いんへるの


殺人鬼……というほど、私はたいそれた人間じゃありません。
一人……たった一人の女を殺しただけです。
問題は私がしたことではなく、されたことなのですよ。
掃いて捨てるほどいるありふれた殺人者の私が、この場所にいる理由はね。
そう……あの瞬間、神罰はありふれた人の罰に変わったのです。
最も奇跡の代償の全ては、私が背負うこととなりましたがね。

さて……私が安らかな眠りを得るには、何人殺せば良いのでしょうね。

杉沢村……ですか。
今から行われることと私、そう大して差は無いのですよ。


恐山――標高879m。温泉あり。名産品イタコ。
イタコとは特殊な修行を積んだ女性シャーマンの一種であり、死んだ人間の魂を自分に降ろすと言われている。
最も彼女らが本物のシャーマンであるのかどうか、疑問視する声はある。
しかし、死んだ人間と話すことが出来る――そう思い込めることはきっと当人にとっては幸福なことなのだ。

極一部にのみ、本物の霊能者が存在しているが――普通の人間に会うことは出来ない。
富、権力――あるいは、血統。
何か特別なものを持つ者のみが、真の力を持つイタコに面会することが出来る。

だが――この青森において、本物のイタコは必要ではない。
霊を呼べるシャーマンらしき者がいる、その事実だけで十分なのである。

青森にはキリストの墓があり、ピラミッドがあり、イタコがいる。
杉沢村伝説があり、日本――否、世界でも有数の霊脈地――恐山が存在している。

大どんでん返しが始まる。
偽物が本物になる時が、偽物で本物を生み出す時が。

「では会いたい方の名を聞かせていただけますか?」
恐山――寂れた祠。
数人が入れば、いっぱいになってしまうような狭い領域で、二人の人間が正座で向かい合っていた。
一人はイタコ――修験衣を着た、年配の女性である。
どことなく気品に溢れた顔、手を握られれば全幅の安心感に包まれそうなそんな優しげな雰囲気を持っている。
そしてもう一人はナチス軍服を着た――若い金髪の男である。
鉤十字のイヤリングを付けた日系の男――ファッションと言うには少々過激であるが、男にとってはそんなことは関係ないのだろう。
「……ジャック・ザ・リッパーを呼んでくれ」

「ほう」とイタコから吐息が漏れる。
「あの殺人鬼ですか」
「ええ、あの殺人鬼の正体が知りたいのですよ」
「……危険な存在でしょうが、魂は私の肉体に縛り付けられます。ご安心下さい」
「そうですか」

数珠を握り、イタコは印を結ぶ。

オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。
オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。
オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。
オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。
オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。
オン ウンダキ ウンジャク ウンシッチ ソワカ。

イタコのマントラが歌のように、響く。
心の中に染み込むように、奏でられる。

トランス状態――イタコの全身が痙攣を起こす。白目を剥く。
涎が――垂れる。
法悦、脱魂、恍惚、入神――イタコは今、尋常の意識状態に無い。

「スゥ……ジャック・ザ・リッパーですゥ……」

イタコの瞳が元に戻る。
狂気を経て、正常ならざる正常がイタコに宿る。
偽物であったとしても、これ以上の本物があるだろうか。
そう思わせるほどにイタコの技術は恐ろしい。

「だが、そうじゃない。俺が欲しいのは、本物なんだ……」

ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ

マントラの逆字読み。
逆十字が神に敵対する意思の象徴であるならば――マントラの逆字読みは、呪詛であるのか。
男は笑いながら、逆字マントラを唱え続ける。

ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ
ンバトダラザバ ンオ ンバトダラザバ ンオ

「汝、殺す無かれと神は言う、しかし神は人を殺す。
人は神の被造物であるからだ、被造物が被造物を殺すなど――玩具が玩具を破壊するようなものだ。
世界のどの子どもが勝手に玩具が壊れることを望む。壊すならば自分の手で行うだろう。
殺人とは神の特権――故に神はアダムとイブを追放した。
カインを――神の悪意を産むからだ。殺人者よ、この女に宿るが良い!
神の悪意を以て、神の御業を示すが良い!
来たれ、ジャック・ザ・リッパー!!
この世に再び生まれ堕ち、日に1000の人間を殺すが良い!!」

「ア゙」

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」





おぎゃあ、という声を男は聞いた。


かつて青森県の山中に、杉沢村という村があった。
昭和の初期「一人の村人が突然発狂し、村民全員を殺して自らも命を絶つ」という事件が起きた。
誰もいなくなった村は、隣村に編入され廃村となり、
地図や県の公式文書から消去された。しかし、その廃墟は悪霊の棲み家となって現在も存在し、そこを訪れた者は二度と戻っては来られない。
その殺人事件が実際に存在したのか、杉沢村という村が実際に存在したのか、その真相は誰にもわからないだろう。

だが、語り部のいない物語は存在しない――ならば、何故訪れた者が二度と戻れない村の話が語り継がれる。
人の業か杉沢村――人があれよと願う故に、この都市伝説が存在するのか。
悪霊の呪詛か杉沢村――悪霊が語り部となり、誰とも知れぬ普通の人間に囁いたのか。

だが、この青森で――幻想は現実に変わる、
変わる。逆さに変わる。

杉沢村があるから――1人の村人が突然発狂し、村民全員を殺して自らも命を絶ったのか。
否、殺人者のいる場所こそが、杉沢村になるのだ。

「さあ、聖杯戦争が始まるぞ!」
ルーラーが嘲笑う。
林檎を齧り、人の業を嘲笑う。

『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』
『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』
『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』
『ここから先へ立ち入る者 命の保証はない』

青森県のとある繁華街で、数人の男がハンマーで頭を打ち砕かれる連続殺人事件が発生。
犯行後、その殺人現場周辺は――近代ヨーロッパの街並みに変わっているとの報告有り。

青森県のとある海岸で観光客に対する連続強盗殺人事件が発生。その際、近くの海の家で調理器具を使用した形跡が見られている。
犯行後、その海岸周辺で人間の倫理観を根底から打ち崩すような怪物に遭遇したとの報告有り。

青森県のとある地域で電気を凶器とした連続殺人事件が発生。
犯行後、そこにあるはずのない刑務所を見たとの報告有り。

青森県の産婦人科医院にて、妊婦に対する連続殺人事件が発生。
犯行後、その産婦人科医院を中心として、産業革命直後のスモッグに包まれたヨーロッパの街並みに変わっているとの報告有り。

「現実を幻想に塗り替えた異界!杉沢村!!杉沢村を取り合い!!君の幻想を本物のそれに変えるが良い!!」





恐れる山

何を恐れる

狂気

狂気の山







恐山 狂気山脈。

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最終更新:2017年05月25日 20:57