夜、藤丸はぼんやりと空を眺めていた。
英霊達のいる……即ち、現在の拠点からは少しばかり離れたところだ。
とはいえ、表の通りには出ていない。
現状、どこにセイバーの陣営のものがいるかも分からない。
下手に見つかるようなことがあれば味方全員を危険にさらす。
もちろん、こちらにとっての敗北条件が藤丸であることに変わりはないという事実もある。
「……誰」
「おや、気付かれたか」
「分かるよ」
自分の背後から近付く人物に視線を向けた。
京のアサシン……梶井基次郎であった。
どこか不安そうで、しかし吹っ切れたような顔でもあった。
裏返しだった遊撃衆の羽織は表になり、そこには雑賀衆であることを表す烏の模様があった。
「……頭領殿の部下がセイバーの居場所を見つけた。山の中だそうだ」
「清姫のいたところ?」
「そういえば、彼女はどこに? 君と一緒だと思ったのだが」
「んー……清姫は今、寝てるよ」
「?」
「会いたいなら二階の僕の部屋にいる……起きてなければ」
そんなことを言ってはいるものの、彼が清姫に用事があるのかもしれないとは思っていない。
アサシンは自分に用事があるのだ。
「……不安なの?」
「不安だね。よりにもよって、この私があのセイバーを倒すのだと、無理を言う」
「でも、そうしないといけない」
「……そうだ。勝手ながら、私はこれを橋姫の弔いにしようと思う」
私が殺した彼女だ。
アサシンの目はまっすぐに藤丸を見据えていた。
だがよく見れば細やかに震えている。
どこまでいっても彼は大正の時代を生きていたただの文人なのだ。
戦い、殺す世界の住人ではない。
霊基焼却という奇跡によって被せられた本来は英雄未満の存在。
かつての藤丸もそうだった。
一つ、二つ、三つと特異点を抜けていくたびに摩耗していった。
だがこの足は止められない。
止まれば、終わる。
終わればどうなる。
自分に託して消えていったものたちの意思はどうなる。
そしてアサシンも今そうなろうとしている。
橋姫という英霊の分を背負い、セイバーを撃退する意思を固めたのだ。
「君は強いんだな」
「ううん……強いのはみんなだよ」
吹く風が藤丸の頬を撫でる。
震える手を誤魔化すように握り込んだのは一体何度あるか。
戦いが終わった後、その手が開かないほど固まっていたのは。
無理に笑ったことは、縋り付きたくなったことは。
あれは何度、何十、何百。
(今ならドクターやダ・ヴィンチちゃんの気持ちもわかるのかな)
藤丸はアサシンを止めることが出来ない。
彼がセイバー打倒の作戦にとって重要な存在であることは否定できない。
彼自身も納得している以上、自分がかき乱すわけにもいかないのである。
「……作戦は明日の夜に行う。それまでは自由だそうだ」
「詳細は開始前?」
「あぁ。内通者の可能性もあるからだそうだ」
「用心深いね」
次の戦いは総力戦になるだろう。
英霊の数で言えばこちらの方が多いものの、戦力は向こうの方が上である。
数々の妖たちを操り、第六天魔王織田信長の妹お市を擁する京のセイバー、松永久秀。
さらには魔神柱までいるのだから厄介だ。
どれだけの準備をしても大丈夫だとは言えない。
万全などない。
それが今の自分たちと相手の戦力差である。
「……藤丸君、私はやるよ」
そう言って無理に笑うアサシンに藤丸も笑みで返した。
◆◆◆◆◆
「あら、おかえり」
「酒呑。なんで」
「雑賀と織田の大将同士は計画の立案で忙しいみたいやし? お姫さんは寝てはるし、あのアサシンはなんやどっか消えてもうたし」
「さっきまでアサシンと話してた」
「いや、そうなん? なんやうちとおったら酔うてまうみたいで、避けられてるんよ」
思えばいつだったかの宴席でアサシンは酔っていた。
梶井基次郎自身も酒に酔って失態を犯した逸話もあるのでそういうことなのだろう。
「せやから旦那はんと晩酌でもしよう思うてな?」
「僕お酒飲まないよ」
「ええのええの。ほら、ぼーっと立ってんと。横空いてるで」
促され、酒呑童子の隣に座る。
甘い匂いがする。
果物のような自然な甘み。
それに混じる酒気が人も英霊も酔わせてしまうのだと聞いた。
「注ぐよ」
「ほな、お言葉に甘えて」
瓢箪を受け取り、彼女の持つ盃に向かって傾ける。
注がれる透明な酒の雫。
どれだけ飲んでも彼女が満たされることはない。
「もう、心配事はあらへんね?」
「……そうだね、多分」
酒を飲み干して酒呑童子が盃を出せば目を伏せた藤丸が酒を注ぐ。
心配は本当にないのだろうか。
いつも藤丸はそう思う。
ただ自分が考えないようにしているだけなのか、考えているが蓋をしているだけなのか。
その答えを藤丸は知らない。
「……また、忘れさせたろか」
するりと心の中に滑り込まれる。
愉快そうな顔をした酒呑童子が下から顔を覗き込んでいる。
手にした朱塗りの盃に残る酒には自分の顔が映り込んでいた。
ふわり、と彼女の甘い匂いがしてそれが徐々に強くなる。
お互いの呼吸がぶつかり合う。
気付けば藤丸の手は彼女の肩に触れ、弱い力で押していた。
「……振られてもうた?」
「清姫もいるから」
「ふふ、律儀やね」
藤丸は完全にうつむいてしまった。
「食べられるかと思った」
「そうしてええんやったら、そうするけど?」
「勘弁してよ」
「……そういえば、何でこの子ぉは旦那はんの部屋で寝てるん?」
「……疲れてるんだよ」
「ふうん……」
それぞれの思惑をよそに、夜は更ける。
最終更新:2020年11月23日 21:46