第2節:旅は地獄に道連れ(2)






「……何があったのか、説明してもらえますか? エリザベートさん……」

 マシュがエリザベートの帰還を知らされたのは、緊急対策室として陣取った会議室に、追加の資料を運び入れている最中だった。

 本来の転移先は、紀元前の共和制ローマであったという。
 神代とまでは行かずとも、歴史の海を遡れば、地平線すら見えぬ、遠い彼方。
 積み重ねた歴史書も、専門スタッフからの見識も、遭難中の少年の足取りを探す鍵とはならず、途方に暮れた矢先。

 現状、唯一にして最大の手掛かりが、帰ってきたのだ。
 特異点に随伴したサーヴァントの証言以上に、有益な情報もないだろう。


「………………」

 にも、関わらず。

 エリザベートは呆然と固まったまま、何かを話すようなことはなかった。

 口を閉ざしている、ということはなく、時折何かを思い出したかのように、はく、と口を動かして。
 けれども、喉が声を紡ぐ前に、恐れをなしたように俯いてしまう。

「……霊子転移の直後から、お二人の反応がロストしてしまったんです。
 それ以降の情報は、極めて断片的で……映像も、音声も……
 現段階で判明しているのは、先輩が負傷したこと、令呪を使ったこと、
 それから、エリザベートさんが、その……狂化状態にあった、ということだけで……」

 びくり、と、小さな肩が震える。
 みるみる、顔からも血の気が失われていく。
 スタッフの一人が気を利かせて用意した紅茶を、縋るように両手で握る。

 何かに怯えているようなエリザベートの様子に、咎めているような心地がして、それ以上に急かすような真似をするのは躊躇われた。

 彼女の霊気の異常が回復したことは検査済みだ。
 負傷も、意識の混濁も、記憶の欠落も見られない。
 彼女は、憶えている。何かしらの情報は、持っているはずなのに。
 それでも口を閉ざされてしまっては、そこから情報を引き出す術を、マシュは知らなかった。

 とはいえ、このままではマスターは、窮地に取り残されたままだ。

 焦燥が、背中を這う。


「……先輩は、無事なのでしょうか」

 解き明かさなければ、という使命感ではなく。
 そうあって欲しい、と祈るための言葉だった。

 はく、と、ひと際大きく息を呑む音。


「…………わからない、わ」
「エリザベートさん?」

「わからない、わからない、わからな、…………ぁ、」


 飲み込むまいと留めていた感情が、小公女の身体に、冷たく広がっていく。

 自分は、何をした。


「……だってアタシ、思いっきり、な、殴って……、さ、三度も…………!」


 肺が、ひゅっ、と、不完全な息を零して縮む。

 カップに添えた指が軋むほど、握りしめる。
 肌が白くなるほどに力を込めているのに、あの肉を打った感触が、消えてくれない。


「がっ、我慢、して……アタシ、我慢した、の……!!
 でっ、も、痛くて、痛くて、辛くて……
 『そうしなきゃ』、って、『そうすべきだ』、って、ずっと締め付けられるっ、から、」


「エリ……、エリザベートさん、おちつい、」


「子イヌに、そんなこと、しちゃ、死んじゃうっ……って、アタシ、我慢した、のに……!
 け、けど、だんだん……、『あれ、なんで我慢、してるのかしら』、って
 それで、きっ気付いたら、…………あ、あぁあ……すごく、すごくて、だって、……!!」


 ――――キモチ、よかったから。


 その恍惚を、吐き捨てる。
 おぞましい怪物について語るように、背中が嫌悪と恐怖で震え出した。

 快楽が訪れたのは、槍が彼を打った瞬間だけだった。
 その一瞬の悦を、自分はよく知っている。
 あの嗜虐は、エリザベート・バートリーの行き着く末路のひとつ。
 だからこそ、マスターにだけは矛先を向けてはいけないと、わかっていたはずなのに。

 浅ましく、求めた。幾度も、幾度も、卑しく槍を振るって、


 挙句、何処とも知れぬ歴史の時空に、彼を置き去りに――――



「……ああ、マシュ!!! ごめん、ごめんなさい! アタシ、あぁ、どうしよう……!!!!!」


 そこからは、叫び声だ。

 マスターを嬲る感触が、霊基にすらこびりついた心地がして。
 快楽の残り滓を、肉ごと削りとるように。
 何度も、何度も、紅茶の容器を掻きむしりながら、同じ言葉で懺悔する。

 責めてほしい。
 詰り、討たれてもいい。
 その方が、罪がこそげ落ちてくれる。

 普段の天真爛漫な振る舞いから、想像もつかぬほどの慟哭を、





「…………大丈夫です」

 マシュは、いっそ酷薄なほどに、正面から叩き伏せた。




「先輩は、きっと大丈夫です」
「…………なに、言ってるの、マシュ」

 サーヴァントだ。
 それも、近接戦闘に長けた三騎士の、本気の一撃を。

 マシュならば、よく知っているはずだ。
 盾越しに、幾度も受け止めてきたのだから。
 生身の人間が、その威力に対して、どれほど脆いのかも。

「大丈夫なワケ、ない、でしょ……? アタシ、本気で殴ったのに、」
「いいえ」

 好感の持てる少年だった。
 主従を抜きにしても、きっと友人になれると思うほどに。
 だから、それを自分の手で傷つけてしまったことが、こんなに痛い。

 そして、マシュにとっては、それ以上に、無二の存在であったはずだ。
 何故、それを責める言葉を吐こうとしないのだろう。
 絶望に、悲嘆に、涙を流そうとしないのだろう。

 壊れてしまった、のだろうか。


「……先輩のバイタルは、この情報室からでも、随時観測が出来るようになっています」
「は、」
「先ほど、技術員の方にお願いしましたので」

 指が、触れる。

 カップを支えていた両手を、その上から包むように。
 けれど、震えている。

規定域(・・・)です、エリザベートさん。正常値からは、確かに、その、大きく下回っていますが……
 今すぐに命を落としてしまうような、或いは歩くことも出来ないような、大きな怪我は、していません」


 そう、なのだろうか。

 確かに、力任せに殴りつけるだけではあったから……
 いや、仮に本当に、その通りなのだとしても。

 彼の窮地も。
 自分が彼を傷つけたという事実も。
 何一つ、解決などしていない。

 それなのに、


「大丈夫」

 マシュの目は、しっかりと正面からエリザベートを覗き込んだ。
 そこには怒りも、悲しみも、エリザベートを責め苛むための感情など、何ひとつ宿っていない。
 わずかに濡れているのは、失ってしまうことへの恐怖だろう。

「大丈夫、ですから」

 優しさとは、弱さを知るから生まれるものだ。
 だとしたら、この施設では、彼女が最もそれに長けている。

 想像に怯えて座り込んでしまうことを、臆病だと断じる行為はしない。
 僅かな希望に目を閉じて、力なく祈り続けることだってそうだ。

 けれども、『生きる』という行為は、前を向いて歩き続けることではないか。

 他ならぬ彼の教えだからこそ、今、彼女はそれを懸命に、守ろうとしているのではないか。


「……だから、だからお願いします。
 先輩の窮地を救うために、エリザベートさんの協力が必要です。
 どんな些細なことでもいいんです、何があったか、教えてください」


 ならば、自分がしたことは、何だ。


「それで、……先輩が帰ってきたら、ちゃんと謝りましょう。私も、傍にいますから」



「…………約束よ?」
「……はい!」






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最終更新:2018年12月29日 18:09