774年 大宰府に命じて新羅の漂流民を帰還させる

宝亀5(774)年、大宰府に命じて新羅の漂流民を帰還させる。(外交志稿)

宝亀5年5月17日(774/06/30)、天皇は大宰府に次のように勅した。 近年、新羅の人たちが頻繁に来着する。その理由を尋ねると、多くは日本の国王の徳を慕って帰化するのではなく、にわかに風に流され漂着し、引き返す術がなく、そのまま留まってわが民となるのである。新羅の王は何と思うであろうか。これより後にこのようなことがあれば、皆送り還して天皇の寛大な心を示すように。もし船が破れ食糧が絶えている者があれば、役所が事態をはかって帰国の計画が立つようにせよ。(続日本紀)

この年、新羅人の漂着者多く、日本に居付いていたが、このとき以後は帰還させる方針とした(太政官符令「放還流来新羅人事」)
これには、「新羅國人時有来着。或是歸化。或是流来。凡此流来非其本意。宜毎到放還以彰弘恕。若駕船破損。亦無資粮者。量加修理。給粮発遣。(中略)自今以降。立為永例。」と漂着の度に広く恕(じょ・思いやり)の精神で船が破損しておれば修理し、食料がなければ支給して帰国させること、この法令は今後日本において永遠に守るべきものとするとある。

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漂流
最終更新:2008年04月13日 08:41