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*1790年 ラジシチェフ、シベリアに流刑 1749年、ラジシチェフ|Aleksandr Nikolaevich Radishchev(ラジーシチェフとも表記)、モスクワの貴族の家に生まれる。 1766年、ドイツのライプチヒ大学に留学(~1771)。 1771年、帰国して元老院に勤務。 1773年、軍法会議の法務官に転じた。 1777年、商務省に勤務。 1780年、ペテルブルグ税関の副長。 1783年、頌詩 (しようし)《自由》 を著す。ロシア最初の革命詩。 1788年、自伝的小説《 F.V.ウシャコーフの生涯》を著す。 1790年5月、奴制を激しく批判した「ペテルブルグからモスクワへの旅」を自宅の印刷所で印刷,出版したが,ただちに発禁となり,彼も逮捕され,死刑を宣告された。「ペテルブルグからモスクワへの旅」は、一旅行者の手記の形で,農奴制下の農民の悲惨な生活を描き,改革の必要を訴えたもので,ロシアの啓蒙思想を代表する著作である。 1790/07/11、逮捕されペトロパウロフスク要塞に監禁 シベリアのイリムスクに10年の流刑を命じられる。 1791年1月下旬(ユリウス暦)、流刑地に赴く途中トボリクスで光太夫([[H1783a]])らと会う? 1792/02/17、イリムスクにてヴォロンツォーフ公爵宛てに書簡を書く。ラクスマン教授(H1783a)との対面を心から待ちわびていたことを明らかにしている。 1796/07/20、イルムスクにてヴォロンツォーフ宛て書簡。ラスクマンの死を確認し、深い哀悼の念にみちている。 1801年、ペテルブルグに戻ると,皇帝アレクサンドル 1 世の設置した立法委員会に参加,精力的に働いた。 1802年、リベラルな改革を目指す彼は孤立し, 服毒自殺した。

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