其の伍:戦場は紅に染まる(4)

(格好良く啖呵を切っちゃあみたが、中々に厳しいぜこりゃ)

 ラビュリスの一振りを辛うじてドゥリンダナで受け、弾かれる勢いを乗せて後退するヘクトール。その頬に一筋の冷たい汗が垂れる。
 ここまで何度セイバーとペンテシレイアの攻撃をいなし続けて来ただろうか。
 ペンテシレイアとの一騎打ちでは、彼女の攻撃を凌ぐのに集中する事で危なげなく立ち回る事が出来た。
しかし、セイバーの参入から彼我の力関係は完全に五虎将側に傾いた形だ。
 まともに受ける事のできないペンテシレイアの重い一撃の脅威はそのままに、彼女の攻撃の隙を縫う様に仕掛けてくるセイバー。
 畳み掛ける様な連携の取れた動きに対し、ヘクトールは飄々としたポーカーフェイスの裏で渋面を濃くした。
 駆け寄って来たセイバーに向けて、腰に差していた飛刀を投擲する事で足を止める。
 手持ちの飛刀は今のが最後の一本、もう同じ手は使えない。
 まさにじり貧。思ったよりも押し込まれるペースが早い。

 セイバー単身の戦闘能力は突出していないが、一対複数の状況になるとその厄介さが格段に増す。
 味方の動きに合わせて、その隙を消すように攻めてくるのだ。
 連携を得手とするスタイルや連日の戦における攻め手や退き際の手腕から、単一の武勇を誇るよりも集団戦に長けた英雄なのだろうと見当はつけていた。
 五虎将の単体戦力としてはトップクラスであろうペンテシレイアとの連携を受け、これまでにないほどにヘクトールは追い詰められていく。
 斧にせよ剣にせよ、彼らの凶刃は遠からず自身の喉元に食らいつく。そんな予感があった。

 だが、まだだ。

 あの大神の加護を受けた英雄達の軍勢と、神々の寵愛を一身に受けた不死身の大英雄との激戦に比べれば、これでもまだ絶望的な状況ではない。
 地に転がっていた誰のものかも分からぬ槍を拾い上げ、ペンテシレイア目掛け投擲。
 質量、速度ともに相手が攻め手を一旦止めて対処せざるを得なくなる攻撃だ。ペンテシレイアの動きを強引に止め、体勢を整える時間を作り出す。
 一分、一秒、一瞬、致命的な時がやってくるのをただひたすらに先延ばしにする為に槍を振るう。その目はまだ諦感に曇っていない。
 手も足も、まだまだ十全に動く。負傷らしい負傷もしていない。体力も余裕を残している。
 まだ粘れると自らに言い聞かせながら槍を握った両の手に力を込め、迫り来るであろう二騎のサーヴァントへと備えようとして、思わず息を呑んだ。
 魔力が膨れ上がる感覚が空気を振動させる。それは拮抗が崩される致命の気配。

「セイバー、3分でいい。時間を稼げ」

 戦場にペンテシレイアの凛とした声が響く。
 同時に、彼女の手に持った大斧がみるみる内に赤熱化していき、その周囲にはにわかに季節外れの陽炎が立ち上ぼった。
 ペンテシレイアの周囲の気温が急激に上昇しているのだ。
 この熱気の正体をヘクトールは知らない。だが、何をしようとしているのかは理解が出来た。
 この拮抗状態は生半可な力では破れない、であるならば生半可ではない力を用いればいいのは道理だ。
 策も小細工もまとめて吹き飛ばす、英雄が英雄たる証であり神秘の結晶。
 即ち、これはペンテシレイアの宝具の解放。提示された時間は発動までに要する時間である。

「全軍、退がれぇ!デカいのが来るぞ!」

 撤退指示の怒号を発し、ヘクトールが駆け出す。それは先ほどまでとは異なり後先を考えぬ動きだ。
 敵の女兵士や幽鬼兵もペンテシレイアが何をしようとしているのかは理解しているのだろう。両軍の兵士が互いに妨害することもなく後退していく。その中心地に残るのは三騎の英霊のみだ。
 どれだけ体力を温存したところで、この状況をひっくり返されてしまえば無意味になる。
 ヘクトールはその後の状況を無視してでも、全力でもって眼前で放たれようとしている宝具の発動を妨害することを余儀なくされてしまった。
 先程までの堪え忍ぶ動きから、迅速に獲物を狩る狩猟者の動きへと完全にスイッチするヘクトール。その様はさながら勢いよく放たれた一本の矢だ。
 この速度であればペンテシレイアへと肉薄し、宝具の発動を阻止することも不可能ではないだろう。

 ただし、それは一対一の状況であれば、だが。

「承知した。ならその3分、死守してみせよう」

 不敵な笑みを浮かべ、ヘクトールとペンテシレイアの軸線上にセイバーが躍り出る。
 "邪魔をするな"と叫ぶ代わりに、手に持った槍を速く、深く、鋭く突き出す。
 サーヴァントたりえぬ幽鬼兵が相手であれば一撃で屠れるだろう。だが、相手は接近戦に長けたクラスのサーヴァントだ。
 耳障りな金属音を響かせながらセイバーのクレイモアが矛先を逸らし、直撃を防がれる。
 足を止め、逸らされた槍を即座に手元に引き戻して再度放つ。

 刺突。防がれる。
 刺突。逸らされる。
 刺突。いなされる。
 刺突。避けられる。

 攻める事を放棄する代わりに、ヘクトールの攻撃を捌く事に全神経を注力するセイバー。奇しくもそれはつい数分前までのヘクトールと同じ行動だ。
 技量の差からヘクトールの攻撃を完全に防ぐまでには至らず、セイバーの体の各所にうっすらと赤いラインが刻まれていくが、それでも動きに精彩を欠くことはない。ヘクトールがそのタフネスに内心で舌を巻く。
 刻一刻と迫るタイムリミット。見切りをつけ離れなければ宝具の直撃をもらうであろうギリギリの時間になった時、思いがけない好機がやってきた。
 刺突を防いだ箇所が悪かったのか、これまでの攻防での疲弊が響いたのか、セイバーが体勢を崩し、霊核のある位置に対してのガードががら空きになる。
 ここでセイバーを霊核を穿ち、返す刀でペンテシレイアへと攻撃を仕掛けることはヘクトールならば可能だ。
 この好機を逃す理由はないと、直ちに攻撃に移ろうとしたヘクトールの視界にセイバーが映る。

 ゾッと彼の背中を強烈な悪寒が駆け抜けた。

 ギラギラとした輝きを放つ双眸が真っ直ぐにヘクトールを見つめている。獲物を狙う肉食獣、そう形容するに相応しい眼差しだ。
 宝具の発動阻止の必要性と己の感じた悪寒を天秤にかけ、ヘクトールは後者を選択する。
 後方へと跳躍した彼の眼前をセイバーの片腕が通りすぎる。後退の気配を察知した剣の騎士がそうはさせじと腕を伸ばして捕獲を試みたのだ。
 隙を見せていた筈の男が一瞬の刹那に相手を捕らえるだけの余力を残していた。それはヘクトールの感じた悪寒が正しかったことを証明している。

 ザリザリと地面と足を擦らせて跳躍の衝撃を殺すヘクトールの周囲に砂埃が舞う。
 視界を覆う黄土色のヴェール、その隙間からでも鮮明に映るのは、麗しき女戦士の女王が掲げる煌々と赤く輝く神造の大斧。
 ペンテシレイアの提示したタイムリミットが訪れたのだ。
 彼女の持つラビュリスに轟という音と共に炎が灯る。

「我が戦斧に宿るは神威の炎。狂え、叫べ、猛れ、吠えろ!」

 雄々しい口上に呼応するように赤熱する刃が斧に纏う炎を燃え猛らせる。
 ペンテシレイアが両手で持ったラビュリスを大きく振りかぶった。
 その視界の先に映るのはヘクトールただ一騎。

 ヘクトールの身体が反射的に動く。
 数多の英雄との激戦の経験が昇華された軍略のスキルが、同じ地を守る為に戦った戦士としての知識が、ペンテシレイアがこれから放つ一撃の正体を推測し、その対抗策を弾き出す。
 宝具・ドゥリンダナを持った腕が振り上げられる。されど、その狙いはペンテシレイアではない。

「目標捕捉も方位角固定も必要ねえ!」

 宝具に微かな時間で込められるだけの魔力を込める。
 その程度ではいくら不懐の名槍と言えど彼女の宝具を貫く事など出来る訳がない。
 だが、それで構わない。
 穿つ先はそこではない。

狂乱燃ゆるは不和の戦斧(ラビュリス・オブ・エリス)!」
不毀の極槍(ドゥリンダナ)、爆ぜ飛びなぁ!」

 戦斧から生じた業炎が地を砕きながら駆けていく。
 敵を逃がさぬ様に放射状に大地に広がり侵食する様は炎の津波と言って過言ではない。
 進路上にあるものをことごとく焼き払った後に炎がかき消え、地面に転がった木盾や槍の非金属部分、不幸にも逃げ遅れた兵士が黒く焦げた何かへと姿を変えて黒煙を上げる。
 そんな焼け野原と化した空間にポツリと1つの影があった。
 炎の暴威に曝されてなお戦場にあるその影の正体は宝具の直撃範囲にいた筈のヘクトールだ。
 彼の周囲の地面が大きく窪んでいる。
 ドゥリンダナを打ち込み、地を割る程の衝撃を起こして迫り来る熱波と炎の威力を減衰させ、自身はその攻撃で作り出した窪みに身を埋めたうえ、熱波と炎を遮蔽する為にマントで身を包む事で致命傷を免れたのだ。

 マントから腕を伸ばし、地に転がった愛槍を握りしめヘクトールが立ち上がる。
 残り火の燻るマントを雑多に脱ぎ捨てた彼の呼吸は荒く、その額には脂汗が浮かんでいた。
 ペンテシレイアの宝具による炎熱を凌ぎきれなかったのか? いや、彼の身体から火傷らしい外傷を伺うことは出来ない。放たれた一撃はヘクトールの身体を焦がすことは叶わなかったのだ。
 ――そう、ヘクトールの身体の方は。

(エリスの炎! あのイかれた女神様の加護となりゃあ、こういう権能だって持ってやがるか!)

 ギリ、と歯を食い縛るヘクトールの遥か後方から叫び声が響く。
 ヘクトールがちらりと後方を見やれば、逃げ遅れたものの辛うじて死は免れた魏の兵士達が、がむしゃらに槍や剣を振り回して彼らを助けようとしていた無傷の兵士達へと躍りかかっていた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 熱い!熱い!火が! 炎が! あぁあがががががっがががががが!!!!」
「やめろお前達! 敵と味方の区別もつかんのか!」
「ひぃえぇえぃやぁぁがぁぁぁぁぁ!」
「お、おい、落ち着ぐぇぶっ!?」

 正気を失い、狂乱した兵士が次々と仲間をその手にかけていく。
 泡を吹き出す口角、ぐるんと裏返った目、その姿は明らかに常軌を逸していた。
 彼らもまた、現在のヘクトールと同じ状況にある。
 エリス。ペンテシレイアの手に持つ大斧を授けた不和と争いを司る女神。
 彼女の権能が込められた斧から放たれる炎が焼くのは身体だけではない。人に争いと不和をもたらす狂気が炎熱に曝された者の精神を蝕むのだ。
 対魔力と仕切り直しのスキルを併用することで、体の内から湧き出る狂気をどうにか抑える事が出来たヘクトール。
 だが、抗う術を持たない兵士達の理性は瞬く間に焼き尽くされ、狂刃を振るうだけの存在と化してしまっていた。

 たったの一撃。それだけで魏の右翼戦線は半壊と言っていい状態になってしまう。
 退がっていた蜀の兵士達が混乱の最中にある魏の兵士達へと殺到する。
 ペンテシレイア率いる女兵士達の猛襲に曝された時よりも状況は悪い。
 この場で魏軍の兵らの混乱を抑えられるとすればヘクトールだけだ。だが、二騎のサーヴァントはヘクトールにそれを許すほど甘くはない。

 ヘクトールに号令を発させまいとセイバーが駆け寄って振り下ろしたクレイモアを槍の柄で受ける。
 頑健な槍の柄は絶ち切られる事こそないが、セイバーの体重を乗せた一撃の重量が柄越しにヘクトールの両腕へ負荷として伝わり、ヘクトールが顔を顰めた。

「本来なら、お前は彼女の炎に焼かれて消えている筈だったのだがな」
「お前さんが俺を道連れにして、か?」
「その通りだ。やはり見抜かれていたか」

 セイバーからかけられた言葉に苦笑交じりに返すヘクトール。
 先の打ち合いにおいて、わざと攻撃を打たせる事で捨て身の拘束を試みていたセイバー。
 その最終的な狙いがどこにあったのか、カマをかけたヘクトールにセイバーは淡々と肯定の意を示す。

「おいおい、正気かよ」
「正気だとも」

 呆れと驚愕の感情が混ざった乾いた笑みがヘクトールに浮かぶ。
 彼我の戦力差は確実に蜀の二騎に分があった状態だ。だというのに眼前の男は確実に自身を始末する為に自身の命を文字通りに賭けようとしていたのだという。
 思わず漏れた言葉に対してもセイバーはこともなげに肯定してみせる。 

「かのトロイアの大英雄のお前に比べたら華々しい戦果もない身だがね、そんな俺の命を対価として確実に仕留められるとあれば、それは充分に意味のある犠牲だ」
「一軍の将の言葉とは思えねえな。俺を殺したところで戦争全部が終わる訳じゃねえぞ」
「ああ、お前の言う通りだ。だが、俺には仲間がいる。信頼に足る主がいる」

 それに、とセイバーが付け加える。

「俺についてきてくれた兵達がいる。俺の遺志を継ぎ、俺の屍を踏み越え、共に抱いた夢を叶える為に決して諦める事なく邁進する彼らがいる。ならば何も問題ないさ。安心してこの身を捧げられるというものだ」

 そう言って勇壮に、誇らしげにセイバーが笑う。
 ヘクトールは理解する。セイバーの発言は本気だと。
 後に続く者がいるのであれば、その身が死する事も厭わない。目の前の将はそういう英霊なのだと。
 敵として対峙するには真に厄介な手合いだと、ここに至って改めて認識する事が出来た。

「おっかない事だね、っとぉ!」

 両腕に力を込め直し、槍を勢いよく押し上げる。
 下方向から急激に力を加えられた事でセイバーのクレイモアが跳ね上げられガラ空きとなる胴部。
 隙を作り出し、次の行動に移ろうとしたヘクトールだが、その視界が捉えた人影を見るや、舌打ちを鳴らしながら再度攻撃を防ぐ様に槍を縦向きに構えた。
 数秒の間も置かずにヘクトールの全身に走る衝撃。咄嗟にとった防御行動であるが故に踏ん張る事が出来ず、決して軽くはないその身体が宙を舞う。
 衝撃の主はペンテシレイアだ。セイバーの一撃で仕留めきれぬと見るや二人の元へと駆け寄り全力を込めた横薙ぎをフルスイングで打ち放ったのである。
 斬撃を体に受ける事は免れたものの、運動エネルギーと質量の折り成す暴力までは殺しきれずに、吹き飛ばされたヘクトールがごろごろと地面を転がっていく。

(ゲホッ、なんっつー馬鹿力だ……)

 ヘクトールが起き上がろうとするも、武器越しに全力の一撃の衝撃をダイレクトに受けた両腕が痺れて上手く動かす事が出来ない。
 土に汚れた頭を起こせば、こちらに向かって駆け出す二騎のサーヴァントの姿。
 トドメを刺す気だと理解しても満足に体を起こすことが出来ない。
 "ここまでか"、そんな想いが脳裏に浮かぶ。
 それでも最後の一瞬で生きる事を諦める事はしない。
 諦めてしまえば彼に全てを託し命を賭した将兵らに申し訳が立たないからだ。
 歯を食いしばり、徐々に感覚を取り戻し始めた両腕に力を込めていく。例え、間に合わないと理解しながらも。

 そんな彼の耳に何かが嘶く声が響いた。

 地に転がるヘクトールの上を大きな何かが通過した。
 その何かの正体は一目で幻想種であると理解できる四足獣だ。二人分の人間を乗せた獣がヘクトール目がけ駆け寄るセイバーとペンテシレイアの間に割り込んだ。
 二人の人間の内、手綱を握った人間が獣をペンテシレイアの元へと走らせ、両前足で蹴りを放たせる。ペンテシレイアはそちらの対応に回らざるを得なくなり大斧の刃の腹で蹄による一撃を受け止め、後方へ弾き飛ばされる。
 一方で後ろにいた人間がセイバー目がけ指先から光弾を放つ。対するセイバーは足を止め光弾を切り払うが、彼へと馬首を返して対峙する騎手と対峙し攻め手を中断せざるを得なくなってしまう。

 闖入者の正体。それはヘクトールの良く知る人物である。
 魏に味方するライダー、そしてカルデアのマスター・藤丸立香。
 ここでヘクトールは彼の策が無事に成った事を理解した。

(やっぱりお前さんら、大金星だったぜ)

 散った将兵達の姿が過る。
 彼らの稼いだ1分1秒。それが無ければ眼前の二人が来る前に、自身は倒れていた。
 命を代価にした数瞬は今この時、確実に彼らが守ろうとした国の命運を繋いだのだ。

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最終更新:2019年12月31日 18:54