たとえ天が墜ちようとも



題名:たとえ天が墜ちようとも
原題:The Heavens May Fall (2016)
著者:アレン・エスケンス Allen Eskens
訳者:務台夏子
発行:創元推理文庫 2020.09.25 初版
価格:¥1,180



 状況設定が凄い。前作『償いの雪が降る』では、若き大学生ジョー・タルバートの眼を通して、ヴェトナム戦争を引きずる余命幾ばくもない三十年前の殺人事件の容疑者の真実を探るという作業のさなか、ジョー自身やそのガールフレンドであるライラ・ナッシュを襲うハードな運命と歴史の闇が彼らに試練と経験を与えることになった。

 前作でも登場の刑事マックス・ルパートと弁護士ボーディ・サンデンは、彼らがダブル主人公として実に印象深い活躍をする本作に限らず、その後のアレン・エスケンス作品にはおなじみのメンバーともどもそれぞれレギュラーやセミレギュラーとなって登場するらしい。本書では姿を見せない前作の主人公ジョーも、今後の作品で変身を遂げてきっと登場することだろう。作者は、決して決まったキャラクターによるシリーズ小説ではなく、どれも独立作品だと語っているらしいが、読者の楽しみとしては、活き活きとした魅力的なキャラクターが何人もいるこれらの物語、やはり彼らの人間としての変化や個性は忘れずに、そこをも楽しんでゆきたいと思う。

 さて最初に戻る。状況設定が凄いのだ。本作では刑事マックスと未解決事件となってしまった妻ジェニの交通事故死が一つのストーリー。一方でマックスの差し出した容疑者を弁護する側に回るボーディとその助手ライラの物語がマックスと対峙し、双方がやがては法廷で激突するという構図を描く。どちらも愛すべき主人公なのに、どちらかが勝ち、どちらかが敗れる? この設定がともかく凄いのだ。作者はどのような結末を我々に提示するのだろう? その疑問に終始付き纏われつつ、複雑な想いで、二人の男たちの正義や強さや弱さにまでも情を移してゆく、という、実に複雑な心的作業を読書中ずっと強いられるのだ。

 無論、最後にはこれらの大いなる疑問に答える真実が待っているはず。

 前作のレビューで、こういう一段をぼくは書いている。

 『全体はミステリ色でありながら、ほとんど冒険小説と言っていい。男の矜持。気位。そして人生の傷の深さと、再生へ向かう意志と友情。そうした人間的な深き業と逞しさとを含め、時にダイナミックに、時に静謐に描かれた、相当に奥行の感じられる物語である。最近、冒険小説の復権を思わせるこの手の小説が増えてきた。シンプルに喜ばしいことだ、とぼくは思う』

 本書でもこのことは言えると思う。『ザ・プロフェッサー』『黒と白のはざま』のロバート・ベイリーについてもぼくは思うのだが、人間の気位を描いた魅力的な主人公を描く小説は、ミステリーというよりも、ヒギンズやマクリーンの系譜を継ぐ冒険小説のような作家ではなかろうか。もしくはジャンルはどうであれ、<生き様>に拘る主人公たちの胸の熱くなる物語を描く作家は、現代には極めて稀なように思うので、ぼくはこのような本に単純に燃えるのだ。

 さて本書は冒険小説どころか法廷小説でもある。真実を追い求めつつ、法廷で既に進められた審議をどのように決着し、検察側、弁護側がどのようにこの出口のなさそうな迷路を小気味よく脱出してくれるのか、という一事にしか作品の終わりはないような気がする。だからこそこの作品の持つアクロバティックな終盤が魅力だ。

 今年の『このミス』が10月頭の投票だったため、ぼくは10月に読んだこの作品を入れていない。でも従来通りこれが11月締め切りの投票であれば、ぼくは年間傑作6選の上位にこの作品を押し込んだことだろう。順位はともかく、安全牌の作家がまた一人、ここに登場。アレン・エスケンスの名は、人間の正義と情熱を優先する上質な書き手として是非記憶にとどめて頂きたく思う。そして本書は翻訳二作目の傑作である、と。

(2020.11.01)
最終更新:2020年11月01日 21:51