第2節:旅は地獄に道連れ(1)




 カルデアの管制室は、マスター・藤丸立花にとっての心臓であり、脳である。

 人理保障機関フィニス・カルデアの最たる功績は、空間渡航技術の汎用化に成功したことといっても過言ではない。
 霊子転移は、渡航そのものへの適性以外に、候補者に対して特別な素養を求めない。
 魔術の基礎すら知らずにいた少年であったとしても、本人の適性さえあれば、他には何の差支えもなく、対象者を過去へ転送することが出来る。

 霊子転移における空間渡航の仕組みは、以下の通り。

 1、霊子演算装置(トリスメギストス)が対象者の魂を数値化し、分解。
 2、近未来観測(シバ)レンズにて観測中の過去に、数値化した魂である霊子を投射。
 3、霊子が投射されたことによる事象の相関と変遷、すなわち対象者によって過去にどのような干渉が起きたかを演算。
 4、演算結果を、その過去にさらに反映。
 5、これを繰り返し、「対象者が存在していた瞬間」を歴史上の任意の点において偽装する。

 この渡航法の最大の問題点。
 それは、お決まりの時間への逆説(タイムパラドックス)や、魂の数値化という人倫への反逆……などということではなく。
 「同一の人物が別々の時代に存在してしまう」という矛盾であった。

 どれほど過去の時空において、渡航者の存在を証明しようとしても。
 数式のみでは、抑止の網を潜り抜けることはできない。
 世界がその矛盾を観測した時点で、それを修正しようとする力が働いてしまう。

 ――――――では、渡航中の対象者の、現代における生命活動を否定してはどうか?

 人為的な仮死状態、という不在証明(アリバイ)
 疑似的な奇跡の汎用化に際して、先代所長マリスビリー・アムニスフィアが飲み込んだリスクが、それだった。

 魂の数値化の過程で、渡航者の現代における生命活動を否定し、秘匿する。
 「その人物は現在ではなく、過去にのみ存在した」という補正を、より強く得るために。
 実際の渡航中の生命活動は、逐次かつ膨大な量の外部演算によって代替することにした。

 さながら、並列するスーパーコンピュータは人工心肺、更新され続ける観測数値は心電図のグラフ、といったところだろう。

 そして、現在。
 観測数値はロスト、人工的な体外循環が現在の彼にとって適切に働いているのかすらも不明となってしまった。

 バイタルの危険域を伝えるアラートが四方で鳴り響いている。

 藤丸立花が見舞われている危機とは、そういうものだ。
 彼に意識はあるのか。呼吸はどうか。心臓は正しく脈を打っているか。
 きっと無事に生きているだろう、などという楽観視など、到底できやしない。
 その認識を共有するからこそ、スタッフはひと瞬きすらも惜しんで、数式の海からのサルベージを続けている。
 さながら、緊急救命室の如き騒乱だ。

 誰もが、いつも通りに気丈な笑みを浮かべて霊子筐体に身を横たえる、彼の最後の姿を脳裏に浮かべていた。





 ――――――警報が、鳴り響く。




 ぴた、と、他の音が止んだ。
 示し合わせたかのように、全員が作業の手を止めたからだ。

 音の出元は、転移装置。
 随伴サーヴァントの強制離脱を報せるためのものだった。


「……武闘派のサーヴァントを連れてきて。近くにいるなら、誰でもいいから」

 静寂を裂かぬよう、ささやくような声で。
 ダ・ヴィンチは視線を外さぬまま、手近なスタッフに呼びかける。

「エリザベート・バートリーが戻ってくる」

 その霊気に汚染を受け、その他一切の情報が不明なままで。

 ……もし、汚染が霊基に残っていたとしたら?

 制御を失ったサーヴァントを鎮圧するに当たり、生身のスタッフたちの安全は二の次に回される。
 酷な考え方だが、補填は幾らでも利くからだ。

 人類最後のマスターに、替えは利かない。

 特異点解決のための最優先は、現在もフル稼働で観測を続けている管制の精密機器だ。
 それを守るために、ただの人間など、藁ほどの盾にもなりはしないだろう。


(……マシュを行かせてしまったことを、早計と思うべきだろうか)

 自問する。
 あらゆる手段は、考慮されなければならない。

 不可能な策、というわけではなかった。
 魔術回路が眠ってしまっているとはいえ、それは自動車のバッテリーのようなもの。
 令呪に似せた外部からの強制入力があれば、呼応して起こすことは出来る。

 聖杯探索のような強行軍には耐えられずとも。
 僅かな時間ならば、デミ・サーヴァント化への負担は、そう大きいものではない。


(……でも、合わせる顔がないよなぁ)

 そして、頭を振った。

 今の彼女は、非戦闘員だ。
 彼ら(・・)が身命を賭して勝ち取った、第二の生を。
 もう少し享受させてやりたいというのは、親心のつもりだろうか。

 いいや、違う。ただの優先順位だとも。

 そう言い聞かせて、ダ・ヴィンチは歩を進めた。


「……司令官代理!?」

「研究畑だからって、いつまでも座っていられる余裕は、ないからね。……みんな、下がってて」


 小型の機材を抱えたまま、職員たちが後ずさる。
 十分に距離を取っていることを確認して、叡智の籠手に魔力を回す。

 戦闘用にチューンアップは済ませてはあるけれど、所詮は手遊びの延長に過ぎない。
 果たして、暴れる竜を相手に、どれほど凌げるだろうか。

 転送装置の鉄扉からは、物音ひとつしないままだ。

 けれども、気配はある。
 ヒトの形を模した、純度の高い魔力。
 中に、いる。

 扉に指をかける。
 空の右手が、これほどにも心無いとは。


 金属の軋む音。



 ――――――現れたのは、果たして。


 我を失い、荒れ狂う暴威と化した、悪性のサーヴァント――――――





「ふっぐ……、アタシ、えっ、ぐ、……子イヌ、の、こと、……思いっ、きり、っ、う゛ぅう~~~~~~~~……!!!」




 などということはなく。

 その場に力なく座り込んで背を震わせる、泣き濡れの小公女であった。




「……まあ、なんだろうね。真実の口は、正直者には無害というわけだ」

「舌が腐り落ちますよ、司令官代理」





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最終更新:2018年12月29日 17:44