武器の長さというアドバンテージが存在する。
同じ振り下ろしや突きでも、相手よりも遥かに遠い間合いから繰り出すことが出来る以上、遥かにマシであるのは明らかだ。
この状況がトサカに来たのか、遂にアヴェンジャーは燕青に突きを放った。

「おいおい、自暴自棄だけは駄目だろう」

だが刃は、燕青の頬へと赤い線を生み出すことすら叶わなかった。
逆に後の先を取った燕青が掌底を放つと、アヴェンジャーはいとも容易く荷台から弾き飛ばされ、強制的に降ろされてしまう。
それでも太刀と拳銃を握り締めたままなのは、流石と言ったところだろう。

「ケツァ姉、ブレーキ! そんで燕青! 小次郎! そのままトドメを……」

邪魔者が現れない内に、と立香は指示を出す。だがあちら側も、アヴェンジャーがミスを犯す可能性を考慮していたらしい。
見ればなんと、さながら蟻のように列を組んだホムンクルス達が、武器を手にぞろぞろと接近しているではないか。
世界レベルのスプリンターも驚愕必至の速度だ。このままでは二代目ならぬ二台目の移動手段もすぐにお釈迦となるだろう。
振り切れなかったか……! 立香は大きく舌打ちをかますと、すぐさま「やっぱやめ!」と指示を翻した。
この言葉に対し、飛び降りる寸前だった燕青と小次郎は、文句の一つも言わずに声を合わせて「承知」と応える。
ケツァル・コアトルも「舌を噛まないでね」と言うと、再び力強くアクセルを踏みしめる。
こうしてホムンクルスの群れ逃げだすことには成功したのだが……ここで突如、ケツァル・コアトルがバックミラーを二度見した。
荷台からも「おいマスター! ヤバいぞ!」だの「主殿、これは想定外ではないか?」だのといった声が聞こえてくる。
一体何事かと訊ねてみると、今度はダ・ヴィンチが何も言わずに新たなARモニターを表示させてくれた。
モニターには、太いバイクに跨ってこちらに追走してくるアヴェンジャーの姿が映し出されていた。
刀を差した和服の男がゴリゴリの大型二輪車に跨がり、あまつさえこちらに銃口を向ける光景など、奇異にも程がある。

「なっ! 騎乗スキル持ちぃ!?」
『こちらが少年兵達に気を取られている隙に、近場で奪ってきたか!』
「普通ここまで深追いするかよ!?」
『落ち着け立香君! 恐らくだが、彼は君達が広い空間へと脱するのを待っているだけだ! ならばもっと狭苦しい場所に向かえばいい!』
「心当たりが!?」
『クエンカ近郊に〝Amaru Zoológico Bioparque〟という動物園があってね! 一度広い道に出てはしまうが、そこを耐えればまた狭くなる!
 動物園までの道中は木々に囲まれ、街中に比べれば悪路と言っていい! 加えて動物園自体も青い森林に覆われている! そこに飛び込め!』

ダ・ヴィンチの言葉を聞いた立香は「なるほど。ぶっとい木に囲まれてれば、太刀は自在に振るえないままってか!」と得心する。
加えて動物園というものは、基本的には車ではなく徒歩で入って楽しむものだ。更に雄大な緑に覆われているともなれば、諸々の期待値は高い。
かつてバビロニアでジャングル地帯を展開させていたケツァル・コアトルとしても、これまでと比べれば遥かに戦いやすい場所でもあるだろう。
いいことずくめだ。立香はダ・ヴィンチに礼を言うと、真剣な眼差しでハンドルを握るケツァル・コアトルに対し、公園へ向かうよう指示した。
すると〝合点承知〟とばかりに速度が上がる。事故が起きれば大破では済まないだろう。確実に、立香は死ぬ。
そしてそんな速度を保っているにも関わらず、復讐者たる男は追いすがってくる。内容だけ聞けば、確実に都市伝説のそれだ。

「さぁマスター! 勝負所よ!」

そしてダ・ヴィンチの言う通り、ここでハンヴィーは一旦広い道へと姿を晒す羽目になった。
だが幸運なことに、ホムンクルス達はその身体能力をもってしても、立香達との併走は叶わなかったらしい。
ほぼ同じ速度で背後を取っているのは、スキルらしき何かでバイクの力を限界以上に引き出しているアヴェンジャーただ一人である。
これならば、行ける! そう確信したのか、ケツァル・コアトルは「行くわよ!」と絶叫した。
その直後、ハンヴィーは木々に挟まれた砂地の道路へと入り込む。
ダ・ヴィンチからの情報を思い返すに、恐らくは動物園に向かうためだけの道に入り込めたのだろう。
続いてノーヘルのアヴェンジャーも、鬼気迫る表情で同じルートを辿ってくる。
相変わらず、ホムンクルス達の姿は見られない。

「マスター! 舌を噛むから口を閉じていてね!」

何度も何度もドリフトを繰り返した果てに、ハンヴィーは入り口のゲートを破壊して動物園へと侵入した。
そしてダ・ヴィンチに言われたとおりに本来の通路を一切無視し、森林地帯へとすぐさま飛び込む。
だが「まだまだ」と奥深くへと踏み込むと、ようやくケツァル・コアトルは急ブレーキをかけた。

「お疲れだ姐さん、マスター! いいねぇ、とてもいい場所だ!」
「自然は大事にせねばなぁ」

立香とケツァル・コアトルが座席から降りると、荷台のアサシン二人も荷台から飛び降りる。
するとバイクのエンジン音が、だんだんと大きくなっていく。凄絶なるアヴェンジャーが未だに迫ってきている証だ。
それにしても、こうして集団で……しかも森の中で相手を迎え撃つというのは、あのアドニスと最初に出会ったときの状況を思い起こさせる。
まるで……否。決して〝まるで〟ではない。まさしく立香達は今、あの少年と全く同じ策を取っているのだ。さながら、意趣返しの如く。
だが卑怯とは言わせない。こう見えて、こちとら何度も命を賭してきた身なのだ。
格好いいだけではやってられない。勇敢なだけでは命がいくつあっても足りない。
それは幾度となく特異点の解決に奔走したからこそ思い知った、真理の一つである。
戦場ではビビってなんぼ……そういうときもあるのだ。

「……は?」

などと全力で保身に走っていた立香の視界に、何の前触れもなく恐ろしい物体が入り込んできた。
それはまるで、水車のようにぐるぐると縦に回転しながら跳んでくる、巨大な鋼鉄の塊。
その正体は、他でもないアヴェンジャーが乗っていた大型バイクであった。
随分とハッピーな登場をかましてくれたそれは、立香のもとへと真っ直ぐに向かっていく。
もしも立香が筋骨隆々のヘビー級魔術師であったならば、それをハグしてお迎えしてあげられる可能性も生まれたのだろうが、

「あ、これ、死……」
「なせません!」

カルデアに関わる全員が知っての通り、実際はそうではないので、ケツァル・コアトルが代わりを務めた。
彼女はまず立香の眼前へと即座に移動すると、地にマカナを突き立て、盾を落とす。
そして、乗り手を失いながらも未だにタイヤを動かしながら回転する大型バイクを前に、微塵も震えを起こさぬまま、

「ここよっ!」

ハンドルの片側とシートを易々と掴み取り、勢いを殺さずに遥か後方へと投擲するという手法で受け流した。
一瞬の内にどこまで計算をすれば、ここまですんなりと掴むべき場所に手を伸ばし、このような荒技を成し遂げられるのか。
改めてケツァル・コアトルの凄まじさを実感した立香は、とにかく感謝の言葉を伝えねばと口を開こうとする。
だがしかし、真に怖れるべき災害が発生するのはここからであった。

「ハッ! 異国の神が〝柔〟とは!」

徒手でバイクに挑んだケツァル・コアトルへと、太刀を大上段に構えたアヴェンジャーが跳躍してきたのである。
その軌道は、先程対処した鉄の塊と一寸も違わない。要するに彼は、バイクを処理されることを前提にして襲いかかってきたのだ。
ならば避けるか、迎え撃つほかない。このまま呆けていては、ケツァル・コアトルの霊核が即座に砕け散るからだ。
だが今の彼女は武具を持たず、未だきちんと姿勢を正せていない。隙が服を着て歩いているものと言っても過言ではない状態である。
迫り来る危機が何をもたらすのかを悟ったか、彼女は即座に元の姿勢に戻るよう努力しながら「燕青っ!」と叫んだ。
すると〝待ってました〟とばかりに、燕青が彼女の肩を踏み台にして高く跳躍する。

「後ろの侍は飾りか何かか? 何故使わない?」
「その理由、アンタが一番理解してるはずだが?」

群青の籠手によって守られた燕青の両手が、振り下ろされた太刀の刃を強く握り締めた。

「武士の魂だったっけか、これ。折れると、どんな音がするのかねぇ?」
「殺す」

唐竹割りを諦めたか、柄から左手を離したアヴェンジャーは拳銃を手にした。
燕青は顔を射線から外すと、そのまま即座に刀から手を離し、相手の腹部に向かって膝蹴りを放つ。
だが刀の腹で防がれてしまい、燕青は「おおー、やるぅ!」などと言いながら、しっかり距離を取って着地した。

「いつでも逃げられるようにしておけ、マスター。あの和服、本当に〝やる〟」

そして同じく遂に両脚を地に着けたアヴェンジャーを睨み付け、燕青は低い声で警告する。
先程までの飄々とした声色ではない。敢えて俗な表現をするならば〝ガチ〟のそれだ。

「出来るなら、小次郎の兄さんに頼ることをお勧めしておく」
「……オッケー」

立香が小声で返事をすると、燕青はもはやこの特異点で幾度となく見せた〝いつもの構え〟を取る。
一方でケツァル・コアトルもマカナと盾を持ち、こちらに真顔でウィンクをした。いつでもいける、ということだろう。
せいぜい邪魔にならないようにと、立香は振り返らずに後退する。そして落ち葉を踏みしめる音が十と数回鳴ったところで、小次郎の隣に立った。
彼もまたアヴェンジャーの様に抜刀しており、小声で「主殿。童の集団にも意識を。もう少し後ろに……だが、離れすぎぬよう願いたい」と囁く。
死にたくないので、立香は素直に言うことを聞いた。靴底と落ち葉が触れ合う音が、再び鼓膜を揺らす。
するとやがて、誰一人として口を開かぬ無言の間が訪れ、一帯は静謐な空間と化した。
なるほど。神も浪子も剣豪も、そして獰猛な復讐者も、相手の隙を窺うつもりか。
これはしばらくかかるに違いない。肝心のマスターたる自分の集中力は保つだろうか? 立香は己のスペックを疑問視した。

「龍を墜とそうか」
「……あん?」
「いいや、違うな。ここはやはり……」

だが次の瞬間、立香の予想は破られることとなる。

「牡丹だな」

なんと立香が一度だけ瞬きをした間に、アヴェンジャーが燕青の目と鼻の先にまで接近していたのだ。
縮地の数歩手前かと見紛うばかりのその動きは、頼みの綱であるサーヴァント達ですら目で追えなかったらしい。
再び、復讐者の太刀が大上段で振るわれる。

「……っざけんなぁ! 待て待て待て! ンだその速度はぁ!?」

対して燕青が取った行動は、両手をクロスさせる形での防御であった。それは即ち、掴む余裕など存在しなかったことを意味する。
幸運にも――確実に燕青の狙い通りだろうが――両手首で挟むように防御出来ていたのでよかったものの、そうでなければ今頃彼はお陀仏だった。
サーヴァントでさえ死を覚悟させられたのだ。故に弱々しい底辺魔術師である立香には、唾を飲み込むという選択肢しか与えられなかった。

「ほう。その踏み込みの型と速度……かの〝柳生新陰流〟と見たが、如何かな?」

そんな信じがたい光景を前に、動じもせずに――少なくとも立香にはそう見えた――問いを投げかける男が一人。
それは他でもない、宮本武蔵と対を成す架空の剣聖……の名を背負うことを許されたイレギュラーな影法師、佐々木小次郎である。

「なるほど。この刹那で見破るか。お前……相当な剣聖だな?」
「そこまでの者ではない。所詮、あの佐々木小次郎を名乗れなどと戯れに命じられた亡霊よ」
「佐々木小次郎! なるほど、どうりで! それはいい、面白い! とてつもなく面白いぞ!」

ははっ! はっははははははははは!
穏やかな空間だったはずの森林地帯に、狂ったような笑い声が響き渡る。
こちとら必死だというのに、この状況で〝面白い〟とは何事か。一体全体この男は何者で、何様なのか!
立香は目を細め、思いきり彼を睨み付ける。大声で〝ふざけるな!〟と月並みな言葉をぶつけてやりたかった。

「やっと追いつきましたよ、アヴェンジャー。我々を忘れないでください」

だがそのような考えを持つ者は、立香以外にも存在してくれていたらしい。
上空から現れ、立香達を囲むように着地したホムンクルス達……その内の一人――肩口まで髪を伸ばした少女――が、諭すように声を上げた。
手の甲には三画分の令呪が刻まれている。隣にいる少年に寄り添うが如く立っているところを見るに、恐らくは彼女らがマスター役なのだろう。
その証拠に、声をかけられた途端にアヴェンジャーが大きく舌打ちをした。さっきまでの笑顔もどこへやら、である。

「大方、我々からの監視を嫌がったが故の行動だったのでしょうが、そもそもキャスターが言うように、あなたは……」
「やかましい。黙っていろ。過程はどうであれ、今はこうして揃っているんだ。文句を付けられる謂れはない」

興醒めだと訴えるかのように、アヴェンジャーはあからさまに不機嫌さを露わにした。
そして何を思ったか、防御で手一杯となっていた燕青から少し距離を取るという、優位を捨てるも同然の行為に走る。
続いてアヴェンジャーは、苦虫を噛み潰したような表情のまま、太刀の切っ先でホムンクルス達を指し始めた。
耳を澄ませると、微かに「一つ、二つ、三つ……」という囁きが聞こえる。兵達が全員揃っているかどうか、確認しているのだろう。

「ふん。だが想像以上に早く集まって〝くれた〟ことには礼を言おう。感謝する」
「そうですか」

結果、数は合っていたらしい。アヴェンジャーは大きく溜息をつくと、今度はこちらへと口を開いた。

「魔術師、そしてその手駒共。お前達の策に秘められた狙いについては、既に把握している」

地を踏む力が少し強くなったのか、アヴェンジャーの足元で落ち葉がこすれ合う。
同じく、無言で構えを取り直した燕青とケツァル・コアトルも、足元で音を奏でる。

「確かに太刀は、狭苦しい小道……もしくはこの大木だらけの森林のように、無視出来ん障害物が多い場所で使うには適していない。
 無闇に振るえば刃こぼれどころでは済みはすまい。それは薩摩藩士御用達の示現流であろうとも、間違いなく同じ結末を迎えるだろう。
 仮に奴らがサーヴァントとして現界しても、果たして結果は覆るかどうか……となれば即ち、この俺は今、窮地に立たされているわけだ」

不意に、風が頬を撫でた。
やがてその風は強さを増し、大木から伸びる多くの枝を揺らし始める。
敷き詰められるように地面を覆う落ち葉も、いくつかが宙を舞いだした。

「だがな……本当に惜しかったぞ」

そんな中、アヴェンジャーはおもむろに歩を進めてきた。
前へ、前へ。勿体ぶるかのように一歩ずつ、燕青へと近付いていく。

「たった一つの計算違いが発生していることに……お前達は最後まで気付けなかった」
「計算違い……?」

気になる言葉をそのままオウム返しした立香に、アヴェンジャーは「そうだ」と短く答える。
そして「その計算違いとは……」と冷たい声色で続けると、憮然とした表情が一転して笑みに変わった。
彼の口角がこれまたゆっくりと曲がっていったことに気付いた立香は、えも言われぬ悪寒に襲われた。

「今ここにいるこの俺が……〝他でもない俺である〟ということだッ!」

直後、信じがたい現象が眼前で起こる。
突如として燕青に肉薄したアヴェンジャーが太刀を〝横一線に〟振るうと、刃に触れられた幾多もの大木が容易く断ち切られたのである!
そして彼の言葉に反して〝刃こぼれ一つないまま〟美しさを保っている太刀の先端が、瞬時に後退した燕青の眉間に触れる。
蛇口を思い切り捻ったかのように、燕青の傷口から鮮血が噴き出した。だがこれはこれで幸運だった方である。
もしも咄嗟に退いていなければ、今頃は彼の脳がぼとりと転がり落ちていただろうからだ。

「どうだ、お前達! これが俺だ! 面白いだろう! 予想を裏切られるというのはッ!」

目を丸くした立香の視界に、異常なものが映る。
なおも回避を続ける燕青へと向けられた太刀……その刃に、紫色のオーラのような何かが纏わり付いているのだ。
モードレッドのように魔力放出スキルを所持しているのだろうかと、立香は疑いをかける。
そしてすっぱりと切断され、轟音と揺れを生み出しながら頭を垂れた数多くの大木……それらの切断面へと視線を向けると、

「……燃えてる、のか?」

アヴェンジャーの得物を包むそれと同じ色のものが、踊るように揺らめいていることに気付いた。
その事実に気付いた瞬間、焦げ臭い香りが立香の鼻腔を刺激する。
そう、燃えている。あらゆる大木の切断面が、一つの例外もなく燃えているのだ!

『炎熱による切断……やられた! 何故この可能性に至れなかったんだ、私は!』

この異常事態を前に珍しく取り乱したらしいダ・ヴィンチは、ヘッドロックでもかけるかのように己の顔に手を当て、唸るように声を上げた。

『細道へと入った途端に太刀を下手に振るったのも、後れを取った少年兵達に怒号を上げたのも、全てはこのための布石か!』
「待ってくれダ・ヴィンチちゃん! そいつはつまり……!」
『ああ! 彼はこちらの狙いを即座に暴き、あまつさえ死と隣り合わせの状況下にいながら不利を演じることで、我々を謀ったんだ!
 気をつけろ、立香君! もはや今の君達にアドバンテージなど存在しない! むしろアヴェンジャーがここまで策を弄したとなれば……』
「やかましい女の声……キャスターが使うような念話の類いか? 少しばかり耳障りだが、まぁいい」

近付こうとするケツァル・コアトルには――当然防御はされるものの――銃弾を贈り、鮮血によって片目がふさがった燕青には刃を振るう。
そんなやりたい放題のアヴェンジャーは、ホムンクルス達に「逃走だけは許すな! 奴らを囲み、釘付けにしておけ!」と大声で指示する。
ホムンクルス達の多くがマチェットを構え、立香達を睨み付ける。一方で一部の者達は、小次郎に対し軽機関銃を向ける。
すると、彼ら全員が指示に従ってくれたことを確認したらしいアヴェンジャーは「これで、全ての条件は整った」と、聞き逃せない言葉を発した。
何をする気なのかと詰め寄りたいところだが、生憎と周囲には物騒なものを構えた子ども達がうじゃうじゃいる。下手に動けば冥府へと一直線だ。
即ち、今の立香はケツァル・コアトル達に指示を送ることも叶わず、劣勢に立たされた燕青を見守ることしか許されていない。
それでもどうにか窮地を好機に変える策はないものかと、頭を悩ませていたのだが、

「宝具、展開!」

ヤクザキックじみた蹴りで燕青の背を大木へとぶつけたアヴェンジャーが、この状況下で最も聞きたくなかった単語を発した。
右手に太刀を、左手に拳銃を収めた彼は笑っている。尖った犬歯を見せびらかすかのように、大口を開けて楽しそうに笑っている。
そんな、かつて立香達に一度も見せたこともない表情を浮かべたアヴェンジャーは、天に向かって絶叫した。


「さぁさぁ時間だ同志達! これより『攘夷の焔(きへいたい)』……出動するッ!」


直後、一帯は極地の類と化す。
まずは人魂を思い起こさせる紫色の焔が数え切れない程に出現すると、ドーム状に配置される様に宙へと留まり、この一帯をまるごと囲んだ。
続いてそれらは間を置くこともせず、時代を感じさせる旧式ライフルや、切れ味鋭いこと間違いなしであろう小太刀の姿を模していく。
こうなればもはや、立香達がどのような大惨事に巻き込まれるのかは明白である。

「総員ッ! 突撃ィッ!」

果たしてライフルからは紫水晶の如き銃弾が絶え間なく放たれ、小太刀は辺りに存在する何もかもを刺し貫く勢いで迫ってくる。
ついでに、焔に包まれ輝きを発する太刀を構えたアヴェンジャーまでもが、身震いする立香に向かって疾走してくる。
避けないと。いや、無理だわ。立香は心の中でそう呟くと、ケツァル・コアトルに対して腹から声を出した。

「ケツァ姉! 宝具! 点じゃなくて面で!」
「ええ! 行くわ……『炎、神をも灼き尽くせ(シウ・コアトル)』〝本来Versión〟!」

相手が焔の宝具で攻めるなら、こちらも炎で迎撃するまで。
立香はケツァル・コアトルに対し、ルチャが混じっていない〝本来の形〟での宝具展開を命じた。
その本来の形とは、彼女がアステカを去る際に〝財宝を奪われぬように〟と自身の宮殿を焼き尽くした神聖なる炎を、現代に蘇らせるものである。

「少し遅かったな!」
「ええ、生憎そうみたい……でもっ!」

発動こそ成功させたものの、咄嗟のことだったためか、充分なほどの魔力は込められなかったらしい。
赤の防壁は紫の侵略を一手に引き受け、やがてはすぐに飲み込まれていく。
だがそれでも、立香達の命を守ることだけはしっかりと成し遂げていた。
その証拠に、アヴェンジャーは立香ではなくケツァル・コアトルへと狙いを変更した。
完全に守りを潰そうという腹づもりだろう。絶対に、実現させてはならない。

「逃げるぞ皆! 馬鹿正直に付き合ってても仕方ない!」
「承知した。燕青殿! いけるか!?」
「大げさな怪我じゃない! すぐ行ける!」
「急ぎましょう! 目標、ハンヴィー!」

それでもやがて、復讐者の焔は躊躇も遠慮もなくあらゆるものへと手を伸ばしていく。
焔の銃弾は撃ち込まれたもの全てを、小太刀は刺し貫かれたもの全てを燃焼させる。
落ち葉も、枝葉も、大樹も、何もかもが一切合切燃えていく。燃やされていく。
南米の地でありながら、唐突に北欧神話の終焉が始まったかの如く……あらゆる全てが、死んでいく。

「が……っ?」

そしてそれは、粉骨砕身して復讐者を補助していたホムンクルス達とて例外ではなかった。
ハンヴィーに向かって必死に走る立香に狙いを定めた少年が、突如として宝具から放たれた銃弾の雨に晒されたのだ。
それだけではない。小次郎に軽機関銃を向けていた少女の胸には幾多の小太刀が突き刺さり、彼女は口から火を吐きながら灰と化す。
一体全体どうなっているんだ? そんな至極当然の疑問を浮かべた立香は、思わず足を止めて見入ってしまう。
すると、もしもそのまま真っ直ぐ走っていれば辿り着いていたであろう位置に、複数の小太刀が突き刺さった。
燕青やケツァル・コアトル、そして小次郎も思い思いの方法で焔による攻撃を凌いでいる。死を振りまく嵐は、未だ収まらないらしい。

「アヴェンジャー!」

そうしていると、手の甲に令呪が刻まれた少年が、変声期前の愛らしい声で絶叫する。
だがアヴェンジャーは彼と目を合わせた瞬間、何も言わずに獰猛な笑みを浮かべた。
極上の肉を前にした虎狼の如く、またも白い歯を剥き出しにしたのである。
気でも違えているかのようだった。

「あなたの狙いは全て把握しました! ですが敵のみならず、我々をも謀るその精神性は理解不能です!」
「どいつもこいつも頭が鈍い。ここが京なら、人斬りや壬生狼の餌食だぞ。お前、生麦事件とやらを知らんのか?」
「無駄口は結構。これより令呪をもって命じます。アヴェンジャー、我々と共に撤退してください!」
「ぐ……ッ!?」

さすがにホムンクルス達も、この事態ばかりは見過ごせないのだろう。
マスター役らしき少年は、躊躇いなく令呪を消費し、アヴェンジャーの凶行を止めに入った。
その間にも、また一人また一人と、少年少女が宝具によって命を散らしていく。
だが、

「お断り、だ……ッ! 俺は、俺はここで、全てを殺す……! あの魔術師とサーヴァント共も、お前達も、全てだ……!
 そうすれば終わる……目障りなものを、全て焼き尽くしてしまえば……こんな面白みのない世界からは……おさらば、出来るッ!」

それでもなお、アヴェンジャーは攻撃をやめなかった。
顔中から脂汗が出ているのは、決して自身の焔が放つ熱にやられているせいではないだろう。

「重ねて命じます!」
「こ、の……阿呆の集まりがッ! 俺と貴様ら全員の命で、あの虎共を排除出来るなら……万々歳だろうにッ!」
「我々と共に! 撤退してください!」
「ぐぅおあァッ!」

だが二画目を切られた途端に、アヴェンジャーは膝を折った。
そして何度も何度も激しく咳き込むと、面を上げて「この俺に、大きく出たな……道具風情が……ッ!」と、絞り出すような声で毒づいた。
双眼はこれでもかという程に血走り、口からは鮮血が漏れ出ている。顎まで伝って地に落ちたそれは、刹那の間に蒸発した。
そして血を拭ったアヴェンジャーは踵を返し、低い声で「……次は殺す」と呟くと、生き残ったホムンクルス達と共に焔の向こうへと姿を消す。
宝具の行使者たる彼が去ったためか……殺しの器具へと変化していた異形の焔は、瞬く間に消滅していった。
だが被害を受けた木々などは依然として燃えさかっているため、長居する理由は皆無である。

「ケツァ姉、すぐ撤退だ。そんで、燕青の眉間についた傷は俺が回復する。かすった程度だろうし、礼装パワーですぐ済むはずだ」
「すまんなマスター。助かる」
「ええ。じゃあマスターも荷台に。周囲への警戒は、小次郎……あなたに任せるわよ」
「承知した、女神殿」

というわけで、立香達は素早く準備を完了させ、眼前に広がる大焦熱地獄から撤退する。
焔によって散々に熱を受けたにも関わらず、未だ立香は悪寒に苛まれていた。


◇     ◇     ◇


突如巻き起こった恐るべき事態を――モニター越しにだが――目の当たりにしたマシュは、立香達の撤退を確認した後、すぐに机へと突っ伏した。
緊張の糸が切れてしまったのである。それを察してくれたのか、横からダ・ヴィンチが「お疲れ様」と声をかけてくれた。
顔を向けてみれば、声の主もぐったりした様子を見せている。こちらとは違い、背中を椅子に預けていた。

「立香君、皆、お疲れ様。正直、詰んだかと思った。可能性を提示出来ず、本当にすまなかった」
『いや、あれは反則みたいなもんだからノーカンだろ……よし、燕青? どうだ?』
『問題ない。きちんと塞がれてる。手間をかけたな』
『後は汚れてない水で目を洗うだけか……あのナイチンゲール大先生が見たら血相変えますぜぇ、こいつぁ……』
『だな。じゃあマスター、一旦止まってもらって、助手席に戻りな。今もどこから弾が飛んでくるやら、だからな』
『オッケー。死にたくないんで素直に従いまーす……っと』

一方の現地組もかなり精神を削られたようで、指示通りに助手席へと戻る立香の両脚もふらふらとしていた。
見守っていただけの〝こちら〟ですらこの様子なのだから、現地で目の当たりにしたのであれば当然の話であろう。
マシュは大事な先輩がこれ以上疲弊しないよう、心の奥底から強く願った。叶いそうにはないだろうと知りながら、だが。

『さて、ダ・ヴィンチちゃん。そっちもお疲れっぽいけども、アヴェンジャーについて……いいか?』
「当然、いいとも。こちらには断る権利などない」
『じゃあ単純に、質問だ。あのアヴェンジャーがぶっ放してきた宝具の名前……そっちでもちゃんと聞き取れてたか?』
「……ああ」

通信に応えたダ・ヴィンチは姿勢を整え、カップの中身を飲み干す。
そして単刀直入に「〝キヘイタイ〟……だろう?」と勿体ぶらずに言った。
立香は『やっぱ聞き間違いじゃなかったのな……』と、乾いた笑みを浮かべる。

「しっかりと録音もされてある。彼は間違いなく〝キヘイタイ〟と叫んでいた」
『そんじゃ、間違いないな。つまりは、そうなるとだ……』
「ああ。焔を御するバルベルデのアヴェンジャー。その正体は……」

そして、マシュが敬愛する名探偵のように両手を合わせたダ・ヴィンチは、


「日本の幕末期における最重要人物の一人……〝高杉晋作(たかすぎしんさく)〟だ」


これまた、この頃ずっと席を外している彼のように……よどみなく、復讐者の真名を告げるのだった。


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最終更新:2019年08月01日 19:45