第1節:大蛇を見るとも女を見るな(3)




「子イヌ、あっ、だめ、ダメ……アタシ、それじゃあ、止まらないわ……!」

 せがむような、媚びるような、甘い声。
 ぶるり、と背中を震わせながら、律動に耐えるように、切なそうに顰められた眉。

「逃げて、早く! アタシの視界から、消えて……! でないと、あっ、そうじゃないと、アタシ、……!」

 対峙したまま、先ずは令呪による制止を試みたものの、効きはかなり悪い。

 サーヴァントの拘束は、カルデア式令呪の本来の用法ではない。
 加えて、三騎士のサーヴァントは、クラススキルとして【対魔力】を有している。

 当然、藤丸自身もその事実は承知の上だ。
 それでも令呪の使用を試みたのは、彼女がエリザベート本人であるかどうかを確かめる意味合いもあった。
 令呪は働いた。ならば、カルデアで契約を結んだ彼女自身であるということに違いはない。

 で、あれば。

「やだ、やだ、いやぁ……あっ、子イヌ、目の、前、に、ぃいぃィ……がっ、我慢ッ、でき、な、あっ、あっ、」

 生理的な痙攣を繰り返し、徐々に歩を詰める彼女を、せめて観察する。

 ただでさえサーヴァントを相手に、この手傷では逃げることは不可能だ。
 街道は、立ち並ぶ樹木を覗いては見晴らしがよく、遮蔽物と呼べるものはほとんどない。
 ならば、カルデアの通信の復帰に備えて、或いは自らが対処するために、僅かな情報でも拾っておかなければ。

「いっ、ぎ、痛い、痛いぃい……」

 瞳は赤黒い。

 言動は一定せず、熱に浮かされたかのように槍を掲げたかと思えば、細い腕を震わせ、必死に堪えるように下ろそうとする。
 顔は涙や鼻水でぐしゃぐしゃだ。
 表情は苦悶に歪んでいるようにも、恍惚に蕩けているようにも見える。
 月下に頬を上気させ、禁忌と本能の狭間で身体を震わせながら、

「あ、あ゛ぁああ――――ッ……!」

 渾身、振り下ろされる槍。
 体を捩って、直撃を避けるのが精々。
 薙いだ槍の穂先は地を抉り、
 石礫が被弾となって肌を裂き、

「――――――――ッ!!」
「あ゛っ、い、いやぁあ゛っああァアあぁあああ、ああ――――――……」

 覚悟していた分、今度は痛みが先に訪れた。
 悲鳴は自分のものではない。
 獣の吠えるような声で、エリザベートが絶叫したのだ。
 まるで、彼女の方が痛みに耐えているかのように。

「っぐ、…………っ、ふぅーッ、ふぅーッ、……ッ!!」
「エリザベート……!」

 彼女は正真正銘、カルデアで召喚したサーヴァントだ。
 そして、何かしらの干渉によって、自分に矛先を向けている。
 ただ、その干渉が雑なのか効果が薄いのか、抗う余地は辛うじてあるのだ。

 エリザベートは、抗っている。必死に、その痛みに抵抗している。
 マスターである自分が、その目の前で、無様に膝を屈して見せるものか。

 観察しろ。思考しろ。時間を稼げ、生きることを止めるな。


「令呪を以て、命ずる――――!」
「子イヌ、ダメ……それじゃ、また……っ!」

 カルデアの例呪の本来の役割は、ブレーキではなくブースターだ。
 『止まれ』、で効かなかったとしても、暴走させてやれば、どうだ。

「『ランサー、渾身の力で 地面を破壊しろ(・・・・・・・) !!』
「……!」

 振りかぶられる槍。
 僅かに遠のく風切り音。
 体を丸めて急所を庇う。
 衝撃。
 土煙すら、実を削るような、

「……っ、これ、視えな……」

 その土煙こそが狙いだ。
 一時凌ぎだが、その僅かに稼いだ時間を有効に、



『――――煙幕(スモーク)たァ、良いアドリブだ! 気が利いてンな、少年(ボーイ)!!!!』


 ……闖入者の声は、大地を揺らすほどに響いた。


 英霊を知る者ならば、その外見に意味が宿らぬことを、みな理解している。

 少女の身体といえど、宿すのは竜の魔力炉。
 加えて、スタンドマイクを模した槍も飾りではない。
 エリザベートは特注品だと嘯くが、その実態は増幅器だ。
 彼女の持つ無尽蔵の魔力を、音の波動に変換して叩きつけるための、最も効率の良い形状がそれなのだ。

 ローマ帝国の粋を支えた石の街道は、エリザベートのひと薙ぎで、発破でもしたかのように抉れ返っていた。
 並の人間ならば、いや英霊であったとしても。
 正面から食らってしまえば、ひとたまりもないはずの、



「悪りぃな、 不良少女(バッドガール) ……! 手加減は出来ねェーし、する気もねェ!」


     突如現れた男は、その槍を。

     どの角度から如何な工夫を持ってみても、 近代楽器(エレキギター) としか判別できないもので、押さえつけていた。


「何せ、このオレぁよ……蛇って生き物が、この世で一番、大ッ嫌いだからよォ―――――ッ!!!」


 大いなる誤解だ……!
 蛇ではなくてドラゴンなのだけれど、いや、それはこの際どうだっていい。

 何故ジャンプスーツ姿なのか、ということも。
 モミアゲ巻きすぎじゃないだろうか、ということも。
 何処からか聞こえるキレのある旋律に合わせて、時々腰を揺らしていることも。
 ……重要な情報じゃないのだろう、たぶん。


   「おいおい、少年ン! 何をボサーっと見てんだよ!
    アレか? サインか? そんなモン、後でいくらでもくれてやらァ!
    アッ……、それとも、アレか?
    ずっと俺が舞台袖で見ていたからって、仕返しのつもりじゃねェーだろうなァ!?
    し、仕方ねェーだろォーが、どう考えたって相性悪りぃに決まってんだからさァ――――!!」


 彼は、おそらくはサーヴァントで。
 状況的に、助太刀のために現れて。
 暴走中のエリザベートに対抗できる、唯一の可能性だ。

 それ以外の情報は、今は必要ない。

 パキ、と、家鳴りに似た高い音。
 見れば、エリザベートの槍は押さえつけられているのではなく。
 抉れた石畳の下から延びる何かに、絡めとられている。

 そして、その拘束は、徐々に引きちぎられている。



    「 は っ 、 早 く 助 け な ァ ! ! ! ! ! ! ! 」


 どう考えても、こちらの台詞だった。



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最終更新:2018年11月21日 23:15