659-661年 遣唐使4A

斉明5年7月3日(659/07/27)、坂合部石布連(さかいべのいわしきのむらじ)らは、津守吉祥連(つもりのきさのむらじ)ら(遣唐使4B=H0659b)と2隻の船で、呉と唐への航路に遣わされ、難波の三津浦(大阪市住吉区, 地図A)から船出した。陸奥の蝦夷男女2名を連れて行く。

斉明5年8月11日(659/09/02)、筑紫の大津の浦(博多湾, 地図B)を出港。
斉明5年9月13日(659/10/04)、百済の南の辺の島に着く(島名不明)。
斉明5年9月14日(659/10/05)、午前4時ごろ百済(地図C)の南の辺の島を出帆。
斉明5年9月15日(659/10/06)、横からの逆風に流され、爾加委(にかい)島(未詳)に漂着。坂合部連稲積が島人に殺害されるが、東漢長直阿利麻(やまとのあやのながのあたいありま)、坂合部連稲積(さきべのむらじいなつみ)ら5名が、島人の船を盗み括州(浙江省麗水, 地図D)に逃げる。州県の役人に洛陽(地図E)に送り届けてもらう。

斉明6年10月16日(660/11/26)、津守吉祥連ら(遣唐使4B=H0659b)と会う。

斉明6年11月24日(660/12/31)、洛陽を発つ。

斉明7年1月25日(661/03/04)、越州(杭州湾南岸, 地図F)に着く。

斉明7年4月1日(661/05/07)、越州を出発して東に帰る。
斉明7年4月7日(661/05/13)、頂岸山(舟山列島(地図G)の一島か)の南に着く。
斉明7年4月8日(661/05/14)、暁、西南の風に乗って船を大海に出す。航路に迷い漂流する。9日8夜して耽羅島(たんらのしま)(済州島, 地図H)に着く。島人の王子阿波伎ら9人を朝廷に奉ることとした。

斉明7年5月23日(661/06/28)、朝倉の朝廷に到着。島人の王子阿波伎ら9人を朝廷に奉る。

往路・復路ともに南路をとったものと考えられる。

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最終更新:2008年04月19日 17:44