其の伍:戦場は紅に染まる(5)

「立香殿、ランサー殿を頼む」
「わかった!」

 二騎のサーヴァントを牽制するライダーの言葉に従い、立香が騎乗していた麒麟から飛び降りてヘクトールを助け起こす為に駆け寄っていく。
 彼の目の前には土埃に塗れたヘクトールの姿がある。
 第3特異点において魔術王に召喚されたサーヴァントとして刃を交えた際に、かの英雄の渋とさを身をもって経験している立香にとって地に転がっている彼の姿はより衝撃的に映った。
 何が起きたのかは理解している。遠目からでも戦場を焼き払う炎の波を目撃することは出来たのだ。
 宝具を発動したのは斧を持った美しき女戦士。
 彼女が五虎将のランサーであることは、斥候として涼州に出向いていたジェロニモからこの地に向かう道中で聞いていた身体的特徴より推察する事は出来た。
 脅威的な被害を出した宝具の再発動はどうしても防がねばならない。その為にはヘクトールの力も必要だ。

「大丈夫?」
「いやーいやいや、いい年したオジサンにゃあ重労働で参ったぜまったく」

 心配げな声色と共に自身を助け起こす立香に対し、ヘクトールは数分前まで浮かべていた飄々とした笑みを取り戻して応えた。
 槍兵は何度か両の掌を開いては握りを繰り返す。痺れていた両腕の感覚も幾分かはマシになってきているようだ。
 仕切り直しのスキルの効果でこういった身体機能の異常の回復速度が上がっているのは、サーヴァントならではの利点である。彼の生前であればこうはいかなかっただろう。

 牽制しているライダーと並ぶように立ち、ヘクトールが槍を構え直す
 ライダーとヘクトールと立香、ペンテシレイアとセイバー。
 数の上では有利とはいえ、サーヴァントと真っ向きって戦うことは出来ない立香と、消耗の激しいヘクトール。
 二人を合わせる事で漸く一人分といった具合である以上、実質的な戦力比は五分といった所だろうか。

「カルデアのマスターを仕留める機会は逸した。俺の首を獲る事も出来なかった。第一目標も次善の目標も果たせそうには見えねえがまだやるのかい?」

 余裕を取り戻したヘクトールに対し、ペンテシレイアの眉間に皺が寄る。
 ここに来て彼女らの目論見は完全に破綻した形となった。もはや、ここで兵力を無駄に消費する訳にはいかない。
 かといって虎の子の宝具を発動までして、せいぜい一軍程度を壊滅させただけの戦果が割に合う結果だろうかと問われれば、それは否だ。
 より決定的な戦果を出せねば、この戦闘における収支はマイナスと言っていいだろう。
 何より勇猛果敢で知られたアマゾネスの血がこのままおめおめと逃げ出す事を拒否している。
 戦いの中で死力を尽くして死ぬのであればそれは本望だ。例えそれで敗北し死ぬ事になったとしても。であるならば、答えは決まっている。
 だが、そんな彼女の機先を制したのは敵対する二騎のサーヴァントではなかった。

「そうだな、これ以上の消耗は俺達にとってより不利益しかもたらさんだろう」

 ペンテシレイアが行動するよりも早くセイバーが口を開き、これ以上戦闘を続ける事に対して否定的な感情を伝える。
 よもや、その様な消極的な言葉が味方の口から発せられるなど予想していなかったペンテシレイアが、信じられないものを見る目でセイバーを見る。

「貴様、どういうつもりだセイバー!」
「どういうつもりもヘクトールが言った通りだ。俺達の作戦は失敗した、なら軍を預かる俺達が優先すべきことはこれ以上自軍に被害を出さないように撤退する事だ」
「まだ私と貴様は戦える! 先の貴様は自らの命を犠牲にしてでもヘクトールを殺そうとしていたではないか! それが急になんだ!?」

 烈火の如き勢いで食ってかかるペンテシレイア。
 ともすれば味方であろうとも殺しかねない程の剣幕だが、それと正面から向きあうセイバーの表情には動揺や恐れといったものは見られない。

「あれは確実に彼を殺せる状況にあったから俺の犠牲というカードを切ろうとしたまでだ。今、俺とお前が命がけで眼前の二人、いや三人の内の誰かを仕留める気概でいったところで確実に彼らを仕留められる保証はない」

 毅然とした態度で宥めるセイバーを立香達は黙って見ている。
 敵を前にしての仲間割れ、普通であれば攻撃のチャンスに思われるが、その状況であっても二騎のサーヴァントに隙はない。
 何より迂闊に手を出せばペンテシレイアの憤怒の矛先は、本来向けられるべき相手である自身らに向けられる事は明らかだ。
 故に、彼らは傍観者となって敵二人のやり取りを見守る事しか出来ない。

「命の賭け時を見誤るな。もうこの戦場でその機会は失われた。俺達に残った選択肢は敗戦の将の汚名を被ってでもこの戦場から帰還すること、ただ一つだ。お前の信条にそぐわぬかも知れないが、受け入れて欲しい」

 ジッと目線を逸らす事無く話しかけてくるセイバーにペンテシレイアは返す言葉が無くなる。
 彼女とて指導者としての視点で見ればこれ以上この場で戦う事に意味が無い事は理解できているのだ。
 戦い続けようという考えは一人の戦士としての意地。感情的な問題に過ぎない。
 バーサーカーのクラスとして呼ばれていたのならいざしらず、ランサーとして現界を果たしている彼女はそのあたりの分別もしっかりと持ってしまっている。

「しかし……!」
「ランサー様!」

 それでも尚食い下がろうとするペンテシレイアに向かって、この場にいる他の3騎のサーヴァントと立香以外の声が響く。
 ペンテシレイアの許に駆け寄る複数の人影。それは軽鎧を纏った女の兵士達だ。
 女兵士達はペンテシレイアを守るよう囲い、武器を手に立香達に敵意を込めた視線を向ける。

「一部始終聞かせていただきました。向かわれるのであれば、私達も死出のお供を」

 隊長格であろう棗色の肌をした女性が覚悟を込めた目で立香達を睨み付ける。
 幽鬼兵ではない、彼自身と同じ生身の人間から向けれられる敵意と殺意。

「元よりランサー様がおらねば、あの時に魏の悪漢の手で一族郎党殺されていた筈の身です、女とはいえ軍神と謳われたお祖父様の血を引く者。今になって死を恐れる事などございません!」

 戦場に一触即発の空気が戻る。
 槍を構えこそすれ女兵士達は突撃する様子はない、ペンテシレイアからの号令を待っているのだ。
 "共に死ね"その一言があれば、彼女達は文字通りの死兵となって立香達に牙を向くだろう。
 セイバーは何も言わない。彼が彼女らの直轄ではない以上、ペンテシレイアの判断に全てを委ねた形だ。
 退却か特攻か。それは全てペンテシレイアの胸先三寸の状況へと推移する。

 どうすべきかと立香が視線を左右に動かす。
 ヘクトールの表情は険しい。女性を討つ事への抵抗ではなく、撤退の空気から戦闘の空気に場が変わろうとしている事に対してのものだ。
 ライダーの方はといえば感情の消えた表情で敵を見ている。
 その目は微かに丸く見開かれ、きゅっと真一文字に結ばれた口元は漏れ出しそうな感情を必死に押し留めている様にも見えた。
 何かあったのかと問い質す猶予は存在しない。故に立香は視線を眼前の敵へと戻す。
 生身の人間との戦闘とて立香は経験しているが、サーヴァントに指示を出し命を奪わない様にしてもらっていた。
 だが、この状況でその余裕があるだろうか。
 今、この時代に生きている人間を自らの意思で殺さなければならぬ可能性。
 それを意識してしまった彼の胸の内にずしりとした重圧がかかる。
 ひりつくような感覚に、ごくりと唾を飲み込んだ。

「……全軍退却しろ!」

 だが、事態は立香達の危惧した方向に向かうことはなかった。
 数秒の間だけ目を瞑った後、ペンテシレイアは静かに、澄んだ響く声で令を飛ばす。
 蜀の軍勢がにわかに引き始め、退却を知らせる銅鑼の音が鳴り響いた。
 この決断に一番に動揺をしたのはペンテシレイアと共に特攻をかけようとしていた兵士達だ。
 想定外の命令に彼女達は驚きの表情をペンテシレイアへと向ける。

「お前達を私の矜持の道連れにすることは出来ん。さあ、退け」

 構えていた戦斧を下ろし退却を指示するペンテシレイアに対し、隊長格の女性を始めとした駆けつけた兵士達は困惑の色を隠しきれぬまま粛々と頷き、退却する兵の隊列へと加わっていく。
 憮然とした表情こそ浮かべているが、ペンテシレイアから沸き上がっていた闘争の気配は既に雲散霧消している。
 ペンテシレイアの後押しをするために駆けつけた兵士らが結果的に彼女に押し留まる判断をさせる皮肉な結果となってしまったが、それによりこの場での戦闘の継続を望む者は一人もいなくなったのだ。
 彼女の頭が十分に冷えたであろうことを確認し、セイバーがふぅ、と息を吐く。

「で、俺達が引き返すのをそちらは大人しく見ていてくれるのかな? ヘクトール殿」
「敗走した軍だったなら追撃もするが、余力も十分な状態で退却する軍を突つく様な阿保な真似はしねえよ。オタクらの洒落にならねえ火遊びの始末もしなきゃならんしな」

 セイバーからの問いかけにヘクトールが答える。微かに動かした視線の先にいるのは突如として退却を始めた蜀軍を見て呆然としている、傷だらけながらも運よく生き残る事が出来た兵士達だ。
 どれだけが生き残ったのか、発狂しているものが残っていないか、早急にそれらを確認し部隊を取りまとめなければならない以上、追撃部隊を編成する余力は魏軍にはない。

「ヘクトール、ライダー、そしてカルデアのマスター」

 踵を返して去ろうとしたペンテシレイアが足を止め、二人の男に向けて振り返る事なく声をかける。

「次は決着をつけることになるだろう。その時こそ、アマゾネスの女王の肩書きにかけて貴様らの首を獲らせて貰う」

 消え去った筈の強烈な敵意が不意打ち気味に再び浴びせられる。が、それは一瞬のこと。
 不意打ち気味に放たれた敵意に臆する様子を見せぬ立香に対し、微かに目を細目こそすれどそれ以上は何をするでもなくペンテシレイアはその場を後にした。

「さて、それでは俺も退かせてもらおうか」

 蜀の兵の退却を見守っていたセイバーが下ろしていたクレイモアを鞘に納め、退却の姿勢を見せる。
 晴れ渡る青空を思わせる澄んだ瞳が立香へと向けられた。

「君の偉業は知っている、いや正確には"漢中王"から聞かせてもらっているよ、カルデアのマスター」

 ペンテシレイアとは対照的に朗らかな笑顔を浮かべながら、セイバーが立香へと話しかけてくる。

「俺自身としては君のしてきた事、君の歩んだ道程は好ましいものだ。状況が違っていれば、俺は君の元でこのクレイモアを振るっていたかもしれないな」

 立香を讃える言葉に相手を欺く様な感情を読み取る事はできない。
 惜しむ様な感情の色がセイバーの笑みに混ざるが、それはすぐに消える。

「だが、この俺は漢中王に手を貸すと決めた。だから君達に対して容赦をするつもりはない」

 すっ、とセイバーの表情から笑みが消えた。固く引き締まった表情は確固たる意思の強さを何よりも雄弁に示している。
 "声に応えようと思った"、それはここへ向かう前に襲撃をしてきた木曾義仲も言っていた言葉だ。

「何が貴方達の心をそこまで動かしたんだ」

 だから、立香は尋ねる。
 英雄と称されるに値するであろう彼らが、どうして漢中王に望んで手を貸そうと思うに至ったのかを。

「何が、か」

 顎にまばらに生えた不精髭を撫で擦り、セイバーが思案顔になる。
 敵方にこちらの事情を伝えても問題がないか思考しているのだ。

「他の皆はどうかは知らないが、俺の心を動かしたものは挫けぬ意志だ」

 不精髭を撫でていた手を止めセイバーが口を開く。
 ある程度であれば問題ないと判断したのだろう。

「味方から疎まれようとも、己の命の灯火が消える最後の一瞬であろうとも、己の理想を貫こうと足掻き続ける強い願い。それが俺という男の心を動かしたのさ」

 どんな苦境に陥っても足掻く意志が己の琴線に触れたとセイバーは言う。
 それ程までに"漢中王"は魏を滅ぼしたかったのか。5騎、いや決別したアサシンも含めれば6騎ものサーヴァントが応えようと思った想いの強さはいったいどれ程の物なのか。立香には推し測ることすら出来なかった。

「ランサーも言っていたが、次は俺達、五虎将と君達の雌雄を決する戦いとなるだろう。互いに悔いだけは残さぬようにしなければな」

 そう最後に告げてセイバーが踵を返した。
 魏、蜀ともに5騎のサーヴァントが集結した状態だ。ここに来て次の戦いにおいて戦力を出し惜しむ理由など存在しない。つまるところ総力戦である。
 全力をもって魏、そして立香を叩き潰すことを言外に宣言し、悠々とセイバーが帰陣していく。
 ここに何度目かも分からない魏と蜀による攻防は一旦の終結を迎えたのであった。
 張り詰めていた空気は消え去り、立香がようやく力を抜いた肩に、ポンと手を置かれる。その主は疲労の滲んだ笑顔を浮かべたヘクトールだ。

「じゃあ、俺は兵士達の混乱をおさめに行ってくる。つもる話はその後だな」

 そう言うやいなやヘクトールもまた戦場から背を向け、行く末を見守ることしか出来なかった兵士達の元へと歩いていく。
 魏の兵士達に対して今の立香が出来ることは何もない。
 無数の命が散り、傷だらけの兵士がひしめく戦場を改めて認識した青年の手は握りしめられ強ばっていく。

「改めて、救援感謝するぜ。お前さんらが来なけりゃ、ここでも志半ばでお陀仏するところだったからよ」

 そんな彼の様子を知ってか知らずか、ヘクトールは緊張をほぐす様な柔らかな口調とくだけた調子で礼を告げる。
 ほんの僅かにだが、その礼で重く沈んだ心が軽くなるように感じた。間に合わなかった命があった一方で間に合った命もある。それも事実なのだ。
 ひらひらと手を振って離れる槍兵を見送り、立香は未だ去り行く軍勢に目を向けるライダーへと向かう。

「ライダー、大丈夫?」
「あ、ああ、すまない。少し考え事をしていてね」

 立香の声にハッと我に帰ったライダーが笑みを浮かべる。だがそれはダ・ヴィンチ達に嫌疑が向けられた時に浮かべていたポーカーフェイス染みた笑顔とはかけ離れていた。
 端から見ても繕ったものだと分かる笑み。それだけ、彼が動揺に心を揺さぶられているのだという明確な証拠だった。

「私は大丈夫、といっても説得力がないか」

 不安げな立香の表情から、自身が平常であるように装いきれていないことを察し眉根を寄せながらライダーが微笑む。
 その哀愁を漂わせた痛々しい様に、立香はかける言葉が見つからない。
 ライダーが虚空を見上げる。その方角は西南、蜀軍の方向だ。

「……これは、お前からの罰なのか。――長」

 小さな呟きが微かに立香の耳に入る。
 今この時に何を呟いたのか追求する気は、立香には起きなかった。


 怒号。
 哄笑。
 遠吠え。
 嘶き。
 銃声。
 風切り音。

 積み上げられた異形の屍の転がる戦場に6つの影が舞い踊る。

 シャーマン達の戦いは術の応酬から肉弾戦へとシフトしている。
 シッティング・ブルの放った精霊の力が込められた弓矢を、同じく精霊の力を付与した槍でいなすジェロニモ。纏った電撃がぶつかりあっては爆ぜ、空気が焦げた。
 その傍らではコヨーテと純白のバッファローとが攻めあぐねた様子で互いの隙を伺い、威嚇の鳴き声をあげている。

 銃弾と弓矢が行き交う空間。
 その中をまるでダンスでも踊るかのように銃士と弓兵が舞う。断続的に続く発砲音と風切り音は未だに拮抗している。
 ビリーとロビンフッド、それぞれが互いの急所を狙って放った弾丸と弓矢は数十度目の衝突を迎えた。

 重い金属音を響かせぶつかり合った刀と蜘蛛の足から火花が散る。
 距離をとったアサシンの口から放たれた蜘蛛の糸の弾丸は義仲の腕に装着された旭の様に輝く籠手の一薙ぎで焼き払われていく。焼ける糸をぷっと吐き出したかと思えば背からせりだした蜘蛛足を用いてアサシンが再度飛び掛かる。
 殺気にギラついた視線と凶刃が幾度目かの交差を迎えるが、此度も互いの命を刈り取ることは叶わない。

 一進一退の攻防が続く膠着状態。
 だがそれは上空を舞う鷲の一鳴きによって終息へと向かう。

「……ライダー、アーチャー。退くぞ。作戦は失敗した」
「あちらも仕損じたか」

 セイバーらのいる戦場の状況を窺うために放っていた使い魔である鷲からの報告を聞いたシッティング・ブルが、直ちに義仲とロビンフッドの両名に声をかけた。
 立香とライダーを救援に向かわせてしまった時点で薄々この結果を予想していたのであろう、残る五虎将の二人の顔に動揺は少ないが代わりに苦虫を噛み潰した様な渋面を浮かべている。
 これ以上ここに残る意味も意義も存在しない、このあたりが退く頃合いだろう。
 組つこうと接近してきたアサシンを大振りの一撃で振り払った義仲と、矢の一斉射で木を撃ち抜いて倒し即席の遮蔽物を作り上げたロビンフッドが、バッファローが放った雷撃で強引に隙を作り出したブルと合流する。

「退くのはいいけど、あいつら逃がしてくれると思う? 特にあのアサシンはしつこそうだし、あっちのガンマンなんて後ろから撃ってきそうだけど」
「逃がしてくれぬなら、あちらから逃げてもらうしかあるまいよ」

 ロビンフッドの問いに義仲が笑いながら応え、彼の体に魔力が満ちていく。
 義仲の意図を察したブルとロビンフッドが即座にジェロニモらに向けて矢継ぎ早に攻撃を開始する。相手を仕留めるための動きではない、足を止める為の動きだ。
 ジェロニモとアサシンの移動経路を塞ぐように放たれる無数の矢と、ビリーの銃弾を防ぐために間断なく放たれる稲妻のカーテン。
 二騎のサーヴァントの徹底的な守勢を破ることが出来ず攻めあぐねている内に、義仲の霊基に魔力が満ちていく。
 宝具発動の妨害が間に合わないことは誰の目にも明らかだった

「この感覚、先ほど山道を焼いた宝具か!」
「そらそら、逃げねば燃え盛る火牛に轢かれておさらばよ!」
「きゃすたぁ!童! 吾の近くに来い!」

 威勢よく声を張り上げた義仲に対し忌々しげに顔をしかめながらアサシンが叫ぶ。
 何が策があるのかなど聞く余裕はジェロニモとビリーにはない。視界の先には先刻彼らを襲った火牛の群らしき灯火がぼうっと現れはじめている。
 アサシンに命じられるがままにジェロニモとビリーは彼女の傍へと駆け寄った。

「火牛計・倶利伽羅大炎上ォ!」

 義仲が叫び、呼応する様に大地が震える。
 街道に響く無数の嘶き。煌々と煌めく猛牛の群がどこからともなく飛び出し、狂った様に疾走する。
 木も、草も、石も、生き物も。猛り狂う暴走の先に存在するもの全てが踏み砕かれて蹂躙されていく。
 倶利伽羅峠の戦において木曽義仲が行った計略を再現した対軍宝具。この狂奔の進軍を前に無事ですむものなどいないだろう。
 現に彼らの眼前に先ほどまで戦っていた三騎のサーヴァントの姿はない。だというのに義仲の口から漏れたのは憎々しげな舌打ちの音だった。

「逃げおおせおったか。相変わらず面倒な宝具よ」

 顔をしかめ悪態をついてはいるものの、その表情に驚愕の色はない。義仲は自身の宝具に対し、アサシンが己の宝具を使用して凌ぐことを想定していたのだろう。
 周囲からサーヴァントの気配が消えたことを確認し、義仲がロビンフッドとブルに撤退を促す。
 頷くことで応えた二人を併せて霊体化し、五虎の三騎は忽ちにその姿を消し戦場を後にした。

 果たして宝具を凌いだというアサシンらはどうなったのか。
 義仲らが姿を消してからそう間を置かず、蹂躙された広場の丁度アサシン達が姿を消すまで存在していた箇所の地面がぼこりと盛り上がった。盛り上がった地面はぽかりと地中へと向かい口を開く穴へと変わり、そこから出てくるのは3つの人影。
 その正体はビリー・ザ・キッド、ジェロニモ、魏のアサシンの三騎である。
 彼ら彼女らはアサシンが作り出したこの穴に身を隠すことで、燃え盛る狂牛の蹂躙からその身を守ったのだ。

「チッ、此度も仕留められなんだか」
「いやー助かったよ。それにしても何も見えないわ何も感じないわ、さっきのあれが君の宝具かい? えーっとツチグモだっけ?」

 服に着いた土を払いながら人懐こい笑顔を浮かべたビリーに、微かに冷たさをもった眼差しをアサシンが向ける。何かが彼女の気分を害したか、思い当たるとすれば先ほど口に出した彼女への呼称だ。
 ふと、敵対者がツチグモと呼びこそすれ、ジェロニモが一切彼女をその名で呼ばなかったことを思い出す。
 敵に知られていて味方が知らない名、というのもそうないだろう。つまり、ジェロニモは意図してその名を呼んでいないということになる。である以上は呼ばれて好ましい名ではないということだと察することが出来た。

「アサシンと呼べ。その名は真名であり偽りの名よ」

 そう言い捨て、アサシンはその姿を消す。
 ジェロニモがいる以上、ビリーが本陣に向かうに支障はないと判断し一足先に帰陣したのだろうか。

「なんだい彼女、名前にコンプレックス持ちかい?」
「少し複雑な話だ」

 ふう、とため息を1つ吐き、ビリーがジェロニモへと視線を向ける。
 数秒、アサシンが消えた方角を見つめていたジェロニモはビリーからの問いに応える為に口を開きつつ歩みを進め始める。会話は移動がてら行うという意図を察したビリーは黙ってジェロニモの後に続く。

「"ツチグモ"という呼称だが、あの侍が言っていたのは土の蜘蛛。日本に伝わる蜘蛛の怪物の名だ。彼女はそれと同じ響きの名を持っている。本来その存在とは無縁であった筈だが、時が経つにつれて彼女はその化け物と同一の存在として扱われ始めた。なので偽りの名であり真実の名であるという訳さ」

 宗教などではよくある話だな、と付け足したジェロニモに対し、ビリーは神妙な表情を浮かべいつもの軽口はなりを潜める。
 敗者や敵対者を人ならざる化け物へと貶め伝える。歴史を紐解いていけばどこにだってある話だ。
 だが、かつての歴史においてビリー達は貶める側であり、ジェロニモ達は貶められる側であった。身内の傷口を茶化す様な無神経さも傲慢さもビリーは持ち合わせていない。
 アサシンへとジェロニモが向ける眼差し。そこには同類意識からくる憐れみが少量だが混じっていた。

「都知久母(ツチグモ)。それがどの様な綴りなのかまでは私も分からないが、だからこそ"ツチグモ"という言葉は彼女にとって己の名を示すものであると同時に偽り存在を自己に上書きする忌まわしきものという訳だ。あの忌避ぶりからすれば、ともすれば怪物の方で英霊の座に登録されているのかもしれないな。故に彼女は自身の名ではなく自身のクラスで呼ぶように我々に申しつけてきたのさ」

真名解放
魏のアサシン 都知久母



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其の伍:戦場は紅に染まる(4) 最終北伐戦域 漢中 次の話

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最終更新:2020年01月02日 11:54