第2節:旅は地獄に道連れ(3)





 最初に教わったのは、音と旋律の違いだった。

 世界は、旋律で満ちている。
 けれども世界は、その多くを忘れてしまったのだ――――

 そう告げながら、あの方は■■を私に託した。
 私は、その旋律を追い求めようと思った。
 ■■を手に、世界のすべてを、音の連なりで再現してみせようと。


 夕日が海に溶けて、夜がビロウドのように広がる瞬間の旋律を。

 放たれた矢が風を断ち、獲物の命を貫いた瞬間の旋律を。

 つがいの鳥が、愛を紡いで、夫婦の契りを交わした、その瞬間の旋律を。


 生み出せないものなど、なかった。
 楽譜は、世界が知っている。私は、それを読み解いて、伝えてやるだけでいい。

 ただ、心から誇ることは出来なかった。
 それを才と呼ぶものは多くいたけれど、私自身が生み出したものでは、なかったのだから。

 だから、君を一目見た時も。
 他の戦士がするように、自慢話で気を惹いたりは出来なかった。

 せめて喜ぶ顔を見ようとして、私が知るすべての美しく清らかな旋律を、並べて奏でてみせたのだ。


『……素敵。綺麗な音楽ね。それじゃあ、次は……あなたの声を聴かせてくださる?』

 困った。困り果てた。

 なにせ、それは一度も弾いたことがない。
 自分の声の音など、とうの昔に忘れていて、たまの余興に酒場で歌う程度なのだから。

 ――――それだけは奏でられない、他の曲なら幾らでも。

 私がそう詫びると、

『まあ。木々の枯れ枝の掠れるような、くすぐったい声』

 なんて、くすくすと笑っていたのを、憶えている。



 ああ、美しき、オークの森の■■■■■■■■よ、

 もう、君の声を思い出せない。






 じわり、と視界が滲んだので、指で擦ると、濡れていた。


(ああ、俺、泣いてるんだ)


 不思議と、恥ずかしいとは思わなかった。

 音楽に疎い自分でも、理解できる。
 その演奏を描画に例えるなら、すべての音符と休符が、絵の具の一筆で、輪郭で、色彩で、あるいは素地で。
 ひとつとして、意味のない音はなく。
 アーチャーはそれを、素人の自分にも伝わるように、丁寧に弾いてみせている。

 時に、ファンファーレのように高らかに。
 時に、バラッドのように艶やかに。

 たった数本の弦で、オーケーストラに負けないほど、重厚な世界を表現していて。


 あるひとつの音を弾くと、唐突にその指が止まる。


 余韻がゆっくりと溶けていって、ようやく自分は、そこで曲が終わったのだと気づいた。
 はっとして立ち上がり、力の限り手を叩く。

「ブラーヴォ、ブラーヴォ!!」
「…………センキュウ」

 背後から歓声が聞こえるような気さえする。
 一曲にして、数分。
 けれども、一日中音楽を浴びていたような、贅沢な疲労感があった。

「センキュウ、セーンキュウ!!」
「あー、すごかった……、…………ごめん、俺、感想下手で」
「いい、いい。言葉だけが感想じゃあねーからな」

 涙を切るようにして、強く目を閉じる。
 開くと、世界が色付いたような心地さえした。

「そりゃあ、俺の演奏は最高なわけだが。
 お前ほど、よく音を聴くやつもなかなかいねェってなもんだ。
 ついノっちまったわ。
 カルデアってのは、余程いい演奏家(アーティスト)に恵まれてんだな」

 確かに、芸術的な逸話を持つ英霊は多い。
 審美眼、だなんて烏滸がましいけれど。
 芸術を味わう心構えのようなものは、知らず培われていたのかもしれない。

 自分には、過ぎたる経験だ。
 無事に帰ったら、ちゃんとみんなにお礼を言おう。


「……で、どうだ。歩けるか」
「大丈夫」
「条件反射で応えんな。ちゃんと身体に聞いて、確かめろ」

 窘めるような物言いではあったけれど、アーチャーの言う通りだ。
 ゆっくりと屈伸。
 打たれた箇所を伸ばし、捻る。引きつるような痛み、熱はないか。

「……ウン、大丈夫。ありがとう、アーチャー」

 言うと、彼は驚いたように固まった。
 それから、所在なさげに舌打ちをひとつ。

 アーチャーの弓は―――近代楽器(エレキギター)だけど、そうではなくて―――正しく、英霊の兵装なのだろう。
 天上の音色を奏でる、というだけではない。
 聞き惚れるうちに、いつの間にか痛みを忘れてしまう。それは、催眠や治癒の魔術の類だ。

「さすがに触ると、ちょっと痛いけど……腫れも引いてるし、これくらいなら」
「……手間じゃねェからな、ぶり返したら何時でも言えや。遠慮すんじゃねーぞ」

 なんで、ちょっと不機嫌っぽく言うのだろう。



「――――それで。冥界に行きたい、だっけ」


 彼の問いに、気付かされたことがひとつある。

 霊子転移先は、紀元前のローマという話だった。
 遡るほどに定点的な精密性が落ちるとはいえ、神代というほどの過去でもない。

 当然、街灯なんて気の利いたものもなければ、礼装の視界補助機能も、カルデアの供給がなければ使い物にならない。
 明かりなんて、月と星くらいなものだ。

 何故、遠目からだというのに、エリザベートの後ろ姿に気付くことが出来たのか。


「行きたい、じゃねェ。ここはもう、その入り口だ」

 冥界は、必ずしも光の届かない闇の世界じゃない。
 見渡せば、その独特の宵闇に、よくよく見覚えがあった。









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最終更新:2018年12月07日 02:12